ジョン・メイナード・ケインズ『お金の改革論』(1923)
お金が重要なのは、それで買えるもののためでしかない。だから金銭単位の変動は、すべてに均等に働いてあらゆる取引に等しく作用するので、何の影響も持たない。もし確立した価値基準の変動により、ある人がすべての権利や努力に対する支払いとして二倍の金額を得るようになり、あらゆる買い物や満足を得るために二倍の金額を支払うようになったとすれば、その人はまったく何の影響も受けていないことになる。
だからお金の価値変動、つまりは物価の水準変動が社会にとって重要となるのは、その影響が不均等な場合だけだということになる。こうした変化は、昔も今も、実に多大な社会的影響をもたらしている。というのも周知のことだがお金の価値は、あらゆる人や、あらゆる用途について均等に変わったりはしないからだ。人の受け取る額と使う額は、同じ均等な比率ですべて変わったりはしない。だからお金で計測した価格と報酬の変化は、一般に階級ごとにちがった影響をもたらし、ある階級から別の階級へと富を移転し、こっちには豊かさをもたらしつつあちらには恥辱をもたらし、富の恩恵を再分配して意図を歪め、期待の実現を妨げるのだ。
1914年以来のお金の価値変動は実に大規模なものであり、それがもたらしたものすべてと併せて考えると、現代世界の経済史における最も顕著な出来事の一つとなっている。黄金であれ、銀であれ、紙であれ、お金の基準の変動は、空前のすさまじさだというだけではない。それが起こった社会というのは、それ以前のどんな時期にも増して、価値の基準がおおむね安定だという想定に依存しているのだ。
ナポレオン戦争の間と、その直後の時期には、イギリスの大幅な物価変動は年に22パーセントだった。そして19世紀第1四半期の間(これはかつては、イギリスの通貨史における最も混乱した時期だと考えられていた)に生じた最高の物価水準は、最低の水準の二倍以下であり、両者の間には13年の期間があった。これを過去9年のものすごい動きと比べて欲しい。読者の頭に正確な事実を蘇らせるべく、表\ref{fx}をお示ししよう。
古い通貨が長いこと破綻している諸国——ロシア、ポーランド、オーストリア——はここには含めていない。だが、革命や敗戦に苦しんだ国を除いた場合ですら、世界のどんな地域であれ、物価の激しい変動を逃れてはいないことがわかる。金本位制が改まることなく続いているアメリカでも、戦争が損害よりも利益をもたらした日本でも、中立国スウェーデンでも、お金の価値はイギリスと似たり寄ったりの変動を見せている。
月次平均 | 英 (2) | 仏 | 伊 | 独 | 米 (3) | カナダ | 日本 | スウェーデン | インド |
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1913 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | .. |
1914 | 100 | 102 | 96 | 106 | 98 | 100 | 95 | 116 | 100 |
1915 | 127 | 140 | 133 | 142 | 101 | 109 | 97 | 145 | 112 |
1916 | 160 | 189 | 201 | 153 | 127 | 134 | 117 | 185 | 128 |
1917 | 206 | 262 | 299 | 179 | 177 | 175 | 149 | 244 | 147 |
1918 | 227 | 340 | 409 | 217 | 194 | 205 | 196 | 339 | 180 |
1919 | 242 | 357 | 364 | 415 | 206 | 216 | 239 | 330 | 198 |
1920 | 295 | 510 | 624 | 1,486 | 226 | 250 | 260 | 347 | 204 |
1921 | 182 | 345 | 577 | 1,911 | 147 | 182 | 200 | 211 | 181 |
1922 | 159 | 327 | 562 | 34,182 | 149 | 165 | 196 | 162 | 180 |
1923* | 159 | 411 | 582 | 765,000 | 157 | 167 | 192 | 166 | 179 |
(1) 出所は国際連盟月次統計ブレティン。 | |||||||||
(2) 1919年までStatist、その後はEconomist, Statist, 貿易局指数のメジアン。 | |||||||||
(3) 労働局指数(改訂版) | |||||||||
*半年 |
1914年から1920年にかけてこれらの国はすべて、買われるものの供給と比べてお金の供給のほうが相対的に大きく拡大する状況を経験した。これはつまりインフレーションということだ。1920年以来、自分たちの財務状況を再びコントロールできるようになった国々は、インフレを終わらせるだけでは飽き足らず、お金の供給を収縮させてデフレーションの果実を体験した。それ以外の国は、以前にもまして激しいインフレへの道を歩んだ。イタリアをはじめとする少数の国では、デフレを実現しようという不謹慎な欲望が、財政状況の手の負えなさで相殺され、比較的安定した物価という幸せな結果が得られている。
インフレとデフレのいずれのプロセスも、大きな傷を及ぼしてきた。どちらも、階級間の富の分配を変えるという効果を持つ。この点では、インフレのほがデフレより悪質だ。どちらもまた、富の生産を過剰に刺激したり、抑えてしまったりする効果を持つが、この二つを比べるとデフレのほうが害は大きい。このような形で示された内容の分け方は、議論を進めるにあたっても一番便利なものだ——まずはお金の価値変化が富の分配に与える影響について、インフレを中心に論じ、次に富の生産に対する影響について、主にデフレに注目して論じよう。過去9年の物価変動は、社会全体の生産性にどう影響し、それが社会の個々の階級の対立する利害や相互関係にどう影響しただろうか? こうした質問への答は、その被害の深刻さ、そしてさらにはそれに対する解決策を確立させてくれる。それが本書で検討する対象となる。
この検討のためには、社会を三つに分類するのが便利だ——投資階級、\ruby{実業}{ビジネス}階級、賃金を稼ぐ階級。こうした階級は重なることもあるし、同じ個人が稼ぎ、取引し、投資することもある。でも現在の社会構成においては、こうした区分は社会の区分と対応しているし、本当の利害の分裂をあらわしている。
