Robert Todd Carroll SkepDic 日本語版 |
水晶のドクロ crystal skulls
水晶のドクロは人間の頭蓋骨の形をした石の彫刻である。この彫刻には数インチから原寸大までさまざまなサイズのものがある。純粋な石英結晶でできているものもあるが、多くはその他の地球上にありふれた石でできている。この中にはアステカといったメソアメリカ文明からの正真正銘の出土品もあり、スカル・マスクあるいはデス・ヘッドとして知られている。だが新千年紀の新たなパラダイムを求めるニューエイジたちの興味を引きつけている水晶のドクロは、本物の出土品ではない。ニューエイジたちの好奇心を誘っている水晶は地球外生命のもので、アトランティスを経由して我々のもとにやってきた、そして自発的にホログラフィックイメージを生成したり奇妙な音を発するといった魔力を秘めている、といわれている。今日では石や鉄などいろいろなタイプのドクロが、しかもいろいろな大きさで、ニューエイジのアクセサリーグッズ市場や博物模造品市場向けに何百万個も製造されている。 水晶のドクロにまつわる地球外生命や超能力の伝説は、F・A・``マイク''ミッチェル-ヘッジス(1882-1959) と彼の養女アンナから始まったようだ。彼らの創造力豊かなフィクションはフランク・ドーランドやリチャード・ガービンといった著名人によって科学的裏づけがなされたものだった。こうした先駆者たちの仕事は、水晶ドクロ学会の創立者である``ニック''ノチェリーノや、水晶のドクロの探究を聖杯への探究になぞらえたエリー・クリスタルや、インターネット上で著書(ノチェリーノ、サンドラ・ボウエンとの共著)を販売しているジョシュ・シャピロらによって引き継がれている。 水晶のドクロのうち、最も有名なのはミッチェル-ヘッジスの``破滅のドクロ''である。これは17歳のアンナ・ミッチェル-ヘッジスが1924年から1927年、養父に付き従ってベリーズのルバアンタンにある古代マヤ都市遺跡の発掘に参加した際に発見したものとされている。ミッチェル-ヘッジスはそこでアトランティスの遺跡が発見できると信じていたのだ。写真の美しい水晶のドクロは高さ約5.25インチ、重さ約11ポンドである。このドクロは、うわべだけはアステカ人が作った石のドクロに似ている。しかしアステカ人のドクロは様式化されている。ミッチェル-ヘッジスのドクロは取り外しのきくあごもそうだが、リアルすぎるのだ。 いわゆる破滅のドクロにまつわるオカルトや気味の悪い伝説は、その多くがミッチェル-ヘッジスから出たものだ。この男は尊敬すべき資質を数多く備えていた -- だが真実への愛情と誠実さはその中になかったようだ。
こうした主張は、すべてミッチェル-ヘッジスが作り出したものだ。この年老いたいかさま師は問題のオカルトグッズを、1943年のサザビーズのオークションにて400ポンドで購入した。ジョー・ニッケルによって集められた証拠は、このことを疑いの余地がないほど明白に証明している。これを所有していたシドニー・バーニーという男とルバナンタン調査に同行した者たちは、ミッチェル-ヘッジスがこのドクロを発見したという話を否定している。ミッチェル-ヘッジス自身、1943年にドクロを買う直後まで、ドクロについて言及することは一切なかったのだ。 このいかさまはアンナが続けることになった。ドクロが発見されたと推測されるときアンナ自身がその場所に居たという証拠は何もない。それにもかかわらず彼女は、バーニーはドクロを借金の質草として返済が完了するまで持っていただけだ、と述べている。もしそうなら、彼女の父親はいったいなぜバーニーに金を直接返済せず、わざわざオークションで落札するような真似をしたのだろうか?アンナにはいくらか注目が集まり、ドクロを見世物にすることで、数年間はいくばくかの金が入った。その際の前口上は、このドクロは宇宙からやってきたもので、ベリーズからここに来る前はアトランティスに保存されていた、というものだった。* 彼女は今もこのドクロを所有しているが、売名に嫌気がさして公衆の面前から姿を消したようだ。しかし今もなお、このドクロをないがしろにしたり、あるいはそうした本を読むと不幸な目に遭うと広く信じられている。 1970年、アンナは水晶彫刻家のフランク・ドーランドにドクロの鑑定を依頼した。ドーランドは、このドクロはスクライングに最高だ、惑星の位置によっては音と光を発したりする、と断言した。彼はまた、このドクロはアトランティスの品であり、十字軍遠征の際にテンプル騎士団によって持ち去られたものだと主張した。* さらに彼らは、このドクロがヒューレット・パッカード社の研究所で鑑定されたとも主張した。D・トラルは批判精神のかけらもなく、以下の通り述べている。
ドーランドはこの``科学的データ''を、リードベリーに関する書籍の著者で、水晶のドクロ;アトランティスを探す最中、失われたマヤの都でミッチェル-ヘッジスが見つけた水晶のドクロにまつわる神秘と伝説、魔法の物語 (The crystal skull; the story of the mystery, myth and magic of the Mitchell-Hedges crystal skull discovered in a lost Mayan city during a search for Atlantis, 1973) を書き上げたリチャード・ガービンに渡した。 それからすぐに、ドクロはニューエイジたちの注目を集めた。だがあいにく注目を集めたのはそのいわゆる摩訶不思議な来歴ではなく、その治癒力と魔術的性格に関する主張の方だった(老いかさま師はこのドクロを、悪の化身だと主張していたのだが)。 ミッチェル-ヘッジスのドクロの来歴は胡散臭いものだったが、このことはドクロの神秘的な性格を信仰する妨げとはならなかった。事実、何年間も神秘の衣をまとって現れた魔法のドクロには、じつに多くの問題が生じた。(もし数字の13が問題となるなら、これも問題の一つとなった -- ドクロが互いに交感していると信じるニューエイジにとって、13は特別な数字なのだ。)このようなドクロの中には、所有者によっていまだに見世物巡業中のものもある。しかし大英博物館が複数個のドクロについて1996年におこなった研究は、ドクロ制作にまつわる魔術とは、たんにその来歴がいんちきであることがこれまで秘密にされていた、ということだけだった。 大英博物館は水晶のドクロ 数個体について調査をおこない、これらドクロがドイツ製であり、過去150年以内に制作されたものだと結論づけた。古代マヤやアステカに存在しないはずの道具で、いったいどうやって制作されたのか。その答えは制作されたのが最近だということで解決した。
