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ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936) 第 VI巻 :一般理論が示唆するちょっとしたメモ

第 23 章 重商主義、高利貸し法、印紙式のお金、消費不足の理論についてのメモ

(山形浩生
原文:http://bit.ly/qMdCpJ

セクションI

 二百年ほどにわたり、経済理論家たちも、実務家たちも、貿易収支が黒字の国には特別な利点があり、貿易収支が赤字だと深刻な危険があるということについて、何ら疑念を持ちませんでした。特に貿易収支赤字の結果が、貴金属の流出ということになる場合はそうです。でも過去百年、意見はめざましく分裂しました。ほとんどの国では、大半の国士や実務家は古代からのドクトリンを信奉し続けて来ました。その反対論の故郷たるイギリスですら、半分近くはそうです。でもほとんどあらゆる経済理論家たちは、そうした問題についての懸念は、ごく短期を別にすればまったく根拠がないと主張しています。というのも貿易のメカニズムは自己調整的であり、それに介入しようという試みは無駄なばかりか、それを実施しようとする者たちを大きく貧窮させる、なぜならそれは国際分業の利点を阻害するからである、というのがその議論です。伝統にしたがい、便宜的に古い意見を重商主義と名付け、新しい意見を自由貿易と名付けましょう。ただしこれらの用語は、もっと広い意味でもせまい意味でも使われるので、文脈を見て解釈する必要はあります。

 一般的にいって現代経済学者たちは、国際分業から得られる利得は重商主義的な慣行がまともに主張できる利点を十分に上回るものだと断言しています。そればかりか、重商主義者の議論は、徹頭徹尾、知的な混乱に基づいているのだ、というのです。

 たとえばマーシャル1は、重商主義に対する言及を見るとまったく好意的でないというわけでもないのですが、それでも彼らの中心的な議論はまったく顧みることなく、以下で検討するような、彼らの議論にある一抹の真実については触れもしません2。同様に、自由貿易経済学者たちが、たとえば幼稚産業の奨励や交易条件改善などに関する現代の論争で行う理論的な譲歩は、重商主義の主張の本質的な部分を考慮したものではありません。今世紀最初の25年間における財政論争では、保護貿易が国内雇用を増やすかもしれないという譲歩を経済学者が行った例は、一件たりとも思い出せません。たぶん私自身が書いたものを例として引用するのがいちばん公平でしょう。1923年という時期でも、古典派の忠実な生徒として自分の教わり考えたことについて一切の疑念も持たず何ら留保もつけなかった私は、こう書いています。「もし保護貿易にできないことが一つあるとすれば、それは失業を治すことである(中略)保護貿易支持論はないわけではなく、それが不可能ではないながら考えにくいメリットを確保するという議論はある。これについては簡単には答えられない。だがそれが失業を治癒するという主張は、最も醜悪かつ粗雑な形での保護主義の誤謬である」3。それ以前の重商主義理論となると、理解可能な記述はまったく見つかりませんでした。だから私たちも、それがアホダラ経も同然だったと教わって、それを信じてきたのです。古典派の支配は、かくも絶対的に圧倒的かつ完全なものだったのでした。

セクションII

 まず私自身のことばで、今の私には重商主義ドクトリンの科学的な真理だと思えるものを述べさせてください。それからそれを、重商主義者たちの実際の議論と比較しましょう。ただしそこで主張されている利益というのは、自他共に認める自国の利益であって、世界全体の利益とはならないだろうということはご理解ください。

 ある国がちょっと急激に富を増やしているとき、この嬉しい状態のさらなる進行を阻害しかねないのは、レッセフェール条件だと、新規投資への誘因が不足することです。消費性向を決める社会政治環境と国民条件を考えると、進歩的な国の厚生は基本的に、これまで説明した理由から、そうした投資誘因が十分にあるかどうかで決まります。それは国内投資かもしれず外国投資かもしれません(後者は貴金属の蓄積も含みます)。そしてこの二つがあわさって総投資となります。総投資が利潤動機だけで決まる状況では、国内投資の機会は長期的には、国内金利で決まります。一方外国投資の量は必然的に貿易収支の有利さの規模で決まります。ですから公共当局による投資というのがまったくあり得ない社会においては、政府が専念するのが適切となる経済的な対象は、国内金利と国際貿易収支なのです。

 さて賃金単位がある程度安定していて、突発的に大きな変動は見せないとすれば(ほぼ常に成り立つ条件です)、流動性選好の状態が短期変動の平均として見た場合にある程度安定していれば、そして銀行の慣行も安定していれば、金利は社会の流動性を満たすために存在する貴金属の量を賃金単位で測ったものによって左右されます。同時に、かなりの対外融資や外国にある資産の直接所有がほとんど不可能な時代だと、貴金属の量の増減は、貿易収支が黒字か赤字かでもっぱら決まります。

 したがってふたを開けてみると、当局が貿易黒字にこだわったのは、両方の狙いを満たしていたのでした。そしてさらには、それを実現するための手持ちの唯一の手段でもあったのです。当局が国内金利や他の投資誘因を直接コントロールする手段をまったく持たなかった時代にあって、貿易黒字を増やす手段は、外国投資を増やすための直接的な手段として、使える唯一のものでした。そして同時に、貿易黒字による貴金属流入は、国内投資を促進するために国内金利を引き下げるための、唯一の間接手段だったのです。

 でも、この政策の成功には二つの制約があり、無視できないものです。国内金利が下がりすぎて投資量が十分に刺激されすぎ、雇用が上昇して賃金単位が上昇する臨界点の一部を突破したら、国内費用水準の増加は貿易収支にとって不利な動きを見せるようになり、つまり貿易黒字を増やそうという努力はやりすぎとなって自爆したことになります。また国内金利が外国の金利に比べてあまりに低くなったら、黒字幅に比べて不釣り合いな外国貸し出しが起こってしまい、それにより貴金属が流出して、それまで得られたメリットが逆転してしまうかもしれません。このどちらかの制約が働いてしまうリスクは、国際的に重要な大国では大きくなります。それは、その時の鉱山から産出される貴金属量が比較的限られている状況では、一つの国にお金が流入するというのは、他国から流出しているということです。したがって自国での費用上昇と金利低下という悪影響は、外国においては(もし重商主義政策をやりすぎたら)費用低下で金利上昇という傾向によって相対的にさらに悪化しかねません。

 十五世紀後半から十六世紀にかけてのスペインの経済史は、過剰な貴金属が出回ったことによる賃金単位への影響で、貿易が破壊された国の例となっています。二十世紀戦前のイギリスは、外国融資と外国資産の購入をやりすぎたために、しばしば国内金利低下が阻害されて自国内での完全雇用実現に必要な水準が実現できなかった国の例です。インドはあらゆる時代に流動性選好が強すぎて、それがほとんど強すぎる情熱にすらなり、巨額の慢性的な貴金属流入ですら、実富成長と相容れる水準まで金利を下げるには不足だった国の例を見せてくれます。

 それでも、ある程度は安定した賃金単位を持ち、国民性で消費性向と流動性選好が決まり、お金の量と貴金属のストックとを厳格に結びつける金融システムがあるような社会を考えるなら、その繁栄を維持するためには、政府当局が貿易収支の状態を慎重に見守ることが必須となります。というのも貿易黒字は、大きすぎなければ、きわめて景気刺激効果が高いからです。一方、貿易赤字はすぐに慢性的な不景気をもたらしかねません。

 だからといって、輸入品を最大限に制限すれば、最も有利な貿易収支が実現されるということにはなりません。初期の重商主義者たちはこの議論を大いに強調し、しばしば貿易規制に反対することとなりました。長期的に見れば、そうした規制は有利な収支に対して悪影響をもたらすものだったからです。実際、十九世紀半ばのイギリスという特殊な状況では、ほぼ完全な自由貿易こそが貿易黒字増大に最も有利な政策だったとすら言えるでしょう。戦後ヨーロッパにおける貿易統制という現代の体験は、自由に対して浅慮で障害を設けて貿易収支を好転させるつもりが、実際には逆の結果を生んだという例をたっぷり提供してくれます。

 これを始めとする理由から、ここでの議論から得られる現実的な政策について、拙速な結論を下してはいけません。貿易の制限については、特別な根拠で正当化できない限り、一般性のある強い否定論があります。国際分業のメリットは、古典派がかなり課題に誇張したとはいえ本物ですしきわめて大きいのです。貿易黒字により我が国が得るメリットが、どこか他の国に同じだけのデメリットを生じるという事実(この点について重商主義者たちは完全に認識していました)は、各国は公平で正当と思われる以上の割合の貴金属を抱え込まないよう穏健な政策が必須だというだけでなく、穏健でない政策は貿易黒字を求める無意味な国際競争につながり、それはみんなに被害を与えるということを意味します4。そして最後に、貿易統制政策はその表向きの目的を実現するためですら厄介な道具です。というのも個別の利権や管理上の無能、この業務につきまとう内在的な困難のために、結果として意図とは正反対の結果が生じかねないのです。

 したがって私の批判の重点は、私が教わってきて長年にわたり教えてきた、レッセフェールドクトリンの理論的基盤の不適切性に向けられているのです——つまり、金利と投資の量は最適水準に自己調整されるから、貿易収支にばかりこだわるのは時間の無駄だという考え方を批判したいのです。というのも私たち経済学者集団は、何世紀にもわたり実務的な国家運営の主要目的であったものを、子供じみたこだわりだとして扱うという尊大なまちがいの罪を犯してきたのは明らかだからです。

