<緑の傘のひみつ> 「ちびくろサンボ」の創作のヒントになった らしい「まっくろこぞうたちのおはなし」。 (『もじゃもじゃペーター』所収) 独語の原文と英文、日本語訳を併記。〈出典〉 訳者あとがき(長いよ)、 参考資料、リンク。 |
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ドアの むこうを とおるのは すみのようにまっくろ ムーアっこ おひさま ぎらぎら やきつけて ひがさを さして あるいてる そこへ かたてに はたもって かけてきたのは ルートヴィヒ プレッツェルを てにもった カスパールも くわわった まるいわ くるくる まわして ヴィルヘルムも なかまいり とおりすぎてく くろいこを こえを そろえて はやしたて 「インク みたいに まっくろけ!」 |
Es ging spazieren vor dem Tor Ein kohlpechrabenschwarzer Mohr. Die Sonne schien ihm aufs Gehirn Da nahm er seinen Sonnenschirm. Da kam der Ludwig hergerannt Und trug sein Fähnchen in der Hand. Der Kaspar kam mit schnellem Schritt Und brachte seine Bretzel mit; Und auch der Wilhelm war nicht steif Und brachte seinen runden Reif. Die schrie'n und lachten alle drei Als dort das Mohrchen ging vorbei, Weil es so schwarz wie Tinte sei! |
There came a-walking past the door A coal-pitch-raven-black young Moor. The sun it smote him on his smeller, And so he hoisted his umbrella. Now came young Ludwig running by, A-waving, he, his flag on high. And Kaspar flew to join the band, his toothsome pretzel in his hand. While in his wake skips William free, With hair neat-combed and hoop, you see. The three they laugh and scoff and wink, And mock at that poor Missing Link, Because his skin is black as ink. |
そこに おでまし ニコラスさま よこには おおきな インクつぼ 「これ こどもらよ ムーアっこを からかっては ならぬ! あのこの いろが くろいのは うまれついての ことなのじゃ」 でも こどもらは しらんぷり ますます もって はやしたて このきのどくな くろいこを めんとむかって あざわらう |
Da kam der große Nikolas Mit seinem großen Tintenfaß. Der sprach: Ihr Kinder, hört mir zu, Und laßt den Mohren hübsch in Ruh'! Was kann denn dieser Mohr dafür, Daß er so weiß nicht ist, wie ihr? Die Buben aber folgten nicht, Und lachten ihm ins Angesicht, Und lachten ärger als zuvor Über den armen schwaren Mohr. |
Forth stepped the mighty Nicholas, And brought his ink-stand too, alas ! Says he, "You children list' to me Pray let the little stranger be; He cannot help his sooty hue; Bleach out at will, be white like you." But still these urchins, lacking grace, Did scoff and laugh right in the face, And laughed yet heartier than before At that poor pitch-black piteous Moor. |
ニコラスさまは ごりっぷく このえを ようく みてごらん 3にん ひとつに ひっくるめ あたまと うでと うわぎと チョッキを ぐいとひっつかむ じたばた あばれる ヴィルヘルムと ルートヴィヒと カスパールを インクつぼへと つっこんだ 「かじだ!」と カスパールが さけんでみても むだだった みんな あたまの てっぺんまで すっぽり インクに ひたされた |
Der Nikolas wurde bös und wild, Du siehst es hier auf diesem Bild! Er packte gleich die Buben fest, Beim Arm, beim Kopf, bei Rock und West', Den Wilhelm und den Ludewig, Den Kaspar auch, der wehrte sich. Er tunkt sie in die Tinte tief, Wie auch der Kaspar : "Feuer!" rief. Bis über'n Kopf ins Tintenfaß Tunkt sie der große Nikolas. |
