(Last update:1999/11/23)

 もじゃもじゃペーター
Der Struwwelpeter
 

ハインリヒ・ホフマン 作

訳: 玲奈
バージョン 1.0(1999/11/16)

最初のノート

原文とイラストの出典は、 Der Struwwelpeter: oder lustige Geschichten und drollige Bilder fur Kinder von 3-6 Jahren (Frankfurt am Main: Literarische Anstalt von Rutten & Loning, 1900). で、 ホフマンの死後に出された第100版記念版による。 1847年の初版の絵は、ホフマンが白いノートに手描きしたもの(上の図版参照)をもとにしており、 もっと素朴な味わいのものである。くわしくは訳者あとがきにて。

著者ホフマンによるあとがきおよび、 日本で最初に紹介された『ぼうぼうあたま』(1936)全文を追加。 また、原文を1947年初版本の復刻版(ほるぷ出版、1982)にしたがって 表題やコンマやピリオド等を修正し、 各タイトルにローマ数字をうった。第4話のニコラスの登場する2枚の画像が左右逆だったため 正しく戻した。 ただし、Vorwort(序文)には“Vorwort”の文字がなく表題が掲載されているが、 それは第100版記念版のままにしてある。(1999/11/23)。

©1999 玲奈
本翻訳は、この版権表示を残す限りにおいて、訳者および著者にたいして許可をとったり 使用料を支払ったりすることいっさいなしに、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が 認められる。

プロジェクト杉田玄白 正式参加テキスト。 詳細はhttps://genpaku.org/を参照のこと。


もくじ

    はじめに

  1. もじゃもじゃペーター
  2. わるぼうずフリードリッヒのおはなし
  3. とてもかなしい ひあそびのおはなし
  4. まっくろこぞうたちのおはなし
  5. らんぼうな かりゅうどのおはなし
  6. ゆびじゃぶりこぞうのおはなし
  7. スープ・カスパーのおはなし
  8. じたばたフィリップのおはなし
  9. ぼんやりハンスのおはなし
  10. そらをとんだローベルトのおはなし

  11. 著者あとがき

訳者あとがき
『ぼうぼうあたま』


Der
Struwwelpeter
もじゃもじゃペーター

oder
lustige Geschichten
und
drollige Bilder.

fur Kinder von 3-6 Jahren.
3〜6さいのこどものための
おもしろいおはなしと おかしなえ

von
Dr. Heinrich Hoffmann.
ハインリヒ・ホフマン


Vorwort
はじめに

みこキリスト降臨の絵

Wenn die Kinder artig sind,
Kommt zu ihnen das Christkind;
Wenn sie ihre Suppe essen,
Und das Brot auch nicht vergessen;
Wenn sie, ohne Lärm zu machen
Still sind bei den Siebensachen,
Beim Spaziergehn auf den Gassen
Von Mama sich führen lassen,
Bringt es ihnen Gut's genug.
Und ein schönes Bilderbuch.
おぎょうぎのよい いいこには
みこキリストが きてくれる
スープを すっかり たいらげて
パンも しっかり たべるなら
じたばた がちゃがちゃ あばれずに
しずかに おもちゃで あそぶなら
おんもに おでかけ するときも
マンマと おすまし できるなら
どっさり すてきな おくりもの
きれいな えほんも もってくる

食事とママと散歩とおもちゃで遊んでいる絵


I. Der Struwwelpeter.
もじゃもじゃペーター

Struwwelpeter
Sieh einmal, hier steht er,
Pfui! der S t r u w w e l p e t e r!
An den Handen beiden
Lies er sich nicht schneiden
Seine Nagel fast ein Jahr;
Kammen lies er sich nicht sein Haar.
Pfui! ruft da ein Jeder:
Garst'ger S t r u w w e l p e t e r!
ひとめ ごらんよ ほら このこだよ
うへえっ! もじゃもじゃペーターだ!
りょうての つめは 1ねんだって
きらせも しないで のびほうだい
かみにも くしを いれさせない
うへえっ! だれもが そう さけぶ
ばっちい もじゃもじゃペーターだ!