お金が果たす各種の役割の一部は、その実質価値がある程度の期間にわたりだいたい一定だという想定に本質的に依存している。それらの役割のうち主要なものは、広い意味でのお金の投資契約と結びついている。こうした契約——つまり長期にわたり決まった金額の支払いを行うという契約——は、便宜上「投資システム」と呼ぶものの特徴であり、もっと一般的な財産システムとは区別される。
19世紀に発達した資本主義のこのフェーズ下では、財産の管理と所有を分離するための多くの仕組みが考案された。こうした仕組みは主に三つあった。(1) 持ち主は、財産の管理は手放すが所有権は保持する——実際の土地、建物、機械、その他財産を構成するものすべてでこれを行う。この保有モデルは、共同株式会社の一般株を保有する場合が典型だ。(2) 持ち主が一時的にその財産を手放し、その期間中に毎年固定額のお金を受け取るが、期限が来たらその財産を取り戻すというもので、リースがその典型。(3) 実際の財産を永遠に手放し、代わりに永続的な年額支払いか、一定期間の年額支払いと期間終了時に元本をお金で受け取るものだ。これは担保ローン、債券、社債、優先株などが典型となる。この三つ目のものが投資の全面的な発展形となる。
将来のある時点で固定額の金額を受け取る契約(その時点でのお金の実質価値の見通しについては取り決めなし)は、お金が貸し借りされるようになって以来、ずっと存在したはずだ。リースや担保ローン、あるいは政府や東インド会社など少数の民間企業に対する永久融資は、18世紀以来しょっちゅう行われていた。だが19世紀になって、それは新しい重要性を持つようになり、20世紀の初頭には、財産保有階級を二つのグループに分けるものとなった——「\ruby{実業者}{ビジネスマン}」と「投資家」というグループで、両者の利害はある程度分離しているのだ。この分離は個人間のちがいほどは明確ではない。というのも実業者も投資家を兼ねているかもしれないし、投資家も一般株を保有できるからだ。でもこの区分はやはり本物だし、あまり認識されないからといって、その重要性が下がるわけではない。
この仕組みによって、活発な\ruby{実業}{ビジネス}階級は自分の事業を促進するにあたって、自分自身の富だけでなく、コミュニティ全体の貯蓄に支援を呼びかけられるようになった。そしてこれに対する専門の資産階級は、手持ちリソースの活用先として、自分にほとんど面倒もかからず、責任も及ばず、リスクもほとんどない(と思われていた)ものが得られたのだった。
百年にわたり、この仕組みはヨーロッパ全体でものすごい成功を収め、空前の規模での富の成長を支えることになった。貯蓄し投資するのは、ある大きな階級にとっての義務であり喜びとなったのだった。貯蓄はめったに引き出されず、複利で増えていったため、いまや万人が当然と思っているような物質的勝利が可能となった。当時の道徳、政治、文芸、宗教は一致団結して、貯蓄を奨励する一大陰謀を展開した。神と強欲の悪魔マンモンは和解した。立派な財産を持つ人々に幸いあれ。なんといっても金持ちですら天国に入れるのだから——貯蓄さえすれば。天界からは新たな\ruby{和声}{ハーモニー}が鳴り響いたのだ。「天意の賢明かつ恩恵豊かな仕組みを通じ、人々が己自身の利得だけしか考えていないときにこそ、世間に対する最大の貢献を行っているというのを目の当たりにするのは実に不思議なものである」\footnote{『若者たちの用に供する金銭問題についての優しい教訓』、キリスト教の知識普及協会刊、12版、1850年}と天使たちは歌ったのだ。
こうしてうみだされた雰囲気は、拡大する事業と増大する人口の需要を、安楽なる非実業階級の成長とうまく調和させたのだった。だが安楽と進歩の全般的な享受の中でおおむね無過ごされた点がある。この仕組みでは、投資階級が財産をお金という形でコミットするので、そのお金の安定性がこの仕組みを大きく左右するという点だ。そしてこの問題が勝手に解決されるものという、問答無用の安心感がどうも感じられていたらしい。投資家たちは広がり増殖して、やがて世界の中産階級にとって、一流債券はきわめて永続的で極度に確実なものの見本となったのだった。金銭契約の安定性と安全性に関する因習的な信念は、今日ではあまりに深く根付いているので、英国法だと信託人たちは自分たちの信託された基金をそうした取引以外には供出しないよう奨励されており、それどころか不動産を例外として(これはそれ以前の時代の条件が生き残ったための例外だ)、他の形でそれを運用することを禁じられているのだ\footnote{ドイツの信託人たちは、1923年まで似たような義務から解放されることはなかった。その頃には、お金に対する受け取り権に投資されていた信託基金の価値は完全に消え去っていた。}
他の面と同じくここでも、19世紀は自分たち自身の幸せな体験が将来もずっと続ものとあてにしており、かつての不運のもたらす警告を無視した。お金というものが、一定量の特定金属で表現されるわけではないし、まして一定の購買力が歴史的に保証されてなどいないということを、敢えて忘れ去ったのだった。だがお金というのは、単に国がそのときに応じて、金銭契約の精算方法として適切だと宣言したものでしかない。1914年までの一世紀以上にわたり、黄金はイギリスの通貨基準ではなかったし、それまで半世紀にわたり他のどこの国にとっても単一の基準になってはいなかった。経済的な記録の最初期の夜明けにまで遡るあらゆる国では、長期にわたる戦争や大きな社会動乱で法定通貨が変更されてきたが、それでも必ずといっていいほどお金をあらわす各種の法定通貨の実質価値の低下が起こる。これは、ほぼどんな国の歴史でもまちがいなく見られる。
さらに、歴史を通じたこうしたお金の価値の継続的な低下は偶然ではなく、その背後には二つの大きな原動力がある——政府の貧窮と、債務者たちの政治力が勝っていることだ。
通貨の価値低下による課税の力は、ローマ帝国が通過を発見して以来、国家にはつきものとなっている。法定通貨の創造は、政府の究極の隠し球だったし、今なおそうだ。そしてこの道具がまだ手元で使われずに残っている限り、どんな国や政府も、己の破産や失墜を宣言しそうにない。
それだけでなく、これから見るように、価値の下がる通貨の便益は政府だけが享受するものではない。農民や債務者や、固定金額を支払うよう義務づけられている人々はすべて、その利益を共有しているのだ。こうした階級もかつては、実業家たちという人々が現在そうであるように、経済的な仕組みの活発で建設的な要素を構成していたのだ。だからこうした長期の変化は、かつてはお金の価値を低下させて、新しい人々を支援して死んだ手からかれらを解放するものだった。それは古い富を犠牲にして新しい富を支援し、蓄積に対抗できる力を事業に与えた。お金の価値下落傾向は、過去の時代には複利と富の相続の累積的な結果に対する、強力な対抗力となっていた。それはずっと前に獲得された富の硬直した分配と、事業活動と所有との分離に対抗する、緩和的な影響となってきたのだった。これはつまり、それぞれの世代は先人たちの相続人を部分的に排除できるということだ。そして永続的な富を作り上げようという企みはこのような形で阻止されなくてはならない。もちろん、社会が意識的な熟慮により、何か別のもっと公平で適切なやり方でそれを阻止することもできるのだが。