Then Nich'las he did rave and rage as per the picture on that page And grabbed those urchines trembling there, By arm and crop and coat and heir ! Grabb'd William first and Ludwig next, And Kaspar third (as per the text), And quicker than the three could wink He soused them in the turbid ink ! Soused them down with holy spite, Soused them down with grim delight, Soused them down clean out of sight ! |
ごらんよ まっくろ 3にんぐみ ムーアっこよりも まだくろい! ひがさを さした くろいこに インクこぞうたちが つづいてく あんなに からかわなかったら くろくならずに すんだのに |
Du siehst sie hier, wie schwarz sie sind, Viel schwärzer als das Mohrenkind! Der Mohr voraus im Sonnenschein, Die Tintenbuben hintendrein; Und hätten sie nicht so gelacht, Hätt' Nikolas sie nicht schwarz gemacht. |
You see them here, all black as sin Much blacker than that Niggerkin The Moor a-marchin in the light, The Ink-Blot following dark as night. Now if they had but hid their glee, They'd still be white and fair to see. |
「りょうてのつめを1ねんもきらせない かみにも くしを いれさせない」 もじゃもじゃペーターや、マッチの火遊びで焼け死んだパウリンフェン、 指しゃべりがやめられなくて仕立て屋の大きなはさみで親指を切り落とされた コンラート、スープを飲まないためにやせほそって5日目に死んでしまった カスパールやら、そんな困ったちゃんたちのちょっとブラックなおはなしばかり。
ひとりぽつんと立っている“ゆびしゃぶりこぞう”コンラートや、 “じたばた”フィリップの食事のシーンなど、たしかに 「ちびくろサンボ」の構図との共通点に思いあたるし、登場人物の 特徴をとらえてこっけいなほどに誇張して描くタッチもよく似ている。
そのなかのひとつが、緑の傘をさしたムーア人が登場する「まっくろこぞうたちのおはなし」なんだけど、冒頭でいきなり、その子を "kohlpechrabenschwarzer"(コールタールやカラスのように真っ黒な)と形容しているところにヒヤリとしたり、いたずらっ子たちが黒インクにつっこまれて真っ黒になっちゃう展開に、「かなりあぶない話だなあ」と苦笑いした人もいるんじゃないかな。たしかにこれは「肌の色の異なる人をからかってはいけませんよ」という、 一つの教訓話として読める、子ども向けの「しつけ」の本でもある。 「からかったために白い肌でなくなった」ことが「罰」として描かれている 結末にいたっては、堺市の某団体でなくとも、そこに白人優位の価値観を見いだすことはたやすい。(幸か不幸か、それが20世紀末に生きる私たちが学んできた “テキストの読み”のお約束である) [*]
それでもこの作品は、幸いなことに、88年に日本を襲った絶版の嵐とは まったく無縁に、無傷のまま、『もじゃもじゃペーター』、『ぼうぼうあたま』、 『もじゃもじゃくん』と題する訳本が、それぞれ異なるイラストで複数の出版社から出されている (アメリカでもいくつかの版が出ているのでamazon.comに注文したばかりだ)。[*]
べつに私はここで、このおはなしまで裁判にかけようとしているのではない。
ましてや、ヘレンがこのおはなしからヒントを得たのならやっぱり人種差別的だった
証拠になるじゃん、などと短絡してもらっても困る。
(私は、昔の作品を「差別的な問題図書」として告発する行為は、
過去の人間に対する優越感や差別意識のたまものじゃないかと思う。
究極の人種差別は原人/猿人差別であるといってもいいかもしれない、っていう発想から、「げんじん」と「くろうと」をかけて以前、「黒人差別をなくす会」書記長H君の手紙のパロディを書いた。文末の「だってサルは人間の祖先なのですから」ももちろん事実に反するので、おまちがえなく!)
「ニコラスさまに黒くされてしまうから、からかわないようにしよう」が 「黒い肌」を低く見るこちらの優越意識のあらわれであってケシカランというなら、 「黒い人が悲しむから、からかわないようにしよう」はどうおもう? 同じように、黒い肌を低く見る優越意識が隠されているのではないかしら。なのに、 当事者の黒人までがそういう主張をするのはどうしてなのか、私はいつも奇妙な感じがする。 そういうのって、ぜんぜん対等じゃなくて、あわれみという“特別あつかい”を請うているだけだもん(そのくせ、黒人グッズやちびくろサンボを「かわいい」という日本人に対しては、「保護者の視線だ、黒人を幼児か動物のようにみなしている」といって怒るのよ。矛盾してるぅ)。けれど、黒人差別に反対する人たちが主張する論理はたいていそういうところにいきつくの。 [*]