同様の結果は1992年にも出されている。スミソニアン博物館がある匿名の所有者から水晶のドクロ1個体を受け取ったのだ。この所有者はこのドクロがアステカ人のドクロで、1960年にメキシコシティーで買ったものだと主張していた。スミソニアンによる研究結果は、ユーゲン・ボバンという胡散臭いフランス人からはじまってニューエイジの間でポピュラーになった水晶のドクロ数個体と同じものだという結論に達した。ボバンは1860年から1880年までメキシコシティーで古物商を営んでおり、ドイツの業者からこのドクロを入手したものと思われる。スミソニアンのジェーン・マクラーレン・ウォルシュは、博物館に所蔵されている水晶のドクロのうちいくつかは1867年から1886年の間に制作されたものだという結論を出した。* 骨までしゃぶる詐欺? その他、いわゆる古代の水晶のドクロは、どれもミッチェル-ヘッジスのドクロと同じぐらい胡散臭い過去を持つ。たとえば``マックス''と名付けられたドクロは、おそらくチベットの治療師がグアテマラの人々に与えたものだ。またブリテンのドクロとパリのドクロとして知られている1対のドクロは、19世紀メキシコで傭兵が発見したといわれている。この2つはたいへんよく似ており、一方を他方のモデルとして制作したものかもしれない。パリのドクロはアステカの死の神ミクトランチュットリを表すといわれている。だが、なんらかのオカルト的な力を備えているのかどうかはわからない。 マヤのドクロとアメジストのドクロは今世紀初めにグアテマラで発見されたといわれている。``ニック''ノチェリーノは1949年にメキシコを旅行中シャーマンと出会い、マヤの司祭のもとへ連れていかれた、と主張している。氏が言うには、村人が食料を買うのに金が必要となり、司祭は彼にドクロを売る権利を与えた。だがニック自身はなぜかドクロを買わず、他の連中とともにドクロを科学的に研究した。その結果、``その本当の起源は謎に包まれている''とか、ドクロは何時間にもわたって有意義なビジョンを与える力を備えている、とかいった、まったくびっくりするようなことがらを発見したのだ。*(Carlos Castaneda, move over!) ノチェリーノ氏は国際水晶ドクロ学会の創立者である。彼は水晶のドクロが19世紀ドイツで制作されたという主張にはそれほど重きを置いてはいない。考古学的裏づけが欠落しているにもかかわらず、彼はドクロがマヤやアステカの産物であり、これら古代人は度栗を作ることのできる技術も道具も知識も持っていなかったと確信している。したがって、ドクロは宇宙からアトランティスを経由してやって来たものでなければならないのだ。これはニューエイジにはアピールする主張だ、私にはそう思える:つまり連中にとっての真実は天球と調和して波動する、というわけだ!他の多くのニューエイジオカルト唱道者たちと同じように、彼もまた科学的というのを売り文句にしている。つまり結局のところ、この低能なインディアンたちがどうやってこれだけのものを作ったか科学は説明できないだろ、と彼らは言いたいわけだ。彼の学会には、研究の方法論の一部をなすものとしてサイコメトリーや遠隔透視、それにスクライングも当然含まれていた。彼らは石をひっくり返してあれこれ詮索してほしくなかったのではないか、とくにその下に隠れているものが不合理と札束だったら。あなたはそう言うかもしれない。 模造品など簡単に作れるし、しかも多くの場所から入手できるのも事実だが、ノチェリーニやエリー・クリスタルやその同族は、今でもドクロの作り方は誰にもわからないし複製など不可能だ、と主張している。* ありがちなのはいったいどちらだろう?エイリアンがこれらを彫刻したに違いない、あるいは、(a)エイリアンは本来の配向軸に逆らって彫刻したりはしなかった、なぜならこれらはけっして彫刻したものではないし、古代メソアメリカのドクロでもなく、研磨によって制作された贋作にほかならないからだ、あるいは(b)``肌理に逆らって''彫刻しても、クリスタルは必ずしも粉々になるわけではない。 いずれにせよ、水晶のドクロを不思議なものとする根拠は、まったく何もない。不思議なのは、これらドクロにはあいかわらず人気があって、その来歴と力にまつわる神話が続いているという点だ。 関連する項目:クリスタル (crystals)。 参考文献
Lewallen, Judy R. "The San Luis Valley crystal skull: A transparent mystery," Skeptical Inquirer, September/October 1997. Nickell, Joe with John F. Fischer, Secrets of the Supernatural: Investigating the World's Occult Mysteries (Amherst, N.Y.: Prometheus Books, 1988), pp. 29-46. $18.95 |
Copyright 1999 Robert Todd Carroll |
Last Updated 08/21/99 日本語化 02/25/00 |