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ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936) 第 IV 巻:投資誘因

第 15 章 流動性を求める心理と事業上のインセンティブ

(山形浩生
原文:http://bit.ly/pAZOuv

セクションI

 こんどは、13 章で先走って紹介した流動性選好の動機について、もっと詳しい分析を展開しなければなりません。中身は本質的には、時に「お金の需要」なる見出しで論じられてきたものと同じです。それはまた、お金の所得速度と呼ばれるものと密接に結びついています。お金の所得速度は人々が所得のうち、どの程度の割合を現金で持とうとするかを測っただけのものです。だからお金の所得速度増加は、流動性選好の症状かもしれないのです。でも、同じものではありません。なぜかというと、人が流動性と非流動性との間で選択を行使できるのは、所得に対してではなく、むしろ蓄積した貯蓄のストックに対してだからです。それにどのみち、「お金の所得速度」という用語は全体としてのお金の需要が所得に比例するか、あるいは何か決定的な関係があるかのような、誤解を招く先入観がつきまといます。でも実はこれから見るように、この先入観が成り立つのは、人々の現金保有のごく一部だけなのです。結果として、金利の果たす役割が見すごされてしまいます。

 拙著『貨幣論』で、私はお金の総需要を、所得保管、事業保管、貯蓄保管の三つの見出しで検討しましたし、同書の第三章で述べた分析をここで繰り返すまでもありません。この三つの目的のために保有されるお金は、それでも一つのプールを形成し、保有者としてはそれをきっちりした三つの区分に分ける必然性はまったくありません。これらは当人の心の中ですら、きれいに分かれていなくてもいいからです。同じお金を、主にはこっちの目的用だけれど、二次的にはあっちの目的用に保有することだってできます。だから、ある状況でのお金に対する個人の総需要は、いろんなちがった動機の複合物ではあっても、単一の決断として見なせます——そう考えても遜色ないどころか、そのほうがいいかもしれません。

 でも動機を分析するなら、それを何らかの見出しの下で区別するのがやっぱり便利です。最初のものは、所得保管と事業保管に対応し、それに続く二つは、貯蓄保管にだいたい対応しています。これらは 13 章で、取引動機としてちょっど持ち出しましたが、これはもっと細かく分けて、所得動機と事業動機、用心動機と投機動機、と区分けできます。

(i) 所得動機。
— 現金を持つ理由の一つは、所得を受け取ってからそれを使うまでの期間のつなぎです。ある現金総量を持つ決断をうながすにあたり、この動機の強さは所得の量と、それをもらってから使うまでの通常の期間に左右されます。お金の所得速度の概念が厳密に適用できるのは、この概念との関連です。
(ii) 事業動機。
— 同様に、現金は事業用の費用を支払ってから売り上げが手元に入るまでの時間をつなぐためにも保有されます。また問屋が買い入れてから卸すまでのつなぎ現金も、この中に入ります。この需要の強さは、主に当期の産出額(つまりは当期の所得)に左右され、さらにその産出が何人の手を経るかにもかかってきます。
(iii) 用心動機。
— 他に現金を持つ動機としては、突発的な支出を必要とする非常時や、お得な買い物の機会が不意に生じた時の備え、さらには金額の決まっているその後の支払い義務への対応などがあります。

 この三通りの動機すべての強さは、必要なときに現金を手に入れる手法の安さと信頼性にある程度は依存します。そうした手法は何らかの一時的な借り入れ、特に当座借越(オーバードラフト)やその相当物があたります。本当に必要なときに、簡単に現金が手に入るなら、つなぎで手元に現金を遊ばせておく必要はないからです。現金を手に入れるには、儲かる資産の購入を見送らなくてはならない場合、これはその金額の現金を保有する費用を高め、現金保有動機を弱めます。当座預金で利子が稼げたり、現金があれば銀行手数料がかからないですむなら、これは費用を下げて動機を強めます。でも、現金保有の費用が大幅に変わる場合でなければ、これはたぶん要因としては些末なものでしょう。

(iv) 残るは投機動機です。
— これは他のものより詳しく検討する必要があります。あまりよく理解されていないこともあるし、またお金の量の変化の影響を伝えるにあたり、ことさら重要だからでもあります。

