ひと,場所,もの,そして,アイデア
ひと,場所,もの,そして,アイデア
by Kragen Sitaker <kragen@pobox.com>


この文章は Kragen Sitaker さんの People, places, things and ideas を日本語訳したものです。 日本語訳における誤り,不明な点は芝崎良典 <yshiba@hiroshima-u.ac.jp> まで。

日本語訳ここから


■ ソフトウエア

ソフトウエアとはアイデアである。情報である。ソフトウエアはひとや場所,ものとも異なる。なぜなら,ソフトウエアは際限なくまるで火のように増えていく。それも,大半の場合,コストなしに。こんなことは自明のことであるし,口に出して言うには陳腐でさえある。けれども,ソフトウエアにはまだよく吟味されていない重要な特性があるように思えるのだ。

労働力や場所,ものを販売するようには,ソフトウエアは販売できない。 顧客の誰であっても,原価でいくらでもソフトウエアを複製できるからだ。あるいは原価より安価で複製することもできる。しかし,現在の市場ではソフトウエアの販売が実行可能なビジネスモデルになっている。あるいは,ブランド名が商売を可能にしているのかも知れない。Red Hat 社が CD を 50 ドルで販売できるのは,皆が Red Hat のブランドを好きだからか,それとも,2ドルで CheapBytes から同じ CD を購入できることを知らないかの一体どちらなのであろう。

■ 過去と現在

複製を阻止する伝統的な方法は,アイデアをひとや場所,もののなかに閉じ込めるという方法である。法律家はお決まりの手続きを踏むだけで (聞くところによると遺言の大半がこの例に当たるらしいが),あるいは適当なアイデアを述べ,実際には何の創造的な仕事をせずに賃金を手にしている。

ジョージア・オキーフ (1887-1986) の絵画を見たくなったら,私たちはジョージア・オキーフ美術館に出かけないとならない。なぜなら,この美術館では写真撮影を禁じているからだ [訳注 1]。 だからこの美術館は私たちに入場料を請求することができるのだ (この美術館はとても広い。ところで,仮にこの美術館に行ったとしても,4日分の入場券は必要ない。なぜなら,コレクションの数はむしろ少ないくらいだからだ)。書籍は印刷費用よりも高い値で販売される。なぜなら,書籍という物理的側面とアイデアとを切り離すことは難しいからだ。

ソフトウエアはアイデアをひとや場所やものから分けるのを容易にした。メールを使いたくてコンピュータを購入したけれども,フラクタルも描きたくなったとしよう。この場合,フラクタルを描くために新しいコンピュータを買う必要はない。単にフラクタルを描くためのソフトウエアをダウンロードするばよい。 また,もしも,ある建築物の降伏力を算出したい場合でも,建築の技術者を雇う必要はない。ただ,FEA ソフトウエアをダウンロードし,建築物がもちこたえられないまで力を加えるようシュミレートすればよい。ジョージア・オキーフの絵画を見るために美術館に出かける必要はない。コンピュータの画面でフラクタルを描きさえすればよい [訳注 2](もちろん,私は一度はそれらのソフトウエアをダウンロードしている)。

なんという発展であろうか。

■ 閉じ込められたソフトウエア: その未来

最近までは,もののなかにソフトウエアを閉じ込めてしまうのは,通常,コンピュータのアプリケーションがもつ性質であった。しかし,現在ではウエッブがある。そして,ひとびとは特殊用途のアプリケーションを埋め込んだコンピュータについて多くを語りあうようになった。以前アイデアをコンピュータソフトウエアという形で受渡ししていたように,現在では,突然,アプリケーションという形でアイデアを受渡しできるようになった。しかし,アプリケーションはソフトウエアを,つまり,アイデアを場所やもののなかに閉じ込めてしまう。

例えば,全国の電話番号のリストが入った CD-ROM を持っているとする。十分な時間と知識があれば,番号のリストを取り出して,ウエッブサイトに置くことができる (まずは番号を入れてあるデータベースの構造を明らかにする技術が必要だが)。 特定の名字がある都市に偏って分布してないかどうか調べるために相関係数を算出できる (偏りがある場合,その都市の人々は家族の近くで暮らしているか,民族的に隔離されているかどちらかであろう)。また,Cathy の一般的なつづりが Kathy であるのか Cathi であるかを知ることができる。加えて,Cathy のつづりをどちらにするかが名字と関連があるかどうかを調べることもできる。

