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ジョージ・オーウェル『1984年』第 I 部

第1章  第2章  第3章  第4章  第5章  第6章  第7章  第8章


第1章

 

 四月の晴れた寒い日で、時計がどれも13時を打っていた。ウィンストン・スミスは、嫌な風を逃れようとしてあごを胸に埋めたまま、勝利マンションのガラス戸を急いですべりぬけたが、ほこりっぽいつむじ風がいっしょに入ってくるのを防げるほどは素早くなかった。

 廊下は茹でキャベツと古いぼろマットのようなにおいがした。片方のつきあたりに画鋲で張られたカラーポスターは、屋内用には大きすぎた。描かれているのは、幅一メートル以上ある巨大な顔だけ。四十五歳くらいの男の顔で、濃く黒い口ひげと、頑強そうでハンサムな顔立ちだ。ウィンストンは階段に向かった。エレベータを使おうとしても無駄だ。調子がいいときでも滅多に動かなかったし、今は昼間には電気が切られていた。憎悪週間に向けた準備のために経済キャンペーンの一環だ。アパートは七階にあったので、三十九歳で右のかかとの上に静脈瘤の潰瘍があるウィンストンは、ゆっくりと階段をのぼり、途中で何度か休憩した。エレベータシャフトの向かいにある踊り場ごとに、あの巨大な顔のポスターが壁から見つめていた。実に作り物めいていて、こちらが動くとその視線が追いかけてくるような気がする類の絵だ。「ビッグ・ブラザーは見ている」とポスター下の標語に書かれている。

 アパートの中では甘ったるい声が、鋳鉄の生産がらみの一連の数字を読み上げていた。その声は、曇った鏡のような長方形の金属板から流れている。右手の壁面の一部となっている金属板だ。ウィンストンがスイッチをひねると、声は多少小さくなったが、まだことばは聞き取れた。その装置(テレスクリーンと呼ばれる)は暗くはできても、完全に切ることはできなかった。窓に近寄る。小柄で弱々しい姿、肉体の貧弱さは党の制服である青いオーバーオールでかえって強調されている。髪は薄い金色で、顔は生まれつき血色がよく、粗悪なせっけんと切れ味の悪いカミソリと、終わったばかりの冬の寒さのために肌は荒れている。

 外を見ると、閉じた窓越しでも世界は寒そうだった。眼下の通りでは、小さな風の渦がほこりや紙の切れ端をくるくると舞い上げ、日が照って空は濃い青だというのに、すべては色彩がなかった。ただそこらじゅうにべたべた貼られたポスターだけが例外だった。黒い口ひげ顔は、街角に面したあらゆる位置から見下ろしていた。真向かいの建物の正面にも貼られている。「ビッグ・ブラザーは見ている」と標語が書かれ、黒い目がウィンストンの目を深く見抜いている。通りの高さに貼られた別のポスターは隅が破け、風の中で気ぜわしくはためいて、それがたった一語「英社主義(イングソック)」を隠したり見せたりしている。はるか彼方ではヘリコプターが屋根の間を降下し、一瞬デンキクラゲのように漂ったかと思うと、曲線の軌跡を描いて飛び去っていった。警察のパトロールが人々の窓をのぞき込んでいるのだ。でもパトロールはどうでもよかった。重要なのは思考警察だけだった。

 ウィンストンの背後では、テレスクリーンからの声が相変わらず鋳鉄や第九次三カ年計画の前倒し達成についてしゃべりまくっていた。テレスクリーンは受信と同時に送信を行う。ウィンストンのたてる音はすべて、小さなささやき声以上なら補足される。さらに金属板の視界にいる限り、音が聞かれるだけでなく姿も見られる。もちろん、いつの時点でも自分が見られているかどうかは知りようがなかった。思考警察がある個人の回路にどのくらいの頻度で、どういう規則でプラグを差し込むのかは憶測するしかなかった。全員を常時見張っていることだって考えられなくはない。だがいずれにしても、思考警察は好きなときにこちらの回路に接続できるのだった。自分のたてるすべての音が聞かれ、暗闇の中でない限りすべての動きが検分されているという想定のもとに生きるしかなかった――そして実際にそう生きるのだった、というのもその習慣はもはや本能の一部となったからだ。

 ウィンストンはテレスクリーンに背を向けたままだった。そのほうが安全だからだ。とはいえ、背中も口ほどにものを言うことがあるのは、ウィンストンもよく知っていた。勤め先の真実省は一キロ先にあり、陰気な風景の上に巨大な白い姿でそびえている。これがロンドンなのだ、とウィンストンはばくぜんとした嫌悪とともに考えた。そのロンドンを首都とするエアストリップ・ワンは、オセアニアの最も人口の多い地方でもある。ロンドンが昔からこんな様子だったか、子供時代の記憶をしぼりだそうとしてみた。前からこんな、腐りかけた19世紀の家屋の眺めだったろうか、そしてその壁面が材木でつっかい棒を張られ、窓は段ボールで継ぎがあてられ、屋根は波打ちトタンの継ぎ、そして荒れ果てた庭の塀があちこちに垂れ下がっていただろうか? そして爆撃跡にはしっくいの粉が宙に舞い、ヤナギランが瓦礫の上に生い茂っていただろうか。そして爆撃がもっと大きな穴を開けたところには、ニワトリ小屋じみた貧相な木造家屋が群生していただろうか? だが無駄だった、思い出せなかった。子供時代については一連の明るく照らされたタブロー画が思い出せるだけで、それも背景はまったくなく、ほとんど細部は思い出せない。

 真実省――ニュースピーク1では真省――は視界の中の他のどんな建物とも驚くほどちがっていた。ギラつく白いコンクリートの巨大なピラミッド構造であり、次々にテラスが後退する形で空中三百メートルにまでそびえている。ウィンストンの立ち位置からだと、その白い壁面に優美な文字できざまれている、党の三つのスローガンがかろうじて読み取れた:

戦争は平和
自由は隷属
無知は力

  1. ニュースピークはオセアニアの公式言語である。その構造と語源については補遺を参照。↩︎

 真実省の地上部分には三千室あると言われており、地下にはそれに対応した分岐構造があるはずだった。ロンドン中の他の部分には、似たような外見と大きさの建物があと三つだけあった。それらは完全に周囲の建物を威圧しきっていて、このヴィクトリーマンションの屋上からだとその四つを同時に見ることができた。それは政府機構すべてを分割している四つの省の建物だった。真実省、これはニュース、娯楽、教育、芸術を担当する。平和省は戦争を担当している。愛情省は法と秩序を維持した。そして豊富省は経済関連を担当していた。これらをニュースピークで言うと、真省、平省、愛省、豊省だ。

 本当におっかないのは愛情省だった。窓は一切ない。ウィンストンは愛情省に入ったことがないどころか、半径五百メートル以内に近づいたこともなかった。公用以外では絶対に中に入れない建物で、その場合でも鉄条網のからんだ柵や鉄のドアや隠れた機関銃の銃座の迷路を通過しなくてはならなかった。その外壁に向かう通りですら、ジョイント式棍棒で武装した黒い制服姿のゴリラ顔の警備員だらけだった。

 ウィンストンはいきなり振り向いた。顔は、テレスクリーンに面するときに望ましいとされる、静かな楽観の表情に設定しておいた。部屋を横切って小さな台所に入る。こんな時間に退省したことで、食堂での昼食を逃してしまい、そして台所には明日の朝食用に残しておくべき黒パンのかたまり以外には食べ物がないのも知っていた。棚から透明な液体のボトルを取った。無地の白いラベルに「勝利ジン」と書かれている。中国の米の酒めいた、胸の悪くなる油っぽいにおいを放っている。ウィンストンはほとんどティーカップ一杯分それを注ぐと、ショックに備えて心の準備を整えて、薬のように一気に飲み干した。

 一瞬で顔が紅潮し、目からは水気がほとばしった。ブツは硫酸まがいで、さらにそれを飲み干すのは後頭部をゴムの棍棒でぶん殴られたような感じをもたらした。でも次の瞬間、腹の中の炎上はおさまって、世界はもっと楽しげに見えてきた。「勝利タバコ」と書かれたくしゃくしゃの箱からタバコを取り出して、注意散漫なままそれを縦に持つと、タバコが床に落ちてしまった。次の一本ではもっとうまくいった。居間に戻ると、テレスクリーンの左に置かれた小さなテーブルにすわった。テーブルの引き出しからはペン立てとインキ、そして分厚い四つ折り版の白紙の本を取り出した。背は赤くて、表紙は大理石模様だ。

 どういうわけか、居間のテレスクリーンは変わった位置にあった。通常なら部屋の奥の壁に取り付けられて部屋全体を見渡せるようになっているのに、ここでは窓の向かいの長い壁に取り付けられていた。その片側には浅いアルコーブがあって、いまウィンストンがすわっているのもそこだ。たぶんこのアパートが建てられたときには、本棚を作る場所だったのだろう。アルコーブにすわってずっと奥に身を寄せると、テレスクリーンの視界から逃れることができた。もちろん音は聞かれるが、いまの位置にいる限り、見られることはない。これからやろうとしていることを思いつかせたのは、一部にはこの部屋の変わった形なのだった。

 でも、いま引き出しから取り出した本もまたそれをうながしたのだった。それは異様に美しい本だった。なめらかでクリーム入りの紙は、少し古びて黄ばんでいたが、過去少なくとも四〇年間は作られていないような紙だった。でも、その本は四〇年よりずっと古いことが推測できた。街のスラムじみた一角(どの一角だったかはいまや思い出せなかった)にあった、薄汚い小さな古物屋のウィンドウに転がっていて、すぐさまそれを所有したいという圧倒的な欲望にとらわれてしまったのだった。党員たちは通常の店に入ってはいけないことになっていたが(「自由市場での取引」と言われていた)、この規則はあまり厳守されていなかった。靴のひもやカミソリなど、それ以外の方法では手に入らないものがいろいろあったからだ。通りを急いできょろきょろと見渡すと、店にすべりこんで本を二ドル五〇で買った。その時点では、何か特に使途があってほしかったわけではなかった。後ろめたい思いでそれをブリーフケースに入れて持ち帰った。なにも書かれていなくても、それは危険な所有物だった。

 これからやろうとしていたのは、日記を始めることだ。これは違法ではなかった(違法なことなどなかった。というのも法律がもうなかったからだ)が、もし見つかれば、罰として死刑になるか、二十五年の強制労働キャンプに送られるのはほぼ確実だった。ウィンストンはペン先を軸につけると、なめて油気を取った。ペンは古めかしい道具であり、もはや署名にすらほとんど使われず、ウィンストンがそれをこっそりとかなり苦労して入手したのは、この美しいクリーム色の紙がインク鉛筆で殴り書かれるよりも、本物のペン先で書かれるべきものだという気がしたからというだけのこと。実は、手書きにはあまり慣れていなかった。短いメモを除けば、話筆ですべて口述するのが通例だったからだが、これはもちろん目下の目的のためには不可能だった。ペンをインキにつけて、一瞬ためらった。下腹部に震えが走る。紙にしるしをつけるのは、決定的な行動となる。小さいへたくそな字で、かれはこう書いた:

1984年4月4日

 そして身を引いた。まったくの心細さにとらわれてしまったのだ。そもそも、いまが本当に1984年だということさえ、まるで確実にはわかっていなかったのだ。たぶんそのくらいの年代のはずだ。自分が三十九歳なのはかなり自信があったし、自分が1944年か1945年に生まれたと思っていたからだ。でも最近では、一年か二年の範囲内ではどんな日も特定できないのだった。

 急に思いついた疑問として、自分はいったい誰のためにこの日記を書いているんだろうか? 未来のために、未だ生まれぬ者たちのために。心はしばらく、ページ上のあやしげな日付のまわりをさまよい、それからニュースピーク用語「二重思考(ダブルシンク)」にどしんとぶちあたった。初めて、自分のやったことがどれほどのものかが腑に落ちた。未来とどうやって対話できるというのか。それは本質的に不可能なことだ。未来は現在と同じかちがうかで、同じなら自分の書くことに耳を貸したりはしないだろうし、もしちがっていれば、自分の窮地などは無意味になる。

 しばらくかれは、呆けたように紙を見つめたまますわっていた。テレスクリーンは勇ましい軍楽に変わっていた。自分自身を表現する力を失ったというだけでなく、自分がもともと何を言おうとしていたのかも忘れたというのは不思議なことだった。過去何週間も、この瞬間のために準備を整えてきたし、勇気以外の何かが必要になるとは思いもしなかった。実際に書くのは簡単だろうと思っていた。文字通り何年にもわたり、頭の中を駆けめぐり続けていた止まらない落ち着かない独白を、紙に写せばいいだけのことだ。でもこの瞬間、その独白すら干上がってしまった。さらに静脈瘤の潰瘍が我慢できないほどかゆくなった。絶対にかいたりしないようにはしていた。かけば必ず炎症を起こすからだ。カチカチと秒が過ぎていく。目にはいるのは、目の前のページの白さと、足首の上の皮膚のかゆみ、けたたましく鳴り響く音楽、そしてジンが引き起こした軽い酔いだけ。

 突然、パニックにとらわれたように書き出したが、自分が何を書いているのか半分くらいしか認識していない状態だった。小さいが子供じみた手書き文字はページを上下に波打ち、最初は大文字をすっとばし、さらには読点すらなくなっていった。

 1984年4月4日。昨夜は映画へ。全部戦争映画。すごくよかったのが難民だらけの船が地中海のどこかで爆撃されてるやつ。でかい巨大なでぶ男が泳いで逃げようとしているのをヘリコプターが追いかけるショットで観客は大受け、最初はイルカみたいに水の中をよたよた泳いでたのが、次にヘリコプターの銃の照準ごしになって、それから穴だらけになってまわりの海がピンク色になって穴から水が入った見たいにいきなり沈んで、観客は沈んだときに大笑いして叫び、それから子供でいっぱいの救命ボートの上空にヘリコプターが滞空してるのが見えて、舳先では中年女がユダヤ女だったかもしれないけど身を起こしてすわってて腕には三歳くらいの男の子と抱いて、男の子は怖がって泣き叫び女の胸の間に頭を隠してまるで女にそのまま穴をほってもぐろうとしているかのようで女はその子に腕をまわしてなぐさめながらも自分だって恐怖で真っ青で、ずっと子供をできるだけかばって腕が銃弾を防げるとでも思っているみたいで、そこでヘリコプターがそいつらに二〇キロ爆弾をくらわしてすごいせん光でボートはマッチ棒くらいこなごなになって、子供の腕がぐんぐんと空にとばされるすばらしいショットがあって鼻面にカメラをつけたヘリコプターが後を追ったようで党のシートからは大喝采だったがプロレ席の女がいきなりなんくせつけはじめてこんなん子供たちの前で見せんなんてよくねえの子どもたちの前ってなダメだのとわめきだしたんだけど警察がきて外に追い出してあの女には何もおきなかっただろうなプロレの言うことなんてだれもきにしないまったくプロレらしいものいいであのれんちゅうときたらけっして――