 通常の状況だと、取引動機と用心動機を満たすお金の量は、経済システムの一般活動と、名目所得水準の結果として主に決まります。でも金融管理(または管理がなければ、お金の量の偶然による変化)が経済システムに作用するのは、投機動機への働きかけによるのです。前者の二つの動機を満足させるための現金需要は、一般には全般的な経済活動と所得水準が実際に変わらない限り、外部からの影響にはあまり反応しません。でも経験的に見て、投機動機を満足させるためのお金の総需要は、通常は金利のゆっくりした変化に対しては、連続的な反応を示します。つまり投機動機を満たすお金の需要変化と、金利価格の変化との関係は、連続曲線になるということです。この場合の金利は、各種満期期間の債券や負債の価格で示されます。

 だって、もしそうでなければ「公開市場操作」などというものは実施不可能です。前に述べましたが、経験によれば上で述べたような連続的な関係があるはずだと思われます。なぜなら、通常の状況だと銀行システムはいつだって、市場で債券価格をほどほどに競り上げたり(下げたり)することで、債券を現金と交換で売ったり(買ったり)できるのです。そして債券や負債を買う(売る)ことで、創りたい(吸い取りたい)現金量が多ければ多いほど、金利の下落(または上昇)も大きくなければなりません。でも(たとえば 1933-34年のアメリカのように)公開市場操作がきわめて短期の証券しか買わないよう制限されていれば、その影響はもちろん、とても短期の金利だけに限られ、ずっと重要な長期金利にはほとんど影響がないも同然、ということになります。

 投機動機を扱う場合、投機動機を満たすのに使えるお金の供給変化(流動性関数の変化なし)によって生じた金利変化と、主に流動性関数自体に影響する期待変化によるものとは、区別するのが大事です。公開市場操作は、実は両方の経路から金利に影響するかもしれません。それはお金の量を変えるだけでなく、中央銀行や政府の将来政策について、期待を変えてしまうかもしれないのです。期待の改訂を引き起こすニュースに伴う、流動性関数自体の変化は、しばしば不連続なもので、したがって金利変化もそれに応じた不連続なものとなります。ニュースの変化が、人によってちがった解釈をされたり、個人の利害にちがった形で影響する場合にのみ、債券市場での取引活動増大の余地が生まれます。もしニュース変化が、あらゆる人の判断と要求をまったく同じように変えたら、金利(これは債券や負債の価格で示されます)はすぐに新しい状態に調整され、市場取引はまったく必要ありません。

 ですから、いちばん単純な場合で、全員が同じで同じ立場にある場合、期待の状況が変わったところで、お金のやりとりは一切発生しません――単に金利が変わるだけです。それは当初の金利で各個人が感じていた、新しい状況や期待に対して現金保有高を変えたいという欲望を、相殺するに必要なだけの変化となります。そして現金保有高を変えたいと思う金利の水準について、みんなが同じだけ考えを変えますので、取引はまったく起きません。それぞれの状況と期待に対し、対応した適切な金利があり、だれかがいつもの現金手持ち残高を変えるとかいった話は決して起きないのです。

 でも一般には、状況や期待の変化は、個人の手持ち現金をある程度は変えます――というのも実は、一部は環境の差、一部はお金を持ちたい理由の差、一部は知識と新しい状況の解釈の差のために、変化はそれぞれの個人の考え方に、ちがった形で影響するのです。ですから、新しい金鉱金利は現金保有の入れ替えをもたらします。それでも、主に注目すべきなのはその現金の入れ替えではなく、金利の変化です。後者は個人差によるところが大きく、本質的な現象は最も単純なケースで起こることなのですから。さらに一般論としても、金利変化は、ニュース変化への反応としていちばん顕著な部分です。債券価格の変化は、新聞の決まり文句ではありますが「取引活動にくらべて極端なもの」です――これは人々が、ニュースへの反応で細かいちがいはあっても、おおむね似たような反応を示すことを考えれば、当然のことです。

セクションII

 取引動機と用心動機を満たすために個人が持ちたがる現金量は、投機動機を満たすために持つ現金と完全に独立したものではありません。でも、一次近似としてはこの二種類の現金保有が、おおむね相互に独立だと考えても安全でしょう。ですから分析を進めるため、問題をこんな形で分解しましょう。

