生け贄 victim soul
しかし、アザゼルのためのくじに当たったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。(レビ記 16:10)
イスラエルの汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。(レビ記 16:16)
(以上、聖書 日本聖書協会刊より引用)
生け贄とは、別の人のために痛みや病を負う人のことである。このアイデアが、ナザレのイエスは我々の罪のために傷を負って死ぬことで人類をあがなった、という信仰に関係していることは明らかだ。生け贄としてのキリストは、おそらく、高位の司祭が人々の罪をすべて一匹の山羊に(象徴的に)負わせてヨム・キプルの荒野に放つという古代ユダヤの習慣にまでさかのぼる(レビ記 16)。
ウォーチェスター(マサチューセッツ州)の司祭ダニエル・P・ライリー師によると、18世紀や19世紀には、生け贄という概念はポピュラーなものだったそうだ。彼は、自分の司教管区のオードリー・サントという幼い少女が生け贄かどうか調査するために、委員会を組織している。この少女は、ボスニア- ヘルツェゴビナ(当時はユーゴスラビアの一部)にあるメジュローへの巡礼の途中で、聖処女マリアとの約束に同意して、生け贄になったといわれている。当時この少女は4歳で、その1年前の事故によって脳の大部分に損傷を受けて、昏睡状態となっていた。彼女の母リンダ・サントは、奇跡の治療に希望を託した。彼女が言うには、奇跡の治療の代わりに聖処女マリアが娘のもとに現れて、オードリーに生け贄になるように伝えたのだ。リンダ・サントは、彼女の娘が災厄を負っているからこそ他の人々は生きられるのだと主張し、生命のない娘を生きた化石へと変えたのだ。
参考文献
Nickell, Joe. Looking For A Miracle: Weeping Icons, Relics, Stigmata, Visions and Healing Cures (Prometheus Books: Buffalo,N.Y., 1993). $21.67
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