 このまちがった理論に影響され、ロンドン市は次第に考え得る限り最も危険な均衡維持手法を考案しました。それはつまり、銀行利率と外国為替レートとの厳格な連動です。というのもこれをやると、完全雇用に対応した国内金利を維持するという目的が完全に排除されてしまうからです。というのも実際には国際収支勘定を無視するのは不可能なので、国内金利を保護するかわりに、それを盲目的な力の作用のために犠牲にしてそれをコントロールする手法が編み出されたのです。最近ではロンドンの実務的な銀行家たちもそれなりに痛い目を見て、イギリスにおいては銀行利率の技法は、それが自国の失業を引き起こしかねないときには、対外収支保護のためには決して使われないと期待できそうです。

 個別企業の理論と、一定のリソース雇用からくる生産物の分配理論として見れば、古典派理論が経済思考にもたらした貢献は否定しようがないものです。それらについて明晰に考えようとすれば、この理論を思考ツールの一部として持たないわけにはいきません。先人たちにおいて価値のあったものを古典派が無視していると指摘していても、この点を疑問視していると思われては困ります。それでも国家への貢献として、経済システム全体を考え、システムのリソース全体について最適な雇用を確保することを考えた場合、十六世紀と十七世紀の経済思想の初期のパイオニアたちの手法がいくつか現実的な智恵の断片を実現したのに、リカードの非現実的な抽象化がそれをまず忘れ去り、その後それを踏みにじってしまったのです。高利貸し禁止法により金利を引き下げようとする厳しいこだわりには(これは本章で後に触れます)、賢いものがありました。それは国内のお金のストックを維持し賃金単位の上昇を抑えるものだったのです。そして避けがたい外国への流出や賃金単位上昇5、あるいはその他各種の理由でお金のストックがどうしても不足になったとき、最後の手として平価切り下げをすぐにやってお金のストックを回復させたのも賢明でした。

セクションIII

 経済思想の初期のパイオニアたちは、根底にある理論的基盤をあまり認識することなく、実用的な智恵の処世術にぶちあたっていたようです。ですから彼らが何を推奨したかとともに、その時に彼らが挙げた理由も手短に検討しましょう。これは重商主義に関するヘクシャー教授の名著を参照することで簡単にできます。その本では、二世紀にわたる経済思想の特徴が、始めて一般の経済学読者に提供されたのです。以下の引用は主にヘクシャー教授の著書から取ったものです6

 (1) 重商主義者たちの思想は、金利が適正水準になるような自己調節的な傾向があるなどとは決して想定しませんでした。それどころか、金利が無用に高すぎることこそ富の成長に対する主要な障害だということを彼らは強調していました。そして金利が流動性選好とお金の量に依存することさえ認識していました。流動性選好の低下とお金の量の増大を求めており、数名は自分たちのお金の量増大に対するこだわりが、金利引き下げを狙ったものだと明言しています。ヘクシャー教授は彼らの理論のこうした側面について、次のようにまとめています。

 もっと明敏なる重商主義者たちの立場は、この点で他の多くの点と同様に、きわめて明晰ながらいくつか限界はあった。彼らにとって貨幣とは——今日の用語を使うなら——生産要素であり、土地と同じ位置づけで、時に「自然の」富とは別の「人工的な」富とされた。資本の利息は貨幣を借りるための支払いで地代と同じであった。重商主義者たちは金利の高低について客観的な理由を見つけようとした時には——そしてこの期間にはますますそれを試みるようになっていた——その原因を貨幣総量に見いだした。文献は大量にあるが、その中から最も典型的な例だけを選び、何よりもこの概念がいかに長続きし、根深く、実務的な考慮事項とかけ離れていたかを示そう。

 イングランドにおいて、1620年代の金融政策をめぐる論争と東インド貿易をめぐる論争の主役たちは、どちらもこの点については完全に合意していた。ジェラルド・マリネスは自分の主張について詳しい理由を述べて「貨幣が豊富だと利息の額または率を減らす」(『商人法と自由貿易の維持』 1622)と述べた。その凶暴でいささか破廉恥な論敵エドワード・ミッセルデン答えて曰く「高利の対症療法は大量の貨幣かもしれぬ」 (『自由貿易または貿易繁栄の手段』、同年)。その半世紀後の主導的な著述家たちのうち、東インド会社の全能指導者チャイルドと、その最も技量あふれる論敵は、法的な金利上限(チャイルドはこれを熱烈に要求した)をどこにすればオランダの「貨幣」をイングランドから奪うことになるかについて論じた (1668) 。彼はこのゾッとする不便に対し、債券を通貨として利用し、その移転を容易にすることが対症療法となると述べた。というのも彼に言わせると、「これはまちがいなく我が国で使われている貨幣の少なくとも半分を供給するからである」。その論敵だったペティは、まったく利害の衝突など意に介さず、他の人々と完全に同意して、貨幣の量が増えれば金利が10パーセントから6パーセントに下がると説明し (『政治算術』 1676)、「硬貨」の多すぎる国の対処方法としては利息つきで融資することを助言したのであった (『貨幣問答集』1682)。

 この理由づけは当然ながら、イングランドだけに限られたものではなかった。たとえば数年後 (1701年と1706年)、フランスの商人と政府は高金利の原因が、そのときの硬貨 (disette des espèces) の希少性によるものだとこぼし、貨幣流通を増すことで金利を引き下げようとしたのであった。[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.200, 201, ごくわずか短縮.]

 大ロックはペティとの論争の中で、金利とお金の量との関係を抽象用語で表現した初の人物かもしれません7。彼はペティの提案した金利上限に反対しました。その根拠は、「貨幣の自然な価値は、それが金利を通じて年ごとにある程度の所得を稼ぐことから得られ、それは王国における取引の総量(即ちあらゆる財の一般的な販売)に対する、王国をその時に通過するお金の総量の比率に依存する」ために、金利制限は地代制限と同じくらい非現実的だ、というものでした8。ロックによれば、お金には二つの価値があります。 (1) その利用価値、それは金利で与えられます。「そしてこの点においてそれは土地の性質を持ち、土地においては地代と呼ばれるものが、貨幣においては用途と呼ばれるのである9」 (2) その交換価値「そしてこの部分でそれは商品の性質を持つ」。そしてその交換価値は「そうした物の多寡との比率での貨幣の多寡のみに依存し、金利がなんであるかには依存しないのである」。つまりロックは二重価値理論の生みの親なのです。まず彼は、金利がお金の量(流通速度も考慮しています)と取引価値総額との比較で決まるのだ、と主張します。次に彼は、交換におけるお金の価値は、お金の量は市場の財の総量との比率で決まると主張します。でも——片足を重商主義の世界に突っ込み、片足を古典派の世界に突っ込んで立っていたため10——ロックはこの二つの比率同士の関係について混乱していました。そして流動性選好の変動の可能性をまったく見すごしていたのです。でも彼は、金利引き下げが物価水準には何ら直接の影響を持たず、物価に対する影響は「金利変化が取引において貨幣や商品の出入りをもたらし、したがって当地イングランドにおけるそれらの比率を以前と変える」ことでのみ生じる、と喜んで説明しました。つまり金利引き下げが現金の輸出か算出増大につながる場合にのみ物価に影響するということです。でも彼はきちんとした統合理論には最後まで進まなかったと思います11

 重商主義者の頭が金利と資本の限界効率を易々と区別したことは、ロックが「高利貸しをめぐる友人からの手紙」から引用した一節(刊行1621年)を見ればわかります。「高金利は取引を衰退させる。金利からの利得は取引からの利潤よりも大きく、豊かな商人はそのために商売をあきらめて手持ち資産を利息のために貸し出し、小さい商人は破産するのだ」。フォートレー(『イングランドの利子と改善』1663)は、富を増やす手段として低金利が強調された別の例となります。

 流入した貴金属が過剰な流動性選好のために抱え込みにあってしまうようなら、金利への利点は失われるということを、重商主義者たちは見逃しませんでした。一部の例(たとえばマン)では、国家の力を増強しようという狙いのために、国に宝を蓄積すべきだと主張する者が出ました。でも他の人々ははっきりこの方針に反対しました。

 たとえばシュレッターは、いつもの重商主義議論を持ち出して、国の財宝庫の中身が大幅に増えたら、国内の流通から貨幣がいかに奪われてしまうかという赤裸々な絵図を描き出した(中略)かれもまたきわめて論理的に、財宝を修道院が貯め込むのと、貴金属の輸出超過との類似性を描き出した。貴金属流出は彼にしてみれば、考え得る最悪の事態なのだった。ダヴェナントは多くの東洋諸国がきわめて貧しいことを説明した——でもかれらは世界の他のどの国よりも多くの金銀を持っていると思われていた—— その原因は、財宝が「王家の財宝庫に死蔵されてしまっているから」なのだという。(中略)もし国による抱え込みが、よくても疑わしい便益しかなく、しばしば大いなる危険をもたらすなら、言うまでもなく個人による抱え込みは、ペストのように忌み嫌われるべきである。これは無数の重商主義者たちが怒りをぶちまけた傾向の一つであり、それに対する異論が一つたりとも見つけられるとは、私は思わないのである。[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.210, 211.]

