Robert Todd Carroll SkepDic 日本語版 |
魔術(magick)魔術(Magick)というのは、非物理的な手段によって思い通りの変化を起こさせる技法と知識と称する代物である。 訳者注:昔ながらの魔法は、通常はmagicと書かれる。それにkをくっつけて、ただの魔法じゃなくてなんかすごい秘儀体系があるかのようなもったいをつけたのは、アレイスター・クロウリーだとも言われるが不詳。日常的な英語では、magicしか使われず、magickと書くと変なオカルトマニアだと思われるので要注意。なお本項での記述は、ほとんどがmagicとmagickの両方に適用されるものである。 魔術(Magick)はありとあらゆる超常的でオカルトな現象と結びつけられる。そうした現象の例のごく一部を挙げると:超能力(ESP)、アストラル投影、サイキックな癒し、カバラ、チャクラ等々。魔術(Magick)はペンタグラム(五芒星)などいろいろなシンボルを使い、また象徴的な儀式行動も使って、物理や化学などの法則をねじまげるような力を獲得しようとする。魔術(Magick)は魔法(magic)と混同してはならなくない。魔法(magic)というのはだましと手品の技法である。(訳注:上記のように、必ずしも明確な差があるわけではない。ここでのmagicというのは、テレビに出てくる奇術師の手品、という意味でのマジック。とはいえここにも書かれている通り、両者は混同してはならなくない。) 旧・新約聖書に基づく宗教群(訳注:キリスト教、ユダヤ教など)は、昔から魔術(magick)を偽預言者とむすびつけて論じている。これはサタンがしょっちゅう自分の力を人間にひけらかして、それを人間に分け与えてくれるという信念に基づいたものだ。この見方では、自然法則をねじまげるような力を使うのは、神さまがやったり神さまを通じて行ったりする場合にはよいこと(白魔術)になる。こうした聖なる力の誇示は奇跡と呼ばれる。もしそれをやったのが悪魔なら、それは邪悪(黒魔術)だ。 自分の意のままに天気をあやつれるとか、健康を操作できるというのは、なかなか魅力的な考えだ。指一本動かさずに、敵に大災厄をもたらせるというのも魅力的。思っただけで、汝の意志が実現される。特殊な力を持った人々のお話は魅力的だ。でも、魔術師になろうかと思っている人は、この問題についての権威が以下のような警告を出していることをおわすれなく:
肝に銘ずるべき叡智のことばといえよう:不気味だからといって必ずしも悪いものではない。が、一方で、不気味だからといって必ずしもいいとは限らないのも事実。 見せ物奇術師のマジックは、パフォーマーが小細工やごまかしを使って、指輪や灰、ハトやウサギなどの物質をどこからともなく取り出すなどの、本当なら超自然力や超常能力を必要とするようなことをやってのけたと観客に思わせる、という点で魔術(magick)と関連が深い。奇術師の中には、自分の行いをマジックではなく、超自然的な力や超常能力のせいだとする人たちもいる。たとえばサイババやユリ・ゲラーなど。 もちろん、自然の美しさと魔法は、魔術(magick)とは何の関係もない。健康な子供が産まれてくる魔法のような不思議。真の愛の魔法のような不思議。意志の力で朝にベッドから起き出すのも、魔法のように不思議なことだ。ざんねんながら、こういうのが魔法のように思えるのは、こうした力を持っていない人だけらしい。意志の力で自分の体を律することができる人たちは、あまりにしばしば、それが当然のことだと思ってしまう。額の汗をぬぐうような単純なものごとの不思議やすばらしさが目に入らなくなる。目を開けて海や氷河の崇高さを愛でたり、夕日の美しさを眺めたり、野生の花の草原をあがめたりする行為を、あたりまえのものだと思ってしまう。でもこれは真に魔法のようなできごとであり、考えてみれば、宇宙をいくつも満たすだけの不思議さをたたえている。でもどうやら多くの人にとって、こういう本物の魔法だけでは不足のようだ。 関連項目:奇跡、サタン、共感マジック、トゥルー・ビリーバー・シンドローム、ウィッカ、魔女 参考文献
Carus, Paul. The History of the Devil and the Idea of Evil (La Salle, Illinois: Open Court Publishing Company, 1974), unabridged reproduction of the original 1900 edition. セーガン、カール カール・セーガン科学と悪霊を語る (新潮社 1997). |
Copyright 1998 Robert Todd Carroll |
Last Updated 11/08/98 日本語化 01/27/00 翻訳:山形浩生 |