 取引動機と用心動機を満たすための保有現金量を $M_1$ 、投機動機を満たすための保有量を $M_2$ とします。この二つの現金区分に対応して、 $L_1$$L_2$ という二つの流動性関数が出てきます。 $L_1$ はもっぱら所得水準に依存し、 $L_2$ は主に現在の金利と期待の状態に依存します。

  $$M = M_1 + M_2 = L_1(Y) + L_2(r) $$

 ここで $L_1$ は所得 $Y$ に対応する流動性関数で、これにより $M_1$ が決まります。そして $L_2$ は金利 $r$ による流動性関数で、 $M_2$ を決めます。すると、検討すべき話が三つあることになります。(i) $M$ の変化が $Y$$r$ に与える変化の関係, (ii) $L_1$ の形を決めるのは何か、 (iii) $L_2$ の形を決めるのは何か。

(i)
$M$ の変化が $Y$$r$ の変化に対して持つ関係は、一次的には、その $M$ の変化がどうして起こるのかで決まってきます。仮に $M$ が金貨で、 $M$ の変化は俎上の経済システムに属する金鉱掘りたちの活動収益が上がる場合にしか起きない、としましょう。この場合、 $M$ の変化は、一次的には、 $Y$ の変化に直結します。というのも、新しい黄金はだれかの所得として溜まるからです。 $M$ の増加が、当期支出をまかなうために政府がお金を刷って生じた場合も、まったく同じ条件があてはまります。この場合にも、新しいお金はだれかの所得となって計上されます。でも新しい所得水準は、 $M$ の増加を $M_1$ が完全に吸収するほどの高さでは続きません。そしてお金の一部は抜け出して、証券などの資産を買おうとします。これにより $r$ が下がって、 $M$ の規模が拡大し、同時に $Y$ が刺激されて上昇します。これで新しいお金の一部は $M_2$$M_1$ に吸収されますが、これは $r$ 下落による $Y$ 上昇に対応したものです。ですからもう一段進めば、この例もこれに代わる例と同じことになります。つまり、新しいお金が一次的には銀行システムの融資条件緩和からしかこない場合ということです。それにより、だれかが銀行に負債や債券を売って、新しい現金を手に入れられるようになるわけです。

 ですから、後者の場合が典型だと思って大丈夫でしょう。 $M$ の変化は $r$ を変えることで操作できると想定できるし、 $r$ の変化は、一部は $M_2$ を変え、一部は $Y$ 、ひいては $M_1$ を変えることで、新しい均衡をもたらします。新しい均衡位置での、 $M_1$$M_2$ の現金仕分けは、投資が金利削減にどう反応するか、そして所得が投資増にどう反応するかで決まります1$Y$ の一部は $r$ に依存しているので、 $M$ に変化があれば、それは $r$ を変化させますが、その $r$ の変化は、それによる $M_1$$M_2$ の変化合計が $M$ の増減に等しくなるような規模でなくてはならない、ということになります。
(ii)
お金の所得速度が $Y$$M$ に対する比率なのか、 $Y$$M_1$ に対する比率なのかは、必ずしも明示されていません。でも私は、後者にすべきだと提案します。ですから $V$ をお金の所得速度だとすると、以下のようになります。   $$L_1(Y) = Y/V = M_1$$