 (2) 重商主義者たちは、安さの誤謬と過剰な競争が交易条件を国にとって不利にするかもしれないという危険を認識していました。ですからマリネスは『レックス・メルカトリア』 (1622) でこう書いています。「取引を増やそうというのを口実に、他の者より安値で売ろうと頑張ってコモンウェルスを害するなかれ: というのも商品が安い財であるなら取引は増えぬ。なぜなら安さは要望が小さく金が希少なときに生まれるもので、それが物事を安くする。したがって逆が取引を増やす、金が大量にあり、商品のほうが要望されて大事になるときだ」[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.228.] 。この方向での重商主義思想を、ヘクシャー教授は以下のようにまとめています。

 一世紀半にわたり、この立場は何度も何度もこのような形で述べられている。つまり他国に対して比較的金の少ない国は「安く売って高く買わねばならない……」

 十六世紀半ばの『共通の繁栄についての論説』初版においてすら、この態度はすでにはっきり表れていた。ヘイルズは実際、こう語っている。「だが然るに異人たちが連中の品と交換に我々の品を取って満足するなら、我々の品が連中にとって安くなるよう他の物(即ち、他の物のうち我々が連中から買う物)の値段を引き上げるよう促すものは何か? そうなれば我々はやはり敗者となり、連中が我々に対して勝ち手を持ち、連中は高く売りしかも我々の物を安く買い、結果として連中を豊かにして我々を貧窮させる。だが我々がむしろ己の品の値段を上げ、それに対して連中も上げ、今の我々のようにまた上げたらどうであろうか。その中で一部は敗者にもなろうが、でもそうでない場合に比べその数は減る」。この点について、ヘイルズは数十年後の編集者から無条件の絶賛を浴びている (1581)。十七世紀にはこの態度が、根本的に何ら変わらぬ重要性を持って復活した。したがってマリネスは、この不幸な立場は自分が何より恐れたもの、つまり外国によるイギリスの為替レート過小評価の結果だと考えたのだった。(中略)その後同じ概念は絶えず繰り返し現れた。ペティは著書『賢者に一言』 (執筆 1665, 刊行 1691),で、お金の量を増やそうという激しい努力は「近隣諸国(決して少なくはない)のどの国よりも数学的にも幾何学的にも確実に多くの貨幣を持つ」時まで止まない、と主張している。ペティの本の執筆から刊行までの間に、コークはこう宣言した。「もし我々の宝が近隣諸国より多いのであれば、その絶対量が今の五分の一だろうと気にしない」 (1675).[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.235.]

 (3) 重商主義者たちは「財の恐れ」とお金の希少性が失業の原因だと始めて論じた人々で、これを古典派たちは2世紀後に馬鹿げたこととして糾弾するようになります。

 禁輸の理由として失業を挙げる議論の初の適用例の一つは、1426値のフィレンツェで見られる。(中略)これについてのイングランドの法制は少なくとも1455年に遡る。(中略)ほとんど同時代といえるフランスの1466年上例は、リヨンの絹産業の基盤となり、後に大いに有名になったが、それが実は外国商品に対するものでなかったことから、実はそれほど興味深いものではない。だがこれもまた失業男女何万人にも仕事を与える可能性について言及している。この議論がどれほど当時取りざたされていたかわかろうと言うものだ(中略)

 この問題についての初の大論争は、ほとんどあらゆる社会経済問題の論争と同じく、十六世紀半ばかその少し前にイングランドで、ヘンリー八世とエドワード六世の御代に起こった。これとの関連で、1530年代末期に書かれたとおぼしき一連の著作に触れぬわけにはいかない。そのうち二つはクレメント・アームストロングによるものとされる(中略)彼はそれを、たとえば以下のようにまとめる。「見慣れぬ商品や財が大量に毎年イングランドにもたらされるために、貨幣が過少となったばかりでなく、各種の手工芸が破壊された。これは多数の一般人が職を得て肉や飲料の支払いに充てる金銭を得るはずの場だが、それがないためにかれらは怠惰に暮らし物乞いをして盗みを働かねばならない」

 私の知る限りでこの種の状態についての典型的な重商主義議論としていちばんの好例は、貨幣の希少性を巡るイギリス下院における論争で、1621年に深刻な不景気が特に布の輸出で生じたときに起こったものである。状況は、議会で最も影響力の強い議員の一人、エドウィン・サンディーズ卿によって非常に明確に述べられた。彼は農民と工芸職人がほとんど至るところで苦しみを強いられていると述べた。織機は至るところで地方部での資金不足のために停まったままで、農民たちは契約不履行を強いられ、それも「(神のおかげで)地の果実が不足しているからではなく、貨幣が不足しているからだ」という。この状況は、これほどまでにひどく必要性の感じられている貨幣がどこに流れていったかに関する詳細な調査につながった。貴金属の輸出(輸出超過)につながったり、それに対応する国内の活動のために貨幣の消失に関係あると思われたあらゆる人物に対し無数の攻撃が仕掛けられた。[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.223.]

 重商主義者たちは、自分たちの政策がヘクシャー教授の言うように「一石二鳥」だったことを認識していました。「一方で国は歓迎されざる財の余剰分を始末できたし(これは失業を起こすと考えられていた)、一方では国内の貨幣総ストックは増えた」[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., p.178]ため、結果として金利が下がるという利点が得られたのです。

 人類史を通じて、貯蓄性向のほうが投資誘因より強いという慢性的な傾向があったことを念頭におかないと、重商主義者が実際の経験を通じて到達した発想を研究するのは不可能です。投資誘因の弱さはいつの時代にも経済問題の核心でした。今日ではこの誘因の弱さに関する説明は主に、既存の蓄積の規模にあります。ですがかつては、ありとあらゆるリスクや危険性が大きな役割を果たしたかも知れません。でも結果は同じです。個人が自分の富を増やすのに消費を控えるというのは、事業者が耐久消費財建設のために労働を雇用するなどして国富を増やす誘因よりも強いのが普通だったのです。

 (4) 重商主義者たちは、自分たちの政策がナショナリズム的な性格を持ち、戦争につながりやすいことについても幻想は抱いていませんでした。彼らは明白に、自国の利益と相対的な強みを狙っていました12

 この国際金融システムの不可避な帰結を彼らが平然と受け入れたことについては、批判もあるでしょう。でも知的には彼らのリアリズムは、国際固定金本位制や国際融資のレッセフェールを支持する現代の人々の混乱した思考に比べてずっとマシです。そうした人々は、これこそいちばんよく平和をもたらす政策だと信じているのですから。

 というのも、金銭契約が存在し、習慣はかなりの期間にわたっておおむね固定され、国内流通量と国内金利が主に貿易収支で決まるような経済(たとえば戦前のイギリス)では、自国での失業対策としては貿易黒字を目指し、近隣諸国を出し抜いて金融貴金属を輸入する以外に正統的な手法がなかったのです。歴史的に見て、各国の利益を近隣諸国の利益とこれほど効率よく相反するように仕向ける手法としては、この国際金本位制(あるいはそれ以前は銀本位制)以上のものが考案されたことはありません。なぜならそれは自国の繁栄が、市場の競争的な獲得と、貴金属に対する競争的な欲求に直接依存するよう仕向けたからです。幸福な偶然により、金と銀の新規供給が比較的豊富だったときには、この闘争はある程度は緩和されたかもしれません。でも富の成長と、消費性向の低下にともなって、それはますます血なまぐさくなりがちでした。自分の欠陥論理を抑えるほどの常識も持ち合わせていない正統経済学者たちの果たした役割は、最後の最後まで悲惨なものでした。というのも逃げ道を見つけようとやみくもにもがくうちに、一部の国はそれまで自律的な金利を不可能にしていた責務を放棄したのですが、これに対してこうした経済学者たちは、かつての足かせに戻ることこそが全般的な回復に必須の第一歩だと教えたのです。

 実際にはこの正反対が成り立ちます。国際的な懸念などに左右されない自律的な金利水準政策と、国内雇用の最適水準を目指す国内投資プログラムは、自国をも助けるし、同時に近隣国も助けるという意味で、二重に祝福されているのです。そしてあらゆる国がこれらの政策を同時に追求すると、国際的な経済の健全性と強さが回復します。これは、それを国内雇用で測っても、国際貿易の量で測ってもそうなります13

セクションIV

 重商主義者たちは、問題があることには気がついたのですが、それを解決できるところまで分析を進めることはできませんでした。でも古典学派は問題を無視したのです。それはその前提として、そうした問題が存在しないことにする条件を導入したためです。結果として、経済理論の結論と常識の結論との間には裂け目が生じてしまいました。古典派理論の驚異的な成果は、「自然人」の信念を克服して、しかも同時にまちがっている、ということだったのです。ヘクシャー教授が述べるように:

 するともし、お金とお金が作られる材質についての根底にある態度が十字軍の時代から18世紀に至る期間で変わらなかったなら、そこから言えるのは我々が深く根ざした概念を相手にしているということである。その同じ概念はいま挙げた五百年の期間よりも以前からあったものかもしれない。ただしそれは「財の恐怖」と同じ度合いではないかもしれないが。(中略)レッセフェールの時代を除けば、こうした発想から逃れられていた時代はない。この点について「自然人」の信念を一時的にせよ乗り越えられたのは、レッセフェールの独特な知的傾向があればこそなのだった[ヘクシャー『重商主義』 vol ii., pp.176-7.]