IV. Die Geschichte von den schwarzen Buben.
まっくろこぞうたちのおはなし

「Die Geschichte von den schwarzen Buben」1ページめ ムーア人の男の子をはやしたてる3人の子ども
Es ging spazieren vor dem Thor
Ein kohlpechrabenschwarzer M o h r.
Die Sonne schien ihm aufs Gehirn,
Da nahm er seinen Sonnenschirm.
Da kam der L u d w i g hergerannt
Und trug sein Fähnchen in der Hand.
Der K a s p a r kam mit schnellem Schritt,
Und brachte seine Bretzel mit;
Und auch der W i l h e l m war nicht steif,
Und brachte seinen runden Reif.
Die schrien und lachten alle drei,
Als dort das M o h r ch e n ging vorbei,
Weil es so schwarz wie Tinte sei!
ドアの むこうを とおるのは
すみのようにまっくろ ムーアっこ
おひさま ぎらぎら やきつけて
ひがさを さして あるいてる
そこへ かたてに はたもって
かけてきたのは ルートヴィヒ
プレッツェルを てにもった
カスパールも くわわった
まるいわ くるくる まわして
ヴィルヘルムも なかまいり
とおりすぎてく くろいこを
こえを そろえて はやしたて
「インク みたいに まっくろけ!」

〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜

「Die Geschichte von den schwarzen Buben」2ページめ 聖ニコラスがインクつぼとともに現れる Da kam der große N i k o l a s
Mit seinem großen Tintenfaß.
Der sprach: Ihr Kinder, hört mir zu,
Und laßt den Mohren hübsch in Ruh!
Was kann denn dieser Mohr dafür,
Daß er so weiß nicht ist wie ihr? ―
Die Buben aber folgten nicht,
Und lachten ihm ins Angesicht,
Und lachten ärger als zuvor
Über den armen schwaren Mohr.


そこに おでまし ニコラスさま
よこには おおきな インクつぼ
「これ こどもらよ ムーアっこを
からかっては ならぬ!
あのこの いろが くろいのは
うまれついての ことなのじゃ」
でも こどもらは しらんぷり
ますます もって はやしたて
このきのどくな くろいこを
めんとむかって あざわらう

〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜

Der N i k l a s wurde bös und wild, ―
Du siehst es hier auf diesem Bild!
Er packte gleich die Buben fest,
Beim Arm, beim Kopf, bei Rock und West',
Den W i l h e l m und den L u d e w i g,
Den K a s p a r auch, der wehrte sich.
Er tunkt' sie in die Tinte tief,
Wie auch der K a s p a r : Feuer! rief.
Bis über'n Kopf ins Tintenfaß
Tunkt sie der große N i k o l a s.


ニコラスさまは ごりっぷく
このえを ようく みてごらん
3にん ひとつに ひっくるめ
あたまと うでと うわぎと
チョッキを ぐいとひっつかむ
じたばた あばれる ヴィルヘルムと
ルートヴィヒと カスパールを
インクつぼへと つっこんだ
「かじだ!」と カスパールが
さけんでみても むだだった
みんな あたまの てっぺんまで
すっぽり インクに ひたされた
「Die Geschichte von den schwarzen Buben」3ページめ

〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜*〜ξ〜

「Die Geschichte von den schwarzen Buben」4ページめ まっくろになった3人の子がムーア人のあとをついて歩く
Du siehst sie hier, wie schwarz sie sind,
Viel schwärzer als das Mohrenkind !
Der Mohr voraus im Sonnenschein,
Die Tintenbuben hintendrein;
Und hätten sie nicht so gelacht,
Hätt' N i k l a s sie nicht schwarz gemacht.
ごらんよ まっくろ 3にんぐみ
ムーアっこよりも まだくろい!
ひがさを さした くろいこに
インクこぞうたちが つづいてく
あんなに からかわなかったら
くろくならずに すんだのに