電話番号のリストをもった別のウエッブサイトがある。このサイトは私のサイトよりも新しい版であるかも知れない。けれどもこのサイトでは上記で可能であったことがどれもできない。なぜなら,電話番号は,つまりアイデアはウエッブサイトのなかに閉じ込められてしまっているからだ。ウエッブサイトをどう見るかによってウエッブサイトは場所だとも言えるしものとも言えるが,アイデアはウエッブサイトという場所あるいはもののなかに閉じ込められているのだ。

別のやりかたは,もののなかに情報を閉じ込めるやりかただ。NSA の Skipjack アルゴリズムは長い間機密事項であった。それを実装した製品は広く出回ってはいたが,どれも特別に封印された装置の形でしか入手できなかった。 この Skipjack によって機密扱いの諸研究を鉄のカーテンの内側に隠し続けることができていた。けれども,このアルゴリズムに外界の光を当てようと試みる人々もいる。 (今日まで私はその鉄のカーテンの外側にいる)。最近,世の流れによって,NSA は Skipjack の実装を配布するようになり,NSA は Skipjack の機密事項から外した (より詳しくは http://www.counterpane.com/crypto-gram-9807.html#skip を参照のこと)。

■ アプリケーションが好きではない理由

電話帳を自分のものにできれば,もっと自由に使うことができる。一方, 電話帳をコンピュータにインストールしなければならないなら,その電話帳のソフトウエアが私のコンピュータをコントロールする程度が高くなる。この場合, そのソフトウエアが Windows 95 でしか動作しない。このため,この電話帳は私のコンピュータを完全にコントロールしようとする。だから,私にとっては,ウエッブサイトを訪れて電話番号を知るためにフォームに記入したほうがより便利であるのだ。

もののなかの情報はソフトウエアのなかの情報よりも便利である。なぜなら,特殊用途に作られたものは大半の場合汎用コンピュータよりも扱い易いからである。このため,工業界の専門家の多くは目的別の装置の利点のために汎用コンピュータは廃れてしまうであろうと予測していた。

私はこの傾向を良く思っていない。汎用コンピュータは使いづらいことは明らかであるが,私は汎用コンピュータを使うのは好きだ。私はこの種のコンピュータが与えてくれる自由が好きだ。汎用コンピュータはまさに私のこころの延長部分なのだ。

ウエッブサイトや特殊用途のハードウエアはこの種のものではない。それらは汎用コンピュータが与えてくれる自由をもたらしてくれない。仮に専門家たちが予測するようにこの傾向が続くとするならば,今自分のコンピュータで処理している仕事の多くが特殊用途の装置やリモートサーバーによって処理されることになろう。

そんな事態になったとき,ソフトウエアの自由にどんな意味があるのか。たしかに, ソフトウエアやデータベースをダウンロードせずに,ウエブサイトで処理できるのは悪くない (仮にそのようなことが可能ならば,大半のひとにとってはソフトウエアをダウンロードするのは便利ではないかも知れない。IBM の専売サーバーは多くの巨大なデータベースを持っている)。

私はソフトウエア,特にオープンソース・ソフトウエアがひとびとに己の生活をコントロールする力を与えてくれると信じている。なぜなら,ソフトウエアはひとや場所,ものから作られているのではなく,アイデアから作られているからだ。特殊用途の装置やリモートサーバーへの流れはこのソフトウエアに逆行するものである。

フリーソフトウエアを ROM に焼くことにどういう意味があるのか。仮にソースコードを見るために ROM を分解しなければならない場合,あるいは,あたらしいソフトウエアを使うために新しい ROM に焼かなければいけない場合,ソフトウエアはまだフリーであるのか。ウエッブサーバー上で間接的に接続できるアプリケーションを起動させるソフトウエアに何か意味があるのか。ひいきめに見ても,このような技術はひとびとがパーソナルコンピュータで満喫している自由をもつことを難しくしているように見える。