 もちろん $V$ を一定と想定しなくてもかまいません。その値は、銀行と産業の組織の特徴によりますし、ちがう階級間の所得分配や、手元で現金を遊ばせておく実質費用にも左右されます。それでも、短期に注目して、こうした要因に目に見える変化がないと想定しても無理がなければ、 $V$ はほとんど定数だと考えていいでしょう。
(iii)
最後に、 $M_2$$r$ の関係という問題があります。13章で、 $M_2$ の現金保有につながる流動性選好 $L_2$ について、唯一の納得できる説明は、金利の将来方向が不確実なことなのだ、と説明しました。すると $M_2$ は、金利 $r$ とは厳密な定量関係は持たないということになります――関係するのは $r$ の絶対水準ではなく、そこそこ安全と思われている $r$ の水準から見て、当てにされている確率計算を考慮すると、現状どのくらいずれているか、ということなのです。それでも、どんな期待状態下であれ、 $r$ が下がると $M_2$ は増えると考えるべき理由が二つあります。まずはじめに、 $r$ の安全水準がどこかという一般的な見方が変わらなければ、 $r$ が下がれば常に市場金利は「安全」水準に比べて下がり、したがって非流動性リスクを高めます。そして第二に、 $r$ が下がればすべて、非流動性からくる当期の稼ぎが減ります。これは資本勘定についての損失リスクを相殺するための、一種の保険料として存在しており、その金額は古い金利と新しい金利の二乗の差に等しくなります。たとえば、長期負債金利が4%だとします。すると確率的なバランスから見て、長期金利が年間でそれ自身の4%以上の速度(つまり年率0.16%以上)で上がらない限り、流動性を犠牲にしたほうがいいということになります。でも、もし金利がすでに2%でしかなかったら、そこから得られる金利収入で相殺できるのは、年率0.04パーセントの上昇だけということになります。実はこれこそ、金利がとても低い水準に下がる最大の障害かもしれません。将来に経験することが過去のものから大幅に変わると信ずべき理由があると思われない限り、長期金利が(たとえば)2%だと、希望よりは恐れるもののほうが大きくなり、しかもそれに対する利息収入は、恐れのごくわずかしか相殺できないのです。

 すると、金利というのがとても心理的な現象だというのは明らかです。実際、第5巻で見ますがそれが完全雇用に対応する水準以下では均衡できないことがわかります。なぜかといえば、その水準だと真のインフレ状態が生み出され、結果として $M_1$ がますます多くの現金量を吸収することになるからです。でも完全雇用に対応する以上の利率だと、長期市場金利は現在の金融当局の政策だけでなく、その将来政策に対する市場の期待にも依存します。短期金利なら、金融当局は簡単にコントロールできます。政策が近い将来に大きく変わることはない、という確信を作り出すのはむずかしくないし、目下の収益率に比べれば、考えられる損失は小さいからです(ただしそれがゼロに近づいているときは別です)。長期金利のほうは、将来の金融政策についての過去の経験と現在の期待から、代表的な見解により「安全でない」と見なされる水準に下がってしまったら、もっと御しがたいものとなりかねません。たとえば、国際的な金本位制を採用した国では、金利が他の国より低いと、それは当然ながら安心度が低いのだと見なされます。でも国際金本位制に属する他の国に見られる、最高の金利(リスク調整後で最高)にあわせて国内金利を引っ張り上げたら、国内の完全雇用と整合した金利よりずっと高くなるかもしれません。

 ですから、世論が実験的だと思う金融政策や、すぐに変わりそうだと思われる経済政策は、長期金利を大きく引き下げるという狙いに失敗しかねません。 $M_2$$r$ が一定の水準以下になったら、ほとんど無制限に増え続けがちだからです。一方、同じ政策はそれが世論に対して、まともなもので実行可能で公共の利益にかなうものだと思われ、さらに強い意志に根ざしていて、しかも更迭されそうにない当局が推進していれば、あっさり成功するかもしれません。

 金利というのは、きわめて心理的というよりは、きわめて因習的な現象なのだ、と言うほうが正確なのかもしれません。その実際の値は、その値が何であると期待されるか、という世間一般の見方に大きく支配されるからです。十分な確信をもって耐久性があるとして受け容れられる金利は、どんな水準だろうと耐久性があります。ただしもちろん、変化する社会にありがちな、様々な理由による変動が、平常と予想される値のまわりで生じることにはなりますが。特に $M_1$$M$ より急速に増えているとき、金利は上昇し、その逆も成り立ちます。でも、完全雇用には致命的に高すぎる水準で何十年も上下動するかもしれません――特に金利が自己調節的だと一般に思われていて、因習によって確立している水準が、因習よりずっと強い客観的な根拠を持つと信じられているときには、、雇用が最適水準を実現できないのは金利の幅が不適切なままだからだ、とは世間も政府もまったく思わないことでしょう。

 有効需要を、完全雇用実現に足るだけの高い水準に保つ際の困難が、そろそろおわかりいただけたでしょうか。それは因習的で比較的安定した長期金利と、気まぐれでとても不安定な資本の限界効率との組み合わせから生じるのです。