VI. Die Geschichte vom Daumen-lutscher.
ゆびしゃぶりこぞうのおはなし

K o n r a d! sprach die Frau Mamma,
Ich geh' aus und du bleibst da.
Sei hübsch ordentlich und fromm,
Bis nach Hause ich wieder komm'
Und vor allem K o n r a d, hör'!
Lutsche nicht am Daumen mehr;
Denn der Schneider mit der Scheer
Kommt sonst ganz geschwind daher,
Und die Daumen schneidet er
Ab, als ob Papier es wär'."
「コンラート!」 ママが およびです
「ちょっと おるすばん おねがいね
ちゃんと おとなしく いいこでね
ママが おうちに かえるまで
いいわね コンラート よくおきき!
おやゆび しゃぶっては だめよ
いいつけ まもらない こには
したてやさんが すっとんできて
おやゆび はさみで ちょっきんと
かみみたいに きって しまうわよ」
コンラートにるすばんをいいつける母親
Fort geht nun die Mutter, und
Wupp! den Daumen in den Mund.
さあて ママが でかけたとたん
あらら おやゆび おくちへ ぴょん!
すぐにゆびしゃぶりをするコンラート
Bauz! da geht die Türe auf,
Und herein in schnellem Lauf
Springt der Schneider in die Stub'
Zu dem Daumen=Lutscher=Bub.

Weh! Jetzt geht es klipp und klapp!
Mit der Scheer die Daumen ab,
Mit der großen scharfen Scheer'!
Hei! Da schreit der K o n r a d sehr.
ばたん! そのとき ドアがあき
めにもとまらぬ すばやさで
したてや ひらりと とんできた
ゆびしゃぶりこぞうを みつけたぞ
ちょっきん! ちょっきん! いたたたた!
おやゆび はさみで ちょっきんな
おおきな はさみで きっちゃった!
うわーん! コンラートは なきさけぶ
したてやがへやにとびこんできておおきなはさみでkンラッドのゆびをちょきん!
Als die Mutter kommt nach Haus'
Sieht der K o n r a d traurig aus.
Ohne Daumen steht er dort,
Die sind alle beide fort.
ママが おうちに もどってみたら
コンラート しょんぼり たっていた
りょうての おやゆび なくなって
ひとり ぽつんと たっていた
ゆびをきられてぽつんと立っているコンラッド

著者あとがき

長男が3つになった1844年のクリスマスに、私は子どもへのプレゼントに 絵本を買いに街へ出かけました。ところがどうしても気に入ったものが見つかりません。 しかたがないのでとうとう1冊のノートを買ってきて妻に渡しました。 妻はおどろいて、「これはただのノートではありませんか?」というので 「そうなのだ。それでひとつ良い絵本を作ろうと思うのだ」と、答えたのでした。

当時、私はある病院につとめておりましたが、患者の家へ診察にもよく行きましたので、 3歳から6歳ぐらいまでの子どもに接する機会が多かったのです。 いったい子どもの教育ということはまことにむつかしいものです。 どこの家でも子どもらがじょうぶなときには「ぼうや! おとなしくしていないと 煙突掃除が来ておまえをさらっていくよ」とか、「そんなにたくさん食べるとお医者さんが 来て苦いお薬をのませるよ」とか、よくこんなことを言ってきかせます。 ところがこの種のお話がてきめんに効きまして、私が病気の子どもをお見舞いすると、 さあ大変です。部屋へ入ると子どもは泣いたり騒いだり手のつけようがなかったのです。 こんなときには私は鉛筆と紙とを取りだし、本書にかいてあるような絵ばなしをかんたんに 書き、いっしょうけんめいお話しました。それでようやく子どもと仲良しになって 診察をすませ、お薬をのませたのです。

こうした動機で描きなれた絵を私は新しいノートにペンできれいに描き、 彩色してさらに自分でかんたんな詩を記入し、長男に贈ったのでした。 長男はまさしく大喜びでした。しかしそれよりもなお喜んだのは、この本を見た 二、三の私の友人でした。友人たちは私にこれを出版するようにしきりに薦めたのです。 そしてとうとう希望もだしがたく、本書を絵本屋にたのんで上梓することにいたしました。


訳しおわってもいないうちのあとがき

この絵本のさくしゃ、ハインリヒ・ホフマンさん(1809-1894)は、せいしんか(精神科)のおいしゃさんで、 つまり、絵本さっかとしてはしろうと。 けれども、ひとりのしろうとがつくったこのおはなしは、 当時のどんなに有名な挿絵画家の作品よりもひょうばんをとって、 まもなくヨーロッパじゅうの言語に訳されてひろまり、詩や絵を つくりかえたものや、たくさんの もほう(模倣)作品をうみだした。 (19世紀ごろの翻訳というのは、むしろそれがふつうだったのかもしれない。 ヘレン・バナーマンもイギリスで訳されたこの本を子どもに よく読みきかせていたけれど、その詩が原文とかなり ことなっていることを知るよしもなかっただろう。そして 『ちびくろサンボ』がかぞえきれないほどの海賊版をうむことも ⇒こちらの注参照。)