いずれにしても、この二つの力——政府の財政的な必要性と、債務者階級の政治的影響力——は、その時に応じてどちらが主となるかは変わるが、その双方が影響するおかげでインフレの進行は長期的に考えると、紀元前6世紀にお金が初めて考案されて以来、\kenten{連続的に}続いている。ときには、価値の基準が自分で下がった。そうならない場合には、お金の品質下落/改鋳でそれが実現された。
それでもあらゆる時代に、お金を日常生活で使うやり方の結果として、人々はこうしたものすべてを忘れてお金それ自体が価値の絶対的基準であるかのように見てしまいがちだ。そしてさらに、百年にわたる実際の出来事がその幻想を阻害していない以上、一般的な人は三世代にわたり通例とされてきたことを、永続的な社会の仕組みの一部だと見なすようになる。
19世紀に起きた出来事の展開は、こうした考え方を支持するものだった。最初の25年では、ナポレオン戦争のきわめて高い費用に続き、お金の価値はかなり急速に向上した。その後70年にわたり、一時的な上下動はあったが、物価の傾向は下がり気味で、その最低点は1896年となった。だが上下の方向性を強いて見るならこうした傾向とはいえ、この長期にわたる時代の驚くべき特徴は、物価水準が比較的安定していたということだ。1826年、1841年、1855年、1862年、1867年、1871年、1915年またはその近辺で、価格の水準はほぼ同じだった。また1844年、1881年、1914年にも物価はほぼ横ばいだった。もしこの1844年、1881年、1914年の物価水準を100とすれば、1826年から(第一次)世界大戦が始まるまでの百年近い時期において、物価の上昇も下落も幅は30以内、つまり物価指数は130以上にもならなければ、70以下にもならなかったことがわかる。長期にわたる金銭契約の安定性を人々が信じ込むようになったのも無理はない。黄金という金属は、人工的に規制された基準の理論的な長所をすべて持っているわけではないが、毀損することはできないし、実用上では信頼できるものとなっていたのだ。
同時に、19世紀初期にコンソル債(訳注:年3\%の永久債) に投資した人々は、三つの形でかなり利益を得ている。この投資の「安全性」は、可能な限りほぼ絶対的に完璧と思われるようになった。その資本価値はすべて上昇した。その理由はいま述べたものもあるが、主に金利の安定した下落のおかげで、その資本の表す年収の何年分を買えるかという数字が増えたからだ\footnote{(たとえば)金利が4.5\%から3\%に下がったら、3%の永久コンソル債の価値は66から100に上昇する。}。さらに、年間金銭収入も、全体として購買力を上昇させていた。たとえば1826年から1896年までの70年間を考え(そしてワーテルローの戦い直後の大幅な改善を無視すれば)、コンソル債の資本価値はごく一時的な低下を除けば一貫して上がり続け、79から109になったことがわかる(これは英大蔵相ゴッシェンが1889年に3% の利率を2.75% にし、1903年にはそれを2.5%にしても変わらなかった)。その同時期に、年間受取利息の購買力は、利率引き下げを考慮しても、50パーセントは増えているのだ。だがコンソル債はまた、そうした価値上昇という利点に加え、安定性という美徳も持っていた。危機の年を除けば、ヴィクトリア女王時代にコンソル債は90以下に下がったことがない。そしてヨーロッパ各地の王室が将棋倒しで崩壊した1848年にも、年中の平均価格はたった5ポイント下がっただけだ。ビクトリア女王戴冠時には90だったのが、彼女のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年)の1897年には最高潮に達したのだ。われわれの親たちが、コンソル債はよい投資だと考えたのも無理からぬことだ!
このようにして19世紀には、ある種の人々で構成された巨大で強力で尊敬される階級が台頭した。その人々は個人としても裕福であり、全体としてもきわめて裕福な階級だったが、建物も土地も持たず、事業も貴金属も持たず、法定通貨としてのお金という形で年収を得られる権利を所有しているのだ。特に、19世紀の特異な創造物であり誇りとすべきものである中産階級の貯蓄は、主にこのようにして始まったのだった。習慣と有利な体験のおかげで、こうした投資は安全だという不可侵の評判を得たのだ。
(第一次)世界大戦前に、こうした中間的な富はすでに、価格上昇と金利の上昇による多少の損失(1890年代半ばの価格の頂点に比べれば)を被るようになってきた。でも戦争に伴ったりその後に生じたりした金融面での出来事のため、イギリスではかれらの投資の実質価値が半分奪われ、フランスでは 7/8、イタリアでは11/12、さらにドイツやその継承国家であるオーストリア=ハンガリーやロシアでは、ほぼ全額が失われた。
戦前の典型的なイギリス投資家が被った損失は、コンソル債投資家が受けた損失で十分に計測できる。こうした投資家は、すでに見た通り、1896年まではたまの上下動はあっても着実に自分のポジションを向上させ、そしてその1896年とその翌年には、二つの頂点が同時に達成された——年間受け取り金額の資本価値と、お金の購買力が最高となったのだ。これに対して1896年から1914年にかけては、投資家はすでに大幅な損失を被っていた——年間受け取り金額の資本価値は三分の一ほど下落し、収入の購買力もまた三分の一近く下落していたのだった。とはいえこの損失は、例外的なピークから二十年近くかけて徐々に生じたもので、しかも1880年代初期や1840年代初期と比べても、投資家の状態は極端に悪化していたわけではなかった。だがこれに加えてさらに急速な戦時中の損失がやってきた。1914年から1920年にかけて、投資家の年間受け取り金額の資本価値は、またもや三分の一以上も下がったし、収入の購買力は三分の二下がった。これに加えて、所得税の標準税率は、1914年に7.5% だったのが、1921年には30% になった\footnote{1896年以来、さらに相続税という負担が加わっている。}。1914年を基準として、この変化をざっと丸めて試算してみよう(表\ref{consol})。