 もっと元気の出る考察で、それなりの安心を得たいのであれば、以下のような話に希望を見いだすしかありません。すなわち因習というのはまさにしっかりした知識に根ざしていないが故に、それは金融当局によるちょっとした頑固さと目的の一貫性に対しては、そんなに強い抵抗を見せないのです。少々の金利低下には、世論はすぐに慣れます。そして将来についての因習的な期待も、それに応じて変わるでしょう。そうなれば、さらなる金利変動への用意が調います。イギリスが金本位制を捨てると長期金利が下がったのは、この興味深い一例です――大きな金利変動は、一連の不連続なジャンプで実現されました。これは世間の流動性関数が、それぞれの金利低下に慣れていって、ニュースや当局の政策に見られる新しいインセンティブへの対応準備ができたことから生じたものなのです。

セクションIII

 以上をまとめると、期待がどんな状態にあっても、人々の心の中には取引動機や用心動機で必要な以上に現金を持ちたいという潜在力があって、それが実際に現金保有としてどのように実現されるかは、金融当局が現金を創造したがる条件に依存する、ということです。流動性関数 $L_2$ がまとめているのはこの潜在力なのです。

 ですから他の条件が同じなら、金融当局が創るお金の量に対応して金利は確定されます。あるいはもっと厳密には、各種の期間の負債に応じた、金利の複合物が確定されます。でも、経済システムの他のどんな要因だって、独立して取り出したら同じこと(訳注:なんらかの金利の複合物が決まること)が言えます。ですからこの分析が役に立ったり意味を持ったりするのは、お金の量の変化と金利変化との間に、何か特に直接的なつながりや意図的なつながりがある場合だけです。そんな特別なつながりを想定できるのは、全般的に言えば、銀行システムと金融当局はお金や債権の取引者であって、資産や消費財の取引者ではないからです。

 もし金融当局があらゆる満期期間の負債を、指定の金利条件で双方向に売買する気があれば、そして様々なリスク度合いの負債を売買する気があればなおさら、複合的な金利とお金の量との間の関係は直接的なものとなります。複合金利は、単に銀行システムが負債を売買したがる条件の表現となります。そしてお金の量は、市場利率で示される条件で負債と引き替えに現金を手放すよりも――関連する条件をすべて考慮した上で――流動性のある現金を手元に置きたいという個人の懐に落ち着く量、ということになります。中央銀行が今のように、短期国債を一つの公定歩合で売買するというのではなく、あらゆる満期期間の優良証券を表示価格で売買するという複雑なオファーこそが、金融管理技術において実施できる、最も重要な実務上の改善となります。

 でも今日では、実際の慣行で見ると、銀行システムの定めた負債価格が市場でどこまで「有効」か、つまりそれがどこまで実際の市場価格を左右しているかは、その銀行システムごとにちがうようです。ときには、一方向では逆方向よりも価格が有効です。つまり、銀行システムは負債をある価格で買ったりはしますが、売るときにはディーラーの儲け分を上乗せしただけの価格で売るとは限らない、ということです。でも、公開市場操作があれば、双方向でその価格が有効になってはいけない理由はないはずです。また、金融当局は一般に、あらゆる満期期間の負債を平等に売買したがるわけではありません。ここから生じる、もっと重要な制約があります。金融当局は短期債にばかり専念して、長期債の価格は、短期債価格が遅れて不完全な形で影響するに任せる傾向にあります―― でもこれまた、別にそうしなければならない理由はありません。こうした制約が効いてくると、金利とお金の量との相関の直接性は、それに応じて変わってきます。イギリスでは意図的なコントロールの分野は広がっているようです。でもこの理論を個別ケースにあてはめようとするなら、金融当局が実際に使う手法の特徴も考慮しなくてはいけません。金融当局が短期債しか売買しないなら、短期債の実績と見込みの価格が、もっと満期期間の長い負債に与える影響がどんなものかを考えなくてはいけません。