そのえいきょうの大きさゆえに、 20世紀になってからはげしいろんそうがおこったんだって。 たとえば、ゆびしゃぶりをしておやゆびを切られてしまうという ばつ(罰)のざんこくさや、絵のあたえるいんしょうのきょうれつさが、 かんじやすい子どもに、“せいしんてきがいしょう(精神的外傷)”をのこすとか。 とうのホフマン先生が、せいしんびょういんのしせつのかいぜんと “せいしんりょうほう”のかいかくにつとめた人だったのにね。 また、詳細はわからないけれど、戦時中、ナチスに対するパロディとして各国が この本を利用したこともあったそう。

Psychoanalyse des Struwwelpeters それでもこの本の人気はおとろえず、 100年以上たっても、ヴェヒターの『アンチ・もじゃもじゃペーター」(1970)など、 パロディー本もたくさん出た。しんりがくしゃ(心理学者)のなかには、 もじゃもじゃペーターはユングのいう「元型(アルヒェテュープス)」にほかならない、 っていう人や、子どもの心のはったつの一だんかいを「もじゃもじゃペーターの時代」と名づけた 人もいる(シャルロッテ・ビューラー『昔話と子どもの空想』 ( Charlotte Malachowski Buhler,Das Marchen und die Phantasie des Kindes (Fairy Tales and the Child's Fantasy),1918)。 『サイコアナライズ・もじゃもじゃペーター』なんていう せいしんぶんせき(精神分析)の本まである( Knox, Ronald A.Psychoanalyse des Struwwelpeters)。

それいぜんのヨーロッパには、けいもうしゅぎ(啓蒙主義)っていう大きなはいけいが あって、人間のりせい(理性)にもとづいてごうりてき(合理的)なかんがえかたで 幸福をじつげんしていこう――そして、無知な子どもにたいしては 正しく教えみちびいていこう――として、 18世紀のどうとくてき(道徳的)でげんかく(厳格)な本にも、 19世紀前半のぼっかてき(牧歌的)でけいけん(敬虔)な本にも、 「教える」というもくてきのために「楽しませる」というようそをもりこむことが こころみられてきたんだけれど、『もじゃもじゃペーター』にもそういうせいしんが うけつがれてる。

子どもを説教し、教育していこうとする父親としての責任感は、道徳的なかちかん(価値観)に ささえられているとどうじに、子どもを楽しませようとする愛情がかんじられる。 そのバランスがとてもうまくとれた絵本だったから、 親にも子にもよろこばれたんでしょうね。

でも、ホフマンがノートにえがいた絵は、ここにのっている図版にくらべて、 もっとそぼくで、ひょうひょうとしたこっけいさがにじみでていて、 きまじめなしつけ絵本というよりは、ナンセンスなおとぎばなし、というかんじ。 そして、詩のうたうようなリズムもてつだって、 こわいけれどおかしくて笑ってしまう、という二面性をもってたんじゃないかな。 この絵本が大成功をおさめた理由は、そのあたりにあったとおもう。

〜*〜§〜*〜§〜*〜§〜*〜§〜*〜§〜*〜§〜

『もじゃもじゃペーター』が出版された1845年というのは第二次世界大戦のおわったとしの ちょうど100年まえで、いまから154年まえってことになる。 日本で150年前ていうと……わお! 江戸時代! さこく(鎖国)の まっさいちゅう。たいせいほうかん(大政奉還)が1867年だからね。 1841年 天保の改革、1844年 オランダ国王がばくふ(幕府)に 開国をかんこく、1945年 翻訳書の出版はてんもんがた(天文方 ――江戸幕府の職名。若年寄に属し、 天文・暦術・測量・地誌・洋書の翻訳などをつかさどった) のきょかをひつようとする、ペリーが浦賀にくるのが1853年……、 とまあそんな時代。

こんなにむかしのとおい国の詩を
そんなにドイツ語ならっても
ないのに訳してるってふしぎ、とっても
どんなに子どものおはなしだといっても
江戸の本など読みもしないってば
(ちょっとリメリック風にいん(韻)をふんでみました。 日本語だと効果うすいわねえ)