年 | コンソル債収入の購買力 (1) | 標準所得税率課税後の購買力 | コンソル債の名目価格 | コンソル債の資本価値の購買力 |
---|---|---|---|---|
1815 | 61 | 59 | 92 | 56 |
1826 | 85 | 90 | 108 | 92 |
1842 | 85 | 90 | 122 | 104 |
1869 | 87 | 89 | 127 | 111 |
1883 | 104 | 108 | 138 | 144 |
1896 | 139 | 145 | 150 | 208 |
1914 | 100 | 100 | 100 | 100 |
1920 | 34 | 26 | 64 | 22 |
1921 | 53 | 39 | 56 | 34 |
1922 | 62 | 50 | 76 | 47 |
(1) 利率が3から2.5% に下がったのは無視。 |
表の二列目は、優良株がワーテルローの戦いからフロンティアの戦い(第一次大戦のイギリス参戦の戦い)までの期間に、1896-97年の異常値をまるごと無視したとしても、どれほどすばらしい投資だったかを示すものだ。この表を見ると、ヴィクトリア女王即位60周年の1897年が、イギリス中産階級繁栄の絶頂期だったことがわかる。だがこれはまた、数字の厳密さを持って、(第一次)大戦以前と同じ信託投資からの収入だけで暮らそうとする人々の悲痛な苦しみをも示している。1922年のコンソル債所有者たちの実質収入は、1914年の半分であり、1896年に比べれば三分の一だ。19世紀の間に実現した価値増大のすべてが消え去り、豊かさはワーテルローの戦い直後と比べてもあまりよいものではなかった。
これを軽減する状況もいくつか見落とすベきではない。戦争は社会全体としてのリソース蕩尽の時期ではあったが、貯蓄階級の個人にとっては貯蓄の時期であり、かれらは政府証券の保有が増えたことで、いまや全体として税務署の受け取った金額に対する請求金額も増えることになった。また投資階級はお金を失ったが、この階級は社会的にも家族関係によっても、実業家階級と重なっているため、損失の打撃がある程度は緩和されることとなった。さらにイギリスでは、1920年のどん底からすでにかなりの回復が見られている。
だがこうした事実をもってしても、事実関係の重要性が消え去るわけではない。戦争の影響と、戦争に伴いそれに続いた金融政策の影響は、投資階級所有物の実質価値の相当部分を奪うものだった。損失はあまりに急激で、しかもそれが起こったのは他のもっとひどい損失とあまりに入り混じっていたために、その影響の全貌はいまだにきちんと切り離して理解されてはいない。それでも、これは各種階級の相対的な立ち位置にとって、かなり根本的な変化をもたらすものとなった。ヨーロッパ大陸全体で、中産階級の戦前の貯蓄のうち、債券や担保融資や銀行預金に投資されていた部分がほとんどまたは完全に消え去ることになったのだ。また、この体験が貯蓄と投資の実践をめぐる社会心理を変えたのもまちがいない。最も安全だと思われていたものが、実は最も安全ではなかったのだ。消費もせず「投機」もせず、「家族のために適切な手配を行った」者、安全性を奉じ、世界の賢者たちの啓発的で立派な指示を最も実直に実行した人々——実際、豪奢に対して最も屈することのなかった者たちが、最もひどい災厄に見舞われることとなったのだ。
本書のテーマから見て、ここからどんな教訓を引き出すべきだろうか? 思うに、まず19世紀に発達した(そして今も続く)社会組織を、お金の価値に対する自由放任政策と組み合わせるのは、安全ではないし公正でもないということだろう。これまでの仕組みがうまく機能したというのは正しくない。社会の自発的な貯蓄をこれからも「投資」にまわすのであれば、それを示す単位となる価値の基準を安定化するような国家政策を考案するよう図るべきだ。そしていずれ、もし相続法と蓄積率により活発な階級の所得のあまりに多くの部分が引き出され、非活発階級の支出に左右されるようになってしまった場合には、国富の再分配を他のやり方で調整する(それはあらゆる富の形に平等に影響するものであるべきで、相対的に無力な一部の「投資家」にばかり集中するものであってはならない)ことも必要になる。
昔から、実業界でも経済学者の間でも、物価上昇期は事業にとっての刺激となり、実業者にとって有益だということは認識されてきた。
まず、これまで検討してきた投資階級の損失の裏返しとなる利益が存在する。お金の価値が下がると、活発な事業による利潤から毎年固定金額を支払うと約束している人々にとって有利となるのは明らかだ。というのも、金銭的な出入りの中で、出て行く固定金額の占める比率は、前より下がるからだ。この利益はその変化が続いている移行期に生じるだけでなく、古い融資の場合には、物価が新しい高い水準で落ち着いてからも続くものとなる。たとえばヨーロッパ全土の農民たちは、担保融資によって自分が耕す土地を買うための資金を借り入れたが、いまや担保融資の価値が激減したために、返済負担がほとんどなくなっている。
だが変化の起きている期間中、物価が毎月のように上昇していると、実業者はさらにもっと大きな儲けの源を手にするのだ。商人だろうと製造業者だろうと、たいていは売る以前に買うこといなる。そしてその在庫の少なくとも一部は、価格変動のリスクを負うことになる。したがって、在庫が毎月のように手持ち期間中に価格上昇するのであれば、その人は常に予想よりも高い価格で販売できることになり、想定外の臨時収入が確保できることになる。こうした期間においては、取引という事業は異様に簡単なものとなる。お金を借りられる人は、例外的に運が悪くなければ利潤が出てしまうし、特にそれに値する活動をしなくても利潤が得られる。こうした利潤を継続的に享受すると、それが続くという期待が生み出される。銀行から借りるという行為は、正常と思われる範囲を超えて実行されるようになる。もし物価がさらに上昇するだろうと市場が期待するなら、商品の在庫が投機目的で保有されるようになるのも当然であり、短期的には物価が上がるという単なる期待だけで投機的な購入が促進される。
たとえば、1919年4月から1920年3月までの原材料について\textit{Statist} 価格指数を見てみよう(表\ref{rawmaterial})。 \begin{table}[h] \caption{原材料の Stasis 指数} \label{rawmaterial} \begin{center} \scalebox{1}{ \begin{tabular}{lr||lr} 1919年4月 & 100 & 10月 & 127 \\ 5月 & 108 & 11月 & 131 \\ 6月 & 112 & 12月 & 135 \\ 7月 & 117 & 1920年1月 & 142 \\ 8月 & 120 & 2月 & 150 \\ 9月 & 121 & 3月 & 146 \\ \end{tabular} } \end{center} \end{table}
