卍、鉤十字
swastika
鉤十字はナチスのシンボルであり、また反ユダヤ主義、ホロコースト、同性愛憎悪、心身障害者・弱者抹殺の欲望などの側に立つ邪悪な存在すべてを表している。
もし鉤十字が古代ユダヤのシンボルだと知ったら、ヒトラーははたして何と言っただろうか。事実、鉤十字は頻繁に現れるシンボルであり、数多くの文化で、しかも数多くの時代に見られるものだ。鉤十字はホピ・インディアンやアステカ人、ケルト人、仏教徒、ギリシャ人、ヒンドゥー教徒などにも使われているのがわかる。
鉤十字にまつわる古代の遺産がどれほど高貴なものであろうと、西洋では鉤十字のシンボルは、ナチスとの関係によって永久に汚れたものとなってしまった。このシンボルにまつわる栄光の過去を引用して西半球で鉤十字の復興を試みている人たちは、私見ではあるが方向性を誤っているのではないかと思う。もし、たとえば古代文化では人を指先でピンとはじくのが聖なる祝福を意味していたのだということを発見したとしても、今になって指先ではじかれて、かつてこれは有難い行為だったのだよ、などと言われても、喜んだりする人はいないだろう。もし様々な古代文化の人たちが、たとえば挨拶や祈りのしるしとして互いに唾をかけあったり、あるいは互いの頭にクソを塗りあったりしていたとしたら、たとえ現代に同じことをしているとしても、私たちは誰も驚いたりしてはいけないことになってしまう。
オカルト信者の中には、鉤十字の中には特別な価値が備わっている、と考えている人もいる。というのも、別々の文化で意図せず同じものが用いられているからである。連中は問いかける。なんらかの特別なものが込められていない限り、いったいなぜ世界各地で同じ卍模様が使われたのだろうか?答えは簡単だ。鉤十字とよばれる紋様は、それぞれまったくの別物だからだ。直線をひいて、その端に直角に短い直線を互い違いに描いた図形は、図形のうちでもっとも単純なものだ。×や○と同様に、このような図形は単純なため、繰り返し描かれるのだ。鉤十字は、こうした基本図形のバリエーションにすぎない。鉤十字の中には、交差する直線が3本のものもある。ナチスの鉤十字の場合、鉤は右側に折れ曲がっていて図形全体も傾けてあるので、腕の頂点が一番上にくる。ほかのいわゆる鉤十字と呼べるものには、鉤型の腕がなかったり交差する線が曲線だったりするものもある。イスラムとマルタ人のシンボルとなっているジャインは、鉤十字というよりはプロペラに近い。アステカ人のシンボルは、ノートルダムのfighting lepechraunを様式化したものに近い。いわゆるケルトの鉤十字は、どう見ても鉤十字には似ていない。仏教徒とホピ族の鉤十字はナチスの鉤十字を鏡写しにしたものだ;これはおそらく、仏教徒とホピ族の紋様が平和や幸福と愛情のシンボルであって、憎悪や偏見を示してはいないからなのだろう。
参考文献
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