ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936) おまけ:独仏版序文
(山形浩生 訳
原文:http://bit.ly/qXxSoy
百年かそれ以上にわたり、イギリスの政治経済学はある正統派教義に支配されていました。別に、まったく変わらないドクトリンが栄えていたということではありません。正反対です。このドクトリンは徐々に進化を遂げていきました。でもその想定するもの、その雰囲気、その手法は驚くほど変わらぬままで、変化の中にもすべて驚異的な連続性が観察されていたのです。その正統派教義、その連続的な推移の中で、私は育てられました。それを学び、教え、それについて書きました。外から見る人には、私がまだそこに属していると思えることでしょう。この教義に関する後世の史家は、本書が基本的に同じ伝統に属すると考えるでしょう。でも本書や、本書につながる他の近著を書く中で、私自身は自分がその正統派教義から離脱していくのを感じ、それに対する強い反発の中にいると感じたのです。何かから逃れて、解放を得ているように感じたのです。そしてこうした私の精神状態は、本書のいくつかの欠点の理由となっています。特にいくつかの部分でのケンカ腰や、ある特定の視点を持つ人々にばかり向けられているような雰囲気、そしてその他世界に対しての配慮があまりに少ないところなどです。私は自分自身のいる周辺の人々を説得しようとしており、外部の意見に対しては十分な直接性を持って語りかけませんでした。今や三年たって、新しい衣装にも馴染み、古い衣装の匂いすら忘れかけた私なら、これを一から書き直すとすれば、こうした欠点から己を解放して、もっと明確な形で自分の立場を述べようとすることでしょう。
こんなことを申し上げるのは、一部はフランス読者に対する説明であり、一部は弁解です。というのもフランスでは、我が国のように現代の見解について同じくらいの権威を持つ、正統派の伝統は特になかったからです。アメリカでは、状況はイギリスとおおむね同じでした。でもフランスでは、ヨーロッパの他の部分と同じように、二十年前には絶頂期にあったフランスリベラル派経済学者の一派が絶滅してから(でも彼らは実に長生きして、影響力が失われたあとも存命だったので、私が『エコノミック・ジャーナル』の若き編集者となったときの初仕事は、その多くについての弔辞を書くことでした――レヴァスール、モリナーリ、ルロイ=ボリュー)、そのような支配的な学派はありませんでした。シャルル・ジイドがアルフレッド・マーシャルと同じくらいの影響力と権威を獲得していれば、あなたたちの立場は私たちともっと似ていたかもしれません。でも現状では、あなた方の経済学者たちは折衷的で、あまりに体系的な思考に深く根ざしていない(と私たちは時々思います)。おかげで、彼らは私の言いたいことをもっと受け容れやすいかもしれません。でも、一方で読者諸賢は、私がイギリスの評論家に言わせると誤った語法で「\ruby{古典派}{クラシカル}」学派だの「\ruby{古典派}{クラシカル}」経済学者だのの話をするとき1、何の話やら首をかしげる結果をもたらすかもしれません。ですから私が自分のアプローチの主要な差別化要因について、とても手短に述べるとフランスの読者には有用でしょう。
私は自分の理論を一般理論と呼びました。その意味は、私が主に全体としての経済システムのふるまいに興味があるということです――総所得、総利潤、総産出、総雇用、総投資、総貯蓄などであって、特定の産業や企業、個人の所得、利潤、産出、雇用、投資、貯蓄などではありません。そして、一部について孤立したものとして扱ったときに正しく導かれた結論を、システム全体に拡張するときに重要な間違いが行われた、と私は論じています。
どういうことか、例を挙げましょう。私は、システム全体として見た場合には、当期の消費に使われない分という意味での貯蓄は、必然的に純新規投資の量と等しいし、またそうならなくてはいけないと主張しています。これはパラドックスと思われ、広範な論争の的となってきました。なぜ論争になるかといえば、投資と貯蓄が等しいというのはシステム全体では必然的に成り立たざるを得ないのですが、それが特定の個人で見れば、まったく成り立っていないからなのは間違いありません。私が実施する新規投資が、私自身の貯蓄量といささかも関係すべき理由は何一つとしてありません。みんな、個人の所得はその人自身の消費や投資とはまったく無関係だと考えますし、それはきわめて正当なことです。でも指摘せねばなりませんが、だからといってある個人からの消費と投資により生じる需要あ、他の個人の所得の源だという事実を見過ごすことになってはいけません。ですから全体としての所得は、個人の支出と投資の傾向とは独立などではないのです。