この表を見ると、銀行からお金を借りて、それで手当たり次第に原材料を買った人物は、この期間のあらゆる月(ただし最後の一ヶ月を除く)において利潤を得たはずで、この一年で平均46パーセントの収益率となったはずだ。だが銀行はこの時期に、融資金利はせいぜい7パーセントであり、したがって年利30-40パーセントの明らかな利益が、何も特別な技能を行使しなくても、こうした事業に乗り出した運のいい人々すべてにもたらされたはずだということになる。事業上の立場や専門的な知識のおかげで、特定の商品の物価動向について賢明な予測ができた人々であれば、これをはるかに超える儲けが得られたはずではないか! だが大規模に原材料を取引しているディーラーや大規模に原材料を使う使用者たちは、まさにそういう立場にあったわけだ。こうした時期に、ある種の事業で多少なりとも技能やツキのある人物が手にする利潤は、莫大なものになるのはまちがいない。ものの数ヶ月で一財産築ける。だがそうしたものとは一線を画す堅実な実業家であっても、投機家や相場師扱いされるのを嫌がり侮辱と感じる人物であっても、自分が求めも望みもしなかった予想外の利潤が棚ぼたで手に入ってしまうことになる。
経済学者たちは、「名目」金利と「実質」金利との間に有益な区別を設けている。年利5\% の融資が行われた時点で商品100個分の価値がある金額が、年末に商品90個分の価値しかなかった場合に貸し手が利息込みで受け取る金額は、商品たった94.5個分となる。これを述べるには、名目金利は5パーセントだったが、実質金利は実はマイナスで、マイナス5.5パーセントだった、という。同様に、期末にお金の価値が上がって、融資された資本額が商品110個分の価値を持つとしたら、名目金利は相変わらず5パーセントだが、\kenten{実質}金利は15.5パーセントになる。
こうした考察は、実業界の人々が明示的に頭の中に持っていないとしても、単なる学問的な代物ではまったくない。実業界は、実質金利などまるで言及せず、名目金利がそれ自体で検討できるかのような発言をするし、実際そう考えているのかもしれない。でも行動はそうなっていない。銀行の融資金利7パーセントがあまりに重いから、事業を縮小しようかと考えている商人や製造業者は、自分が検討している商品の予想価格についての期待に大きく左右されるのだ。
したがって物価が上がっているとき、融資を受ける実業者は貸し手に対し、実質価値で見た場合に金利がまったくないどころか、当初受け取った資本より少ない金額を支払うだけで済んでしまう。つまり、実質金利がマイナスの値になり、借り手はそれに対応する便益を獲得することになるのだ。物価上昇が予想されているなら、借入金額を増やして有利に使おうとする試みに対応して、金利が上昇することになるのは事実だ。この理由からも、物価上昇期には銀行融資金利も上がるし、物価下落期には銀行融資金利も低い。こうした時期における名目金利が一見すると異常に思えるのは、実質金利が安定しようとする裏面の現象に過ぎない。それでも、物価が急変している時期には、名目金利は実質金利が異常になるのを防げるほど適切に、あるいは急速に変わることはほとんどない。というのも、名目金利に影響するのは、実際の物価上昇ではなく、各種の可能な物価変動とその推定確率の複合物として生じる物価上昇の期待だからだ。そして通貨が完全に崩壊していない国では、物価のさらなる上昇または下落について、短期金利が年率十パーセント以上にあがったり一パーセント以下に落ちたりするのに十分な全般的な信頼/自信など、ほとんどあるいは一度たりとも存在したためしがないのだ\footnote{予想される低い実質金利を活用すべくお金を借りる商人は、物価上昇以前に立ち回る必要がある。つまりある確率に基づいた計算をしているのであって、確実性に基づいて動いているのではない。その結果として、その商人は、自分が本当は見ているのに確実性を持って見てはいない実質金利の動きよりも、それと反対のずっと小さい名目金利の動きにより怖じ気づいてしまうのだ。}。この規模の変動は、(ざっと見て)年率五パーセント以上の物価上下動を相殺するには不十分だ——だが実際の物価変動はしばしばこの率を上回っているのだ。
\label{reichsbank}ドイツは最近、名目金利が実質金利に追いつこうとしてどれほどすさまじい規模で変動するかという例を提供してくれた。同国の物価は実に長期にわたりすさまじく上昇を続けたので、みんな実際はどうあれ、物価がさらに上昇するものと信じるようになったのだった。だがそのドイツですら、名目金利は物価上昇に並ぶほどの上昇を見せていない。1922年秋には、ドイツの実質金利が高いマイナスの数字になったそれまでの時期の影響が、やっと目に見えるものになりつつあった。実質金利が高いマイナスということは、この時期にマルクを借りて資産に変えられた人物はだれでも、そのいつの時点を取ってもその資産のマルク換算価値上昇は、借り入れに対して支払う必要があった金利よりはるかに大きかったということだ。これはつまり、全般的な動乱の中で巨額の財産をむしり取った者がいたということだ。そしていちばん大儲けしたのは、とにかくひたすら借りまくり、実質金利と名目金利との差を確保するのが正解なのだだというのを見て取った者たちだった。でもこれが何ヶ月にもわたりよい商売であり続けると、みんなそれに便乗するようになり、遅ればせながらそれが名目金利にも影響した。その頃には、ライヒスバンクの名目金利は8パーセントだったが、優良短期融資の有効金利は年率22パーセントにまで上がっていた。1923年前半には、ライヒスバンク金利自体が24パーセントになり、その後30パーセント、最後には108パーセントにもなり、市場金利のほうはすさまじい変動を見せてとんでもない水準となり、一部の融資だと週に3パーセントに達することさえあった。1923年7月から9月にかけてついに通貨が崩壊したとき、公開市場金利はまったく歯止めがなくなり、月に100パーセントという数字に達した。だが通貨下落を考えると、これほどの高金利ですらまだ不十分であり、大胆な借り手はこれでも儲けていたのだった。
ハンガリー、ポーランド、ロシア——物価がさらに崩壊すると期待されていたところ——でも同じ現象が見られ、物価上昇が予想されるときにあらゆる場所で起こる現象を顕微鏡で見ているかのような様相となった。