 「財の恐れ」をぬぐい去るには、純理論たるレッセフェールへの無条件の信念が必要だった(中略)それは金銭経済における「自然人」の最も自然な態度だった。自由貿易は自明と思われた要因の存在を否定し、レッセフェールが人々をそのイデオロギーの鎖に捕らえ続けられなくなったら、街場の人々の目にはすぐに否定されるべき運命にあるのだった[同書 vol ii., p.335.]。

 私はボナー・ローが経済学者たちを前にして、怒りと困惑の入り混じったものを示していたのを覚えています。経済学者たちが、自明なことを否定していたからです。彼はその理由がわからずにとても困っていました。古典学派の支配と一部の宗教の支配とのアナロジーが思い出されます。というのも人の心に深遠かつ現実離れした概念を導入するのに比べて、自明なことを否定させるというのは、その思想の威力をはるかに示すことになるのですから。

セクションV

 これと結びついてはいますが別個の問題があります。これまた何世紀にも、いや何千年にもわたり、啓蒙された意見がずっと確実で自明なドクトリンだとしてきた意見があり、それを古典学派が子供っぽいといって論駁したのですが、これまた復活させて名誉を回復させることが必要です。私が言っているのは、金利は社会的な利益を最高にするような水準に自律的には調整されず、絶えず高すぎるものとなりがちなので、賢い政府は規制と習慣と、さらには道徳律による刑罰まで導入することで金利を抑えるべきだ、というドクトリンのことです。

 高利を禁止する規定は、記録がある中で最も古い経済的な慣行です。古代および中世社会においては、過剰な流動性選好による投資誘因の破壊は突出した悪であり、富の成長に対する第一の障害でした。そしてそれは当然のことです。というのも経済生活である種のリスクや危険性は、資本の限界効率を引き下げますが、一部は流動性選好を増やすようにするからです。だれも安全だとは思わない世界ではつまり、金利は社会の使えるあらゆる手立てで抑えない限り、あまりに高くなりすぎて、適切な投資誘因が実現しなくなってしまいます。

 私は中世の教会が金利に対して持っていた態度が本質的に馬鹿げていると信じ込まされて育ちました。そして融資金利で得られる収益と、直接投資による収益とを区別しようとする細々した議論は単に、まぬけな理論から実務的な逃げ道を見つけようとするイエズス会的な試みにすぎないと教わりました。でも今そうした議論を読むと、古典派理論がどうしようもなくごっちゃにしてしまったものを区別しようとする、真摯な知的努力に見えます。つまりそれは金利と、資本の限界効率とを区別しようとしていたのです。というのもいまや、スコラ学者たちの探究は資本の限界効率を高くしつつ、規制と慣習と道徳律を使って金利を引き下げておく方式の説明をつけようとしていたのだ、ということが明らかだと思えるからです。

 アダム・スミスでさえも、高利貸し禁止法に対する態度はきわめて穏健なものでした。というのも彼は、個人の貯蓄が投資か負債によって吸収され、そしてそれが前者の形で使われるという保証はないということをよく知っていたからです。さらに彼は貯蓄が負債になるのではなく新規投資となる可能性を高めたかったので、低金利を支持していました。そしてこのため、ベンサムに猛烈に攻撃された一節で14、スミスは高利貸し禁止法の穏健な適用を擁護したのでした15。さらにベンサムの批判は主に、アダム・スミスのスコットランド的用心が「投影者」たちには厳しすぎ、金利上限は正当かつ社会的に有益なリスクに対する補償の余地をあまりに少なくしてしまう、というのが根拠でした。というのもベンサムが「投影者」というのは、「富の追求、あるいはその他どんな目的のためであれ、富の支援を受けてなんであれ発明の道に進もうとするあらゆる人物(中略)自分たちのどんな仕事においてであれ、改良と呼べるものすべてを狙うあらゆる人々(中略)それはつまり、人間の力のあらゆる利用で、工夫の才がその支援として富を必要としているものを含める」からです。もちろんベンサムは、適切なリスク負担をじゃまするような法律に抗議するのは当然です。ベンサムはこう続けます。「実直な人物は、こうした状況ではよいプロジェクトを悪いものから選り分けたりはせず、どんなプロジェクトにもかかわろうとしなくなるであろう」16

 もしかすると、アダム・スミスが自分の発言で本当に上のようなことを考えていたのか、疑問視することはできるかもしれません。あるいはベンサムの中に、私たちは(彼が書いていたのは1787年3月「白ロシアのクリコフ」からですが)十九世紀のイギリスが十八世紀イギリスに向かって語りかけているのを聞いてしまっているのでしょうか? というのも、投資誘因が不足するという理論的な可能性を見失ってしまうなど、投資誘因が空前に有り余っていた偉大な時代でもなければあり得ないことだからです。

セクションVI

 いい機会なので、ここで奇妙で不当にも無視されている予言者シルビオ・ゲゼル (1862-1930) に触れておきましょう。彼の業績は深い洞察の閃光を含んでおり、彼はすんでのところで問題の本質に到達し損ねただけなのです。戦後期に彼の信奉者たちは、私にゲゼルの著作を大量に送りつけてきました。でも議論にいくつか明らかな欠陥があったために、私はまったくその長所を発見し損ねていました。分析が不完全な直感の常として、その重要性は私が独自のやり方で自分なりの結論に到達した後になってから、やっと明らかとなったのです。その間私は、他の多くの経済学者同様に、このきわめて独創的な探究をイカレポンチの作文と大差ないものとして扱ってきました。本書の読者の中でゲゼルの重要性になじみのある人物はほとんどいないと思われるので、本来であれば分不相応なほどのページを割くことにします。

 ゲゼルはブエノスアイレスで成功したドイツ商人で17、アルゼンチンで特に猛威をふるった八十年代末の危機をきっかけに、金融問題の勉強を始めました。処女作『社会国家への橋渡しとしての貨幣改革』は1891年にブエノスアイレスで刊行されました。お金についての彼の根本的なアイデアは同年に『ネルヴス・レルム』なる題名で刊行され、その後多くの著書やパンフレットを発表してから、1906年にはそれなりの資産家としてスイスに引退し、人生最後の十年を食い扶持を稼ぐ必要のない人物にできる最も楽しい仕事二つ、著作と実験農業に費やしました。

 彼の主著の第一部は1906年にスイスのレ・ゾー=ジュヌヴェで『完全な労働所得の権利実現』として刊行され、第二部は1911年にベルリンで『利子の新理論』として発表されています。この二つを合冊したものが戦争中(1916) にベルリンとスイスで刊行され、『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』という題名の下で六版まで版を重ねました。英語版は『自然的経済秩序』(フィリップ・パイ訳)です。1919年4月にゲゼルは、短命に終わったバイエルンのソヴィエト政府に参加して財務相を務めましたが、その後軍法会議にかけられます。晩年の十年はベルリンとスイスでプロパガンダに費やされました。ゲゼルはそれまでヘンリー・ジョージを中心としていた宗教もどきの熱心な支持者を集めて、世界中に何千もの弟子を持つ教団の、崇拝される預言者となりました。スイス・ドイツ自由地自由貨幣ブントとその他多くの国からの同様な組織の第一回国際大会が、1923年にバーゼルで開かれています。1930年に彼が死んでから、ゲゼルのようなドクトリンに熱狂する特殊な種類の支持者たちの多くは、別の(私から見ればあまり重要でない)預言者たちに流れていきました。イギリスでこの運動の指導者はビュチ博士ですが、彼らの文献はテキサス州サンアントニオから配布されているようで、その本拠は今日ではアメリカにあり、経済学者の中ではただ一人アーヴィング・フィッシャー教授がその重要性を認知しています。

 崇拝者たちはゲゼルを何やら預言者的な装いに仕立て上げてしまいましたが、ゲゼルの主著は冷静な科学的言語で書かれています。とはいえ、一部の人が科学者にふさわしいと考える以上の、もっと情熱的で感情的な社会的正義への献身が全体を貫いています。ヘンリー・ジョージから派生した部分は18、運動の強さの源としてはまちがいなく重要ですが、全体としては副次的な興味の対象でしかありません。本全体の狙いは、反マルクス的な社会主義を確立することとでも言いましょうか。レッセフェールに対する反動で、マルクスとちがうのは古典派の仮説を受け入れるのではなく、それに反駁することで、まったくちがった理論的基盤に基づいているところです。また競争を廃止するのではなく、それを自由に行わせるところもちがっています。私は未来がマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶだろうと信じています。『自然的経済秩序』の序文を読者が読めば、ゲゼルの道徳的な気高さはわかるでしょう。思うにマルクス主義に対する答は、この序文の方向性に見つかるでしょう。