そして個人の支出や投資の意欲は所得に依存するので、総貯蓄と総投資にはある関係が導かれ、それはまともな反論の余地などまったくなしに、完全な必然的な等号関係だということが簡単に示されるのです。これは確かにつまらない結論です。でもこれは、もっと本質的な話が出てくる思考の流れの源となります。一般に言って、産出と雇用の実際の水準は生産容量や既存の所得水準で決まるのではなく、投機での生産の決断によるのであり、これはさらに投機および将来の消費見通しで決まるのです。さらに、消費性向と貯蓄性向(と私が呼ぶ物)がわかれば、つまり個人の心理的傾向の結果として生じる、ある所得をどう使うかという社会全体にとっての結果がわかれば、ある新規投資の水準と利潤均衡にある産出と雇用の水準も計算できます。そこから乗数のドクトリンが生まれます。あるいは貯蓄性向が上がれば、他の条件が同じなら所得と産出も縮小するのが明らかとなります。一方投資の誘因が増えればそれが拡大します。ですからこうして系全体としての所得と産出を決める要因が分析できます。この理由づけから出てくる結論は、公共財政や公共政策一般や事業サイクルにことさら関係が深いのです。
本書できわめて特徴的な別の点としては、金利の理論があります。近年では多くの経済学者が、当期の貯蓄量が自由な資本の供給を決め、当期の投資がそれに対する需要を決め、金利はいわば、貯蓄による供給曲線と投資による需要曲線との交点で決まる、均衡価格要素なのだと認めています。でも総貯蓄が必然的にあらゆる状況で総投資に等しいなら、この説明は明らかに崩壊します。解決策は別のところに見いだす必要があります。私が見いだしたその解決は、金利というのは新資本財の需給均衡を決めるのではなく、お金の需給の均衡を決めるのだ、という発想でした。つまりそれは、流動性の需要とその需要を満たす手法とを均衡させるのです。ここで私は、古い十九世紀以前の経済学者のドクトリンに回帰しています。たとえばモンテスキューは、この真実をかなりはっきり見通していました2――モンテスキューは真にフランス版アダム・スミスであり、あなたたちの経済学者の最高峰であり、その鋭さ、明晰さ、バランス感覚(どれも経済学者に必須の性質です)の点で重農主義者たち3から大きく突出しています。でもこれがすべてどう展開するかを詳細に示すのは、本文に譲らなければなりません。
本書を私は『雇用、利子、お金の一般理論』と呼びました。そしてご注目いただきたい第三の特徴は、お金と物価の扱いです。本書の分析は、一時は私を絡め取っていた貨幣数量説の混乱から、ついに私が脱出を果たした記録でもあります。私は全体としての物価水準が、まさに個々の価格を決めるのとまったく同じ形で決まるものと考えています。つまり需要と供給で決まるということです。技術条件、賃金水準、設備や労働の未使用容量の規模は、個別の製品でも経済全体でも、供給の水準を決めます。個々の生産者の所得を決める事業者の決断、そしてその所得の使い道を決める個人の決断が需要条件を決めます。そして物価は――個別価格も全体としての物価水準も――この二つの要因の結果として生じます。話の流れのこの段階では、お金やお金の量は直接の影響を持ちません。お金の量は流動リソースの供給を決め、つまり金利を決め、そして他の要因(特に安心)とあわさって投資誘因を決め、それがこんどは所得、産出、雇用、(そしてそれぞれの段階で他の条件とあわさって)そのように決まった需給の影響を通じて物価水準を決めるのです。
最近までの経済学はどこでも、実際に理解されているよりも遙かにJ・B・セイという名前と連想されるドクトリンに支配されてきたと私は信じています。確かに彼の「市場の法則」はとっくの昔にほとんどの経済学者が見捨てました。でも彼らは、セイの基本的な想定からは逃れえていないのです。特に、需要は供給によって作られるという誤謬からは逃れていません。セイは暗黙のうちに、経済システムは常に容量いっぱいで動いているものと想定し、新しい活動は常に他の活動に代替されるもので、決して追加はされないのだと考えていました。その後のほぼあらゆる経済理論は、これがなければ成立しないという意味で、この想定に依存していました。でもそんな基盤の理論は明らかに、失業と事業サイクルの問題に取り組む能力を持ちません。たぶんフランスの読者に対して本書の主張をできるだけうまく表現するなら、それはJ・B・セイのドクトリンからの最終的な決別であって、そして金利の理論においてそれはモンテスキューのドクトリンへの回帰なのです。
J. M. ケインズ
1939年2月20日
キングスカレッジ、ケンブリッジ
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