一方で、1921年のイギリスやアメリカがそうであったように、物価が年平均で30パーセントから40パーセントも下落するのが二年も続くと、銀行融資の金利が1パーセントでも事業には大きな重荷となっただろう。というのもその実質金利はとても高いことになるからだ。こうした動きを一部でも予想した人物はだれでも、資産を売り払ってその時期には事業に手を出さないことで大儲けできたはずだ。
だがお金の価値低下は、実業家にとっては利得の源である一方で、大きな不面目をももたらしかねない。実業家のすさまじい利潤は、消費者からは憎らしい物価上昇の原因のように見えてしまう(実は結果でしかないのだが)。手持ち財産の急激な上下動の中で、実業家自身も保守的な本能を見失ってしまい。通常の事業からくるささやかながら永続的な利潤よりも、目先の大きな利得を重視するようになる。中期的な事業健全性は、以前ほど気にかからないものとなってしまい、目先の富と一斉売却のほうに頭が向かってしまう。その過剰な利得は単なる棚ぼたで、自分が何か失敗したり計画をたてたりした結果ではないが、いったん手に入ってしまえば実業家はそれを容易には手放さず、その収穫を放すまいと頑張ることになる。こうした衝動を持ち、そうした立場におかれた実業家は、居心地の悪さから逃れられないのだが、それを抑圧している。自分の社会的立場や、経済の仕組みにおける自分の有用性や必要性について、それまで持っていた自信が、当人の心の中で失われてしまうのだ。自分の事業や階級の未来を危ぶむようになり、そしてその自信がなくなればなくなるほど、自分の財産にしがみつくようになるのだ。実業家は社会の木鐸であり未来を作り出す存在であり、しばらく前にはその活動や報酬はほとんど宗教的なほど敬われていた。あらゆる人物や階級の中で最も尊重すべき、賞賛すべき、必要不可欠な存在とされ、それを邪魔すると悲惨な結果になるだけでなく、そんなことはほとんど不敬とさえ思われている存在だった。その実業家がいまや、うさんくさい存在と見なされてしまい、自分が疑わしい存在として攻撃されていると感じ、不正で歪んだ法律の被害者だと感じ——そして投機屋で便乗屋としてみなされ、しかも自分でも半ばそれが正しいと知っている存在になってしまう。
金持ちな連中の得た財が、単なる博打のツキによるものだと思ったら、危害のある人物は自分だけが貧しいままでいようとは思わないだろう。実業家を便乗投機屋に変えてしまうということは資本主義に打撃を与えることだ。というのもそれは、心理的な均衡を破壊して不公正な報酬の永続を許すことになるからだ。正常利潤という経済ドクトリンは、だれもが漠然とは認めているものだが、これは資本主義の正当化には不可欠な条件なのだ。実業家を容認できるのはその実業家の利潤が、事業活動が社会に与えた貢献と、何らかの形で大まかに、多少なりとも関係している場合だけなのだ。
つまりこれが、お金の価値下落が既存経済秩序にもたらす第二の混乱となる。お金の価値下落は投資を阻害するのと同じく、事業というものを貶めてしまうのだ。
といっても、実業家は好況期ですら自分の例外的な利潤をすべて手元に残せるわけではなかった。各種の人気ある対処法が、それぞれの時代の邪悪を治療しようと無駄な努力を行った。そうした対処法それ自体——補助金、物価固定や賃料固定制度、投機家の吊し上げや過剰利潤に対する課税——が、いずれまさにその邪悪の相当部分を占めるに到ったのではあった。
やがて不況がやってきて物価が下がったが、これは在庫を持つ者たちに対して物価上昇と正反対の影響をもたらした。棚ぼた式の利潤にかわり、事業の効率性とはまったく関係ない過剰な損失がやってきた。そしてみんなが在庫をギリギリ最低限に抑えようとするために産業は膠着状態となった。ちょうどそれ以前には在庫を積み上げようとする活動が、産業を過剰に刺激したのの正反対だ。 時代の問題として、投機よりは失業が台頭してきた。だが健全な通貨を持った国では少なくとも一時的にせよ、事業と信用の循環的な動きが、1920年の物価急上昇を部分的に逆転させたのに対し、インフレが継続している国では、それは通貨価値下落の急流にほとんどさざ波程度の影響すら与えなかったのだ。
経済学の教科書では、賃金は物価の動きに遅れてやってくるというのが定番だ。つまり賃金労働者の実質稼ぎは物価上昇期にはだんだん減ることになる。これは昔はしばしば正しかったし、現在ですら、自分の立場改善を要求しにくかったり組織力がなかったりする一部の階級では当てはまる。だが少なくともイギリスでは、そしてまたアメリカでは、労働の重要な一部分は、状況を利用して以前の購買力と同じ購買力を持つ名目賃金を獲得するだけでなく、実質賃金の改善を確保し、それを労働時間の削減と組み合わせることだった(そして今のところは仕事量を減らすことだった)。しかもそれを(イギリスの場合には)社会全体の富が減っている時期に実現することができたのだった。この通常の流れが逆転したのは、単なる偶然ではなく、はっきりした原因を指摘できる。
一部の労働階級——鉄道労働者、鉱山労働者、港湾労働者など——は、賃上げのための労組化が他よりも優れている。戦争の歴史上初めてのことかもしれないが、陸軍での生活が、多くの点で人々の伝統的な要求水準を引き上げた——兵士は衣服も靴もしばしば食事も労働者よりよい待遇となり、その妻は戦時中には別離手当も追加され新たに稼ぐ機会も生まれたために、期待する待遇の水準も上がったのだった。
でもこうした影響は、(賃金を引き上げてほしいという)動機はもたらしたかもしれないが、でもそれが実際の賃上げという結果をもたらすには、もう一つ別の要因が必要だった——投機家たちの棚ぼた利益だ。通常の事業からの利潤を超える、かなりの(それもとんでもない)棚ぼた利益を得ているという事実のせいで、実業家たちは従業員のみならず世論一般からの圧力にもさらされた。そして金銭的に苦労することなく賃上げという形でこの圧力に応えられたのだった。事実、実業家にしてみれば賃上げという身代金を支払い、その時点での自分のもうけを労働者たちと共有するのは、十分に元が取れる行動だったのだ。
だから労働階級は、(第一次)大戦後の時期に、「便乗投機屋」を除く他の階級に比べ、相対的な立場を改善させた。一部の重要な例では、絶対的な立場を改善させたこともある——すまり労働時間短縮、名目賃金増大と物価高を考慮すると、労働階級の一部は実際に行った労働量に比べて、実質の報酬が以前より高くなったということだ。だがこうした状態自体は望ましいものだが、その安定性は、労働階級の報酬増加がどこからきているかという源を知らない限りわからない。それは各種階級への国民生産分配を決める経済要因が永続的に変わったためなのだろうか? それともインフレと、その結果として価値の基準が乱れたことに伴う、一時的でやがて尽きる影響のせいなのだろうか?
