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Robert Todd Carroll

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ルイセンコ主義(Lysenkoism)

ルイセンコ主義とは、非科学的な辺境の植物育種家だったトロフィム・デニソビッチ・ルイセンコ(Trofim Denisovich Lysenko, 1898-1976)にまつわるソビエトロシア科学のエピソードである。ルイセンコはレーニン・スターリン時代、ミチューリン主義の提唱者の筆頭だった。ちなみにミチューリン(I. V. Michurin)はラマルキズムの提唱者であった。ラマルクは18世紀フランスの科学者で、ダーウィンよりはるか以前に進化論を論じていた。しかしラマルクの理論は自然選択説ほど進化をうまく説明できないため、進化科学者によって却下されている。

ラマルクによれば、進化は生物の祖先が生活で獲得した形質を受け継ぐことによって起こるとしている。たとえば、キリンが高いところにある葉を食べなければならないという、困難な環境におかれたとする。するとキリンは葉を食べるために首を伸ばすが、こうした行動と、首を伸ばしたいという意志が(何らかの方法によって)後の世代に伝えられる。この結果、もともと短い首しか持たなかったキリンという動物種は、長い首を持つ種へと進化した、とされる。

自然選択では、キリンの長い首は自然の働きの結果とみなしている。つまり、自然はキリンが足や首の短い動物のように地上の草をはむ代わりに、木の高いところにある葉を食べるように仕向けたと説明するのだ。環境に対する反応としての合目的的な振舞いは後の世代には遺伝しない。たんに高いところに葉をつけた木が環境中にあって、この葉が長い足と首を備えたキリンという動物にとって、望ましい食料だっただけである。実際に、自然選択ではこの葉が唯一存在する食料だったなら、長い首を持つか、木に登れるか、空を飛べる動物しか生き残ることはできない。これ以外の動物は消滅することになる。自然選択では、計画も神もなにも必要としない。さらに、種が生き残るという事実に反するような特別なことは何もない。適者生存とは、ただ生存したものが生存に適していたということにすぎず、生存したものが消滅したものより優れているということではない。これらは環境に対して適応度が高かった、たとえば、キリンの首が長いのは、木の高いところにたくさんの食料があって、生存にとって首が長いことには致命的欠点がなかったためだ。もし仮に、割に合わないほど首の長い種がいたとしても、消滅しただろう。あるいは、もし食料源が高いところにだけあってキリンの子孫が減っていたなら、キリンは彼らがどう望んでも現在まで生き残ってはいないだろう。

ラマルキズムは、意志が基本的原動力であると信ずる人々、たとえば20世紀フランスの哲学者 アンリ・ベルグソンなどには好まれた。ダーウィニズムや自然選択説は、神がすべてを創造し、すべてに目的があると信じる人々の多くには嫌われた:世界中の原理主義的宗教者たちだ。自然選択は機械的かつ唯物論的で、おまけに定量的かつ非目的的なので、マルクス主義者はダーウィニズムを好むだろうと思うかもしれない。自由市場経済の信奉者は、意志や努力、勤労と選択を強調するラマルキズムを好むだろうと思うかもしれない。ところが、ロシアとソビエト連邦は本物のマルクス主義者ではなかった。彼らはプロレタリアート独裁をプロフェッショナルな独裁者(レーニン、その後はスターリン)による独裁制へと変えてしまった。そしてスターリンの死後には、共産党指導者によって経済も何もかも、独裁的に支配されることになった。

いずれにせよ、ミチューリンの進化に関する見解はソ連の党指導部の支持を得た。ソ連以外の学界がメンデルを学んで新しい遺伝学を形成しているとき、ロシアでは新しい科学がソ連で生まれるのを妨げるような努力がなされた。したがって、ソ連以外の学界では遺伝学抜きで進化を理解することができなかったのに対して、ソ連は政治権力を使って、進化における遺伝の役割を論ずる者をなくした。

遺伝学者や、自然選択を支持してラマルキズムを拒否した多くの本物の科学者が、収容所に送られたりソ連から抹殺された。これはルイセンコがおこなったことである。ルイセンコは1948年のロシアの会議で、メンデル的思考は``反動的かつ退廃的''である、そしてメンデリズムの信奉者は``ソビエト人民の敵である''とする熱狂的演説を行ない、独裁的権力を握った[Gardner]。彼は自身の意見が党中央委員会にも支持されているとも語った。科学者は権力に屈して自らの誤りと党の知恵の正しさを告白する文書を書くか、さもなくば粛清された。強制収容所に送られた者もいた。消息不明となった者もいた。

ルイセンコの方針にしたがって、科学は適切に調整された実験に基づいて説明に適した理論ではなく、望ましいイデオロギーの方向へ導かれることになった。科学は国家に奉仕するものとして、正しくはイデオロギーに奉仕するものとして行なわれることになった。結果は知れていた:ソビエト生物学は衰退し続けたのである。

アメリカにおいて、これと同じことは起こりうるだろうか? そう、すでに起きていると言う人もいる。まず、公立学校で進化論を教えることを止めさせようとする創造論者の活動があり、彼らはすでにある程度成功を勝ち取っている。デュアン・ギッシュがこれを続けて、パット・ロビンソンが大統領になり、ジェリー・ファルウェルがその教育担当官になったりしたら、いったいどうなるだろう。もちろん、アメリカにもイデオロギーのために科学を行なっている、有名で資金豊富な科学者は何人か存在する:キリスト教原理主義ではなく人種的優越性のためだ。ルイセンコは統計の利用には反対していたが、イデオロギーへの奉仕のために統計を使うのが有効だと理解していたなら、きっと考えを変えただろう。J・フィリップ・ラシュトンやアーサー・ジェンセン、リチャード・リン、リチャード・ヘルンスタイン、チャールズ・マレーらがその優越人種イデオロギーを説明するのに、どうやって統計データを使っているかを見たら、ルイセンコはソビエト最高統計会議を設立し、数字のマジックを使って、自然選択と遺伝学に対するラマルキズムの優越性を証明したことだろう。世のこうした疑似科学者は統計的相関性を考慮することはまったくないので、ごくありがちな主張さえも人種差別イデオロギーにこじつける。ルイセンコもミチューリン/ラマルク主義というイデオロギーのために、これと同じことをしたかもしれないのだ。

訳者コメント:Lysencoism はルィセンコ学説と訳される場合も多いが、実際には反証不可能な形而上学的「学説」であるため、ここではルイセンコ主義とした。


参考文献

読者のコメント

Gardner, Martin. "Lysenkoism," ch. 12 in Fads and Fallacies in the Name of Science (New York: Dover Books, 1957).

Levins, Richard  and Richard Lewontin. "Lysenkoism," in The Dialectical Biologist (Boston: Harvard University Press, 1985).

Copyright 1998
Robert Todd Carroll
Last Updated 11/04/98
日本語化 08/31/99

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