ちなみに、大正十四年(西暦1925年)の『赤い鳥』復刻版なんぞをぱらぱらめくってみてるけど、 そうとう読みにくいんだから。キウカナヅカヒだし、よこ書きは右から左だし。 たとえば、北原白秋作謡の「一スンパフシ」はこんなぐあい。

、リボノウヤキ ノシフパンス一
。ヤサノギム ニナタカ リバヒヌ
    ラチツオ ラチツエ
    。ヨキ ケホ ウホ

大正時代でこれだもの、ましてや江……。え、読みやすい? (笑)  じやあはなしをもどしませう。

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この絵本のあたらしかったてんはまだまだあって、(全紙の8ぶんの1の)八つおり判ではなく、 四つおり判の大きさではじめてベストセラーになったこともそう。 そのゆったりとした大きさが、1ページに詩と絵のダイナミックなこうせい (かなりのちにあらわれるマンガふうのコマわりスタイルとか)をかのうにしたことなど、 デザイン性でもすぐれたしゅほうをいろいろとふくんでいたわけ。

げんだいの絵本のれきしは、しきさい(色彩)印刷のぎじゅつが絵本に おうようされたときからはじまるんだけど、それ以前の絵本はいちいちすべて 手でちゃくしょく(着色)されていたの。 ぶんしょうと絵のりんかくせんは石版でいんさつされ、 あとから1さつずつ、彩色工の手によって色をつけられる。 だからホフマンは、じぶんの絵が、木版工や彩色工の手によってゆがめられることを きにして、こまかく口をはさんだそうよ。 (きかいによる色彩印刷によって、多色ずりの絵本がふきゅうするように なるのはあと数十ねんのちのこと)

ホフマンはそのごも、『くるみ割り王様と哀れなラインホルト』『なまけ者のバスチアーン』 『グリューネヴァルト王子とペルレンファインとそのろば』などの絵本もつくっているけれど (『くるみ割りとねずみの王様』(1816)はE・T・A・ホフマン Ernst Theodor Amadeus のほう)、 『もじゃもじゃペーター』をしのぐものはなかった。 けれども、もっとのびのびとそうぞうりょく(想像力)をふくらませてえがかれた さくひんが、ホフマンのいこう(遺稿)のなかにあったの。『お日さまの客』という、 山わたりカールがでてくるおはなし。

カールは谷も川もひとまたぎ、水さしからコップにそそいだ水はあふれて へやのなかはこうずいになり、ふねがはしりだす、ワルターは氷のなかからほりだした マンモスといっしょにワルツをおどり、ひょうが(氷河)時代のアイスクリームを たべる……こういうくうそうてき(空想的)な おはなしは、ドイツの児童文学がそれまでしらなかった、まったくあたらしいジャンルの さきがけでもあった。けれどもドイツでは、こういうおはなしがうけいれられるのには まだしばらくのじかんがかかったのね。

『ふしぎの国のアリス』のドイツでの訳本が第二次世界大戦後にとつぜんふえる (1870年にドイツでさいしょの翻訳がでてから28年間の空白があるいっぽうで、 戦後10年間のあいだに12点もでている)ように、 ファンタジーのジャンルがドイツでほんとうにさかんになるのは、 20世紀なかばをまたなくちゃならなかったわけ。そしていまでは、「ファンタジー」 がドイツでも児童文学の本流とみなされるほどになったというしだい。

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きゃー!! 長いあとがき!  第4話「まっくろこぞうたちのおはなし」については、「ちびくろサンボ」にあたえた えいきょう、という視点から、すでにあとがきと注をつけているのでどうぞ。 ⇒緑の傘のひみつ>のあとがき

(1999年11月16日 風邪で鼻がもじゃもじゃ)


『ぼうぼうあたま』

  いとう ようじ やく(伊藤庸ニ 訳)
    (イラストには署名がないが、第100版記念を模写した稚拙な絵)
             