 ウィンストンは書くのをやめたが、それは一部はこむらがえりが起きたせいだった。なぜ自分がこんなクズの羅列を吐きだしたのかはわからなかった。でも不思議なことに、これを書いているうちにまったくちがう記憶が心のなかではっきりしてきたので、ほとんどそれを書き留めているような気になったことだった。今日帰宅して日記をはじめようといきなり決心したのも、このもう一つのできごとのせいだったということに思い当たった。

 それはその朝に省で起きたことだった。こんなあいまいなことが起きたと言えるのであればの話だが。

 ほぼ1100時で、ウィンストンの働く記録部では作業仕切りの中から椅子を引っ張り出して、通路の真ん中の大きなテレ画面の向かいに集合し、二分憎悪の準備をしているところだった。ウィンストンはちょうど中央の列にすわろうとしていたが、そのときこれまで見覚えはあっても口をきいたことはなかった人物二人が、不意に部屋に入ってきた。一人は廊下でよくすれちがう女子だ、名前は知らなかったが、創作部で働いているのは知っていた。おそらく――ときどき油だらけの手をしてスパナを持っていたから――小説執筆装置のどれかで機械関係の仕事をしているのだろう。くっきりした印象の女子で、二十七歳くらい、濃い黒髪をしていてそばかす顔、すばやく活発な動きをしている。青年反セックス連盟の紋章である細い深紅の腰帯をオーバーオールのウェストに何度か巻いており、そのきつさはヒップの形のよさがちょうど出るくらいだった。ウィンストンは一目見て彼女が嫌いになった。理由はわかっていた。彼女が漂わせているホッケー場や水風呂やコミュニティハイキングや全般的なおきれいさ加減の雰囲気のためだ。女はほとんどみんな嫌いだったし、若くてきれいな女は特に嫌いだった。党の最も頑迷な支持者、スローガンの鵜呑み屋、非正統行動の素人スパイや嗅ぎ出し屋を勤めるのはいつだって女、特に若い女だった。でもこの女は他のみんなよりもっと危険だという印象を与えた。一度、廊下ですれちがったときに、彼女は脇目でちらりとこちらを見たが、それはかれを突き刺すようで、一瞬真っ黒な恐怖でいっぱいになってしまったほどだ。彼女が思考警察の手先かもしれないとさえ思ったこともあった。確かにそれはきわめてあり得ないことだった。でも、彼女が近くにいるときには、敵意と恐怖が混ざり合ったような、奇妙な居心地の悪さを感じ続けていたのだった。

 もう一人はオブライエンという名前の男で、党中心の一員で、きわめて重要かつ上層の地位にあるために、ウィンストンはそれがどんなものか漠然としか理解していなかった。党中心の一員の黒いオーバーオールが近づいてくるのを見て、椅子のまわりの人々は一瞬だまりこんだ。オブライエンは大柄でがっしりした男で、首は太く、顔は荒々しくユーモラスで険しかった。立派な外見とは裏腹に、その振る舞いにはちょっとした魅力があった。鼻のメガネをずらすという小技が、不思議なくらい警戒をとく――いわく言い難いかたちで、不思議に洗練されているのだ。それは、未だにこういう発想をする人がいるなら、18世紀の貴族が嗅ぎタバコの箱を差し出す様子を思わせるものと言えるかもしれない。ウィンストンはこの十二年ほどで、オブライエンを十二回くらい見ただろうか。深く惹かれていたが、それは単にオブライエンの都会的な身のこなしとボクサー的な体つきとのコントラストに魅了されたからというだけではない。それよりずっと大きいのは、オブライエンの政治的な正当性が完全ではないという秘密の信念――いや信念ですらなく、ただの希望――のためだった。オブライエンの顔の何かが、どうしようもなくそれを示唆していた。そして一方で、かれの顔に書かれているのは非正統性ですらなく、単なる知性なのかもしれなかった。でもいずれにしても、オブライエンは何とかテレスクリーンを出し抜いて二人きりになれたら、話ができそうな相手に見えたのだった。ウィンストンはこの憶測を確認しようという努力は一切したことがなかった。いや、それをする方法がなかったのだ。この瞬間、オブライエンは腕時計を見て、ほとんど1100時なのを見ると、二分憎悪が終わるまで記録部にいようと明らかに決めたようだ。ウィンストンと同じ列の、数個離れた椅子にすわった。二人の間には、ウィンストンのとなりの区画で働く小柄で砂色の髪をした女がすわった。黒髪の女はすぐ後ろにすわっている。

 次の瞬間、部屋の奥にある大テレスクリーンから、醜悪でひっかくようなきしり音が、まるでオイル無しで巨大な機械が動いているかのように飛び出してきた。人々の歯をくいしばらせて、首の後ろの毛を逆立てるような音だった。憎悪がはじまったのだ。

 いつもながら、人民の敵エマニュエル・ゴールドスタインの顔が画面に映し出された。観客のあちこちからシッシッとヤジがきこえた。小さな砂色の髪の女は、恐怖と嫌悪のいりまじった悲鳴をあげた。ゴールドスタインは、裏切り者の反動主義者で、かつてはるか昔に(どのくらい昔かは、だれもまともに覚えてはいなかった)党の主要人物の一人でほとんどビッグ・ブラザー自身と肩を並べるくらいだったのに、反革命活動に手を染めて、死刑を宣告されたが、謎の脱出をとげて姿を消したのだった。二分憎悪の番組は毎日ちがったが、ゴールドスタインが主要登場人物でないものは一つもなかった。ゴールドスタインは第一の裏切り者であり、党の純粋性を最もはやく汚した人物だった。それ以降の党に対する犯罪、すべての裏切り、妨害行為、邪説、逸脱行為は直接的にゴールドスタインの教えから生じたものだった。かれはどこかしらでまだ生きており、陰謀を生み出している。たぶんどこか海の向こうで、外国の出資者に保護をされているのか、あるいは――ときに噂されるように――このオセアニア自身のどこかにある隠れ家で。

 ウィンストンは胸がしめつけられた。ゴールドスタインの顔を見るたびに、どうしても痛々しい感情が入り交じってしまう。その顔はやせたユダヤ人顔で、大量のもじゃもじゃした白髪をさかだたせ、小さな山羊ヒゲをはやしている――賢そうな顔だが、なぜか本質的に嫌悪をもよおさせ、メガネが端にのっかっている長細い鼻には年寄りじみたまぬけさがあった。ヒツジの顔に似ていて、声もヒツジめいたところがあった。ゴールドスタインはいつもながら党の政策に対して悪意に満ちた攻撃を加えているところだった――あまりに大げさな攻撃なので、子供でも見抜けるほどのものだが、でも多少はもっともらしいので、自分ほど冷静でない他の連中ならこれを真に受けるのではないかという警戒感で胸がいっぱいになる。かれはビッグ・ブラザーを罵倒し、党の独裁を糾弾し、ユーラシアとの即時平和締結を要求し、言論の自由や報道の自由、集会の自由、思想の自由を支持し、革命は裏切られたとヒステリックに叫んでいた――そしてこのすべては、党の弁舌家たちの一般的なスタイルをある意味でパロディ仕立てにした、早口で長い単語を多用する演説形式で行われており、ニュースピーク用語さえ使われていた。それもどんな党員だろうと現実生活では普通使わないと思われるほど大量に使っていたのだ。そしてその間ずっと、ゴールドスタインのまことしやかなご託が隠蔽しようとしている現実を疑う者がないように、テレスクリーン上のゴールドスタインの頭の後ろには、無数のユーラシア軍の行列が行進していた――何列も何列も、無表情なアジア敵顔立ちのがっしりした男たちが次々に、画面に浮かび上がっては消え、まったく同じような別の者にとってかわられる。兵たちの軍靴による鈍いリズミカルな足音が、ゴールドスタインのメエメエとした声の背景となっていた。

 憎悪が三十秒も続かないうちに、部屋の半数の人々からは抑えようのない激怒の叫びが起こっていた。スクリーン上の自足しきったヒツジのような顔と、その背後のユーラシア軍のおそるべき勢力は、あまりに耐え難かった。それに、ゴールドスタインの姿やかれについての考えだけでも、自動的に恐怖と怒りを引き起こす。ゴールドスタインは、ユーラシアやイースタシアにもまして一貫した憎悪の対象となっていた。これらの二国であれば、片方と戦争状態のときにはもう片方とは平和を保っているのがふつうだったからだ。でも奇妙なことに、ゴールドスタインはだれからも憎まれ、軽蔑されているのに、そして毎日、それも日に何千回も、演台やテレスクリーン、新聞、本でかれの理論は反駁され、たたきつぶされ、バカにされ、惨めなゴミクズとして万人の目にさらされているのに――これだけのことがあるにもかかわらず、その影響力は決して弱まらないようだった。いつもかれに誘惑されるのを待っている新しいまぬけがいる。毎日のように、かれの命令で活動しているスパイや妨害工作員が思考警察に暴かれていた。かれは広大な陰のような軍隊、国家を転覆させることだけに専念する陰謀家たちの地下ネットワークの司令官なのだ。その名は友愛団だといわれていた。またささやかれる話としては、ゴールドスタインが書いた、あらゆる邪説を集めた恐るべき本があって、それがあちこちで密かに流通しているのだとか。題名のない本だった。人々は、それに万が一言及することがあっても、単に「あの本」と呼んでいた。でもそういう話は漠然とした噂でしか伝わってこなかった。友愛団もあの本も、口にのぼらせずにすませられるなら、通常の党員はだれでも口にしないようにしていた。

 二分目に入ると憎悪は狂乱状態に高まった。人々は席でぴょんぴょん飛びはね、スクリーンからくるメエメエとした気の狂いそうな声をかき消そうと思い切り絶叫していた。砂色の髪をした女は明るいピンク色になって、口は陸に上がった魚のようにぱくぱくしている。オブライエンの重たい顔ですら紅潮していた。椅子にまっすぐすわり、強そうな胸は襲い来る波に立ち向かっているかのように、ふくれては震えていた。ウィンストンのすぐ後ろの黒髪女は「ブタ! ブタ! ブタ!」と叫びだしていて、いきなり重たいニュースピーク辞典を手にすると、スクリーンに投げつけた。それはゴールドスタインの鼻に当たってはねかえった。声は止めようもなく続いていた。一瞬頭がはっきりすると、ウィンストンは自分自身もほかのみんなといっしょに怒鳴り、椅子の横木を激しくかかとでけとばしているのに気がついた。二分憎悪のひどいところは、参加が義務づけられているということではなく、つい参加せずにはいられなくなってしまうということだった。ものの三十秒で、どんな気取りも必ずまるで不要になる。恐怖と復讐心の醜悪なエクスタシー、殺意、拷問欲、大ハンマーで顔をたたきつぶしたい欲望が、集団の人々すべての間を電流のように走り抜けるようで、それが人を己自身の意志にすらそむかせて、顔をゆがめた叫ぶキチガイにしてしまう。それでありながら、そこで感じられる怒りは抽象的で方向性のない感情であり、溶接トーチの炎のように、ある対象から別の対象へと切り替えられる。だからある瞬間にはウィンストンの憎悪はまったくゴールドスタインに向かわず、正反対のビッグ・ブラザーと党と思考警察に向いていた。そしてそうした瞬間には、かれの心はスクリーンに映りバカにされている孤独な異端者、ウソまみれの世界における、たった一人の真実と正気の守護者のほうに向かうのだった。でもその次の瞬間には、まわりの人々と一つになって、ゴールドスタインについて言われていることはすべて本当に思える。そういう瞬間には、ビッグ・ブラザーに対する密かな嫌悪は崇拝にかわり、ビッグ・ブラザーは無敵の恐れをしらぬ守護者としてそびえあがるようで、それがアジアの群衆や、孤立や無力さやその存在自体をめぐる疑念にもかかわらず、なにやら悪意ある詐術師として声の力だけで文明の構造を破壊できるゴールドスタインに対して岩のように立ちはだかる。

 ときには、自分の憎悪を自発的にこちらやあちらの対象へと切り替えることさえできた。いきなり、悪夢の途中で頭を枕からもぎはなすときのような荒々しい努力によって、ウィンストンは自分の憎悪をスクリーンの顔から背後の黒髪女子に転移させるのに成功した。鮮明で美しい幻覚が頭の中を走る。ゴム警棒で殴り殺してやる。裸にして杭にしばりつけて、聖セバスチャンのように無数の矢を打ち込んでやる。陵辱して絶頂の瞬間にのどをかき切ってやる。それ以上に、前よりよかったのは、自分がなぜ彼女を憎んでいるのかに気がついたことだった。嫌いなのは、彼女が若くてきれいでセックス拒否だったからだ。彼女とベッドにいきたいのに決してそれはかなわない。なぜならその甘いしなやかな腰は、こちらに腕をまわしてくれと頼んでいるようでありながら、そこにあるのは唯一、あの不愉快な深紅の腰帯、貞操の強烈なシンボルだけなのだ。

 憎悪はクライマックスを迎えた。ゴールドスタインの声は本物のヒツジの鳴き声となり、その顔も一瞬だけ本当にヒツジになった。それからヒツジの顔がとけてユーラシア兵の姿となり、前進しつつあるようで巨大でおそろしげで、軽機関銃をとどろかせ、スクリーンから飛びだしてくるように見えたので、最前列の何人かは椅子の中で本当に身をすくめていた。でもその瞬間、みんながほっとして深い溜息をついたのは、その敵意に満ちた姿がとけて、ビッグ・ブラザーの顔になったからだ。黒髪、黒い口ひげ、力に満ちて謎めいた平穏さを見せ、あまりに大きくてほとんどスクリーンいっぱいになっている。だれもビッグ・ブラザーが何を言っているのか聞いていなかった。単に勇気づけの数語、先頭のとどろきの中で発せられ、個別に意味はないが、単にそれが言われたというだけで落ち着きを取り戻させてくれるようなことばだ。そしてビッグ・ブラザーの顔はまたとけ去り、かわりに党の三つのスローガンが、太字で

戦争は平和
自由は隷属
無知は力

 だがビッグ・ブラザーの顔はスクリーン上に何秒か残っているかのようで、まるでそれがみんなの目玉に与えたインパクトは、すぐに消え去るには鮮明すぎたとでもいうようだった。小さな砂色の髪の女は、前の椅子の背にしがみついた。「我が救世主よ!」とおぼしき震えるようなつぶやきとともに、彼女はスクリーンのほうに腕をのばした。それから顔を手にうずめた。お祈りを唱えているのは明らかだ。

