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Robert Todd Carroll

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reader comments:

Afrocentrism

3 Dec 1996
クレオパトラは黒人じゃなかったなんて,誰でも知ってる -- 火星から来た んだ.

がんばってください,
Aaron Ramson White


10 Dec 1996
これはskeptic's dictionaryである,ということは,さまざまなトピック や信仰などについて懐疑的な人のための辞書ということだと思います.で すが,アフリカ中心主義に関するあなたの論調にはひとこと言いたい.あ なたは,要約すれば古代エジプトの住人が黒人だったと決まったわけでは なく,したがって事実ではない,と述べています.しかし,古代エジプト の住人が黒人ではなかったとも,誰も証明したわけではないのです.私は 古代エジプト人が黒人だったと言ってるわけでもないし,そうでなかった と言ってるわけでもありません.おわかりの通り,どちらの意見でも通る のです.ですが,明らかに白人やヨーロッパ人の先祖ではなかったと言え るでしょう.古代エジプト絵画では,人は暗い肌色で描かれていることか ら,彼らは明らかに有色人種です.

Lynne

reply: 5,000年前のエジプト人は,おそらく現在のエジプト人と同じ肌の 色をしていたでしょう.現在のエチオピア人が,おそらく先祖と同じ肌をし ていたのと同じようにです.エジプト人とエチオピア人は,肌の色がまった く違います;あなたは正しい:両者とも白人でもヨーロッパ人でもありませ ん.古代のエジプト人もエチオピア人も,その社会組織の内部を除けば,明 らかにわれわれほど肌の色を気にかけてはいなかったでしょう.たとえば, エジプトの彩色彫刻は,男性は暗い肌の色で,女性は明るい肌の色で塗って あります.古代エジプト人が何をしたかよりも,こうした事実の方を大事に すべきでしょう.

``古代エジプトの住人が黒人ではなかったとは,誰も証明していない''と いう主張は,おかしいです.もしあなたの言う`証明'が,絶対的に確かだと 示す,ということなら,証明されれば事実となるでしょうが,些細なことで す:経験的な主張は,絶対的に確かだと証明することはできないからです. 一方,もしあなたの言う`証明'が,非常に確からしいと示すことだとしても, あなたは正しいとなるでしょう.ですが,それは根拠を必要とするような証 明ではありません.現代の日本人は黒人ではない,と証明するのに証拠が必 要ないのとおなじで,自明なことです.アフリカ中心主義者の主張のせいで, 古代エジプト人は黒人ではなかったという主張を支持したために,マリー・ レフコヴィッツなどの歴史学者が罷免されるのは,不幸なことだと私は思い ます.


16 Jun 1997 12:03:28 -0700
Carroll 教授,

現在の自分たちに都合の良い過去の歴史を創造しようとするアフリカ 中心主義の性質には賛同しませんが,アメリカの大衆がこの問題とそれに 対処する方法は,懐疑論者のしやに入るさらなる疑問を喚起するという点 で,メリットがあります.私が自問したのは以下のようなことがらです:

1. 客観と主観に関する根本的な認識論的問題が歴史に適用されている ということ.アメリカやその他の歴史は,歴史は物質ではなく,価値や行 動を規定し,伝統やアイデンティティを創造する社会機能であるという事 実に,確固たる証拠を示すさないのだろうか?その1例:白人によってつ くられたアメリカ原住民のイメージは,彼らの殺戮,放逐,組織的な文化 破壊,土地の盗用を正当化するのにたいへん役立てられた -- 今日では, 歪められた``聖なる野蛮人''が環境保護のCMに使われている.歴史科学が こうしたイメージを是正しはじめたのは,つい最近になってからだ.

質の悪い歴史的業績は,真似るのでなく拒否すべきです.今日の歴史 家が信奉する品質基準は,明らかに過去のそれより高いものです.もちろん, プロパガンダや子供の教科書に歴史として載っている低俗なものは除きます. こうした質の悪いものは,進化論を削除した教科書が本物の科学の例になら ないのと同様に,けっして現実の歴史ではありません.``聖なる野蛮人''と 環境保護CMについては...う〜ん,私にはこのCMをインディアンのカジノや賭 博を部族国家の福祉に結びつけようとするのと,同様に見るべきだとしか言 えません.繰り返しますが,こうした再構築やプロパガンダでなされる努力 は真似すべきではありません.

2. アフリカ中心主義に対する白人たちの痙攣じみたパニック反応は, 彼らだけの大切な伝説を留めておこうとしていることを示すものではないの か?

reply: 反応は痙攣じみてもいないし,自己保存の問題でもありません. 事実に関する正直な懸念です.この懸念が人種論の伝説にしたがっていると は見ていません.

3. 近年,アフリカ中心主義は黒人 -と白人の何人か- のあいだで勢力 を増しつつある.その不正確さを批判するかわりに,なぜ勢力を増している のか,その原因を明らかにするのは,重要ではないのか?これは民族間の対 話への糸口となるかもしれない.

reply: 原因を考える前に,まずはっきりさせておくべきことを表明し なければいけません.アフリカ中心主義の批判者は,はっきりさせておくべ きことを表明しています.アフリカ中心主義がなぜこれほど人気があるのか, あるいは,歴史の専門家はアフリカ中心主義に耐え続けるつもりなのか他の 分野と同じように支持するのか,考えるのはのこのあとです.最初の質問は 社会学者の検討課題でしょう;後者は歴史の専門家すべてが直面している問 題です.両方とも重要な問題だと思います.

懐疑論は普遍的なときにはよいものです.つまり,ある人が構築した 自分だけの現実に対しては,とりわけ懐疑的になる,ということです(ポス トモダン的表現でごめんなさい).でなければ,懐疑論はたんなるイデオロ ギーの一つになってしまうでしょう.

この辞書の主目的には沿わないかもしれませんが,たぶんヨーロッパ 中心主義だけではなく,一般的な自民族中心主義について項目を加えた方 がいいだろうと思います.あるいは人はなぜ信じたいことがらを信じるの か,神知論的議論があってもいいかもしれません.

Thomas Clark
Institut for English and American Studies,
J.W. Goethe Universitdt,
Frankfurt, Germany

reply: おっしゃるとおり,こうした問題は Skeptic's Dictionary の守備範囲を外れてしまいます.自民族中心主義は, Becoming a Critical Thinker で扱っている問題です.この本で は,``自己中心主義自民族中心主義 -- 我々と我々の文 化が真実と現実の基準であると考える傾向 -- を克服できなければ,批判 精神の豊かな思索者にはなれないだろう.しかしながら,どの社会も自民 族中心主義を推進して,伝統的な信仰や価値の批判を妨げる.したがって, 批判的思考は一般にみられなくなり,成果をあげるのも困難になる.''

Copyright 1998
Robert Todd Carroll