       初版発行 1936(昭和十一)年6月20日 帝都書院発行(曙光会出版部)定価五十銭


    ぼうぼう あたま



    おもしろい はなし
        と
      おかしな え


ぼうや は よい こ じゃ なに もろう
たいこ に てっぽ に おうまさん

じょうちゃん は よい こ じゃ なに もろう
おはな に おかさ に
おにんぎょさん

ましろい おべべ に きん の かみ
おほしさま の おつかい が
おみやげ たくさん て に もって
きょう も おうち へ まいります


ちょっと ごらん
この こども
ちぇつ!
ストルーベルペーターめ
りょうほ の おてて に
ながい つめ
いちねん にねん も
     きらせない
かみ も ぼうぼう
     きらせない
ちぇつ!
 きたない ペーターめ



わんぱく フリード



フリード フリード
らんぼう さん
はえ を つかん で
   はね むしり
とり を おいす で
   うちのめし
ねこ に こいしを
   うちつける
あれ また きこえる
   むち の おと
グレちゃん ほい ほい
   ない て いる


おおきな おいぬ おおきな おくち
おみず を のもう と みずたまり
しっぽ ふりふり おおよろこび
そこへ きたきた わんぱく フリード
むち と おいぬ が おおさわぎ

いぬ に かまれた ひだり の おあし
ないても ないても まだ いたい
いぬ は おうち へ むち くわえ
にげて かえって すましがお



おとこ の なか で
わんぱく フリード
あし の いたみ は
まだ やまぬ
にがい おくすり
いつまで のむ の

いぬ は フリード の
おいす に すわり
レバー ソーセージ
ミルク に おかし
けれども いちばん
だいじ な もの は
とられちゃ いけない
ながい むち




かわいそうな ひ の おいた


とうさん かあさん おるす です
きょう は ほんと に うれしい な
おうた を うたって あそびましょう
おや! みつけた いいもの を
いつも かあさん するよう に
わたし も ちょっと してみましょう

おねこ の みっちゃん まっちゃん が
こえ を そろえて いいました
「とうさん が とめたじゃ ないの
パウリちゃん
にゃ にゃ にゃ にゃ
      とめたじゃ ない の」

パウリちゃん
しゅつ と すったら ちいさ な マッチ
もえる よ もえる しゅつ しゅつ しゅつ
「かあさん も とめたじゃ ないの
パウリちゃん
にゃ にゃ にゃ にゃ あぶない
               にゃ」



ああ! たいへん!
おべべ が もえる おてて が もえる
リボン も かんか も みな もえる
たすけてよう!
たいへんよう! だれか たすけて!
パウリちゃん が もえる
にゃ にゃ にゃ にゃ
       たすけてよう!

ふたつ のこった ちいさな おくつ
だれも はきての ない おくつ
にゃ にゃ にゃ にゃ どうしましょう
とうさん かあさん まだこない
なみだ で おいけ が できるほど
ないても ないても なききれぬ



くろんぼ の はなし


ごもん の まえ を
くろんぼジム が とおる
そら には たかく
おひさま ぴかぴか
はたもち ルード
わまわし ウイル
おおきな ぼうし の
     カスパール
さんにん そろって
  「やあい まっくろ」


ながい おひげ まるい めだま
あかぼう かぶって すみつぼ かかえ
だいなかよし の ニコライ じいさん
「これこれ こども よく ききなさい
ジム を くろい と かまっちゃ いけない」
はたもち ルード わまわし ウイル
おおきな ぼうし の カスパール
またも そろって 「やあい まっくろ」

ひかった めだま を なお ひからせて
こども を つまんだ ニコライ じいさん
ウイル
  ルード
     カスパール
みんな いっしょに
    おすみの
      ぎょうずい


くろい くろい
   まっくろい
くろんぼジム より
   まだ くろい
いたずらこども の
   まっくろけ
おかさ の あとから
   ぞうろぞろ




かりうど さん


あおい ふく きた
 かりうど さん
てっぽう かつい で
 うさぎがり

おこし に つけた てっぽうだま
おはな に かけた はなめがね
 くさ の なか から うさぎさん
 「おじさん こちら
    て の なる ほう へ」

おひさま にっこり やま の うえ
てっぽう なげだし かりうどさん
ぐう ぐう ぐう ぐう ひとねいり
ぐっすり ねむった その すき に
まんま と もちだす
    てっぽう と めがね


うさぎさん
めがね を かけて したりがお
かりうどさん を おいかけた
さあ さあ たいへん おおさわぎ
これ は かなわん たすけぶね


すってん ころりん かりうどさん
いど の なか へ と どんぶりこ
ちょうど あと から ずどどんどん
たま が とびだす おお あぶない

おうち の なか では おばさん が
おちゃ を のもう と て に もった
おちゃわん ぱっち と まっぷたつ

まど の した
そっと しのんだ こうさぎさん
おちゃ が じゃあ じゃあ
おはな に かかって
    おお あつつ!