 この瞬間、そこにいる集団の全員が、深くゆっくりしたリズミカルな「B-B!……B-B!……B-B!」という詠唱を始めた――何度も何度も、非常にゆっくり、最初のBと二番目のBの間に長い間をおいて――思いつぶやくような音だが、なぜか不思議と野蛮で、その背後にははだしの足踏みやトムトムの鼓動が聞こえるような感じがする。それをおそらくは三十秒ほども続けただろうか。それは圧倒的な感情の瞬間にしばしば聞かれる繰り返しだった。部分的には、ビッグ・ブラザーの叡智と威厳に対する賛歌のようなものだが、それ以上に自己催眠行動であり、リズミカルな騒音で意識を意図的におぼれさせようとするものだ。ウィンストンは内臓が冷え込むように感じた。二分憎悪ではどうしても全般的な興奮状態は共有してしまうが、この人間以下の「B-B!……B-B!」の詠唱にはいつも恐怖でいっぱいにさせられる。もちろん、ほかのみんなにあわせて詠唱はした。他にどうしようもなかった。感情を解体し、表情をコントロールし、他のみんなにあわせるのは、本能的な反応だった。でも、目にあらわれた表情が、ひょっとしてそのコントロールを裏切ったかもしれない期間がものの数秒ほどあった。そしてまさにその瞬間に、その重大なことが起きたのだ――もし本当にそれが起きたのだとすればの話だが。

 一瞬、かれはオブライエンの視線をとらえた。オブライエンは立ち上がっていた。メガネをはずしており、あの特有の仕草でそれを鼻にのせなおすところだった。でも二人の目がほんの一瞬だけ出会い、そしてそれが起こっている間、ウィンストンにはオブライエンも自分と同じことを考えているとわかった――そう、確信できた! まちがいないメッセージがかわされた。二人の心が開いてお互いの思考が目を通じて流れ込んでいるようだった。オブライエンはこう言っているようだった:「私は君の味方だ。君がずばり何を感じているか知っている。その軽蔑、その憎悪、その嫌悪もすべてわかる。でも心配するな。私は君の味方だ!」そこで情報の一閃は消え、オブライエンの顔は他のみんなと同じくとらえどころがなくなった。

 それだけのことであり、それが実際に起こったのかももはや確信がなくなっていた。こうした出来事には決して続編がない。それは単に、自分以外にもだれかは党の敵なのだという信念、または希望を維持し続けるだけのものだった。巨大な地下の陰謀組織の噂は、実は本当なのかもしれない――友愛団は実在するのかもしれない! 果てしない逮捕や告白や処刑にもかかわらず、友愛団が単なる神話ではないと断言するのは不可能だった。それを信じる日もあれば信じられない日もあった。証拠はなく、どうとでも解釈できる、あるいは何の意味も持たないような、かすかなほのめかしがあるだけだ。ちょっと耳に入った会話の断片、便所の壁のかすかな落書き――あるときは、見知らぬ人物二人が出会ったときに、ちょっとした手の動きがまるでお互いを認め合ったかのような印に思えたこともあった。どれも憶測でしかない。すべて自分の妄想だという公算も強い。二度とオブライエンのほうを見ないままウィンストンは自分の区画に戻った。その一瞬の接触をさらに進めようという発想はほとんど思いもよらなかった。どう進めればいいか知っていたとしても、考えられないほど危険な行為だ。一秒、二秒ほど、二人はあいまいな視線をかわし、それっきりだ。でもそれだけでも、ここで強いられた閉塞した孤独の中では特筆すべきできごとなのだった。

 ウィンストンは気を取り直すと身を起こしてすわりなおした。そしてゲップをした。ジンが腹からのぼってきている。

 ページに視線の焦点をあわせた。よるべなく回想するうちに、自動書記のように筆記もしていたのがわかった。そしてそれは、前のようなぐしゃぐしゃのへたくそな手書きではなかった。ペンは自在になめらかな紙の上をすべり、大きくきれいな大文字でこう書いていた。

打倒ビッグ・ブラザー
打倒ビッグ・ブラザー
打倒ビッグ・ブラザー

 これが何度も何度も繰り返され、ページ半分を埋め尽くしていた。

 軽いパニックを抑えられなかった。バカげた話だ。こんなことばを書いたからといって、そもそもこの日記帳を開いたという最初の行動より危険というわけではなかったのだから。でも一瞬、この汚れたページを破り捨てて日記自体をやめてしまおうという誘惑にかられた。

 でもそうはしなかった。無駄だというのを知っていたからだ。打倒ビッグ・ブラザーと書こうと書くのをやめようと、何のちがいもない。日記を続けようと続けまいと何のちがいもない。どのみち思考警察につかまる。自分はほかのすべての犯罪を包含する、基本的な犯罪を犯したのだ――そして紙にペンを走らせずとも、やはり犯していただろう。それは思考犯罪と呼ばれる。思考犯罪は永遠に隠しおおせられるものではない。しばらくはうまくかわせるだろうし、それを何年も続けることだってできるが、いずれは連中につかまる。

 それはいつも夜のことだった――逮捕は必ず夜に起こる。いきなり眠りから引きずりだされ、荒っぽい手が肩をつかんで揺すり、電灯が目に照らされ、怖い顔がベッドを取り巻いている。大半の場合、裁判もなければ逮捕の報道もない。人々は夜のうちに、あっさり消える。名前は住民登録から消され、これまで行ったことのあらゆる記録も消され、その人の一回限りの存在が否定されて、そしてわすれられる。破壊され、消し去られる。蒸発、というのが通常の表現だ。

 一瞬、かれはヒステリーのようなものに捕らわれた。慌てた乱雑な殴り書きを始めた。

 射殺されるかまわない首の後ろを撃たれるかまわない打倒ビッグ・ブラザーいつも首の後ろを撃つかまわない打倒ビッグ・ブラザー――

 椅子の背にからだを預けて、ちょっと自分を恥ずかしく思い、ペンを置いた。次の瞬間、かれは飛び上がった。ドアにノックがしたのだ。

 もう来たのか! かれはネズミのようにじっとして、ノックの主がだれであれ、一回であきらめて帰ってくれないかという無駄な希望を抱いていた。だがそうはいかない。ノックは繰り返された。これ以上グズグズするのは最悪だ。心臓は太鼓のように高鳴っていたが、顔は、長い習慣のために、たぶん無表情だっただろう。立ち上がると、足取り重くドアに向かった。

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第2章

 

 ドアノブに手をかけたとき、日記がテーブルで開いたままになっているのが目に入った。一面に「打倒ビッグ・ブラザー」と書かれており、その時はほとんど部屋の向こうから読めそうなくらい大きい。考えられないくらいバカな行為だった。でも、これほどのパニックの中でも、インクが乾かないうちに本を閉じてクリーム状の紙にしみを作りたくなかったのだ、とウィンストンは悟った。

 息を吸い込むとドアを開けた。すぐに全身を暖かい安堵の波が走り抜ける。外に立っているのは生気のない、粉砕されたような様子の女で、髪はまばら、顔はしわだらけだった。

「ああ同志」と彼女は陰気で泣き言めいた声で口を開いた。「帰ってらしたのが聞こえたと思ったもので。ちょっときて、うちの台所の流しを見て頂けませんか。詰まってしまって――」

 同じ階のご近所の奥さん、パーソンズ夫人だった(「夫人」は党があまりいい顔をしない用語だった――だれでも「同志」と呼ぶことになっていた――が、一部の女性に対しては本能的にこの用語が使われてしまうのだった)。三〇歳くらいだが、ずっと歳を取って見えた。顔のしわにほこりが詰まって異様な印象を受ける。ウィンストンは彼女について廊下を下った。こうした素人修理作業はほとんど毎日のように起こる悩みの種だった。勝利マンションは古いアパートで、竣工は一九三〇年かそこらだから崩壊寸前だった。壁や天井のしっくいは絶えずはがれ落ち、配管は霜が厚くなればすぐに破裂し、雪がふれば雨漏りし、暖房も経済性のために完全に止められていなくても、スチーム半量でしか動かない。自分ではできない修理はどこか遠くの委員会に委ねられており、かれらは窓ガラスの修理ですら二年も待たせるのだった。

「もちろんトムが家にいればこんなお願いはしないんですけど」とパーソンズ夫人は上の空で言った。

 パーソンズ一家のアパートはウィンストンのものより大きかったが、ちがった形でみすぼらしかった。すべてがいためつけられたような、踏みつけられたような、まるで何か凶暴な巨獣がついさっき訪れたかのような様子をしていた。邪魔なスポーツ用品――ホッケースティック、ボクシングのグローブ、破れたサッカーボール、裏返しの汗だらけのトランクス――が床中に散らばり、テーブルの上には汚れた皿とページの端を折った練習問題帳が散在していた。壁には若人連盟とスパイ団の赤い旗と、ビッグ・ブラザーの大型ポスターがあった。このビル全体でどこでもありがちな茹でキャベツのにおいがしたが、その間からもっと鋭い汗の悪臭がして、それは――一嗅ぎでわかるのだが、なぜわかるかはわからない――いまここにいない人物の汗なのだった。別の部屋では、くしとトイレットペーパー製の即席楽器を持っただれかが、テレスクリーンからまだ流れ続ける軍楽にあわせて演奏しようとしていた。

「子どもたちですよ」とパーソンズ夫人はドアに向かって半分上の空の視線を投げた。「今日はずっと家におりましてね。だからもちろん――」

 彼女はいつもこのように文を途中で止めてしまうのだった。

 流しはほとんどふちいっぱいまで、汚らしい緑がかった水がたまっていて、それがすさまじいキャベツ臭を放っている。ウィンストンはひざをついて、配管の曲げ部分を調べた。手を使うのは大嫌いだったし、身をかがめるのもいやだった。かがむといつも咳がはじまってしまうのだ。パーソンズ夫人はなすすべもなく見守っていた。

「もちろんトムが家にいたら、すぐに直してくれるんですが。あの人、その手のことは大好きですから。手作業は本当に上手でしてね、トムは」

 パーソンズは真実省でのウィンストンの同僚だった。小太りで、活発だがあぜんとするほどバカで、まぬけな熱意でいっぱい――何一つまったく疑問に思わない、献身的なドタ作業要員で、党の安定は思考警察よりもずっとこうした人々のおかげなのだ。三十五歳でちょうどいやいやながら青年連盟から追い出されたところで、そして青年連盟へと卒業する以前は、スパイ団に規定年齢を一年超えて在籍し続けていた。省では、知性を必要としない下働き職に雇われていたが、スポーツ委員会やその他コミュニティ旅行や自発でも、節約キャンペーンやボランティア活動全般では大活躍だった。パイプを吹かすあいまに、静かな誇りをもって、自分が過去四年にわたり毎晩コミュニティセンターに顔を出したのだと話してくれたものだ。どこへ行くにも、圧倒的な汗臭さ――それはかれの人生の奮闘ぶりを無意識に証言しているともいえる――がついてまわり、立ち去ったあともそれがしばらく残っているような人物だった。

「スパナはありますか」とウィンストンは、曲げ配管のねじと格闘しながら言った。

「スパナですか」とパーソンズ夫人はすぐさまうろたえはじめた。「いや、ちょっとわかりかねます。子どもたちなら――」

 ブーツの足音とくし笛の一吹きとともに、子どもたちが居間に突進してきた。パーソンズ夫人はスパナを持ってきた。ウィンストンは水を抜いて、パイプをつまらせていた髪の毛のかたまりを嫌悪と共に取り除いた。蛇口からの冷水でできる限り指をきれいにすると、部屋を移った。

「手を挙げろ!」と粗野な声が叫んだ。

 見栄えのいい、頑丈そうな九歳の少年がテーブルの向こうから顔を出し、おもちゃの自動拳銃でこちらを脅かしている。その妹は二歳ほど年下だが、木のかけらで同じ動作をしている。どちらも青のショーツ灰色のシャツと赤いネッカチーフをしている。スパイ団の制服だ。ウィンストンは両手を頭上にあげたが、穏やかならぬ気分がした。少年の態度があまりに凶悪で、それがただのお遊びには思えなかったからだ。

 少年は叫んだ。「この裏切り者め! 思考犯罪者め! ユーラシアのスパイめ! 撃ち殺してやる! 蒸発させてやる! 塩鉱山送りにしてやる!」

 いきなり二人はウィンストンのまわりを飛びはね、「裏切り者!」「思考犯罪者!」と叫び、少女は兄のあらゆる動きを真似していた。なぜかちょっとこわい感じがした。いずれは人食いトラになるはずの子供のトラがじゃれているのを見るような思いだった。少年の目には計算高いどう猛さがあって、明らかにウィンストンを殴るか蹴るかしたいと思っており、そしてあと少し大きくなればそれができることを認識しているのもうかがえた。こいつの手にしているのが本物の拳銃でなくてよかった、とウィンストンは思った。

 パーソンズ夫人の目は不安そうにウィンストンから子供たちへと移り、そしてウィンストンへと戻った。居間のもっと明るい照明の下で見ると、夫人の顔のしわには本当にほこりが詰まっているのが見えて、ウィンストンはおもしろがった。

「この子たちも騒々しくて。二人とも絞首刑を見に行けないのでおかんむりなんですよ、この様子は。わたしは忙しすぎて連れて行けませんし、トムも間に合うように仕事から帰ってこられないもので」

「なんで絞首刑を見に行けないの?」と少年はその大声で吠えた。

「絞首刑見たい! 絞首刑見たい!」と少女は、相変わらず飛びまわりながら唱えた。

 そういえば今晩、戦争犯罪で有罪になったユーラシアの囚人たちが公園で絞首刑になるのだった。これは月に一度行われ、人気の高い見せ物だった。子どもたちはいつも、連れて行けとせがみたおす。ウィンストンはパーソンズ夫人に失礼すると告げて、戸口に向かった。でも通路を六歩もいかないうちに、何かが首のうしろに当たって悶絶しそうな痛みをもたらした。灼熱した針金で突き刺されたかのようだ。振り返ると、ちょうどパーソンズ夫人が息子を戸口にひきずりこむところで、その少年はパチンコをポケットにしまっていた。

「ゴールドスタインめ!」と少年は、ドアの閉まりがけにこちらに怒鳴った。でもウィンストンがもっとも衝撃を受けたのは、夫人の灰色っぽい顔に浮かんだ、無力な恐怖の色だった。

 自分の家に戻ると、ウィンストンは足早にテレスクリーンの前を通ってまたテーブルについたが、まだ首はさすり続けていた。テレスクリーンからの音楽は止まった。かわりに事務的な軍隊調の声が、ちょっと荒々しい声色で、アイスランドとフェロー諸島の間に停泊したばかりの浮体要塞の装備に関する説明を読み上げていた。

