Robert Todd Carroll SkepDic 日本語版 |
アバター(化身・権化) Avatarアバター(化身)とは、神が人間の姿を借りて現れるといったように、非物理的な実在がこの世に現れ出たものである。アバターという語はまた、ニューエイジ自己啓発セミナーの名前にも使われている。信念を意図的にコントロールし、それによって人生を変えようとするのである。ジャック・ラッソによると、``アバターの根本的教義では、人は本来、何でも望み通りに創造したり消し去ったりする能力を備えているとしている。こうした能力は精神世界についての仮説から派生したもので、`源 SOURCE'と呼ぼうと提案されている。'' 彼らの宣伝によれば、
この発想は明らかに、些細な事実と誤りとをごたまぜにしている。たしかに、私たちはみな信念を生み出す能力を備えている。たとえば、私がアバターや天使を信じることは可能だし、また信じないことも可能だろう。想像と願望から信念を創造し、それにもとづいて人生を再構築することも、もちろんできるだろう。しかしそれではなぜ、今の私は``悪い''とされなければならないのだろうか?べつに今の私の信念は間違っているわけでも、有害なわけでもないのだが。この論法でいくと、たとえば、実在する列車というものは、私が頭の中に思い描く列車に比べると重要ではない、ということになるが、これはつまり何をいいたいのだろうか? こうした主張はどうでもいい事実か、さもなくば無意味でしかない。列車が存在することと、私がそれを信じるかどうかを比べて重要性を云々しようとしているのだろうか?もしそうなら、この主張はばかげている。もしこれが、私は列車を信じないなら列車に乗らないだろう、という意味なら、主張は確かに事実となるが、とるに足らないどうでもよい事実でしかなくなる。最後に、もし善き信念も悪しき信念もないというなら、それではアバターの人々は何を根拠にして、自分たちの開いているコースに価値がある信じているのだろうか? それに、アバターの信念がただの金儲けの道具にすぎないと信じたって、べつに悪しきことではないと思うが? |
Copyright 1998 Robert Todd Carroll |
Last Updated 10/30/98 日本語化 01/26/99 |