スープ ぎらい の カスパール



おかお は まんまる
  まり の よう
まっか な ほっぺた
  りんご の よう
スープ の すきな
  カスパール
おおきな こえ で
  だしぬけ に
「スープ は いやいや
  だいきらい!」

あした に なったら
  カスパール
まんまる おかお が
  やせました
おさら を たたいて
  ちんちんちん
「スープ は いやいや
  だいきらい!」

みっか たったら
  カスパール
ずん と おかお が
  やせました
のど を ならして
  ごおろごろ
「スープ は いやいや
  まだきらい!」

よっか たったら
  カスパール
おかお も からだ も
  ひょうろひょろ

とうとう いつか
  ひるごろ に
どこかへ きえて
  なくなった



ゆびなめ こぞう


「コンラちゃん コンラちゃん」
かあさん でかけ に いいました
「かあさん ごよう に まいります
おうち で おとな に まっててよ
おゆび を なめては いけません
ふくや の おじさん でて きます
おおきな はさみ を ちょき ちょき ちょき

なめた おゆびを ちょん と きる
ちよがみ きる より まだ はやく」

おかあさん
ひとり で ごよう に いきました
かわいい おてて は
   もう おくち

と が あいた
かぜ より はやい ふくやさん
ゆびなめこぞう に とびついて
あっつ と いう ま に
もう ゆび を
ちょきん と はさみ で
きりとった
ないても ないても
もう おそい

かあさん おうち に
きたとき は
ゆびなめこぞう の
コンラちゃん
ひとり で ひい ひい
ないていた



ぎょうぎ の わるい フィリップ


きょう こそ しずか に めしあがれ
とうさん ぼうや に いいました
かあさん だまって テーブル を
じろり と めがね で みて います
それでも フィリップ ききません
「おふね だ おふね だ
        ぎっちらこ」
おいす の おふね は ぎっちらこ


ほうら ごらん!
とうさん かあさん どうしたか?
フィリップ の おふね が どうしたか?
あんまり ゆれて おおあわて
テーブルかけ に ぶらさがり
はち も おさら も ごちそう も
いちど に どっと
      がちゃ がちゃあん
かあさん めがね が ぴっか ぴかっ


まいご の まいご の フィリップ
ぼうや は いったい どこいった
とうさん ごはん は どこいった
かあさん ごはん は どこいった
びん も おさら も がっちゃがちゃ
きょう の ごちそう どこいった



おそら ながめ の ハンスさん



おそら ながめ の ハンスさん
がっこう へ いくのに そら ながめ
やね と つばめ と あおぞら の
しろい くも とが おともだち

「ハンス きをつけ そら いぬ だ」
いって くれれば よかった に
そら たいへん だ
いぬ と ぶつかり すってんとん


ごほん を かかえて
がっこう がえり
つばめが とんでる
とんでる そらに

きれいな おさかな
さんびき ならんで

「あぶない! ハンス
おみち が ないよ」

せっかく いったが
もう ま に あわぬ
どぶん と おちこむ
  まっさかさま


とおり ががり の
ふたり の おじさん
おり よく みつけて
たすけて くれた

けれども おべべ は
すっかり ぬれて
おめめ も あかない
あまだれ こだれ

おさかな さんびき
くびだして
「あぶなかったね
    ハンスさん」
ごほん は とおく へ
どんぶらこっこ すっこっこ



とばされ ロバート


あめ の ひ や
かぜ の ひ は
おんも で あそんじゃ
    いけません
それでも ロバート
    かんがえた
「おんも は きれいだ
    おもしろい」

しゅう!
おおあらし
き も くさ も みな ゆれる
あかい おかさ と ロバート は
かぜ に ふかれ て ゆうらゆら
ないて も よんで も
くも の なか

いちねん たって も かえれない
さんねん たって も かえれない
だれ も しらない くも の うえ
とうとう おそら に つきました


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