 あんな子どもたちをもって、あのあわれな女性は恐怖の人生を送っているにちがいない、とウィンストンは思った。あと一年、二年もすれば、子供二人は日夜、非服従のしるしを探して母親を監視するようになる。最近の子供はほとんど例外なくひどいものだった。最悪なのは、スパイ団のような組織を通じて、子どもたちが系統的に手のつけられない小野蛮人に変えられてしまっているのに、それが党の規律に反抗しようという傾向にはまったくつながらないということだった。それどころか、子どもたちは党やそれと関係したものすべてを敬愛していた。歌や行進、旗、ハイキング、模擬小銃での訓練、スローガンの斉唱、ビッグ・ブラザー崇拝――子どもたちにしてみれば、これはみんな輝かしいゲームでしかない。その兇暴さはすべて外に、国家の敵に、外国人、裏切り者、妨害工作員、思考犯罪者に向けられた。三十歳以上の人々は、自分の子どもたちを怖がっているのが通例だった。無理もない。「タイムズ」紙には毎週のように、盗み聞きをした子ネズミ――一般には「英雄児童」と呼ばれていた――がよからぬ発言を耳にして、思考警察に自分の両親を告発したというニュースが出ていたのだから。

 パチンコ弾からの痛みはおさまった。半ばうわの空でペンを取り上げると、日記にこれ以上書くことがあるかどうかを考えた。突然、かれはまたオブライエンのことを考えはじめた。

 何年も前――どのくらいになるか? もう七年になるはずだ――真っ暗な部屋を歩いている夢を見た。そして片側にすわった人が、通りすがりにこう言ったのだ:「いつか暗闇のない場所で会おう」 これはとても静かに、ほとんどさりげなく言われた――単なる発話で、命令ではなかった。ウィンストンは足を止めることもなく歩き続けた。不思議なのはそのときの夢の中では、そのことばはあまり印象に残らなかったということだ。それが重要に思えてきたのは、後になってのことで、それも徐々にそう思えてきたのだ。オブライエンを初めて見たのがその夢の前なのか後なのかは、もう覚えていない。その声がオブライエンのものだと見極めたのも、いつだったのか忘れた。でもいずれにしても、そう見極めたのだ。闇の中でかれに話しかけたのはオブライエンだった。

 オブライエンが敵なのか味方なのか、ウィンストンはちっとも確信できなかった――今朝の目配せの後でも、相変わらず確信は不可能だった。どのみち、それは大して重要ではなかった。二人の間には、理解の結びつきがあって、それは愛情や党派制よりも重要なことだった。「いつか暗闇のない場所で会おう」とかれは言った。どういう意味かはわからなかったが、いつか何らかのかたちでそれが実現することだけは知っていた。

 テレスクリーンからの声が止まった。ラッパの合図が、はっきりと美しく、停滞した空気の中に漂いこんだ。声がたたみかけるように続く。

「静聴! ご静聴を願います! マラバー前線からたったいま速報が届きました。南インドの我が軍が輝かしい勝利をおさめたとのことです。いま報道したこの戦闘で、戦争の終結のめどがつくかもしれないとお伝えする許可がおりています。それでは速報です――」

 悪い知らせがくるな、とウィンストンは思った。そしてその通り、すさまじい死傷者と囚人の数を含めたユーラシア軍殲滅の輝かしい描写に続いて、来週からチョコレートの配給が三十グラムから二十グラムに減らされるという発表がきた。

 ウィンストンはまたゲップをした。ジンの酔いがさめかけていて、気が沈んでいる。テレスクリーンは――勝利を祝うためか、はたまた失われたチョコレートの記憶を埋没させようとしてのことか――「オセアニア、そは汝のもの」を大音響で流しはじめた。立ち上がって気をつけの姿勢をとるべきだった。でもいまいる位置では見られることはない。

「オセアニア、そは汝のもの」に続いてもっと軽い音楽となった。ウィンストンは窓辺に寄って、テレスクリーンには背中を向け続けた。相変わらず寒く晴れた日だ。どこか遠くでロケット弾が、鈍い反響するとどろきと共に炸裂した。現在では週に二十~三十発がロンドンに投下されている。

 眼下の通りでは、破れたポスターを風がぱたぱたとはためかせ、「英社主義(イングソック)」の一語がけいれんのようにあらわれたり消えたりした。聖なる原理英社主義(イングソック)。ニュースピーク、二重思考、過去の変動性。自分が海底の森林をさまよい、化け物じみた世界で迷子になったが、その自分自身が怪物であるような気がした。ひとりぼっちだった。過去は死に、未来は想像できなかった。生きた人間がたった一人でも自分の味方であるという可能性がどれだけあるというのか。そして党の支配が永遠には続かないと言えるのだろうか? それに対する答えのように、真実省の白い壁面にある三つのスローガンがこちらを向いている。

戦争は平和
自由は隷属
無知は力

 ポケットから二十五セント玉を取り出した。そこにも、小さくはっきりした文字で、同じスローガンが掘られており、その硬貨の裏側にはビッグ・ブラザーの顔が刻印されていた。硬貨からでもその目は人を見据えている。硬貨からも、切手からも、本の表紙からも、旗からも、ポスターからも、タバコの包装からも――あらゆるところから。いつも目がこちらを監視し、声がこちらを包み込む。寝ても覚めても、働くときも食事のときも、屋外でも屋内でも、風呂の中でもベッドの中でも――逃れようがない。自分の頭蓋骨内部のほんの数立方センチ以外に、自分だけのものと言えるものはなかった。

 太陽がめぐって、真実省の無数の窓にはもう光が当たらなくなり、要塞の銃眼のように陰気に見えるようになっていた。巨大なピラミッド型を前にして心がひるんだ。強すぎる、襲撃できない。ロケット弾を千発うちこんでもつぶせないだろう。再び、自分がだれに向けて日記を書いているのか思案した。未来のために、過去のために――空想上のものかもしれない世界のために。そして目の前のそこに横たわるのは、市ではなく殲滅。日記は灰となり、自分は蒸気となる。自分の書いたものを読むのは思考警察だけで、その直後にこれは存在を消され、記憶からも消される。自分の痕跡すら残らず、匿名で紙にかきつけたことばですら物理的に生き残れないのに、どうやって未来に訴えかければいいのだろう。

 テレスクリーンが14時を告げた。十分でここを出なくては。仕事に14時30までに戻らなくてはならない。

 不思議なことに、時を告げるチャイムが勇気を取り戻させてくれた。自分は孤独な幽霊で、だれも決して聞くことのない真理をつぶやいているだけだ。でもつぶやいている限り、あるはっきりしない形で、連続性は失われない。人間の遺産を伝えるには、自分の主張を聞いてもらうことではなく、正気でいることだ。テーブルに戻り、ペンをインクに浸すと、こう書いた。

 未来または過去へ、思考が自由であり、人々がお互いにちがっていて、孤独に暮らしてはいない時代へ――真理が存在し、行われたことを取り消すことができない時代へ。

 均質性の時代より、孤独の時代より、ビッグ・ブラザーの時代より、二重思考の時代より――こんにちは!

 おれはすでに死んでいる、とウィンストンは考えた。こうして自分の考えをまとめられるようになった今こそが、決定的な一歩を踏み出したときのように思えた。あらゆる行為の帰結はその行為自体に含まれている。ウィンストンはこう書いた:

 思考犯罪は死をもたらすのではない。思考犯罪は死そのものなのだ。

 自分が死人だと認識した以上、できるだけ生き延びることが重要となった。右手の指二本にインクの染みがついている。まさに墓穴を掘りそうな細部だ。省でかぎまわっている狂信者(たぶん女だ:砂色の髪の小女か、創作部の黒髪女みたいなだれか)が、なぜウィンストンが昼食時間中にものを書いていたのか、なぜ旧式のペンを使ったのか、何を書いていたのか、いぶかしみだすかもしれない――そして適切な部門に何かほのめかすかもしれない。洗面所にいって、ベトベトしたこげ茶色の石けんで慎重にインキをこすり落とした。その石けんは皮膚を紙ヤスリのように削るので、目下の目的にはぴったりだった。

 日記は引き出しにしまった。隠そうとしてもまったく無駄だったが、その存在がばれたかどうかはわかるようにしておきたかった。ページのふちに髪の毛を置いておくのはすぐにばれてしまう。指先で、それとわかる白っぽいほこりをつまみ上げると、表紙の隅にふりかけておいた。本が動かされたら、こぼれ落ちるだろう。

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第3章

 

 ウィンストンは母親の夢を見ていた。

 母親が消えたときは、確か十才か十一才だった。背が高く、彫像のようで、物静かで動きもおっとりしており、すばらしい金髪をしていた。父親はもっと漠然と、色黒でやせていて、いつもきちんと黒っぽい服を着ていて(ウィンストンは特に、父親の靴の底がとても薄かったのをおぼえている)、メガネをかけていたという記憶しかない。二人はたぶん、五十年代の初期の大粛正の中に飲み込まれてしまったのだろう。

 目下の夢では、母親は自分よりはるか深い下の方にすわっていて、妹を抱いている。妹のことは、小さい弱々しい赤ん坊で、いつも静かで、大きい何でも見る目をしていたという以外は何も覚えていない。二人とも、こちらを見上げている。二人は何か地下の場所にいる――たとえば井戸の底、あるいはとても深い墓――でもそれは、すでにずっと下にあるのに、さらに下方に動き続けていた。沈む船のサロンにいて、暗くなる水を通してこちらを見上げている。サロンにはまだ空気はあるし、二人ともこちらが見えるしこっちも二人が見えるが、その間にも二人は沈み続け、次の瞬間にも永遠に二人を見えなくしてしまうはずの緑の水に沈んでゆく。こちらは光と空気の屋外にいるのに、二人は死へと吸い込まれ、そして二人が下にいるのは、まさにかれが上にいるためなのだった。こちらも、二人も、それを知っているし、それを知っているのが二人の顔から読み取れた。二人の表情にも心にも恨みはなく、こちらを生かすためには自分たちが死なねばならず、それが避けがたい物事の秩序の一部なのだという知識だけがある。

 何が起きたのかはおぼえていないが、夢の中でかれは、母と妹の命が自分の命を救うために何らかの形で犠牲になったということを知っていた。それは夢の場面としての特徴を保ちつつ、知的な生活の連続であるような夢であり、目を覚ましたあとも目新しくて価値あるものに思える事実や発想に気がつかせてくれるような夢だ。いまウィンストンがはっと気がついたのは、ほとんど三十年前の母親の死がの悲劇性や悲しさは、いまや不可能になっているということだ。悲劇は、まだプライバシーと愛と友情があり、家族がいちいち理由がなくてもお互いとともにあった、古代に属するものだった。母親の記憶が心をかきむしるのは、彼女が自分を愛するがために死んだからであり、そしてそのとき自分は幼すぎて身勝手で愛し返すことができず、そしていまは思い出せない何らかの形で、私的で改変不可能な忠誠の概念のために自らを犠牲にしたからなのだった。そうしたことは、現在では起こりえないのだ、とウィンストンは気がついた。今日では恐怖と憎悪と苦痛はあるが、感情の尊厳はなく、深く複雑な悲しみもない。このすべてが母と妹の大きな目の中に読み取れたようだが、その母と妹は何百も緑の水の中からこちらを見上げ、いまなお沈み続ける。

 いきなりウィンストンは、短い弾力のある芝生に立っていた。夏の夕方、西日が地面にきらめいている。いま目にしている風景はあまりにしょっちゅう夢に登場したので、それを現実の世界で見たことがあるのかどうか、完全には自信が持てなかった。起きているときの思考の中では、それを黄金の国と呼んでいた。古い、ウサギの穴だらけの牧草地で、踏み固められた道がうねうねと横切り、あちこちにモグラ塚がある。草原の向こう側に生い茂った茂みでは、楡の木の大枝がそよ風のなかでごくかすかに揺れており、その葉が女の髪のように密なかたまりとなって、ささやかにそよいでいる。もう少し近いところには、視界からははずれているけれど、澄んだゆるかやな小川があり、デース2が柳の下の淀みで泳いでいる。

 黒髪の女子がその草原を横切ってこちらに向かってくる。ほとんど一動作で自分の服を破り捨てて、軽蔑したかのようにそれを横に投げ捨てた。彼女の肉体は白くなめらかだったが、それで欲望が喚起されることはなく、ウィンストンはほとんどそれを見なかったほどだ。その瞬間にかれを圧倒したのは、彼女が服を横に投げ捨てたときの身振りに対する賞賛だった。その優雅さとさりげなさは、一つの文化丸ごと、一つの思考体系まるごとを殲滅させるかのようで、ビッグ・ブラザーと党と思考警察をすべて、腕のすばらしい一動作だけで無の中へと掃き出してしまえるかのようだった。これまた古代に属する身振りだった。ウィンストンは「シェイクスピア」と口にしながら目をさました。

 テレスクリーンは耳をつんざくような笛を流しており、それが同じ音で三〇秒続いた。それはゼロ7時15、オフィス労働者の起床時間だ。ウィンストンは無理矢理からだをベッドから引きずり出した――裸で、というのも外部党員たちは年間三千の衣服クーポンしかもらえず、パジャマの上下は六百するのだ――椅子の上に放り出してあった薄汚い袖無しアンダーシャツとショーツをつかんだ。身体躍動が三分で始まるのだ。次の瞬間、ほとんどいつも起きて直ぐにおそわれるすさまじいせきこみで、ウィンストンはからだを二つ折りにしていた。肺がほとんど空っぽになってしまったので、息を取り戻すのには横になって、深呼吸を何度かしなくてはならなかった。咳き込んだために血管が膨張し、静脈瘤の潰瘍がまたかゆくなってきた。

「三〇から四〇のグループ!」と突き刺すような女性の声がわめいた。「三〇から四〇のグループ! 位置について下さい! 三〇から四〇!」

 ウィンストンはテレスクリーンの前で飛び上がって直立した。スクリーンにはすでに、若そうな女性の姿が映っていた。やせてはいるが筋肉質で、チュニックと運動靴を履いている。

「腕の屈伸!」と彼女はわめいた。「わたしに拍子をあわせてください。いっち、二、三、四! さあ同志のみなさん、もっと元気よく! いっち、二、三、四! いっち、二、三、四!……」