価値基準が激しく乱れると、真の状況が見えにくくなり、一時的にはある階級が他の階級をこっそり犠牲にしつつ、避けがたい反発をすぐに引き起こすことなく利益を得ることも可能だ。そうした状況では、国は将来に投資しているつもりの貯蓄を、知らず知らずのうちに現在の消費で使ってしまうこともある。さらに既存の資本を毀損させたり、現在の減価償却を有効利用し損なったりする。お金の価値が大幅に変動していると、資本と所得とのちがいが混乱してしまうのだ。社会が知らず知らずのうちに資本を取り崩して暮らせるようにしてしまうというのは、通貨の価値下落の悪い点の一つだ。社会の資本財の名目価値上昇は、在庫の実質量減少を一時的に隠してしまうのだ。
不景気期間が労働階級に与える損失は、実質賃金の低下よりもむしろ失業という形を取る場合のほうが多い。そして失業者に対する国の支援により、この損失さえかなり抑えられている。名目賃金は物価に伴って下落した。だが1921-22年の不景気は、それまでの数年で労働階級が中産階級に対して獲得した相対的な優位を逆転させることはなかったし、その優位はさほど目減りさえしていない。労働時間の短縮まで考慮した場合、1923年にイギリスの賃金は戦前に比べて、生活費の上昇よりも目に見えて高い水準にあった。
またドイツとオーストリアでも、イギリスやフランスよりはるかに大規模に、お金の価値変動が中産階級に苦境を強いることとなり、それ以前には労働階級はどう見ても、それに見合うほどの苦労はしていない。もしドイツの大学教授たちが戦争をもたらした雰囲気に多少なりとも責任があるというのが正しいとしても、戦争の苦労を味わったのもその階級だった。ヨーロッパ全体で、これまで多くのよいものを生み出してきた中産階級が貧窮した結果として、必ずや徐々に科学と芸術の衰退がもたらされるはずだ。
結論として、インフレは投資家にはとても損失が大きく、実業家にはとても有利で、おそらく現代の産業条件の下では、全体として賃金労働者に有利な形で富を再分配するということになる。それが持つ最も驚くべき結果は、まったく善意で自分の貯蓄を、モノではなくお金を受け取る権利に振り向けた人々にとって、インフレがきわめて不公正なものだということだ。だがこれほどの規模の不公正はさらなる結果をもたらす。今までの議論が示唆しているのは、戦争以来ヨーロッパで生じた富の生産逓減は、ある程度までどこかの階級の消費ではなく、資本の蓄積を犠牲にしたものなのだ、ということだ。さらに、インフレは投資階級の貯蓄能力を減らしただけでなく、貯蓄意志の前提となる信頼/安心の雰囲気を破壊してしまった。だが増大する人口が同じ生活水準を維持するには、人口に比例して資本も増えねばならない。イギリスでは長年にわたり、今後の出生率がどうなろうと(そして現状では、一日あたりの出生数は、死者数のほぼ倍近い)、労働市場への新規参入は、退出者より毎年25万人以上も多くなる。この増大する労働者群にこれまでと同じ生活水準を与えるためには、単に市場が成長するだけでは足りず、資本設備も増大しなければならない。生活水準が劣化するのを防ぐためには、国の資本は国の労働供給と同じくらいの速度で増えねばならない。これはつまり現状では、最低でも年に新規の貯蓄が2.5億ポンド生じなければならないということだ\footnote{これはつまり、労働者の労働を効率的にして、労働者自身とその家族に衣食住を供給するだけの組織と設備を与えるためには、一人当たりの新規資本投資が1000ポンド以上はかかるということだ。いやおそらくこれでも過小評価だろう。}。19世紀に存在した貯蓄に有利な条件は、いまのわれわれから見ればお笑いだが、資本と人口が比例して成長できるようにした。階級間のこれまでのバランスが現在揺らいでいるのは、相当部分がお金の価値の変化が原因だ。それがそうした貯蓄に有利な条件を破壊したのかもしれない。
これに対してデフレは、次章の後半部分で見るように、法定通貨で表示された巨額の国家債務の日々にあっては、てんびんを大幅に逆方向に傾けて、利子生活者に利益をもたらすことになる。そして社会における生産的な階級にとっては、課税の負担を耐えがたいものにしてしまうのだ。
理由が正しかろうとまちがっていようと、もし実業者が物価の下落を期待するなら、生産のプロセスは阻害されがちとなる。そして物価の上昇を期待するなら、生産プロセスは過剰な刺激を受ける。価値の物差しが変動しても、世界の富や世界のニーズや世界の生産容量はいささかも変わらない。したがって、それは生産される物の量や質に影響するべきではない。相対価格の変動、つまり商品ごとのちがった値動きこそが、生産の性質に影響を与えるべきである。なぜならそれは、各種の商品がきちんと正しい比率で生産されていないという印だからだ。だがこれは、一般物価水準変動にはあてはまらない。
\kenten{一般}物価水準の変動期待が生産プロセスに影響するという事実は、いまの社会における経済組織の特異な面に深く根ざしている。その一部は本章の前セクションで述べたし、また一部はこの後すぐに述べよう。一般物価水準の変化、つまりは物差しの変化が、お金の借り手(生産を動かす意志決定をする人々)の貸し手(いったんお金を貸したらあとは何もしない人々)に対する支払い義務を一定に保ち、両者の間の実質的な富の再分配をもたらすことは、すでに見た通りだ。さらに、活動する側の集団(訳注:実業者)は、そうした変化を予想したら、事前にその活動を変えて、お金の価値変動が生じた場合に他の集団に対して生じる自分の損失を最低限にしたり、自分がそこから得る利益を増やそうとしたりする。もしお金の価値下落を予想するなら、集団としては生産を抑えたほうがいいということになる。だがそんな形で生産遊休化がもたらされれば、社会全体としては貧しくなりかねない。もしお金の価値の上昇を予想するなら、借り入れを増やして生産を増大させ、生産の努力に対して社会全体に報いられるだけの実質収益が得られないほど生産が増えてしまうかもしれない。ときにはもちろん、物差しの変化は、特にそれが予想外の場合、それが生産量に対して与える影響をはるかに超えて、片方の集団を犠牲にしてもう片方に利益をもたらすことになるかもしれない。だがこの傾向は、活動を行う集団が変化を予想する限りにおいて、私がこれまで述べてきた通りとなる\footnote{給料や賃金をもらっている階級の利害は、その給料や賃金が実質価値で見るより名目価値で見て安定している傾向が高いので、不活発な資本家階級の利害と一致する。消費者の利害は、現金と財の購入との間で自分の浮遊リソースの分配を、消費に先立って変えられる限りにおいて、活発な資本家集団(訳注:実業家)の利害と一致する。そして消費者自身の利害にかなうように行われたその意志決定は、後者の活発な資本家集団(実業家)の利益をさらに強化することになるかもしれない。だがある一人の人物の利害は、その一部の側面においては片方の集団に属しつつ、別の側面においてはもう片方の集団に属するという事実は、この状況の救いにはならないし、またここでの議論にも影響しない。というのも、その人物のある側面での損失は、その人がもう片方の側面における行動を控えたところで、受ける影響はほとんどないも同然だからである。人は家では肉を食うが外では喰われる存在だという事実は、その人物を人畜無害の存在にしてはくれないのだ。}。これは単に、生産の強度はおおむね現在の状況で、実業家が予想する実質利潤に支配されるのだ、ということだ。だがこの基準が社会全体にとって正しい物となるのは、利害の微妙な調整が価値基準の変動で台無しになっていない場合だけなのだ。