つまり、150年前にひとりの白人の父親が3歳の息子に向けて書いた「しつけ絵本」と そっくりの発想で、黒人をいたわるべき対象としてあつかってくれと主張しているわけ。 それは、“被差別者”の劣等感と“差別者”のうしろめたさとの、歪んだ馴れあい関係だよね。 両者が「黒は劣っている」という価値観を共有しているために、相補的にいつまでもその価値観を 生き延びさせる。批判された側は、“被差別者”(や代弁者)の禁止に対して、 表向きはしたがってみせ(ニコラスさまに黒くされたくないから/こっちは優位に立っているんだからまあ折れておこう)、いちおうは解決する。 しかし、元の問題はそのまま出口をうしなって閉じてしまう。それは、差別解消という目標からみれば、むしろ後退したといえるかもしれない。
そんなの受けとめる側がまちがっているんだ、われわれはそういう建て前ではなく、 心底からの共感と理解をもとめているのだ、というかもしれない。だけどぉ! 「心からの共感をもとめる」といえばそれが得られるもの? 「愛してほしい」といえば愛してもらえるぅ? 黒人差別にかぎらず、あらゆる人間関係において、求めたからといって相手の 「心から」の変化を得られるものではないでしょ。 人間同士が対等であるというのはそういうことだと思う。
話をもどします。 ホフマン先生のおはなしの主人公はあくまで白人のいたずらっ子たちであり、 黒い肌のムーア人は、観察される対象として、最後まで受身的にしか描かれていない。 このムーア人は、白人が「罰を受けるから、はやしたてたりしないようにしよう」と 「配慮」してやるか「無視」したほうがよい存在として(さらには、白人の子どもの 「しつけ」に都合のよい存在として)ある。 それに比べて、「ちびくろサンボ」は黒い肌のサンボが主人公であり、 自分の機知でピンチをきりぬける、生き生きとしたひとりの人間として描かれている。 2人の作者の、それぞれの「黒い男の子」に向けた視線の位置は、こんなにもちがう。
もしかすると、ヘレンは、 子どもたちにくりかえし聞かせるほど気に入っていたこのおはなしに登場する、 緑色の傘をさした終始無言の名前も与えられない男の子が、どんな言葉をしゃべり、 どんな行動をするのだろう、とふと考えたのかもしれない。 そうして、特定の場所や特定の人種ではない、世の中の価値観に可能なかぎり 縛られることのない架空の物語世界で、思いっきりこの子を動きまわらせてみたい、 と空想をふくらませていったのかもしれない。
――という私の想像が、まったくはずれているとしても、そして、 ホフマンの絵本がヘレンになんのインスピレーションを与えなかったとしても、 「ちびくろサンボ」の黒い男の子が「白人のしつけの道具」でもなく、 憐れむべき存在やからかいの対象でもない、ひとりの個性ある少年として 描かれていることに変わりはないのです。→ご意見ご感想はこちらへ。
日本人が右の文章を侮辱的、差別的だと感じるかどうかは分からないが、
私自身はそうだと思っている。大勢の日本人が杉尾・棚橋両氏と同感であるなら、
腹を立てるべきことではないだろう。しかし、もし侮辱されたと感じるなら、
それは、黒人が「サンボ」という言葉を読んだり聞いたりする時の気持ちと同じはず
である。それだけはわかってほしい。
前者は、堺市教育委員会の職員で部落解放運動にたずさわってきた有田利二氏が、妻の喜美子氏を会長に、当時小学4年生の息子を書記長にして88年8月に作った団体。
その最初で最大の“成果”が、「ちびくろサンボ」を絶版である。利ニ氏は、「書名だけみても『サンボ』という言葉そのものに黒人の苦難の歴史が血ぬられていることを知ってほしいのです。それがどれほどの黒人の血を吸ってきた名前なのかを知らねばなりません。過去の差別の歴史を一瞬にして思い出させ、今も命まで奪う凶器となる一言であるということを知っているのでしょうか」(『部落解放』89年11月号)など活発な評論活動もなさっている。絵本以外にも、89年6月には「カルピス」マークの使用廃止を決定させるなど(90年1月から廃止)、“小さな会で大きな成果”(『新・差別用語』p.265)をあげている。
ウェブで読める「なくす会」の活動についてはこちらにリストアップしてある。
「堺女性協」のほうは山口彩子市議が委員長をつとめ、「童話・絵本研究会」をつくって、89年6月28日、あわせて「118点の童話・絵本に問題があった」と発表した(全国的に有名になったのは、同年11月の大阪の花博「ミス・フラワー・クイーン」コンテスト反対闘争)。
問題図書とされる書物は90年夏で456点にのぼり、その後新たにみつかった約900冊を合わせ、リストアップした数は1300点を超え、差別表現の数はざっと2000ヵ所(山口典子事務局長)にのぼるという。出版社に内容証明付の手紙を送って納得いくまで抗議をつづけているそうだが、今のところ「堺女性協」の指摘で昔話を絶版にしたり、注釈を加えた出版社はでていない。
また、この民間2団体のほかに、堺市は、人権啓発局(83年4月にスタートした「人権啓発室」が85年に局に昇格)が中心になって、差別をなくす運動の一貫として図書点検運動をおこなっている。
そのかいあって、93年11月20日、横浜で開かれた全国フェミニスト議員連盟(中島里美、三井マリ子代表)主催の「自治体男女平等コンテスト」で、堺市が50点満点中47点を獲得、全国1位に選出されている(「週刊文春」1994.2.17号)。
ちなみに、「週刊プレイボーイ」(1999.11.2号)で「なんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん」発言をした西村真悟政務次官(当時)も栄えある堺市出身である。
と述べる(「腹を立てるべきことではないだろう」の主語――ラッセル氏自身なのか
日本人なのか――と目的語が不明確なのが気になるが)。
「「他者の表象」の問題には力関係が働いている。描く人と描かれた人との不平等な関係である」といった力関係にはひじょうに敏感なわりには、
「自分たち黒人の気持ちをわかってほしい」という要求がもたらす「力関係」とはどのようなものか、それは「不平等な関係」を隠蔽されたかたちで温存し、
より固定するだけではないのか、という視点がまったく欠落している。
エリザベス・ヘイ『さよならサンボ』より