 咳の発作からの痛みでも、夢の印象が頭から完全に消えたわけではなかったし、体操のリズミカルな動きはそれを少し復活させた。身体躍動の最中に適切とされる、陰気な楽しみの表情を顔にまといつつ、機械的に腕を前後にふりまわす間、かれは記憶のぼんやりした幼年期を回想しようと苦闘していた。きわめてむずかしいことだった。50年代末より前のことはすべて薄れていた。参照できる外部の記録がないと、自分自身の人生の輪郭すら鮮明さを失う。ほぼまちがいなく起きていないはずの大事件が記憶にあったりするし、出来事の細部は覚えているのにその雰囲気が思い出せなかったりするし、何一つ思い浮かばない長い空白の時期もある。当時はすべてがちがっていた。国の名前や、その地図上での形すらちがっていた。たとえば、滑走路一号は、当時はそういう名前ではなかった。イギリスとかブリテンとか呼ばれていたはずだ。でもロンドンは、昔からロンドンだったことはかなり確かだった。

 ウィンストンは自国が交戦中でなかった時代をはっきりとは思い出せないが、子供時代にはかなり長い平和の時期があったことは明らかだった。最も初期の思い出の一つは空襲だったが、だれもがそのときに驚いていたからだ。コルチェスターに原爆が落ちた時だったかもしれない。空襲そのものは覚えていないが、父親の手が自分の手をつかまえて、下へ、下へと地面の奥深いどこかへ引き連れ、ぐるぐると下るらせん階段が足の下で鳴り、あまりに足が疲れてきたのでべそをかきはじめて、途中で止まって休まなくてはならなかったのは覚えていた。母親は、そのゆっくりした夢見るような形で、ずっと遅れてついてきていた。赤ん坊だった妹を抱いている――それとも抱えていたのはただの毛布のかたまりだろうか。その時に妹が生まれていたかどうか、確信がはかった。やっと騒々しい混雑した場所に出てきたが、それは地下鉄の駅だった。

 石敷きの床のいたるところに人々がすわりこみ、他の人たちは何段にも重なった金属の寝台にびっしりとすわっている。ウィンストンと両親は床に場所を見つけたが、近くには老人と老婆が寝台に並んで座っていた。老人は立派なダークスーツと、真っ白な髪から押し戻した感じの黒い布製帽子を身につけていた。顔は真っ赤で、目は青く涙で一杯だった。ジンのにおいがぷんぷんする。汗のかわりに肌からしみ出してくるようで、目から流れ落ちる涙も純粋なジンだと思えるくらいだった。でもちょっと酔ってはいても、その老人は本物の耐え難い悲しみに苦しんでいた。ウィンストンは子供ながらに、何か恐ろしいこと、何か許し難く、決して元に戻せないことがいま起きたのだと理解した。そして、それが何なのかわかったような気がした。老人の愛しただれか、小さい孫娘かもしれないが、それが殺されたのだ。数分ごとに老人はこう繰り返していた。

「あいつら信用しちゃなんねかったんだよ。そう言っただろうが、婆さん、え? 信用したらこのざまだ。前から言った通り。あのクズども信用しちゃなんねかったんだよ」

 でも信用しちゃなんねかったのがどのクズどもなのかは、ウィンストンはもう思い出せなかった。

 その頃あたりから、戦争は文字通り不断に続いていたが、厳密に言えばそれはずっと同じ戦争というわけではなかった。子供時代の何ヶ月かにわたり、ロンドンそのものでも混乱した市街戦があったし、そのいくつかは鮮明に記憶にある。でもその期間の歴史全体をたどり、各時点でだれがだれと戦っていたのかを述べるのはまったく不可能だった。書かれた記録も口伝も、現在の相関図以外のことは一切触れていないからだ。たとえば現在の一九八四年だと(いまが本当に一九八四年ならだが)、オセアニアはユーラシアと交戦中で、イースタシアと同盟関係にある。この三勢力が、かつて一度でもちがった形で手を組んでいたということは、公的にも私的な会話でも決して認められることはなかった。実は、ウィンストンがよく知っている通り、オセアニアがイースタシアと交戦してユーラシアと同盟関係にあったのはほんの四年前のことだった。でもそれは、記憶が十分なコントロール下にないためにたまたま手元にあった、秘密の知識の断片でしかなかった。公式には、仲間の変更は一度も生じていない。オセアニアは目下、ユーラシアと交戦中である。したがってオセアニアは常にユーラシアと交戦していた。目下の敵は常に絶対的な悪であり、よってその相手との過去または未来の合意はまったく不可能であるということが導かれる。

 恐ろしいのは、とウィンストンは苦痛とともに肩を無理矢理うしろに曲げながら(腰に手をあてて、上体をまわしているところで、この運動は背筋によいとされていた)一万回も繰り返し考えたことを考えた――恐ろしいのは、そのすべてが真実かもしれないということだった。党が過去に手をつっこんで、このできごとやらあのできごとについて、それがまったく起きていないと言えるなら――それこそまさに、ただの拷問と死よりも恐ろしいことじゃないだろうか。

 党は、オセアニアがユーラシアと同盟したことはないという。この自分、ウィンストン・スミスは、オセアニアがたった四年前にはユーラシアと同盟関係にあったことを知っている。でもその知識はどこに存在するのだろう。自分自身の良心の中だけであり、それはどのみち間もなく消滅させられてしまうものだ。そして他のみんなが党の押しつけるウソを受け入れたら――すべての記録が同じお伽話を語っていたら――そのウソは歴史へと流れ込んで真実となる。「過去を支配する者は未来を支配する。現在を支配する者は過去を支配する」というのが党のスローガンだ。でも過去は、その性質上改変可能なものではあっても、改変されたことはない。現在真実であることは、はるか昔からはるか未来まで真実である。単純明快。必要なのは自分の記憶に対する果てしない勝利だけだ。「現実コントロール」と呼ばれている。新話法(ニュースピーク)では「二重思考(ダブルシンク)」だ。

「休め!」と女性指導員が、ちょっと優しげに言った。

 ウィンストンは腕を脇にたらして、ゆっくりと肺を空気で満たした。頭は二重思考(ダブルシンク)の迷宮世界へとさまよっていった。知りつつ知らないこと、完全に正直であると意識しつつ、慎重に構築されたウソを語ること。相互に相殺し合うような二つの意見を同時に持ち、それらが矛盾していると知りつつ両方を信じること。論理に対して論理を使い、道徳を否定しつつそれに依拠すること、民主主義は不可能だと信じつつ党が民主主義の守護者だと信じること、忘れることが必要なものはすべて忘れ、それが必要とされたとたんにそれを記憶に引き戻し、そしてすぐさま再び忘れ去ること。そして何よりも、この同じプロセスをこのプロセス自体に適用すること。それこそが究極の巧妙さだった。意識的に無意識を動員して、それから再び自分がたった今行った催眠術行為を意識から消し去ること。「二重思考(ダブルシンク)」という言葉を理解することさえ、二重思考(ダブルシンク)が必要となる。

 女性指導員が、また気をつけを命じた。「ではこんどは、つま先に手が届くか見てみましょう!」と熱心に言う。「では腰から曲げてみましょう、同志のみなさん。いっち、に! いっち、に!……」

 ウィンストンはこの体操が大嫌いだった。かかとから尻まで痛みが走るし、最後にはまたもや咳の発作が引き起こされるのがおちだ。空想の持っていた多少の楽しみもこれで消えてしまった。過去は単に変えられたのではなく、破壊されたんだ、とウィンストンは考えた。だって自分の記憶以外に何の記録もなかったら、どんなに自明な事実であっても証明なんかできやしない。ビッグ・ブラザーのことを最初に耳にしたのがいつの年だったか思い出そうとしてみた。たぶん六〇年代だったはずだと思ったが、確実なことは何も言えなかった。党の歴史ではもちろん、ビッグ・ブラザーは革命のごく初期からその指導者であり守護者だった。その偉業はだんだんと時代をさかのぼり、いまやすでに伝説の四〇年代や三〇年代からすでに続くことになっていた。当時は変な円筒状の帽子をかぶった資本家たちが、まだロンドンの街路で大きな輝く自動車やガラス壁の馬車を乗り回していた時代だ。この伝説のどこまでが事実でどこまでが発明品なのかは知りようがなかった。ウィンストンは、党そのものが誕生したのがいつの日だったかも思い出せなかった。一九六〇年以前に英社主義(イングソック)ということばをきいたことがあるとは思わなかったが、旧話法(オールドスピーク)での語形――つまり「イギリス社会主義(イングリッシュ・ソーシャリズム)」――ではもっと以前からあったかもしれない。すべてが霧の中にとけこんでしまっている。確かに、確実なウソを指摘できることもある。たとえば、党の歴史書で主張されている、党が飛行機を発明したというのは真実ではない。飛行機は物心ついた頃から存在していた。でも、何も証明はできない。証拠はあったためしがない。全人生でたった一度だけ、歴史的事実のねつ造をまちがえようもなくはっきりと示す証拠を手にしたことがあった。そしてその時には――

「スミス!」とテレスクリーンから金切り声じみた声が叫んだ。「6079番 スミス・W! そう、あなたです! もっと身をかがめてください! やればできるはずですよ。もっと気合いを入れて。もっと下まで! そーうです、同志。さあ休め! 全員です。こちらを見てください」

 ウィンストンの全身に熱い汗が噴き出した。顔は完全な無表情のまま。決してうろたえを外に示さないこと! 嫌悪を外に出さないこと! 視線のちょっとしたふらつきでバレてしまいかねない。立って見つめる女性指導員は、腕を頭上にあげて――優雅にとはいえないが、非常にきれいかつ効率よく――身をかがめて、指の第一関節を足の指の下に入れた。

「こーんなふうに、同志のみなさん! こーんなふうにしてくださいね。もう一度見ていてくださいよ。わたしは三九歳で四人の子持ちなんですよ。さあ見てください」彼女はまた身をかがめた。「わたしのひざは曲がってませんよね。みなさんだって、やろうと思えばできるんです」と言いながら身を起こす。「四十五歳以下の人はだれでもつま先に手が届きます。わたしたちみんな、前線で戦う特権があるわけではありませんが、少なくとも健康でいようじゃありませんか。マラバー前線の兵士たちのことを考えてください! 浮き要塞の水兵たちを! あの人たちが耐えていることを考えてみましょう! さあもう一度やってみましょう。はい、ずっとよくなりましたよ、同志。本当に上出来です」と彼女が元気づけるように語りかけたウィンストンは、思いっきり身をかがめて、数年ぶりにひざを曲げずにつま先に触れることができたのだった。

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第4章

 

 一日の仕事が始まったときに出る、テレスクリーンの近さすら放出を抑えられない深い無意識のため息とともに、ウィンストンは書き取り装置を引き寄せて、マウスピースのほこりをはらい、メガネをかけた。それから、仕事机の右手にある気送管からすでに飛び出してきた、四つの小さな筒状の紙をほどき、クリップであわせて留めた。

 小区画の壁には三つのくぼみがあった。一つは話筆機の右側にある、文書メッセージ用の小さな気送管だ。左には、新聞用のもっと大きな気送管。そして横の壁には、ウィンストンからすぐに手の届くところに、針金の格子で保護された大きな横長のスリットがあった。この最後のものは反古紙を捨てるためのものだ。似たようなスリットが、この建物中に何千、何万とあり、それも部屋ごとどころかあらゆる廊下にごく短い間隔で設置されていた。どういうわけかそれは記憶穴とあだ名されていた。何か文書が破壊されると知っていたら、あるいはそこらに反古紙が転がっていたら、手近な記憶穴のフラップを上げてそこに捨てるのが反射的な行動となっていた。するとそれは温風の流れに運ばれて、どこか建物の裏に隠されている巨大な焼却炉へと向かうのだ。

 ウィンストンは、丸められていたのをほどいた四枚の紙を検分した。それぞれ一、二行のメッセージが、省内で使われる短縮形の専門用語――ニュースピークではないが、かなりニュースピーク用語が使われている――で書かれていた。こう書かれている。

 タイムス 17.3.84 bb演説不適報告 アフリカ 修正

 タイムス 19.12.83 予測 3 yp 83 4四半期 ミスプリ 確認 最新号

 タイムス 14.28.84 豊省 不適引用 チョコ 修正

 タイムス 3.12.83 報告 bb 日令 二重プラス非良 参照 非人 全面改定 ファイル前 上提

 かすかな満足感と共にウィンストンは最後のメッセージを横に置いた。これはややこしく責任ある仕事なので最後に処理したようがいい。残り三つは定型作業だが、二番目は数字一覧をあさる面倒な作業になるだろう。

 ウィンストンはテレスクリーンの「バックナンバー」をダイヤルし、『タイムズ』の適切な号を要求した。ものの数分間で気送管から出てきた。受け取ったメッセージは、何らかの理由で改変、あるいは公式用語でいえば修正が必要となった、記事やニュースを指していた。たとえば三月一七日号の『タイムズ』では、ビッグ・ブラザーがその前日の演説で、南インド前線は静かなままだが北アフリカでユーラシアの攻勢が始まると予測していた。ところが実際にはユーラシア司令部は、南インドの攻勢を開始して、北アフリカでは動かなかった。したがってビッグ・ブラザーの演説を書き直し、かれが実際に起こったことを予想したようにする必要が生じた。あるいはやはり『タイムズ』の十二月十九日号で、各種消費財の一九八三年第四四半期(同時に第九時三カ年計画における第六四半期)における産出量の公式予測を公表していた。今日の号は実際の産出量についての記述を含んでいたが、すべてのものについて、予測値は大幅にまちがっていたようだ。ウィンストンの仕事はもとの予測値を修正して、それが実際の値と一致するようにすることだ。第三のメッセージはといえば、これはものの数分で直せるごく単純なまちがいだった。二月というほんの少し前の時点で、豊富省は1984年中にはチョコレートの配給量は減らさないと約束(公式用語では「分類的確言」)を発表した。実はウィンストンも知っているように、チョコレートの配給は三〇グラムだったのが、今週末には二〇グラムに減らされる予定だった。必要なのは単に、もとの約束のかわりに、四月のどこかで配給量を減らさざるを得ないという警告を入れればいいだけだ。

 ウィンストンはそれぞれのメッセージに対応し終えるとすぐに、話筆した訂正を該当する『タイムズ』にクリップで留めて、気送管に送り込んだ。それから可能な限りもっとも無意識に近い動作で、もとのメッセージや自分が作ったメモなどをすべて丸めると、記憶穴に落とし込んで炎に燃やし尽くされるに任せた。