■ 特殊用途のながれにどう立ち向かうか

新しい装置を購入するのは,ソフトウエアをダウンロードし自分のコンピュータにインストールするよりお金がかかる。だから,特殊用途の装置に優れた点がないならば,ひとびとはそれを使うことはない。

けれども,特殊用途の装置は種々の利点を備えている。それらの装置は現在の汎用コンピュータよりも使いやすい。それぞれの機能にはそれぞれのボタンが対応している。同じボタンが別の処理をしたり,何も処理しないような変わった方式はない。様々に変化する状態はちくいち表示される。表示するために何かをクリックする必要はない。このような機能のないことが汎用コンピュータ特有の弱みであると私は思わない。けれども現時点ではひとつの弱みであると思う。

もう一つ大きな問題がある。それは,特殊用途の機器がとにかくもなんとか機能する一方で,汎用コンピュータはまともに機能しないことが多いという問題だ。特に Microsoft 製 OS を使っている場合がそうである。 最も運がいい場合でさえ,続けたかった作業,例えば手紙を書くなどという作業を再開する前に,全く関係のない作業をいくつかし終えなければならない。典型的な場合では,10 秒ほどそこらへんをクリックしなければならない。最悪の場合には,Windows やアプリケーションを再インストールしなければならず,周辺装置の再設定やそれが動くようになる前に適切なドライバを再インストールしなければならない。

3番目の問題点は汎用コンピュータにはソフトウエアのインストールが必要である点である。もしも,メールのためにコンピュータを使い始めたのならば,最初にメールのソフトウエアをインストールしなければならない。メールのためだけの機器を購入するよりはずっと安上がりであるけれど,インストールはそう苦痛を感じないものでもないし,高圧的でもあるし,面倒なものでもある。それに,あるひとはこうも言う。インストールし終えるまでに時間がかかりすぎる。

汎用コンピュータが小さくて安価な特殊用途の機器の猛襲をしのいで生き残るためには,特殊用途の機器のように,もっと使い易く,信頼性を高く,ソフトウエアのインストールを容易にする必要がある。このためには現在皆が使っている OS とは全く異なった OS とそれを使う環境が必要となる。そう。そんなに驚くべき結論ではないが,その環境とは GNU/Linux である。GNU/Linux は私がこれまで試した環境のうちでもっとも求める環境に近い (Squeak [訳注 3] はもしかしたら GNU/Linux よりもいいかも知れない。けれども,私はまだ試したことがない)。 しかし,その GNU/Linux にしても,使い易さ,信頼性等を考える場合,特殊用途の機器の水準からはあまりにも遠くかけ離れている。特殊用途の機器並の使いやすさ,信頼性の水準に到達するには,いまとちがったソフトウエアだけでなく,いまとはちがうハードウエアも必要となろう。

リモートサーバーが秘める力にも同じことが言える。ウエッブブラウザを介することによって統一されたインターフェイス。それがもたらす使い易さ。とにかくまともに機能すること。 そして,インストールの必要もない。私たちはただ使うだけでいいのだ。しかし,リモートサーバーはまだいくつかの利点をもっている。

よほど大金を投じないかぎり自分のコンピュータではとてもまともに提供できないような巨大な容量と計算資源が必要なサービスでも,リモートサーバーなら提供することができる。 (ウエッブを検索するために,AltaVista のデータベースを毎日ダウンロードするのはあまり効率のよい話ではないであろう)。

巨大な計算能力を必要とする仕事をたくさんのコンピュータに割り振る研究に関心をもってはいるが,現時点でリモートサーバーのもつ圧倒的な利点を越えることはおそらく不可能だと私は思う。


日本語訳ここまで



訳注 1

実際に写真撮影は禁止らしい。なお,山形浩生さんによると「アメリカの美術館の多くでは写真撮影や模写などは通常は許可されている」とのことです。

訳注 2

O'Keefe の絵画は Georgia O'Keefe Flower Gallery にある彼女の花の絵画を見れば分かるように,コンピュータ画面にフラクタルを描いたようにも見える。

訳注 3

Squeak については以下のページを参照のこと。


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