 お金と利子の理論に関するゲゼル独自の貢献は以下の通りです。第一に、彼は利率と資本の限界効率とを明確に区別し、実質資本の成長率に制限を設けるのが利率だと論じます。次に、金利は純粋に金融的な現象であり、お金の利率の重要性をもたらすお金の特異性は、その所有が富の蓄積手段ともなり、保有手数料が無視できるほどで、保有手数料のかかる商品在庫など他の富の形態は、実はお金が設定した基準があるからこそ収益をもたらせるのだと論じます。彼は金利が時代を通じて比較的安定していることを挙げて、それが純粋に物理的な性質だけに依存しているはずがないという証拠とします。というのもお金の基準が一つのものから別のものに変わったら、その物理特性の変化は実際に見られる金利の変化に比べ、計算できないほど大きいはずだからです。つまり(私の用語を使えば)一定の心理的性質に依存する金利は安定しており、大きく変動する部分(これは主に資本の限界効率スケジュールを決めます)は金利を決めるのではなく、概ね一定の利率が実質資本のストック成長をどれだけ容認するかを決めるわけです。

 でもゲゼルの理論には大きな欠陥があります。彼は、商品在庫を貸し出すときに収益を計算できるのは、金利があるからなのだということを示します。かれはロビンソン・クルーソーと見知らぬ人物との対話19——実に優れた経済小話で、この種のものとして書かれたどんなものにもひけはとりません—— この論点を説明します。でも、なぜ金利が他の商品利率のようにマイナスになれないのかを説明したのに、かれはなぜ金利が正なのかを説明し損ねるのです。そしてなぜ金利が(古典派の主張するように)生産的な資本の収益が定める基準に左右されないのかも説明しません。これは流動性選好の概念を彼が考えつかなかったからです。かれは利子の理論を半分しか構築しなかったのです。

 彼の理論の不完全性は、まちがいなくその業績が学会に無視されてきた理由です。それでも彼は理論を十分先に進めて実務的な提言を行っています。それは必要なものの本質は含んではいますが、提案した通りの形では実現できないかもしれません。彼は実質資本の成長が金利によって抑えられてしまい、このブレーキが外されれば、実質資本の成長は現代社会ではきわめて急速になって、たぶんゼロ金利もすぐとは言わないながらかなり短期間で正当化されるようになるだろう、と論じます。ですから何より必要なのはお金の利率を下げることで、これを実現するには、お金にも他の実物在庫と同じような保有費用を持たせることだ、というのが彼の指摘です。ここから彼は有名な「印紙(スタンプ)」つきのお金という有名な処方箋を導きます。ゲゼルと言えばもっぱらこれが連想されるほどで、これはアーヴィング・フィッシャー教授からもお墨付きをもらいました。この提案によれば、紙幣(ただしこれは明らかに他の形態のお金、少なくとも銀行券にも適用されるべきでしょう) は保険カードと同じで毎月印紙(スタンプ)を貼らないと価値が保てず、その印紙(スタンプ)は郵便局で買える、というものです。印紙(スタンプ)代はもちろん、何らかの適切な金額で固定されます。私の理論によれば、その値段は完全雇用と整合する新規投資に対応した資本の限界効率に対し、金利が上回っている分(印紙(スタンプ)代を除く)とほぼ等しくなるべきです。ゲゼルが実際に提案した料金は週あたり0.1パーセントで、年率5.2パーセントに相当します(訳注:エクセル君によれば5.3パーセント強になったが、まあ誤差範囲か。)。これは現在の条件下では高すぎますが、適正な金額は時々変える必要もあるし、試行錯誤で求めるしかないでしょう。

 印紙(スタンプ)つき紙幣のもとになる発想はしっかりしています。それを実際に、小規模に実行する手段も見つかることは確かに考えられます。でもゲゼルが直面しなかった困難はいろいろあります。特に、お金は流動性プレミアムを持つという点でユニークな存在ではなく、他の物品とはその度合いがちがうだけであり、他の物品のどれよりも大きな流動性選好を持っているというだけでその重要性が出てくるのだ、ということに気がついていませんでした。ですから印紙(スタンプ)制度で通貨から流動性プレミアムが失われたら、その穴を埋めようとして各種の代替品が長い行列を作るでしょう——銀行券、満期負債、外貨、宝石や貴金属全般、などです。前に述べた通り、金利を引き上げるよう機能していたのは、おそらくは土地保有願望だった時代があるでしょう——ただしゲゼルの制度だと、この可能性は土地の国有化によってあり得なくなっていますが。

セクションVII

 これまで検討した理論は、有効需要を構成するもののうち、十分な投資の誘因に依存するものに向けられていました。でも失業の悪を他の構成要素のせいにするのも、目新しいことではありません。これはつまり、消費性向の不足ということです。でも今日の経済的悪に関するこの別の説明——これまた古典派経済学者には同じくらい評判が悪いものです——は十六世紀と十七世紀の思想ではずっと小さな役割しか果たさず、それが勢力を拡大したのは比較的最近になってからです。

 過少消費への文句は、重商主義的な思考のごくおまけ的な側面でしかありませんでしたが、ヘクシャー教授は「豪奢の効用と倹約の悪についての根深い信念」を示す数多くの例を引用しています。「倹約は実は、失業の原因とされ、その理由は二つあった。第一に、実質所得は交換にまわらなかったお金のぶんだけ減ると信じられていたこと、そして第二に、貯蓄はお金を流通から引き上げてしまうと思われていたこと」[ヘクシャー前掲書 ii巻 p.208]。1598年にラファマス(国をすばらしくする宝や富)はフランス産の絹を使うのに反対する人々を糾弾して、フランスの豪奢品購入はすべて貧困者の生活を支えるのであり、ケチは貧困者を疲弊させて殺してしまうのだと述べました。[同書 ii巻 p.290] 1662年にペティは「娯楽、すばらしいショー、凱旋門等々」を、その費用は醸造者やパン屋、仕立屋、靴職人などのポケットに還流するのだという根拠で正当化しました。フォートレーは「衣服の過剰」を正当化しました。フォン・シュレッター (1686) はぜいたく取り締まり規制を批判し、自分は衣服などにおける誇示がもっと派手だったりいと思う、と述べました。バルボン (1690) はこう書いています。「ぜいたくさは個人にとってはよろしくないものだが、商売にとってはちがう。(中略)ねたみは悪徳であり、その人間にも商売にもよろしくない」[同書 ii巻 p.209] と書きました。1695年にケーリーは、みんながもっとたくさんお金を使えば、みんなもっと大きな所得を得て「もっと豊かに生きられるかもしれない」と書いています。 [同書 ii巻 p.291]

 しかしバルボンの意見が主に普及したのは、バーナード・マンデヴィルの『蜂の寓話』によるところが大きいのでした。この本は1723年にミドルセックスの大陪審によって社会に有害として有罪宣告され、道徳科学の歴史の中で、その悪名高さのために傑出しています。これを誉めた人物として記録されているのはたった一人、ジョンソン博士で、この詩に困惑するどころか「現実の生活で目から大いにウロコが落ちた」と宣言しています。本書の邪悪さ加減は、『全英伝記事典』におけるレズリー・スティーブンのまとめを読むといちばんよくわかります。

 マンデヴィルはこの本で大いに不興を買った。そこでは道徳のシニカルな体系が、巧妙なパラドックスにより魅力的なものとされている。(中略)そのドクトリンは、繁栄は貯蓄よりはむしろ支出により増すというものだが、これは当時の多くの経済学的誤謬と親和性を持ち、それは未だに絶滅していない20。人間の欲望は本質的に邪悪であり、したがって「私的な悪徳」を作り出すという禁欲主義者の教えを取り入れ、さらに富が「公共の便益だ」という一般の見方を取り入れたことで、彼は文明が悪辣な性向の発達を意味するとあっさり示して見せた(後略)

 『蜂の寓話』の文は、寓意的な詩です——「不満タラタラの巣、あるいは正直者になったジャックたち」は、繁栄していた社会で市民たちが突然に豪奢な生活を捨て、国が武器を減らして、貯蓄を励行しようとしたために生じる悲惨な運命を描いたものとなっています。

 暮らして消費したものを借金でまかなうなど
 いまやそれでは名誉が保てず
 仲買人のお仕着せ給仕たちは絞首刑;
 彼らは馬車をあっさり手放し;
 名馬を揃いで売りに出す;
 田舎別荘を売って負債を返済。
 豪奢な支出は道徳的詐欺として糾弾され
 外国にも軍を駐留させず
 外国人たちの虚栄を嘲笑し
 戦争で得られる空しい栄光をあざ笑う。
 戦うのは自国のためだけで
 権利や自由が掛かっているときのみ。

 傲慢なクロエは

 高価な美女の勘定書を節約
 丈夫な外衣を一年は着る。

 そして結果はいかに?——

 さて偉大なる巣を思い、ごろうじろ
 正直さと商売がいかに相容れるものか:
 見栄張りは消え、次第に先細り;
 まったくちがった相貌を見せる
 というのも消えたのは毎年大金を使った
 彼らだけに非ず
 それを糧に暮らしていた無数の者たちも
 同じく日々消え去ることを強制された。
 他の職に鞍替えしようとしても無駄
 どの稼業もすでに在庫が余った状態.
 土地と家屋の値段は下がり;
 テーバイのように遊びによって建てられた
 見事な壁の奇跡の宮殿は
 いまや賃貸にだされ(中略)
 建設業は完全破壊
 装飾業者は雇われず;
 肖像画家の世評も最早なく
 石切、石工も声はかからず。

 したがって「教訓」は:

 美徳では国々を豪奢に
 活かすことなどできはせぬ。黄金時代
 を復活させる者は、
 正直さなどドングリほども
 意に介してはならぬ。

 寓話に続くコメントからの抜粋2本を見ると上の詩には理論的な根拠がなかったわけではないことがわかります。

 この堅実なる経済、一部の人が貯蓄と呼ぶものは、民間の世帯においては資産を増やす最も確実な手段であり、したがって一部の者は国が痩せ衰えるのも豊かになるのも、同じ手法を追求すれば(彼らはそれが可能だと思っている)国全体にも同じ効果をもたらし、したがって例えばイギリスは、近隣国の一部のように倹約を旨とすればずっと豊かになると考えるのである。これは、私が思うに、誤りである。21

 それどころかマンデヴィルは次のように結論します。

 国を幸福に保ち、繁栄と呼ぶ状態にするには、万人に雇用される機会を与えることである。すると向かうべきなのは、政府の第一の任を、できる限り多種多様な製造業、工芸、手工芸など人間の思いつく限りのものを奨励することとすべきである。そして第二の任は、農業と漁業をあらゆる方面で奨励し、人類だけでなく地球全体が頑張るよう強制することである。国の偉大さと幸福は、豪奢を規制し倹約を進めるようなつまらぬ規制からくるのではなく、この方針から期待されるものである。というのも黄金や銀の価値が上がろうと下がろうと、あらゆる社会の喜びは大地の果実と人々の労働の成果に常にかかっているのであるから。この両者が結びつけば、それはブラジルの黄金やポトシの銀にもまさる、もっと確実でもっと尽きせぬ、もっと現実の本物の宝なのである。

 かくも邪悪な思想が二世紀にもわたり、道徳家たちや経済学者たちの非難を集めたのも不思議ではありません。その批判者たちは、個人と国家ともに最大限の倹約と経済性を発揮する以外にはまともな療法はないという謹厳なるドクトリンを抱え、自分がきわめて高徳であるように感じたことでしょう。ペティの「娯楽、すばらしいショー、凱旋門等々」はグラッドストン的財務の小銭勘定に道を譲り、病院も公開空地も見事な建物も、さらには古代モニュメント保存すら「お金がなくてできない」国家システムとなりました。ましてや見事な音楽や舞台などあり得ません。これはすべて民間の慈善や、先の考えのない個人の寛大さに委ねられることとなったのです。

 続く一世紀にわたり、このドクトリンはまともな論者の間では登場しなかったのですが、後期マルサスになると、有効需要の不足という概念が失業の説明としてがっちりとした場所をしめるようになります。これについてはかなりたくさん、マルサスに関する拙稿22で論じましたので、ここではその拙稿でも引用した特徴的な一節を一、二ヶ所繰り返すだけで十分でしょう。

 我々は世界のほとんどあらゆる部分で、莫大な生産力が活用されていないのを目にしているね。そして私はこの現象について、実際の産物の適切な分配が行われていないために、継続的な生産のための適切な動機が与えられていないのだ、ということで説明するんだ。(中略)私ははっきりと、通常の生産動機を大きく阻害することできわめて急速に蓄積しようとする試み、これは必然的に非生産的な消費の大幅な減少を伴うが、これは富の進捗を未然に抑制してしまうと考える。(中略)だが急速に蓄積しようという試みがそうした労働と利益との分断をもたらして、将来の蓄積の動機も力も破壊してしまい、結果として増大する人口を維持して雇用し続ける力を失ってしまうのであれば、そうした蓄積の試み、あるいは貯蓄しすぎようという試みは、その国にとって実は有害だと思わないかね? [マルサスからリカードへの書簡、1821年7月7日付け]

 問題は、生産が増大してもそれに伴う地主や資本家たちによる非生産的な消費がないことで生じる資本の沈滞、そしてそれに続く労働需要の沈滞が、国に害を及ぼさずに起こり得るのか、地主や資本家たちによる非生産的な消費が、社会の自然余剰の適切な比率で存在しつづけ、それにより生産の動機がじゃまされずに続き、不自然な労働需要を防ぎ、その後の労働需要の必然的かつ唐突な低下を起こさない場合と比べて、幸福や富の度合いを減らすことに成りはしないか、ということなんだよ。でももしそうであるならば、倹約は生産者にとっては悪いかも知れないが、それが国にとっては悪くないとなぜ言えるのかね? あるいは地主や資本家たちの非生産的な消費が、とくには生産の動機が失われたときの状態を適切に治してくれる治療法にならないなどと、本気で言えるのかね?[マルサスからリカードへの書簡、1821年7月16日付け]

 アダム・スミスは資本が倹約によって増し、あらゆる倹約的な人物は公共に利益を及ぼし、富の増加は消費を上回る産物の量によるのだと述べた。こうした立場がかなりの部分で正しいというのはまったく疑問の余地がない。(中略)だがそれがどこまでも正しいわけではないというのはかなりはっきりしている。そして貯蓄の原理は極端までいけば、生産動機を破壊してしまうことも明らかだ。あらゆる人がいちばん慎ましい食事や最も貧しい衣服や極度に貧相な家で満足したら、それ以外の食料、衣服、家屋は確実に存在しなくなる。(中略)二つの極端は明らかだ。そしてそこから、中間の点があるはずだということもわかる。これは生産力と消費意欲のどちらも考慮して、富を増大させようという誘因が最大になる地点である。ただしその点を政治経済学のリソースで決めることはできないかもしれないが。[マルサス『政治経済学原理』序文、pp.8.9]

 私がこれまで出会った有能で賢い人々の主張するあらゆる意見のうち、セイ氏による「消費または破壊された製品は閉ざされた出口」 (I. i. ch. 15) というのは、公正な理論と最も直接的に逆行するものであり、実体験によりもっとも一貫して反証されるものである。だがそれは、あらゆる商品はお互いとの関係においてのみ考えるべきだ——消費者との関係ではなく——という新しいドクトリンから直接導かれるものでもある。おたずねするが、今後半年にわたり、パンと水以外のあらゆる消費が禁止されたら、商品の需要はどうなってしまうだろうか? なんと商品が蓄積されることか! なんと大量の出口! そんな事態になったら何ともオイシイ市場ができるではないか![マルサス『政治経済学原理』p.363 脚注.]

 でもリカードは、マルサスの主張にまったく耳を貸しませんでした。この論争の最後の残響は、ジョン・スチュアート・ミルの賃金資金理論に関する議論に見られます23。ミル自身はこれを、むろん彼が学んできた各種の議論の中でも、後期マルサスの否定において重要な役割を果たしたものだと考えていました。ミルの後継者たちは賃金資金理論を否定しましたが、ミルによるマルサスへの反駁がこの賃金資金理論に基づいていたということは見落としました。彼らの手法は、この問題を経済学自体から捨て去ることでしたが、そのためにそれを解決したわけではなく、単に話題にしなかったのです。これは論争から丸ごと消え去りました。最近になってケアンクロス氏が、その名残を無名のビクトリア時代人の中に見いだそうとしましたが24、予想よりはるかに少ないものしか見つかりませんでした25。過少消費の理論は冬眠を続けていましたが、そこで1889年になってJ・A・ホブソンとA・F・ママリーによる『産業の生理学』が登場しました。これは五十年近くにわたってホブソン氏がひるむことのない、しかしほとんど報われない情熱と勇気を持って正統経済学に対してつきつけてきた、多くの著書の中で最初の最も重要な本です。これは現在は完膚無きまでに忘れ去られてはいますが、この本の刊行はある意味で、経済思想における一大画期だったのです26

 『産業の生理学』はA・F・ママリーとの共著で書かれました。同書の成立について、ホブソン氏は次のように語っています27:

 吾輩の経済学的異端論が形成され始めたのは、八十年代の半ばになってからのことでありました。地価に反対するヘンリー・ジョージ・キャンペーンや、労働者階級の目に見える抑圧に反対する各種社会主義団体の初期のアジテーションが、ロンドンの貧困をめぐるブースによる二冊の調査報告とあわさりまして、吾輩の感情に深い印象は残したものの、政治経済学に対する信頼を破壊するところまでは行かなかったのであります。それが破壊されたのは、偶然の接触とでも申し上げるべきものからでしょうか。エクセターでの学校で教えております時に、ママリーなる実業家と個人的に知り合う機会を得ました。この人物は当時もその後も大登山家として知られておりましして、マッターホルン登山の別ルートを発見し、1895年には有名なヒマラヤの山ナンガ・バルバットに挑んで他界されました。吾輩のこの人物とのつきあいは、申し上げるまでもないでしょうが、こうした身体的な活動方面でのことではございませんでした。でもこの人物は精神の登山家でもありまして、自分自身の発見への道を見いだす天性の目を持っており、知的権威を崇高なまでに無視しておいででしたな。この御仁が吾輩を過剰貯蓄に関する論争に巻き込んだのです。これは事業が悪い時期に、資本と労働の過少雇用をもたらすものだと彼は考えておりました。長いこと吾輩は、正統経済学の武器を使いまして、この議論に対抗せんといたしました。しかしながら彼は辛抱強く吾輩を説得いたしまして、吾輩はかの御仁と共に『産業の生理学』なる本で過剰貯蓄議論を詳説することとなったのです。この本は1889年に刊行されました。これは吾輩の異端経歴の公然たる第一歩でして、それがもたらすすさまじい帰結など、まったく予想だにしておりませんでした。というのもちょうどその頃、吾輩は教職を退きまして、大学公開講座で経済学と文学の講師という新しい職に就いたばかりだったのです。最初の衝撃は、ロンドン公開講座委員会が、吾輩に政治経済学講義を行ってはいかんと禁止してきたときでした。なんでもこれは、拙著を読んでそれがその正気度から見て、地球は平らだと示そうとしたに等しいものだと考えた、さる経済学教授の介入によるものだったとか。あらゆる貯蓄はすべて資本構造物の増加と賃金支払いに向けられるのだから、有用な貯蓄額に上限などあるはずがないではないか、というわけでございますな。まともな経済学者であれば、あらゆる産業進歩の源を抑えようなどとするそのような議論は、すべて恐怖を持って見ずにはおられない、ということでございます28。別の興味深い個人的な体験が、我が罪悪の正当性を得心させてくれることとなりました。ロンドンで経済学について講義は禁じられたものの、オックスフォード大学公開講座運動の大いなるご厚意で、ロンドン以外の聴衆に対しての講義を許されたのです。これは労働者階級の生活に関する現実的な問題だけに限ることとされておりました。さてたまたまこの当時、慈善組織協会が経済学テーマの講義キャンペーンを企画しておりまして、吾輩に講義を用意するよう招聘してくだしました。吾輩はこの新しい講義作業に喜んで応じると述べましたが、突然何の説明もなく、この招聘が却下されたのです。その時ですら吾輩は、無限の倹約の持つ美徳を疑問視したというだけで、自分が許され難い罪を犯したのだということにはほとんど気がついておりませんでした。

 この初期の著作でホブソン氏は、共著者と共に、古典派経済学(これは彼が学んできたものです)に対する直接の言及を後期著作よりもたくさん行っています。そしてこの理由から、さらにはそれがその理論の初の表現だったことから、そこから引用して著者の批判や直感がいかに重要できちんとした基盤を持つものか示そうと思います。序文でかれらは、自分たちが攻撃する結論の性質について以下のように指摘します。

 個人と同様に社会にとっても、貯蓄は豊かにして消費は貧しくするものであり、実質的にお金への愛があらゆる経済的な善の根源にあるという主張だと一般に定義づけられるかもしれない。それは倹約する個人を豊かにするだけでなく、賃金を引き上げ、失業者に職を与え、あらゆる方面に恵みをまき散らすというわけである。日々の新聞から最新の経済論考まで、説教壇から国会まで、この結論は幾度となく繰り返されては述べなおされているため、それを疑問視することこそが積極的に不敬であるかのように思えるほどである。しかしながら大半の経済思想家たちの支持する学会は、リカードの研究が刊行されるまではこのドクトリンを一貫して否定し、それが最終的に受け入れられたのは、彼らがいまや爆発した賃金資金ドクトリンに対抗できなかったためでしかない。その結論が、論理的な根拠となっていた議論が否定された後も生き残っているというのは、それを主張した偉人の発揮する権威という仮説以外では説明がつかない。経済学の批判者たちは、この理論を詳細に批判しようとしたが、その主要な結論に触れるのに怯えて引き下がった。我々の狙いは、こうした結論が成り立たず、貯蓄を無用にやりすぎることが可能であり、そうした無用な倹約は社会を貧しくして、労働者を失業させ、賃金を引き下げ、商業界には事業不景気として知られるあの陰気な衰弱ともたらす、ということを示すことである(中略)

 生産の目的は利用者に「効用と便宜」をもたらすことであり、そのプロセスは始めて原材料を扱うところから、それが最後に効用や便宜として消費されるまで、連続したものである。資本の唯一の利用は、こうした便宜や効用の生産を支援することであり、その利用の総和は毎日毎週消費される効用と便宜の総計で必然的に変わってくる。さて貯蓄とは、既存の資本総量を増やすが、同時に消費される効用や便宜の量を減らす。したがってこの習慣を無用に実施すれば、使うのに必要な以上の資本蓄積をもたらし、この過剰分は一般過剰生産の形で存在する。[ホブソン&ママリー『産業の生理学』pp.iii-v]

 いまの最後の文で、ホブソンのまちがいの根っこがあらわれています。つまり彼は、過剰な貯蓄が必要な以上の実際の資本蓄積を引き起こす、と想定しているのです。これは実は二次的な悪でしかなく、予測の誤りを通じて起こるだけのものです。でも主要な悪は、完全雇用下においての必要とされる資本以上の貯蓄性向なのです。これにより、予測の誤りがない限り完全雇用が実現されなくなります。でも一、二ページ先で、ホブソンは私から見ると、話の半分を水も漏らさぬ精度で記述します。ただし相変わらず金利変化の役割や事業の安心状態変化の役割を見すごしてはいますが。これらを彼は、所与のものとしているようです。

 こうして我々は、アダム・スミス以来のあらゆる経済学的教えが寄って立つ基盤、つまり毎年生産される量は自然要因、資本、労働で決まってくるという主張がまちがっており、逆に生産される量はこうした総量が決める上限を超えることはできないものの、無用な貯蓄とそれに伴う過剰供給がもたらす生産への制約によりこの上限値のはるか下に抑えられるかもしれず、実際にそうなっているということを示した。つまり現代産業社会においては、消費が生産を制約するのであり、生産が消費を制約するのではない。[同書 p.vi]

 最後に彼は、自分の理論が正統派の自由貿易議論の有効性にどう関係するかに気がつきます。

 我々はまた、正統派経済学者たちがアメリカのいとこたちや他の保護主義集団に対して実に気軽に投げつける、商業的低能なる糾弾が、もはやこれまで提示されてきた自由貿易議論によっては最早まったく維持できないことを指摘しよう。というのもそれらはすべて、過剰供給が不可能だという想定に基づいているからである。[同書p.ix]

 続く議論が不完全なのは認めます。でもそれは、資本というのが生み出されるのが貯蓄性向によるのではなく、実際および見込みの消費からくる需要に応じて作られるものなのだ、ということを明示的に述べた初の記述なのです。以下の引用の詰め合わせは、この線に沿った思考を示しています:

 社会の資本を利得ある形で増やすには、それに伴う消費財の消費増がなくてはならないというのは明らかであろう。(中略)貯蓄と資本の増加はすべて、有効になるためには、即座に将来の消費増が対応しなければならない。[同書p.27](中略)そして将来の消費というのは、十年後、二十年後、五十年後の将来ではなく、現在からちょっと先の将来である。(中略)もし倹約や用心で人々が現在もっと貯蓄するようになれば、かれらは将来にもっと消費することに同意しなければならない [同書p.50, 51](中略)生産プロセスにおいては、現在の消費速度で消費財を提供するのに必要な以上の資本は経済性をもって存在しえない。[同書p.69] (中略)私の倹約は社会全体の経済的倹約にはまったく影響せず、社会全体の倹約のうちでこの特定部分を実施したのが私か他人かを決めるだけなのは明らかである。我々は社会のある部分における倹約が他の部分に所得以上の暮らしをするよう強制する道筋を示そう。[同書p.113] (中略)ほとんどの現代経済学者は、消費がどんな可能性の下でも不十分であることはあり得ないと否定する。社会をこうした極端に走らせるような経済的力の作用を見つけられるだろうか? そしてそうした力があるなら、それに対して商業機構が有効な抑止を提供しないであろうか? まずはきわめて組織化された産業社会すべてにおいて、倹約の過剰をもたらしかねない勢力が自然に働いていることが示される。第二に、商業機構によって提供されると言われる抑止は、まったく機能しないか、あるいは深刻な商業の悪を防ぐには不適切だと示される。[同書p.100] (中略)マルサスとチャルマースの論点に対してリカードが出した短い答えで、後の経済学者は十分だとして受け入れたようである。「生産は常に他の生産やサービスによって購入される。貨幣とは単にその交換を実現するための媒体にすぎぬ。したがって生産の増加は常に、それに対応して購入し消費する能力の増加を伴うのであり、過剰生産の可能性はないのである」 (リカード『政治経済学原理』 p. 362).[同書p.101]

 ホブソンとママリーは、金利というのはお金の利用に対する支払い以外の何物でもないというのを理解していました29。また論敵たちが「貯蓄を抑えるものとして利率(または利潤)が下がり、生産と消費の間の適正な関係を回復する」30と主張するのも十分承知していました。これに対する返答として彼らは「もし利潤の低下で人々が貯蓄を減らすようになるなら、それは二つのどちらかの形で機能するはずである。一つは消費を増やすよう促すか、あるいは生産を減らすよう促すかである」31。前者について彼らは、利潤が下がれば社会の総所得が低下することを述べ、「平均所得が下がっているときに、倹約のプレミアムも同じく下がっているからといって人々が消費をふやすよう促されるとは想定できない」と述べます、一方二番目の選択では「供給過剰による利潤低下で生産が抑えられるというのを否定するのは、我々の意図からはきわめて遠いところにあり、この抑制の働きを認めることこそが我々の議論の核心なのである」32とかれらは述べています。それでも、彼らの理論は完全性を欠いていました。それは本質的には、金利についての独立の理論を持っていなかったせいです。結果としてホブソン氏は(特に後の著書では)過少消費が過大投資につながるという点をあまりに強調しすぎ、相対的に弱い消費性向はそれを補うだけの新規投資が必要なのにそれが得られず、これが失業に貢献するのだという説明にはたどりつけませんでした。そうした投資は、一時的に誤った楽観論のために実現するかもしれませんが、一般には見込み利潤が金利の定める基準以下に下がるために生じないことなのです。