 気送管が向かう見たこともない迷路で何が起きるのか、かれも詳しくは知らなかった。だが一般的なことは知っていた。ある号の『タイムズ』で必要とされた訂正がまとめられてそろえられると、その号は印刷し直され、もとの号は破棄されて、修正済みの号がかわりにファイルに加えられる。この絶え間ない改変プロセスは新聞だけでなく、本や雑誌、パンフレット、ポスター、ちらし、映画、音声録音、マンガ、写真など――政治的、イデオロギー的に少しでも重要性を持つかもしれないあらゆる文献や記録すべて――に及んだ。毎日、毎分ごとに、過去は最新の状態に更新される。こうすれば、党の行ったあらゆる予想は、記録証拠に基づいて正しかったのだということが示される。どんなニュースだろうと意見表明だろうと、その時点のニーズにそぐわないものは、記録に残ることは認められなかった。歴史はすべて改変可能な羊皮紙であり、必要に応じていくらでもきれいに白紙に戻されて書き直されるのだった。この作業が行われてしまえば、いささかも偽造が行われたとは一切証明できなかった。記録部のの最大の部門は、ウィンストンが働いている部門よりはるかに大きくて、そこでの人々の仕事は、すでに改訂されて破壊されるべき本や新聞などの文献を追跡し、集めることだった。政治的な同盟関係の変化やビッグ・ブラザーが口走ったまちがった予言などが、何十回となく書き直された『タイムズ』の号が、相変わらずもとの日付のままでファイルに並んでいる。本もまた何度もリコールされて書き直されたが、すべて何ら改変が行われたという記録なしに再発行される。ウィンストンが受け取り、処理が終わったらまちがいなくすぐに処分した文書指令でさえ、なんら偽造が行われるなどということを述べたりほのめかしたりはしていなかった。常に述べられるのは、ミスやまちがい、ミスプリ、引用間違いなどであり、したがって正確さを保つために正す必要がある、ということだった。

 だが実は、これは偽造ですらない、とかれは豊富省の数字を改訂しつつ考えた。単に一つのでたらめを別のでたらめで置き換えるだけだ。自分が扱っている内容のほとんどは、現実世界とは何一つ結びついてはいなかった。真っ赤なウソに見られるほどの結びつきさえない。統計はもとの数字だろうと改訂後の数字だろうと、まったくの想像の産物であることにはかわりなかった。かなりの場合、自分が勝手に頭の中ででっちあげることになっていた。たとえば豊富省の予測では、その四半期のブーツ生産は一億四五〇〇万足ということになっていた。実際に生産は六二〇〇万足だという。だがウィンストンは予測値の書き直しにあたり、予測値を五七〇〇万足に引き下げた。そうすれば、ノルマが十分以上に達成されたといういつもの主張が可能になるからだ。どのみに、六二〇〇万足というのは五七〇〇万足という数字よりも、あるいは一億四五〇〇万足という数字に比べても、事実に近いわけではなかった。おそらくブーツなどまったく作られていないのだろう。もっとありそうなこととして、だれもどれだけ生産されているかわかっていないし、まして気にもしていない。みんな知っているのは、紙の上ではどの四半期にも天文学的な数のブーツが作られているはずなのに、オセアニアの人々のおそらく半分くらいは裸足でうろついているということだ。そしてあらゆる記録された事実についても話は大なり小なり同じだった。すべてはぼんやりした影の世界へとかき消えて、ついには今日が何月何日なのかもはっきりしなくなった。

 ウィンストンは廊下の向こうを見た。向かいの小区画には、小柄で厳密そうな、あごの黒いティロツソンという男が一心に働いており、ひざにはたたんだ新聞がおかれ、口は話筆機のマウスピースにぐっと寄っている。自分の言うことを、自分とテレスクリーンとだけの秘密にしておこうという雰囲気だった。かれは顔をあげ、そしてそのめがねがウィンストンのほうに、敵意に満ちた一瞥を投げかけた。

 ウィンストンはティロツソンをほとんど知らなかったし、かれが何の仕事で雇われているのか見当もつかなかった。記録部の人々は、そう気軽には自分の仕事の話をしない。長い窓のない廊下部屋には、二列に並んだ小区画で人々が果てしなく紙をかさかさいわせ、話筆機につぶやく声のうなりが響いていたが、毎日廊下を足早に行ったり来たり、あるいは二分憎悪で腕をふりまわしたりするところは見ているのに、名前すら知らない人物が何ダースもいた。自分の隣の小区画にいる、砂色の髪の女性は、一日中苦労して、ひたすら報道から数年前に蒸発させられ、したがって元々存在しなかったとされる人々の名前を削除し続けているのだった。これはなかなかふさわしいことに思えた。彼女自身の夫も数年前に蒸発させられていたからだ。そして数区画離れたところにいる、おとなしい、手際の悪い、夢見る生き物はアンプルフォースという名で、毛だらけの耳と、韻や韻律に関する意外な才能を持っており、イデオロギー的に不適切となったが、何らかの理由で詩集に遺しておくべき詩の歪曲版――決定版と呼ばれていたが――を作っているのだった。そしてこの廊下部屋は、労働者五十人かそこらだが、記録部という巨大で複雑な組織の中で、一つの課でしかなく、いわば一つの細胞でしかない。向こう、階上、階下には、群衆のような労働者たちが、想像もつかないほど多様な仕事に従事している。副編集長をそなえた印刷工房、タイポグラフィの専門家や、写真偽造のための一大設備を備えたスタジオ。テレ番組部は、エンジニアやプロデューサがいて、さらに声色を真似るのがうまいかどうかで特別に選ばれた役者群がいた。リコールされるべき本や雑誌の一覧をひたすら作るのが仕事の司書軍団もいた。訂正された文書が保存される広大な保管庫があり、もとのコピーを破壊するための、隠れた巨大な焼却炉があった。そしてどこかは知らないが、まったく匿名で、この作業全体を調整して、方針を決める指導脳がいるはずだった。その方針によって、過去のこの部分は保存するがあの部分は偽造し、他の部分は消去することが必要となるわけだ。

 そして記録部は結局のところ、それ自体が真実省の一部局でしかなかった。真実省の主な仕事は過去を再構築することではなく、オセアニア市民に新聞、映画、教科書、テレスクリーン番組、芝居、小説などを提供することだ――ありとあらゆる情報、指令、娯楽、銅像からスローガンまで、叙情詩から生物学の論文、そして子供の書き取り帳からニュースピークの辞書まで。そして省は党の多種多様なニーズを満たすだけでなく、プロレタリアートのためにその活動を丸ごともっと低いレベルでも繰り返さなくてはならなかった。一連のまったく別個の部局が、プロレタリア向けの文学や音楽、ドラマ、娯楽などを扱っていた。ここで作られるのは、スポーツと犯罪と星占いしか載っていないクズのような新聞、扇情的な安っぽい三文小説、セックスまみれの映画、そして多様化機と呼ばれる特殊な万華鏡により機械的に作曲される感傷的な歌だ。最低の種類のポルノ生産に従事する専門の課――ニュースピークではポルノ(セック)と呼ばれる――すらあって、そこの産物は封印した封筒に入って送り出され、その作成に従事する人々以外の党員は、見ることが一切許されていなかった。

 ウィンストンの作業中に、メッセージが三つ気送管から出てきたが、ごく単純なことだったので、二分憎悪で中断される前にそれらは片付けてしまった。憎悪が終わると、かれは自分の小区画に戻り、棚からニュースピーク辞書を取って、話筆機を一方に押しやり、めがねをふいて腰を落ち着け、午前中の大仕事に取りかかった。

 ウィンストンの人生最大の喜びは仕事だった。そのほとんどは退屈な定型作業だったが、中には実にむずかしくて複雑で、数学問題の深みにはまったときのように没頭してしまうような仕事もあった――きわめて繊細な偽造で、英社主義(イングソック)の原理に関する知識と、党が何を言ってほしいかという推測以外は何も導いてくれるものがないようなものだ。ウィンストンはこの手のものが得意だった。ときどき、『タイムス』のトップ記事の修正を任されることもあって、それは丸ごとニュースピークで書かれているのだった。かれはさっき横にどけておいたメッセージをほどいた。こうある:

 タイムス 3.12.83 報告 bb 日令 二重プラス非好 不人参照 全面改定 ファイル前 上提

 オールドスピーク(または通常英語)ではこういうことになるだろうか:

 タイムス 1983年12月3日号の、ビッグ・ブラザーの日次指令報告はきわめて不満足なものであり、非在人物への言及がある。完全に書き直したうえでファイリングの前に上司に草稿を提出のこと。

 ウィンストンは問題の記事を通読した。ビッグ・ブラザーの日次指令は、どうやら主にFFCCなる組織の仕事ぶりをほめるのに費やされていたようだ。これは浮上要塞の水兵たちに、タバコなどの嗜好物を提供する組織だ。ある同志ウィザースなる人物、党中心の重要人物が、中でも特筆すべき存在として選り抜かれ、二等傑出勲章を与えられたのだった。

 三ヶ月後、FFCCは何ら理由も示されないまま、突然解体された。おそらくウィザースやその仲間は解職されたと推測されるが、新聞やテレスクリーンでそれについての報道はまったくなかった。これはありがちなことだ。政治違反者たちが裁判にかけられたり、公式に糾弾されることすら滅多になかったからだ。何千もの人がからみ、裏切り者や思考犯罪者たちが自分の犯罪について惨めな自白をしてから処刑される、公開裁判を伴うような大粛正は、特別な見せ物で数年に一度くらいしか起きない。もっと普通の場合には、党の不興を買った人々はあっさり消滅し、二度と行方が知れることはなかった。かれらの身に何が起きたのか、まったく見当もつかなかった。一部の場合には、死んでさえいないのかもしれなかった。ウィンストンの個人的知り合い(両親は含めない)も三〇人ほどこれまでに姿を消していた。

 ウィンストンは紙クリップでそっと鼻をつついた。通路を挟んだ小区画では同志ティロツソンが、相変わらず何かを隠すかのように話筆機の上にかがみ込んでいる。一瞬その顔があがった。またもや敵意に満ちためがねの視線。ウィンストンは、ティロツソンが自分と同じ仕事に従事しているのではないかと思った。これほどに面倒な作業は、たった一人に任されることは決してない。一方、それを委員会にかけたら、偽造が行われていることを公式に認めることになる。おそらくは一ダースもの人々が、ビッグ・ブラザーの本当の発言について、競合するバージョンを作る作業にかかっているのではないか。そして党中心のマスター頭脳が、そのどれかのバージョンを選び、再編集して、必要となる相互参照プロセスを開始し、それから選ばれたウソが永続記録へとまわされて真実となる。

 ウィンストンはなぜウィザースが解職されたか知らなかった。汚職のためか無能のためか。それともビッグ・ブラザーが、人気の出すぎた部下を始末しただけかもしれない。あるいはウィザースかその近くの人物が、異端傾向の嫌疑をかけられたのかもしれない。あるいは――これがいちばんありそうだったが――粛正や蒸発が政府にとって不可欠なメカニズムだからこれが起きただけなのかもしれない。唯一本物のヒントは「不人参照」ということばにあった。これはウィザースがすでに死んでいることを示唆している。逮捕されただけでは、死んだとは限らない。とくには釈放されて、一年から二年も自由にしていたあげくに処刑されることもあった。ごくまれに、とっくの昔に死んだと思っていた人物が、何か公開裁判で幽霊のように再登場し、何百という人々を告発する証言をしてから消滅することもあった。だがウィザースはすでに不人になっていた。かれは存在しなかった。存在したこともなかった。ウィンストンは、単にビッグ・ブラザーの演説の論調を逆転させるだけでは不十分だと考えた。もとの話題とまるっきり無関係な内容に変えた方がいい。

 いつもの裏切り者や思考犯罪者に対する糾弾に仕立ててもいいが、それはちょっとあまりに見え透いている。一方で前線での勝利や第九次三カ年計画での過剰生産による勝利をでっちあげるのは、記録をあまりにややこしくしてしまうだろう。必要なのはまったくのおとぎ話だった。突然頭の中に、すっかり仕上がった形で、同志オギルヴィなる人物の姿が飛び込んできた。かれは最近戦闘で、英雄的な状況で死んだのだった。ときどきビッグ・ブラザーは、日次指令を慎ましいたたき上げの党員の記念にあてることがあった。その人物の生と死が、人々の従うべき価値あるお手本として讃えられるのだ。この日、かれは同志オギルヴィを記念したのだ。もちろん同志オギルヴィなる人物が存在しないのは事実だが、印刷物何行かと写真何枚かを偽造すれば、すぐに実在したことになる。

 ウィンストンはしばし考え、話筆機を引き寄せると、ビッグ・ブラザーのおなじみの文体で口述を始めた。軍隊式でもありながら衒学的でもあり、そして質問を投げかけてすぐにそれに自分で答えるという手口のため(「この事実からどんな教訓が学べるだろうか、同志諸君? その教訓とは」云々かんぬん)、真似しやすい。

 三歳にして同志オギルヴィは、太鼓とサブマシンガンとヘリコプター模型以外のあらゆるおもちゃを拒んだのだった。六歳にして――特別に規則を曲げることで規定より一歳早く――スパイ団に入った。九歳にして部隊長となった。十一歳のとき、叔父の会話を盗み聞きして犯罪傾向があると思えたので、かれを思考警察に告発した。十七歳で青年反セックス連盟の地区組織長となった。十九歳のときに設計した手榴弾は平和省に採用され、最初の試験のときには一発で三十一人のユーラシア人囚人たちを殺した。二十三歳でかれは、作戦行動中に絶命した。重要な指令を携えてインド洋上空を飛行中に、敵のジェット機に追跡されたかれは、機関銃を重石にして飛行機から海中に飛び込み、指令もろとも海の藻屑と消えた――この末路を考えるとき、羨望の念を感じずにいるのは不可能だ、とビッグ・ブラザーは述べた。ビッグ・ブラザーは同志オグリヴィの人生の純粋さと一途さについていくつか言葉を足した。かれは完全にセックスを拒み、たばこも吸わず、一日一時間ずつジムで過ごす以外に娯楽は持たず、結婚と家族育成が一日二十四時間の任務への献身とは相容れないという信念の元、生涯独身の誓いをたてていた。かれが話す内容は英社主義(イングソック)の原理のみであり、人生の目的は敵ユーラシアの打倒と、スパイ、妨害工作者、思考犯罪者やその他裏切り者たちのあぶり出しだけだった。

 ウィンストンは、同志オギルヴィに傑出勲章を授与すべきか内心で議論した。最終的には、それはやめておいた。無用な相互参照作業が増えるだけだからだ。

 もう一度かれは、向かいの小区画のライバルを一瞥した。ティロツソンがまちがいなく自分と同じ作業に没頭しているのだ、という確信がなぜか浮かんだ。最終的にだれのバージョンが採用されるかは知るよしもないが、ウィンストンはそれが自分ものであるはずだという深い自信を抱いた。一時間前は想像もしたことのなかった同志オグリヴィは、いまや事実となった。死人は創れるのに生者は創れないというのは、ちょっと不思議な気がした。現在には存在したことのなかった同志オグリヴィは、いまや過去に存在し、ひとたび偽造作業が忘れ去られれば、かれはシャルルマーニュやユリウス・カエサルと同じくらい権威をもって、同じ証拠に基づいて、実在したことになるのだ。

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第5章

 