 ですから金融当局は、様々な期間やリスクを持つ負債の複合的な金利を何か決めようとするとき、ある程度の制約を受けるのです。これは以下のようにまとめられます。

(1)
金融当局自身の慣行として、ある種の負債については取引意欲を制限することで生じる制限があります。
(2)
上で論じたような理由から、金利がある程度まで下がると、流動性選好が実質的に絶対的になってしまうかもしれません。つまり、負債の金利があまりに低すぎると、ほとんど全員がむしろ現金のほうがいいと思うようになるのです。こうなると金融当局は、金利に対する実効支配を失ったことになります。でもこうした限られた例は、将来には現実的な重要性を持つようになりますが、過去にそれが起こった例は寡聞にして知りません。実際、ほとんどの金融当局は長期負債を決然と取引したがらないために、これを試す機会はあまりありません。さらに、もしそんな状況が生じたとしたら、金融当局自身が銀行システムから、ほとんど金利ゼロで無限に借り入れができることになります。
(3)
流動性関数が、どちらかの方向で完全に平らになってしまい、金利安定性が完全に崩壊したきわめて衝撃的な例は、きわめて異常な状況で起こりました。ロシアと中央ヨーロッパでは、戦後に通貨危機、または通貨からの逃避が起こり、現金だろうと負債だろうと、どんな条件をつけてもだれも手持ち分を保持したがらない状況となりました。そして高く上昇する金利ですら、資本(特に流動性のある財の在庫)の限界効率に追いつけませんでした。その資本は、お金の価値がますます大幅に下がるという期待に影響されていたのです。一方アメリカでは、1932 年の一時期に逆の危機がおきました――金融危機または破産の危機で、だれも手持ち現金をまともな条件で手放すよう促せなくなったのです。
(4)
最後に、第11章セクションiv, p.144 で論じた困難があります。これはある数字以下に実効金利を引き下げるのが困難だというものです。これは、低金利時代には重要となるかもしれません。つまり、借り手と最終的な貸し手とを引き合わせる仲介コストと、純粋な利率以上に貸し手が必要とするリスクの分、特にモラルリスク分です。純粋金利が下がっても、手数料やリスク分が並行して下がるわけではありません。ですから、一般の借り手が支払う金利は、純粋金利よりも下がり方が遅く、既存の銀行や金融機関のやり方では、何らかの下限以下には引き下げられないかもしれないのです。これはモラルリスクの推定分が目に見えるほどなら、特に重要になります。なぜかというと、貸し手から見て借り手が正直かどうか疑念がある、というのがリスクの原因なら、借り手のほうは不正直になる意図などなくても、その結果として生じる高い融資金利を相殺するためにできることは何もないからです。またこれは、手数料が重くなる短期融資(たとえば銀行融資)の場合にも重要です。銀行は顧客に対し、貸し手にとっての純粋金利がゼロの場合ですら、1.5 パーセントから 2 パーセントの手数料を課したりします。

セクションIV

 これは第21章に入るべき内容を先取りしてしまうことになりますが、この段階で上の話と貨幣数量説との関係を示しておくのも一興でしょう。

 静的な社会や、どんな理由であれ、将来金利についてだれも一切何ら不確実性を感じていない社会では、流動性関数 $L_2$ 、あるいは抱え込み性向(と言ってよければですが)は、均衡で常にゼロになります。ですから均衡だと $M_2 = 0$$M = M_1$ です。だから $M$ が変われば、金利はふらふらして、やがて $M_1$ の変化が、 $M$ に起こるはずの変化と等しくなるところまで所得が変動します。さて $M_1V = Y$ 、ただし $V$ は上で定義したお金の所得速度で、 $Y$ は総所得です。ですから、当期産出の量 $O$ と物価 $P$ を現実的に測れるなら、 $Y = OP$ 、よって $MY = OP$ となります。これは概ね、伝統的な形の貨幣数量説と同じです。2

 現実世界で使う場合、貨幣数量説の大きな欠点は、それが産出変化の関数である物価変動と、賃金単位変動の関数である物価変動を区別しないことです3。この見落としは、抱え込み性向などなく、常に完全雇用だという想定でたぶん説明できるのでしょう。というのもこの場合、 $O$ は定数で $M_2$ はゼロですから、あとは $V$ を一定にすれば、賃金単位と物価水準はどっちもお金の量に直接比例することになりますから。


  1. この新しい均衡の性質を決めるのは何か、という問題は、第5巻に先送りせねばなりません。

  2. $V$$Y/M_1$ に等しいのではなく $Y/M$ に等しいとすれば、もちろん貨幣数量説はあらゆる状況で成立する自明の理になりますが、むろんそれには何の意味もありません。

  3. この点は21章でさらに展開します。

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2011.12.26 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)


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