 戦後になって、過少消費の異端理論がたくさん登場し、中でもダグラス少佐のものがいちばん有名です。ダグラス少佐の主張の強みは、もちろん正統経済学がその破壊的な批判のほとんどについて、まともな返答ができないというところからきています。一方でその主張の細部、特にその通称 $A+B$ 定理なるものは、かなりが単なるまやかしです。もしダグラス少佐が $B$ 項目を事業者たちによる資金調達だけに限り、更新や置き換えに対応した当期費用などを含めなければ、もっと真実に近づけたかもしれません。でもその場合ですらそうした支出が、他の方面への新規投資や、消費支出増加で相殺される可能性は考慮する必要があります。ダグラス少佐は、その正統経済学の論敵たちに対してであれば、少なくとも自分は経済システムの明らかな問題を完全に見すごすようなことはしなかった、と主張する権利があります。でも彼は、他の勇敢なる異端論者たちと並ぶ地位を確立したとはとても言えません——異端軍の中では、少佐というよりは一兵卒くらいでしょうか。真の異端論者たるマンデヴィル、マルサス、ゲゼル、ホブソンらは、自分の直感にしたがって、ぼんやりと不完全な形であっても、真実を見ることを選んだのです。明晰さ、一貫性と明快な論理を使って到達したものとはいえ、事実からみて不適切な仮説に頼ったことからくる、まちがいを維持し続けるのを潔しとしなかったのでした。


  1. 彼の『産業と貿易』補遺 D; 『お金、信用、商業』 p. 130; 『経済学原理』 補遺 Iを参照。

  2. 重商主義に対するマーシャルの見方は、『経済学原理』初版p.51の脚注にうまくまとまっています。「英国や独逸においては貨幣と国富との関係についての時代遅れな意見があれこれ研究されてきた。それらはまとめて、貨幣の機能に関する明晰な思考を欠いた混乱した考えとして理解すべきであり、純国富がその国における貴金属備蓄のみに左右されるといった意図的な想定の結果としてまちがっているのだと理解すべきではない」。

  3. 『国とアテナイオン』1923年11月24日

  4. 不況に対して賃金低下で応じるという弾性的な賃金単位療法は、同じ理由から、近隣諸国を犠牲にして自国に利益をもたらす手段となりかねません。

  5. 少なくともソロンの時代以来、そしておそらく、統計があればそれ以前の何世紀にもわたり、おそらく人間の本性に関する知識から当然期待されることですが、賃金単位は長期的に見てじわじわ上がる安定した傾向があります。それが下がるのは経済社会の衰退と解体のときだけです。したがって進歩と人口増大とまったく別の理由でも、だんだんお金のストックを増やすのは不可欠だったのです。

  6. そのほうが私の木手金もかなうのです。というのもヘクシャー教授ご自身も全体として古典派理論信奉者であり、私よりも重商主義理論家たちにはるかに手厳しいからです。ですから彼による引用の選択が、重商主義の叡智を示そうとしてゆがめられている可能性はまったくありません。

  7. 『金利を下げ貨幣の価値を上げる帰結に関するいくつかの考察』1692年刊行だが執筆はその数年前。

  8. 彼はそこに「単に貨幣の量だけでなく、その流通速度にもよる」と付け加えています。

  9. もちろん「用途」というのは古い英語で「利息」の意味です。

  10. 後にヒュームは、古典派の世界に片足半を突っ込むことになりました。というのもヒュームは経済学者たちの中で、均衡に向かって永遠にシフトし以降し続ける状態にくらべて均衡位置が重要なのだと強調する立場を創始したからです。とはいえ彼はまだかなりの重商主義者だったので、人々が生きているのはその移行の中なのだという事実を見すごしはしませんでした。「黄金と金の量の増大が産業にとって有益なのは、金銭の獲得と物価上昇の間の、合間または中間状態のみに限られるのである。(中略)ある国の国内の幸福から見れば、貨幣の量の多寡は何ら帰結をもたらさぬのである。統治者のよき政策は、可能ならばその貨幣の量を増やし続けるようにすることだけである。何となれば、その手法により統治者は自国の産業精神を活かし、あらゆる真の力と富の源泉である労働の状態を増すからである。貨幣の減少する国は、実はその時期には、同じだけの貨幣を持つがそれが増加傾向にある国に比べると、実はもっと弱くて悲惨なのである」 (『金銭についての論説』 1752).

  11. 利子というのがお金につく利子だという重商主義者の見方(この見方は今の私には文句なしに正しく思えます)がいかに完全に忘れ去られたかは、よき古典派経済学者たるヘクシャー教授がロックの理論をまとめる際にこうコメントしていることからもわかります——「ロックの議論は反駁不能に思える(中略)利子というのが本当に貨幣を貸すことの価格と同義であるならばの話だが。だがそうではない以上、これはまったく無意味である」 (ヘクシャー『重商主義』 vol. ii. p. 204).

  12. 「国内で重商主義者たちは、常にきわめてダイナミックな目的を追求していた。だが重要なことは、これが世界中の経済リソースが静的だという発想と絡み合っていたということである。というのもこれこそが、果てしない商業戦争をいつまでも続けさせた根本的な不調和を創造したものだったからである。(中略)これが重商主義の悲劇であった。中世はそのすべてにおける静的な理想のため、そしてレッセフェールはすべてにおける動的な理想のおかげで、この結果を免れたのだった」 (ヘクシャー『重商主義』 vol ii., pp. 25, 26)

  13. 国際労働機関 (ILO) がこの真理を、当初はアルバート・トーマスの下で、そしてその後H・B・バトラー氏の下で一貫して認識してきたという事実は、無数の戦後国際機関の中でも突出して目立っています。

  14. ベンサム「高利貸し擁護論」補遺の「アダム・スミスへの手紙」

  15. 『国富論』第二巻第四章。

  16. この文脈でベンサムの引用を始めたからには、読者のみなさんに彼の最もすばらしい一節を思い出していただかずばなりますまい。「技芸というキャリア、投影者たちの足取りを受け付ける偉大なる道は、広大でおそらくは果てしない平原として見ることができる。そこにはクルチウスが飲み込まれたような沼地も点在しているであろう。そのそれぞれは、閉じるにあたり人間の犠牲者が落ち込まなくてはならないのだが、一度それが閉じれば、それは閉じて二度と開かず、後に続く者たちにとってその道はそのぶん安全となるのである」

  17. ドイツのルクセンブルグ国境近くで、ドイツ人の父とフランス人の母の間に生まれました。

  18. ゲゼルは土地が国有化されたときに補償金を支払うべきかどうかでジョージと意見が分かれていました。

  19. 『自然的経済秩序』pp.297 以降。

  20. スティーブンは著書『十八世紀イギリス思想史』 (p. 297) で「マンデヴィルが称揚した誤謬」について書き、「これを完全に論破するには、商品の需要は労働の需要とはちがうのだというドクトリン——これはあまりにも理解されておらず、これをきちんと理解しているかどうかこそ経済学者の資質の最高の試験かもしれない——にあるのである」と述べています。

  21. 古典派の先駆者たるアダム・スミスの以下の記述と比べましょう。「個々の世帯の行いにおいて堅実と思われるものは、偉大な王国の行いにおいても決して愚行たり得ない」——おそらくこれは、上のマンデヴィルの一節についての言及でしょう。

  22. 拙著『人物評伝』pp.139-47.

  23. J. S. ミル『政治経済学』第一巻 v章。ママリー&ホブソン『産業の生理学』pp. 38 et seq. にはミルの理論のこの側面について、きわめて重要で鋭い議論があり、特にミルの「商品の需要は労働の需要ではない」というドクトリンが論じられています(ちなみにこれは、マーシャルが賃金資金理論に関するきわめて不満足な議論の中で、詭弁でないことにしようとしたものです)。

  24. 「ビクトリア人と投資」『経済史』1936.

  25. 彼の参考文献の中でいちばんおもしろいのは、フラートンの論説『通貨の規制について』(1844) です。

  26. J. M. ロバートソン『貯蓄の誤謬』は」1892年に刊行され、ママリーとホブソンの異端説を支持しました。でもこれは大して重要な本ではなく、『産業の生理学』のような鋭い直感をまったく欠いています。

  27. 1935年7月14日に、コンウェイホールでロンドの倫理学会に対して行われた演説「経済学異端者の告白」にて。ホブソン氏の許可を得てここに掲載します。

  28. ホブソンは不遜にも『産業の生理学』p. 26でこう書いています。「倹約というのは国富の源であり、国が倹約的であればあるほど、その富は増す。これがほとんどあらゆる経済学者の教えである。その多くは倹約の無限の価値を説くにあたり、なにやら倫理的尊厳じみた口調にすらなるのである。経済学の陰気な歌の中で、この一言だけが、人々の耳に届いたようである」

  29. 同書p.79.

  30. 同書p.117.

  31. 同書p.130.

  32. 同書p.131.

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2011.12.27 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)


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