 地下深くにある、天井の低い食堂で、昼食の行列がゆっくりよろよろと前進していった。部屋はすでにかなり満杯で、耳がつぶれそうなほどうるさかった。カウンターの格子からはシチューの湯気が絶えず流れ出し、そこには酸っぱい金属臭があったが、勝利ジンの臭いを打ち消すほどのものではなかった。部屋の奥には小さなバー、といってもただの狭苦しい片隅だが、そこからジンが大きなグラス一杯十セントで買えた。

「ちょうど探してたところだ」とウィンストンの背後から声がした。

 振り向くと、調査部で働く友人のサイムだった。「友人」というのは必ずしも適切なことばではないかもしれない。最近では友人なんかおらず、同志がいるだけだ。だが同志の中には、一緒にいると他の同志よりは心地よい人物がいた。サイムは文献学者で、ニュースピークの専門家だ。実はかれは、ニュースピーク辞典第十一版の編纂に従事している専門家の大軍勢の一人なのだった。かなりのチビで、ウィンストンより背が低く、黒髪と飛び出したような大きな目をしていて、それが哀れみと嘲笑を同時にたたえており、話しかけているときにはこちらの顔を間近に観察するかのようだった。

「カミソリの刃を持ってないかと思ってね」とサイム。

「一枚もないよ!」とウィンストンは、ある種の後ろめたさからくる性急さで答えた。「いたる所探し回ったよ。もう存在しなくなってるんだ」

 みんなカミソリの刃がないか人に聞いて回っている。実はウィンストンは、未使用のものを二枚ため込んでいた。過去何ヶ月も、カミソリが大欠乏状態だったのだ。党の店はいつも何かしら切らしていた。あるときはボタン、あるときは繕い用の毛糸、あるときは靴紐。いまはそれがカミソリの刃なのだ。手に入れようと思ったら、多少なりとも見込みがあるとすれば「フリー」マーケットでこっそりと探し回るくらいしかない。

「同じ刃をもう六週間も使ってるんだ」とウィンストンは、ウソを言った。

 行列がまたじわりと前進した。それが止まると、かれは振り返ってサイムとまた向かい合った。二人とも、カウンターの端の山からベトベトの金属トレーを取った。

「昨日、囚人たちの絞首刑を見に行ったかい?」とサイム。

「仕事があったんだよ。映画で見るんじゃないかと思うぜ」とウィンストンは無関心を装った。

「実物を見るよりはるかに劣るな」とサイム。

 かれのからかうような目がウィンストンの顔を値踏みした。その目はこう言っているようだった。「おまえのことはわかってるぞ。おまえなんかお見通しだ。おまえが囚人たちの絞首刑を見に行かなかった理由はよーく知ってるとも」。知的な面で、サイムは反吐が出るほどの正統派だった。かれは敵の村へのヘリコプター襲撃や、思考犯罪者の裁判や自白、愛情省の監獄での処刑などに、不快なほど大喜びして満足を示すのだった。かれに話しかけるのは、そうした話題から話をそらして、できることならニュースピークの詳細に没頭させるのが主眼だった。この話題であれば、かれは権威だったしおもしろかった。ウィンストンはちょっと顔をそむけて、その大きな黒い目の検分を避けた。

「なかなかの絞首刑だったんだが」とサイムは回想するように言った。「でも足を縛りあわせると台無しだと思うんだな。足をばたばたさせるのが見たいよ。そして何よりも、最後に舌がだらんと出てきて、それが青いんだ――それもかなり真っ青。そういう細部に魅力を感じるんだ」

「次どうぞ!」と、おたまを持った白エプロン姿のプロレが叫んだ。

 ウィンストンとサイムはトレーを格子の下に置いた。それぞれにすばやく規定昼食がどしんと載せられた——ピンク色がかった灰色のシチュー 入りの金属製小皿、パンのかたまり、四角いチーズ、ミルクなしの勝利コーヒー入りコップ、サッカリンが一錠。

「あそこに空きテーブルがあるぜ、テレスクリーンの下のとこ。途中でジンをもらっていこう」とサイム。

 ジンは取っ手のない瀬戸物製のマグで支給されていた。二人は混雑した部屋の中を縫って横切り、上が金属製のテーブルの上に、トレーの上のものを移した。テーブルの片隅にはだれかがシチューをこぼしたのがたまっている。醜い液状の汚物で、ゲロみたいに見える。ウィンストンはジンのマグを手に取り、勇気をかき集めるために一瞬動きを止めて、油くさい液体を一気に飲み干した。目をしばたいて涙を払うと、急に腹が減っているのに気がついた。かれはスプーンでシチューを掻き込みはじめた。それはおおむねどろどろした液体の中に、スポンジ状のピンクがかった四角いものが入っていて、たぶん調理した肉なのだろう。二人とも、金属小皿を空にするまで一言も口をきかなかった。ウィンストンの左後方のテーブルでは、だれかが早口で絶え間なくしゃべっており、そのきつい口調はほとんどアヒルの鳴き声のようで、それが部屋全体の喧噪を突き破って聞こえてくる。

「辞書はどんな具合?」ウィンストンは騒音に負けないよう声を張り上げた。

「ぼちぼち。形容詞にかかったところ。すばらしいぜ」

 サイムはニュースピークの話になったとたん、顔つきが明るくなった。金属小皿を脇に押しやり、パンの固まりを繊細な片手に、チーズをもう片方の手に取ると、テーブル越しに身を乗り出して、怒鳴らなくても話ができるようにした。

「第十一版は決定版なんだ。言語を最終形に仕立ててる——他のだれもこれ以外の言葉をしゃべらなくなったときの形なんだよ。おれたちの仕事が完成したら、君みたいな人はそれを最初っから学び直さないとダメだ。敢えて言うが、きみはおれたちの主な仕事が新語の発明だと思ってるだろう。だが大まちがい! おれたちは言葉を破壊してるんだよ——それも大量に、毎日何百もね。言語を骨までそぎ落とす。十一版には、2050年までに古くなるような単語は一語たりとも入ってない」

 サイムは飢えたようにパンをかじると何口か飲み込み、衒学者にも似た熱意で話を続けた。その細く陰気な顔が活気づき、目はもはやバカにしたような表情をなくして、ほとんど夢見るような表情になっている。

「何とも美しいんだな、この言葉の破壊ってやつは。もちろん大量に始末されるのは動詞や形容詞なんだが、処分できる名詞だって何百もある。同義語だけじゃない。反対語だってある。だって、何か別の言葉の単なる反対語なんて、存在が正当化できるかね? 言葉はそれ自身の中にその反対語を含んでいる。たとえば「良い」を考えよう。「良い」という言葉があるんなら、「悪い」なんて言葉がなんで要るね? 『非良い』でも十分に用が足りる——いや、むしろこのほうがいい。こっちはずばり反対のことばだけれど、『悪い』だとそうはいかないから。あるいはまた、『良い』の強調版がほしいなら、『すばらしい』『見事』とかその他あれこれ、漠然とした役立たずな言葉をあれこれ抱えているのがまともと言えるか?『プラス良い』でその意味はカバーできる。あるいはもっと強いものが欲しいんなら『二重プラス良い』でいい。もちろん、いまの形式はすでに使われているけれど、ニュースピークの最終版ではそれ以外のものはなくなる。最終的には良さ、悪さの概念すべてがたった六語でカバーされる——現実にはたった一語で。この美しさがわからないか、ウィンストン? もちろんもとはBBのアイデアだ」と彼は後付のように付け加えた。

 ビッグ・ブラザーの名前が出て、ウィンストンの顔には生気のない熱意のようなものがチラリと浮かんだ。それでもサイムはすぐに、ある種の熱意欠如を感じ取った。

「ウィンストン、おまえニュースピークが本当に分かってないなあ」と彼はほとんど悲しげに言った。「自分でそれを書いているときにすら、おまえは相変わらずオールドスピークで考えてる。おまえが『タイムズ』に書くその手の記事をたまにいくつか読むよ。それなりにいいが、でも翻訳だ。内心ではおまえ、オールドスピークにこだわって、そのあいまいさや役立たずの意味の陰影を残したいんだろう。言葉の破壊の美しさがつかめていない。ニュースピークは世界中で、語彙が1年毎に減る唯一の言語だって知ってたか?」

 ウィンストンは、もちろんそのくらい知っていた。彼はにっこりしてみせた。

「ニュースピークのそもそもの狙いは、思考の幅を狭めることなんだってのがわからんか? 最終的に我々は思考犯罪そのものを文字通り不可能にする。それを表現する言葉がなくなるからだ。必要とされるあらゆる概念は、ずばり一語で表現され、その意味は厳密に定義され、その付属的な意味はすべてもみ消され忘れ去られる。すでに第十一版でその地点にかなり近づいている。だがプロセス自体はきみやおれが死んでからもずっと続く。毎年ことばはどんどん減る。今でももちろん、思考犯罪を犯す理由も口実もあり得ない。単なる自己規律、現実統制の問題だ。だが最終的にはその必要性さえなくなる。言語が完璧になれば革命は完全になる。ニュースピークは英社主義(イングソック)英社主義(イングソック)がニュースピークだ」とかれは、何やら神秘めかした満足をこめて付け加えた。「ウィンストン、どんなに遅くても2050年には、存命中の人間はだれ一人として、いま我々が交わしているような会話は理解できなくなるというのがわかるか?」

「ただし——」とウィンストンは疑念をこめて始めたが、そこで口を閉じた。「プロレ以外は」とほとんど舌の先まで出かかっていたが、自分を抑えたそうした発言が何らかの形で非正統的ではないと完全には確信できなかったのだ。だがサイムは、かれが何を言おうとしていたかを感じ取ってしまっていた。

「プロレどもは人間じゃないから」とかれは事もなげに言った。「2050年には——おそらくはもっとはやく——オールドスピークのまともな知識はすべて消えてる。過去の文学すべては破壊される。チョーサー、シェイクスピア、ミルトン、バイロン——すべてニュースピーク版しかなくなる。何かちがうものに変えられただけじゃない、もともとの作品とは矛盾するようなものに変えられるんだ。党の文献すら変わる。スローガンでさえ変わる。「自由は奴隷」というスローガンなんて、自由の概念が廃止されたらあり得ないだろう? 思考の環境そのものが丸ごとちがったものになる。実際、いま理解されているような意味での思考はなくなる。正統性とは考えないこと——考える必要がないことだ。正統性は無意識なんだ」

 いつの日か、サイムは蒸散されるぞ、とウィンストンはいきなり深く確信した。知的すぎる。はっきりものが見えすぎ、率直に語りすぎる。党はそういう人間がお気に召さない。いつの日かこいつは消えうせる。それはかれの顔にはっきり書かれていた。

 ウィンストンはパンとチーズを食べ終えた。椅子の中で少し横座りになってマグからコーヒーを飲んだ。左側のテーブルでは声高な人物がまだ何の反省もなく喋り続けていた。彼の秘書かもしれない若い女性が、ウィンストンに背を向けてすわっていて、彼の話に耳を傾け、その発言すべてに熱心に同意しているようだった。ときどきウィンストンは、若々しくいささかバカのような女性的な声でつぶやかれる、「ほんとにおっしゃる通りだと思います、心底同意します」といった発言が耳に入ってきた。だがもう一つの声は一瞬足りとも、女子がしゃべっている時ですら止まることはなかった。ウィンストンはその男を見かけたことはあったが、創作部のお偉いさんだということ以外は何も知らなかった。30歳くらいの男性で、筋肉質ののどと、大きくよく動く口を持っていた。頭を少し後ろに傾けていて、そのすわっている角度のおかげでメガネに光が反射して、ウィンストンのほうには目のかわりに、黒い何もない円盤が二つ見えるだけだった。ちょっと恐ろしかったのは、彼の口から流れ出る音の流れから、単語一つたりとも識別できないということだった。たった一度だけ、ウィンストンは一節を聞き分けられた——「ゴールドスタイン主義の完全かつ最終的な排除」——がきわめて急速に出てきて、まるでひとかたまりの、まとめて鋳造された一行の活字のようだった。それ以外の部分はただの雑音、ガアガアガアという鳴き声だった。だがそれでも、男が言っていることを実際には聞き取れなくても、その全般的な性質についてはまったく疑問の余地はなかった。ゴールドスタインを糾弾し、思考犯罪者やサボタージュ犯への対応厳格化を要求しているのかもしれない。ユーラシア軍の残虐行為について激怒しているのかもしれない。ビッグ・ブラザーか、マラバール前線の英雄たちを賞賛しているのかもしれない——どれだろうと何のちがいもなかった。それがなんであろうと、そのあらゆる単語は純粋な正統教義、純粋な英社主義(イングソック)なのは断言できた。目のない顔のあごが急速に上下に動くのを見ているうちに、ウィンストンはこれが本当の人間ではなく、一種の木偶人形なのだという不思議な感覚にとらわれた。しゃべっているのはこの男の脳ではなく、声帯なのだ。彼から出てくるものは言葉で構成されてはいるが、それは本当の意味での発話ではない。それは無意識のうちに発せられる雑音で、アヒルがガアガア鳴くようなものなのだ。

 サイムはしばらくだまっていて、スプーンの絵でシチューの淀みの中にパターンをくりかえしなぞっていた。向こうのテーブルからの声は急速にガアガア言い続け、まわりの喧噪にもかかわらず容易に聞き取れた。

「ニュースピークにある単語で、おまえが知ってるかはわからんが。ダックスピーク、アヒルのようにガアガア鳴くこと。二つの矛盾した意味を持つ面白い言葉の一つなんだ。敵について使うとそれは罵倒で、同意する相手に使うとそれはほめ言葉になる」

 間違いなくサイムは蒸発させられるな、とウィンストンは再び考えた。かれはそう思っていささか悲しかった。とはいえサイムが自分を軽蔑し、少し嫌っているのは十分に承知していたし、理由さえあればすぐに自分を思想犯罪者として告発できるのも知っていた。サイムには何かいささかおかしいところがあった。何か欠けているものがある。思慮、うわの空な部分、救いとなるようなある種の愚かさ。彼が非正統的だとは言えない。彼は英社主義(イングソック)の原理を信じ切っていたし、ビッグ・ブラザーを崇拝し、勝利には大喜びで、逸脱者が大嫌いで、しかも本気で嫌うにとどまらず一種の落ち着きのない情熱をもって嫌っていた。最新の情報をひたすら求め、通常の党員はその足下にも及ばない。だが彼にはかすかな不敬の雰囲気が常につきまとっていた。言わぬが仏のことを言ってしまうし、あまりに本を読みすぎているし、画家やミュージシャンのたまり場である栗の木酒場にも通っていた。栗の木酒場に通ってはいけないという法律はないし、不文律さえないが、それでもこの場所はなぜか不吉だった。党の古い、追い落とされた指導者たちは、そこに集まるのが通例だったが、その後ついに粛清された。ゴールドスタイン自身も、何年も前、何十年も前に、ときどきそこに姿を現したとされる。サイムの運命は簡単に予想がついた。だがサイムがほんの三秒ほどであっても、自分の、つまりウィンストンの秘密の意見がどんなものかを把握したら、即座に思考警察に売り渡されることになるのは事実だった。それを言うなら、他のだれでも同じだ。だがサイムは他のみんなよりその度合いが強い。情熱だけでは不十分だ。正統教義は無意識なのだ。