しかし現代的な生産手段が安定した基準を必要とする理由については、これと関連しつつもまったく別個のさらなる理由がある——それは、ある程度は先に述べたような社会組織の性質から出てくる理由だが、現在の生産プロセスにおける技術手法でさらに拍車がかかっているものなのだ。国際貿易の発達により、もともとの生産場所と最終消費場所が大幅に離れてしまい、製造業の技術プロセスがますます複雑になったことで、生産の実施に伴うリスクと、そのリスクを抱え続ける時間が、比較的小さい自己完結した社会の場合よりずっと大きくなっている。農業ですら、多くの供給元から供給を引き出すことで季節変動は平準化されて、消費者へのリスクは引き下げられるが、農業生産者へのリスクは増大する。不作で生産高が期待を下回った場合でも、それが高価格で埋め合わされるとは限らないからだ。このリスク増大は、高い専門特化と市場の多様化と、供給源の多様化がもたらす各種利益に対し、生産者が支払わねばならない代償なのだ。
こうしたリスク負担に対して適切な仕組みをそこそこの費用でいかに提供するかというのは、現代経済生活における最大の問題の一つであり、これは今のところ、満足のいく解決が最もできていない問題でもある。このリスクを減らしたり、個々の実業者にとってこれについてのもっと優れた保険手段を考案したりできれば、生産の仕組みを継続的に稼動させる(そしてそれにより失業を避ける)という作業は大いに単純化される。
このリスクの相当部分は、生産の開始から消費時点までの間に、商品一般と比べたときのその商品の相対的価値が変動することで生じる。リスクのこの部分は、お金の気まぐれとは別個のもので、その対処方法についてはここでは扱わない。だがお金の価値の不安定性から直接生じるリスクもかなりあるのだ。時間のかかる生産プロセスの間、実業界にはお金で計った支出が生じている——賃金など他の生産費用への支払いをしている——そしてこの支出分を、後の時点で製品を売ってお金を得ることで回収しようと期待している。これはつまり、実業界全体として常に、物価が上昇すれば儲けられ、物価の下落により損失を被る立場にあるのだということだ。実業界が好むと好まざるとに関わらず、金銭契約レジームの下での生産技法は、実業界に対し、常に大規模な投機ポジションを取るよう強制する。そしてそういうポジションを取りたくなければ、生産プロセスを縮めるしかなくなる。専門の投機家たちが、生産者の支援にやってきて、そのリスクの一部を引き受けてくれるという意味では実業界にある程度の機能別専門特化があるが、この事実によっても実業界がある程度の投機的立場に置かれるという事実は影響を受けない。
さてここから、一部の階級に利益を与え他の階級に損害を与えるのが、単に物価の実際の変動だけではないことがわかる(実際の変動の影響は本章セクション1での主題だった)。物価下落について社会全体が抱く恐れも、生産プロセスを丸ごと阻害しかねないのだ。というのも物価が下落すると期待されたら、投機的な「強気」ポジションを取るだけの意欲を持つリスクテイカーは十分に見つからなくなる。これはつまり実業家たちは、お金を回収するはるか以前にお金を支出するような、長期にわたる生産プロセスに乗り出したがらないということだ——つまり失業が起きる。物価下落の事実は実業家に損失を与える。したがって、物価下落の恐れは、実業家たちに稼動を引き下げることで保身を図るよううながす。だが生産活動と雇用活動は、実業家個々人のリスク評価と、そのリスクを負いたがる意欲の総和に左右されるのだ。
この状況にはさらに拍車がかかる。物価の動向に関する期待は、それが広く共有されるなら、ある程度までその結果は累積的なものになるということだ。もし物価上昇が期待され、実業界がこの期待に基づいて行動するなら、まさにその事実が一時的な物価上昇を引き起こし、それがその期待を裏付け、その期待を強化してしまう。そして同様に、もし物価下落が期待されれば同じようなことになる。したがって、最初の勢いが比較的弱い物であっても、それがかなりの上下動を引き起こしてしまいかねない。
三世代にわたる経済学者たちが認識したのは、ある種の影響は累進的で継続的な変化をお金の価値に与えるということ、また別種の影響は周期的な変動を与えるということ、そして後者のほうは、初期段階では累積的に作用するけれど、ある時点を超えると反動の条件を生み出すということだった。だが経済学者たちによる周期的な変動についての検討は、ごく最近までは、最初の勢いをもたらすのがどんな種類の原因かという問題だけに絞られていた。一部の学者は、最初の原因がいつも同じで、その発生タイミングは天文学的な規則性を示すという発想にとらわれた。また他の学者は、あるものが原因となる場合もあれば、別の物が原因となることもあるという、もっと納得できる考え方を維持した。
本書の狙いの一つは、この個人主義の致命的な病気を治療する最高の方法が、物価が全体として下がるのか上がるのかについて、はっきりした期待が絶対に生じないようにすることだと納得していただくことだ。そして、また、そうした物価水準の変動が起こっても、それが大きなものになるという深刻なリスクはないと思ってもらうことが必要だ。もし予想外かつ偶発的に、価格水準が穏やかに変動したとしても、富は再分配されることはあっても、それによって減ることはなくなる。
この結果を実現する手段として、最初の動きに影響を与える可能性のあるものを、それが空にあるものだろうとどこか別の場所にあるものだろうと、すべて排除しようとしても、まったく成功の見込みはないだろう。治療法はむしろ、価値の基準をコントロールして、そのままにしておくと物価の一般水準変化の期待を作り出しそうなものが何か起きた場合には、監督当局が何か逆の傾向を持つ要因を繰り出すことで、この期待への対抗手段を講じられるようにすることだ。こうした政策は、期待を阻止したり実際の物価変動を避けたりするのに完全に成功はしないかもしれない。だがそれでも、価値の基準が偶然の原因に任され、意図的に中央のコントロールを外された状態で、政府や生産を麻痺させたり、あるいは酩酊させて過剰に走らせたりするような期待を作り出すのを、座して見守るという現在の政策よりもましだろう。
つまり物価の上昇と下落はそれぞれ独自の欠点を持つ。前者を引き起こすインフレは、一部の個人や階級——特に投資家に対して不公正となる。だから貯蓄にとってマイナスだ。物価下落をもたらすデフレは、実業家たちに損失を避けるべく生産を控えさせることで、労働と事業の貧窮をもたらす。したがってそれは雇用にひどい影響を与える。それに対応するものも当然成り立つ——つまりデフレは借り手にとって不公正であり、インフレは産業活動の過剰刺激につながるのだ。でもこちらの結果は先に強調したものほど強くはない。なぜなら貸し手がインフレの最悪の結果から自衛するよりは、借り手がデフレから自衛するほうが容易だからだし、また労働は不況時の過小雇用の影響から自衛するよりは、好況時の働き過ぎから自衛するほうが容易だからだ。
だからインフレは不公正であり、デフレは不適切である。この二つのうち、ドイツのような過剰なインフレの場合を除けば、デフレのほうがひどいのではないか。というのも、貧窮した世界においては、金利生活者の不興を買うよりも、失業を引き起こすほうがひどいからだ。でもどっちのほうが悪いかについて腹を決める必要もない。どちらもよくないもので排除すべきだと合意するほうが易しい。今日の個人主義的資本主義は、それが貯蓄を投資家個人に任せて、生産を雇用者個人に任せるが故に、価値の安定した物差しを前提としており、そうした物差しなくしては効率的になれない——いや生き延びることさえできないかもしれない。
こうした深刻な理由のため、われわれは価値基準の制御を意図的な決断の下に置くことに対する根深い不信から、脱出しなければならないのだ。もはやお金の価値は、その大きな特性が、その重みこそちがえ天候、出生率、憲法などで決まるようなもののの範疇にとどめておくわけにはいかない——そうしたものは自然の原因で決まったり、独立行動する個人多数の別個の活動の結果だったり、あるいは変えるのに革命が必要だったりするが、そうしたものに任せておくわけにはいかないのだ。