トリノの聖骸布
shroud of Turin
トリノの聖骸布は、長さ約14フィート、幅約3.5フィートの織布で、表面には男性の像が写っている。この像をナザレのイエスだと信じている人は多く、この布はイエスの遺骸を包んだものだと信じられている。この像は単に描かれたものではなく、処刑されたイエスのネガ画像だといわれている。布はイタリアのトリノにある聖ヨハネ洗礼教会の大聖堂に収められている。
この布が最初に``トリノの聖骸布''とされたのが16世紀であることは、すでに明らかとなっている。その当時、布は中世の十字軍遠征の時にトルコで発見されたものだという触れ込みで、トリノ市の大聖堂に運び込まれた。また、この布は16世紀はじめに一度消失したとも言われていた。聖骸布を信奉する権威による以上の事実にもとづいて放射性炭素年代測定をおこなったところ、この布が作られたのは、遡ってもせいぜい750年前までだろうという結果が示されている。(1988年、バチカンは3つの学術研究機関--オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学--にたいして、別々に聖骸布の年代測定を許可した。そしていずれの結果も、この布が中世のものだということを示していた。)
この布の正当性は科学的に証明されていると、聖骸布信者の多くが信じている。こうした事実は、懐疑論者の関心をひきつけるだろう。もちろん、証拠はきわめて限られているので、聖骸布の正統性を指摘するにはほど遠い。たとえば、布に現れた像ははりつけにされた犠牲者のネガ画像だといわれている。この布に現れた男性は、聖書に記されているイエスとまったく同じように、激しくムチで打たれたといわれている。また、画像は染料で描かれたものではないともいわれている。死体を布で包んでも、ふつう身体の像が布に写ることはないから、像は奇跡によって布に写ったのだとされる。布にはイスラエルの死海周辺に生育する植物の花粉が付着していたとされている。布にはAB型の血液が付着していたとされている。布の織り方は、イエスの時代の富裕なユダヤ人が持っていた布と同じものだといわれている。布の寸法は聖書の教えで示されたのと全く同じである。布の寸法と織り方から、この布が最後の晩餐で用いられたテーブルクロスだろうと、研究者(つまり信奉者)は確信している。
こうした``科学的''データの断片は、懐疑論者にとってはたいして面白くないだろう。布の正統性にかんする一連の主張は、すべてたんなる必要条件であって、十分条件になっていない。それだけでなく、聖骸布が本物だろうが偽物だろうが、懐疑論者にはどうでもいい話なのだ。仮に聖骸布がイエスの遺骸を包んだものだとして、それがいったいどうしたというのだろうか?何か問題があるのだろうか?聖母マリアの彫像が本物の涙を流すという話のように、この世界に何らかの影響を及ぼすのだろうか。もちろん、信奉者にとっては大問題だ。なにしろ、こうしたことがらは自分たちの信じたことが真実だとする奇跡のみしるしだろうからだ。しかし、聖骸布とマリア像では質的にかなり違いがある。というのも、もし聖骸布が本物だとしても、イエスを神だとか、彼が死から復活したとする主張を裏付けることにはならないからだ。布が本物だというだけでは、彼は殺されて布に包まれたとしかいえないのだ。人々は、きっとキリスト教のドラマの残りを、飽くことなく信奉し続けるだろう。これに対して、涙を流す彫像は、もし本物なら奇跡としかいえないものだ。もし彫像が本当に涙を流したら、それは限りなく奇跡だと言うしかないのである。もし聖骸布が本物だとしても、必ずしもその正統性を信じる必要はない。しかし依然として、イエスの復活の妥当性を支持すると信じることになるのだ。なぜなら、処刑されて埋葬されたというだけなら、奇跡でもなんでもないからだ。
私はそれほどシニカルではないから、トリノの聖骸布はたんに巡礼ビジネスを活性化させるための宗教的見世物だとまで言う気はない。聖骸布はおそらく偽造品か、あるいは誤解にもとづくものだろう。科学的手法を用いて布の年代を測定するなどには、何の興味も湧かない。布が500年前の物か、1000年前の物か、それともイエスの時代の物かは、その布が奇跡の遺物として扱われているという事実とは、何の関係もないのだ。写っている像がイエスかどうかなどには、何の興味も湧かない。だがここで、信者に指摘しておきたいことがひとつだけある。
炭素年代測定によって聖骸布がおそらく中世の物だろうという結果が出たとき、実際に測定されたのは中世の火事の時に付着した炭素にすぎない、と主張する者がいた。こうした主張は危険だし、ある種のその場しのぎ仮説だと思う。死海周辺で生育する植物の花粉というのも、実際にはほとんど何の意味も持たないのだ。イエスは死海周辺に埋葬されたわけではないし、花粉は遺骸ではなく聖骸布に付着していたかもしれないのだ。AB型の血液は、聖骸布を運んだ誰かの血液かもしれない。もっとも、神の血液型がAB型だというのは面白い話だ。裕福なユダヤ人の織り方という話も、実際にキリストを吊したのがユダヤ人であることを考えると、一貫性がない。(しかし、読者の1人であるハル・ネルソンが指摘するとおり、``その亜麻布はアリマテアのヨシフが贈った''のである。マタイ記 第27章で叙述されているとおり、ヨシフは``富裕なる人''として、また弟子として、布を贈ったのだ。)
ともかく、聖骸布にまつわる一番大きな問題とは、おそらくその真贋だろう。ジョー・ニッケルは聖骸布が偽造だった場合について、著書 トリノの聖骸布に関する研究 Inquest On The Shroud Of Turin で科学技術の専門家とともに考察している。ニッケルは歴史的、図像学的、病理学的、物理的、化学的証拠にもとづいて、聖骸布は贋作だと指摘している。
トリノの聖骸布を偽物だとする最近の学者には、1997年にトリノ聖骸布への最期の審判 Judgment Day for the Turin Shroud を著した微小化学者 ウォルター・マクローンがいる。彼の論文は``キリストの残像を作るため、男性のモデルに染料を塗りつけて布にくるんだのだ''としている。モデルの全身には``地球上に存在し、中世イタリアでは広く用いられていた'' 赤粘土を塗り、``額や頬骨や、そのほか身体じゅうを亜麻布に押しつけて、今日ある像を作り出したのだ。出来上がった像の腕と足と胴体には硫化水銀の朱色顔料を散らして、血液のように見せかけた。''彼の論文は1997年2月9日付 サンデー・タイムズ(イギリス)で、その全文を読むことができる。
参考文献
Joe Nickell, Inquest On The Shroud Of Turin (Prometheus
Books: Buffalo, N.Y.).
Joe Nickell, Looking For A Miracle: Weeping Icons, Relics,
Stigmata, Visions and Healing Cures (Prometheus Books: Buffalo,
N.Y., 1993).
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