ヘレン・バナマンがキャラクターを設定する上で影響を及ぼしたのは、 当時人気のあった恐ろしい内容の一冊の子どもの本であった。 一八七四年ドイツで最初に出版されたハインリッヒ・ホフマン作の 『もじゃもじゃペーター』は、英訳されてたいへんな人気を博していた。 この本は、スコットランドでことのほか受けたが、注意散漫、いたずら好きで 愚かな子どもがおちいる破滅への警告というテーマが、その地のカルヴァン派の 持つ厳格で楽しみを悪とする宗教的態度にぴったりだったのだ。 『もじゃもじゃペーター』に出ているこの絵が興味深いのは、 セルマ・レインズがその著『うさぎの穴に落ちて』の中で指摘しているように、 ぶらぶら歩きに出かけた黒いムーア人が、 緑色のこうもり傘をさしていることだ。 「ちびくろサンボ」は、このムーア人の姿にならったのである。
ヘレン・バナマンが、この『もじゃもじゃペーター』の本をよく知っていたという点には 証拠がある。一九〇三年一月十六日に彼女から娘ジャネットに宛てた手紙の中で、 息子パットにあてはまるとして『もじゃもじゃペーター』の詩の一篇を引用している。 この本を、彼女は子どもの頃読んだはずだし、自分の子どもにも読んでやったはずだ。 その不気味なユーモアは、彼女のユーモア感覚にぴったりだった。
一九〇四年九月九日の手紙にも、彼女はモンスーンの雨の中で息子が裸で踊るさまを 描写するのに「びしょ濡れで、偉大なアグリッパの幼い息子たちさながらに黒く」と 『もじゃもじゃペーター』の中の「黒いムーア人」の詩から引用している。この本が 彼女の記憶に深く留っていたことは明らかである。
『もじゃもじゃペーター』は、ヘレン・バナマンの作品に重要な意味を持つ本である。 彼女のすべての本と同じく、この本も誇張することで物事を笑い飛ばす。
出版にあたって、ホフマン博士曰く、「子どもの本というものは、外見は堅牢でなくてはならないが、本そのものは必ずしも堅牢でなくてもよい」 子どもの本は読まれるためばかりでなく、破かれるためにある、それも子どもの成長過程の現れだというのです。 このことば、子どもと本の関係を深く理解した人ならではのもの。当時の子どもの本は、ほとんどが教科書や宗教書、しつけの本。娯楽はなかった時代ですから、子どもにとってはちっとも面白くない。中でもしつけの本は、「爪は短く切りなさい!」「髪はとかしていつもきれいに!」といった調子ですから、それを逆手にとって、これでもかと『悪い子』を描いたこの絵本が、当時の子ども達にどれほど喜んで迎えられたことか。
As he had often done before,
The woolly-headed black-a-moor
One nice fine summer's day went out
To see the shops and walk about;
And as he found it hot, poor fellow,
He took with him his green umbrella
Then Edward, little noisy wag,
Ran out and laugh'd, and waved his flag,
And William came in jacket trim,
And brought his woollen hoop with him;
And Caspar, too, snatch'd up his toys
And joined the other naughty boys;
So one and all set up a roar,
And laughed and hooted more and more,
And kept on singing,--only think!--
"Ohl Blacky, you're as black as ink"Now Saint Nicholas lieved close by,
So tall he almost touched the sky;
He had a mighty inkstand too,
In which a great goose feather grew;
He call'd out in an angry tone,
"Boys, leave the black-a-moor alone!
For if he tries with all his might,
He cannot change from black to white."
But ah! they did not mind a bit
What Saint Nicholas said of it;
But went on laughing, as before,
And hooting at the black-a-moor.Then Saint Nicholas foams with rage:
Look at him on this very page!
He seizes Caspar, seizes Ned,
Takes William by his little head;
And they may scream, and kick, and call,
But into the ink he dips them all;
Into the inkstand, one, two, three,
Till they are black, as black can be;
Turn over now and you shall see.See, there they are, and there they run!
The black-a-moor enjoys the fun.
They have been made as black as crows,
Quite black all over, eyes and nose,
And legs, and arms, and heads, and toes.
And trowsers, pinafores, and toys,--
The silly little inky boys!
Because they set up such a roar,
And teas'd the harmless black-a-moor.