 サイムが目を上げた。「パーソンズがきたぜ」

 その声色の何かが「あの薄らバカが」と付け加えたように感じられた。パーソンズは、勝利マンションでのウィンストンのご近所で、確かに部屋を横切ってくるところだった——太った中くらいの大きさの男性で、金髪でカエルのような顔を持っている。三十五歳だというのに、すでに首とウェストに脂肪の塊をつけつつあったが、その動きはすばやく少年っぽかった。その外見すべては男の子をそのまま大きくしたような感じで、既定のオーバーオールを着ているとはいえ、スパイ団の青い短パン、灰色のシャツ、赤いネッカチーフを身につけているところを想像せずにはいられなかった。かれを思い描くときにはいつも、くぼみのある膝小僧、ぷくぷくした前腕からまくられた袖を思い描いてしまう。実際パーソンズは、コミュニティハイキングなど、身体活動で口実さえあれば、必ず短パンを身につけるのだった。彼はこちら二人を、陽気な「いよう、いよう」で迎え、テーブルについて、強烈な汗のにおいを放った。そのピンクの顔からは滴となった湿気がいたるところに立ち上っていた。その発汗能力は驚異的だった。コミュニティセンターでは、彼が卓球をやっていたのはすぐわかった。パドルのハンドルが湿っているからだ。サイムは長い言葉の列が書かれた紙切れを取り出して、それを指に挟んだインキ鉛筆で検討していた。

「こいつ、昼食時間もこうやって仕事だぜ」とパーソンズはウィンストンを小突いた。「熱心さってやつだよな。そこに持ってるのはなんだい、旦那? なんかオレにはちょっとむずかしすぎるものだろうな。スミスのだんな、なんであんたを追いかけ回してるか教えてやろうか。オレに払うの忘れた、あの購読費だよ」

「どの購読だっけ?」とウィンストンは自動的に服の上からお金を探った。給与の四分の一ほどは自発的な購読用に取り置かれていたが、それがあまりに多すぎて、どれがどれかもわからないほどなのだった。

「憎悪週間のやつだよ。ほら——家ごとの基金。うちの街区はオレが財務担当なんだ。全面的に打ち出すつもりなんだぜ——すごいショーを仕掛けてやる。いやあ、言っておくが勝利マンションが街路でいちばんでかい旗の掲示をしてなくても、オレのせいじゃないからな。二ドル出すって約束してくれたよな」

 ウィンストンは、しわくちゃの汚い紙幣二枚を見つけて渡し、パーソンズはそれを小さな手帳に書き留めた。文盲ならではのていねいな手書き文字だ。

「ところでだね、旦那、うちの乞食小僧が、昨日パチンコであんたを狙ったって聞いたよ。それについてはしっかり折檻しといたから。それどころか、二度とやったらパチンコを取り上げると言ってやったよ」

「処刑にいけなくてちょっと機嫌が悪かったんだろう」とウィンストン。

「ああ、まあな——オレが言いたいのは、まともな精神を見せるってことだ、そうだろ? イタズラばかりの物乞いチビどもだ、あの二人とも。だが目の鋭さときたら! 連中が考えるのはスパイどものことだけ、それに戦争だ、もちろん。うちの娘がこないだの土曜に何をしたと思う? 部隊がバーカムステッドのほうにハイキングにでかけてたときだぜ? 他に女の子二人をいっしょにこさせて、ハイキングから抜けだし、午後中ずっと変な男を尾行してたんだ。2時間もずっと尾行して、森の中をずっと、そしてそれからアマーシャムに入ったら、パトロールに引き渡したんだ」

「なぜそんなことを?」ウィンストンはいささか驚いた。パーソンズは勝ち誇ったように続けた。

「うちの子はそいつがまちがいなく何やら敵のエージェントだと確認したんだ——たとえばパラシュートで降下したかなんかかもな。だが重要な点というのはだな、旦那。そもそもなんで娘がそいつに目をつけたと思う?そいつが変な種類の靴を履いてたのに気がついたんだよ——そんな靴を履いてるやつにはこれまでお目にかかったことがないそうだ。だからそいつは外国人だった可能性が高い。七歳の小娘にしちゃ、かなり賢いだろが?」

「その男はどうなった?」とウィンストン。

「ああ、そいつはオレにはわからんよ、もちろん。だがこうなってても驚かんね」とパーソンズはライフルを構え、そして舌を鳴らして爆発を示してみせた。

「いいことだ」とサイムはあいまいに言ったが、自分の紙切れから顔を上げようともしなかった。

「もちろん万が一の危険は冒せないからな」ウィンストンも唯々諾々と合意した。

「オレが言いたいのは、だって戦争が続いてるもんな」とパーソンズ。

 これを裏付けるかのように、頭上のテレスクリーンからラッパが漂い出てきた。だが今回は軍事的勝利の宣言ではなく、単に豊富省からの発表だった。

 熱烈な若々しい声が叫んだ。「同志諸君、聞きたまえ! 輝かしいニュースがあります。生産のための戦いに勝利しました! あらゆる消費財の産出量についていまや完了した計上を見ると、生活水準は前年比で最低でも20パーセント高まったことがわかりました。今朝はオセアニア全土で、抑えようのない自発的なデモが生じ、労働者たちが工場やオフィスから行進して出てくると、横断幕を掲げて通りをパレードし、ビッグ・ブラザーへの感謝を述べたのです。彼の賢明なるリーダーシップが与えてくださった、我々の新しい幸福な生活に対する感謝を口々に述べました。集計された数字をいくつかお示ししましょう。食品は——」

「我々の新しい幸福な生活」という一節が何度か繰り返された。これは豊富省の最近のお気に入りだった。パーソンズはラッパの音に気を取られて、唖然とするような荘厳さでそれを聴き続けた。一種の教化された退屈さだ。数字は追えなかったが、それが何らかの形で満足すべきものなのだということはわかった。彼は巨大で汚いパイプを引っ張り出したが、それはすでに焦げたタバコが半分詰まっていた。葉タバコの配給が週100グラムでは、パイプをいっぱいまで満たすのはめったに不可能だったのだ。ウィンストンは、慎重に水平を保った勝利タバコを吸っていた。新しい配給は明日まで始まらないし、残ったタバコは四本だけだったのだ。その瞬間では、彼は遠くの雑音に対しては耳を閉ざし、テレスクリーンから流れ出すものに聞き耳をたてた。どうやらチョコレート配給を週20グラムに増やしてくれたことで、ビッグ・ブラザーに感謝するデモまであったらしい。そしてほんの昨日、配給が週20グラムに減らされるという発表があったばかりだったのだ。こんな話を、みんながたった24時間後に鵜呑みにするなんてあり得るのだろうか? そう、みんな鵜呑みにした。パーソンズは楽々と、動物の愚かさをもって鵜呑みにした。向こうのテーブルの目なし動物はそれを熱烈に、情熱的に鵜呑みにして、先週の配給量は30グラムだったと示唆するものを全員追跡し、糾弾し、蒸発させようというすさまじい欲望を発揮して見せた。サイムもそうだ——もっと複雑な、二重思考を使ったやり方で、サイムも鵜呑みにしていた。ならば、記憶を持っているのは自分一人なのだろうか?

 テレスクリーンからはすばらしい統計が流れ出し続けた。去年と比べると、食品、衣服、住宅、家具、鍋、燃料、船、ヘリコプター、本、赤ん坊がすべて増えていた——あらゆるもの、病気や犯罪や狂気以外はすべて増えていたのだ。毎年毎年、一分ごとに、全員、あらゆるものが急激に猛然と上昇していた。サイムがさっきやっていたように、ウィンストンはスプーンを手に取って、それをテーブルの上にこぼれた淡い色の肉汁につっこんで、そこから長い線を引っ張り出してパターンを描きはじめた。かれは人生の物理的な様相について、恨みがましく思案した。ずっとこんな様子だったのだろうか? 食べ物はいつもこんな味だったろうか? かれは食堂を見回した。天井の低い混雑した部屋で、無数の肉体の接触により壁はべとついていた。ボコボコの金属テーブルや椅子が、あまりに密に寄せ集められているので、すわると肘が触れあう。曲がったスプーン、へこんだトレー、粗雑な白いマグカップ。あらゆる表面は脂ぎって、あらゆる割れ目に汚れが詰まっている。そしてひどい人とひどいコーヒーと金属味のシチューと汚れた衣服が入り混じった、酸っぱい匂い。いつも腹の底と肌には、一種の抗議があった。何か自分が権利を持つものをだまし取られた、という感覚だ。何かがひどくちがっていたという記憶は、確かになかった。正確に思い出せるあらゆる時代には、食べ物はいつも不十分で、靴下や下着で穴だらけでないものはなく、家具はいつもボロボロで壊れかけ、部屋の暖房は弱すぎ、地下鉄は混雑し、家は崩壊寸前で、パンは黒っぽく、お茶はめったに手に入らず、コーヒーは泥のような味で、紙巻きタバコは不十分——合成ジンを除けば安く豊富なものはない。そしてもちろん、これは肉体が年を追うごとに悪化はしたとはいえ、その不快と汚れと物不足、果てしない冬、靴下のベトベトぶり、いつも動かないエレベーター、冷たい水、カスだらけの石けん、バラバラになる紙巻きタバコ、奇妙なひどい味の食べ物に心が病むというのは、これが物事の自然な秩序などではないというしるしなのではないだろうか?物事がかつてはちがったという先祖からの何か記憶でもない限り、なぜそれが耐えがたいなどと感じてしまうのか?

 かれはまた食堂を見回した。ほとんどみんな醜悪だったし、制服の青いオーバーオール以外の服を着ていても、やはり醜かっただろう。部屋の向こう端には、一人でテーブルに向かっている、小柄で奇妙なほどカナブンに似た男がコーヒーを飲んでおり、その小さな目は左右に怪しげな視線をキョロキョロ向けている。あたりを見回さなければ、党が理想として設けた身体タイプ——背の高い筋肉質な若者と胸の張り出した乙女、ブロンドの髪、活気にあふれ、日に焼けて何の懸念もない——が実在して主流ですらあると思ってしまうのは、何とも簡単なことだなあ、とウィンストンは思った。実は彼が判断できる限り、このエアストリップ・ワンの人々の大半はチビで暗く機嫌が悪かった。あのカナブンめいたタイプの連中は、おもしろいくらいに省庁にはびこっているのだ。小柄で陰気な男たち、人生のきわめて早い時期に太りはじめ、短足でシャカシャカと動き、太った不可思議な顔で目はやたらに小さい。党の支配下ではそういうタイプが最も繁栄しやすいらしい。

 豊富省からの発表は、再度のトランペット音と共に終わり、キンキンした音楽がかわりに流れはじめた。パーソンズは数字を大量に見せられてなにやら興奮したらしく、パイプを口から取り出した。

「豊富省はまったく、今年はすばらしい仕事ぶりだな」と彼は、いかにも事情通ぶって首を振って見せた。「ちなみにスミスの旦那よ、融通できるようなカミソリの刃なんか持っちゃいねえよな?」

「一つもない」とウィンストン。「こっちだって同じ刃を六週間も使ってるんだ」

「まあそうだよなあ——訊くだけ訊いてみようと思ってな」

「すまん」とウィンストン。

 隣のテーブルのガアガア声は、省の発表中は一時的に鎮まっていたが、それが以前に負けない大音量で再開した。なぜだかウィンストンは、気がつくといきなりパーソンズ夫人のことを考えていた。ゴワゴワの髪の毛と、顔のしわにはホコリが溜まった女性だ。二年しないうちに、その子供たちは母親を思考警察に告発するだろう。パーソンズ夫人は蒸散させられる。サイムも蒸散。ウィンストンも蒸散。オブライエンも蒸散。だがパーソンズ自身は決して蒸散させられない。ガアガア声の目なしの生き物は決して蒸散させられない。省庁の迷路のような廊下を実に巧みにカサコソうろつく、小さなカナブンめいた連中も、決して蒸散させられない。あの黒髪女子、創作部からの女子——彼女も決して蒸散させられない。自分はだれが生き残りだれが消えるか、直感的にわかるようだった。だが生存を可能にするのがずばり何なのかとなると、なかなかわからなかった。

 この瞬間、彼は激しくどやされて、空想から無理矢理引き出された。隣のテーブルの女子が少し向きを変えて、こちらを見ていた。あの黒髪女子だ。こちらを横目で見ていたが、その視線は奇妙なほど強烈だった。目が合った瞬間、彼女はまた目をそらした。

 ウィンストンの背中に冷や汗が吹き出てきた。全身をひどい恐怖の衝撃が貫いた。一瞬で消えたが、何かしつこい不安が残った。なぜ彼女はおれを見ていたんだろう? なぜおれをつけまわすんだろう? 残念ながら、自分がきたときに彼女がすでにいたのか、後からやってきたのか思い出せなかった。だが少なくとも昨日、二分憎悪のとき、特にこれという必然性もないのに彼女は真後ろにすわったのだ。真の狙いは自分に聞き耳をたてて、十分に大声で怒鳴っているかを確かめることだった可能性が高い。

 さっきの考えが戻ってきた。おそらく彼女は思考警察の一員ではないのだろう。だがそれを言うなら、最も危険なのはまさに素人のスパイなのだ。彼女がいつまで自分を見ていたかはわからなかったが、ヘタをすれば五分にもなった可能性があり、自分がその間に表情を完全に抑制していなかった可能性もある。何か公共の場にいたりテレスクリーンの範囲内にいたりするときに、物思いにふけるのはきわめて危険だった。ほんのつまらないことでも命取りになりかねない。神経質な顔のひきつり、無意識のうちに見せる不安の表情、ぶつぶつつぶやく習慣——少しでも異常性の示唆を伴うものや、何か隠し事をしているという示唆を持つものは何でも。いずれにしても、不適切な表情 (たとえば勝利が発表されたときに、不信の表情をするなど) はそれ自体が処罰の対象となる刑だ。ニュースピークにはそれを指す単語さえある。フェイスクライムと呼ばれるものだ。

 女子は再びこちらに背を向けた。ひょっとすると結局彼女は自分を尾行したりはしておらず、二日続けて近くにすわったのは、偶然だったのかもしれない。彼のタバコの火が消えたので、それを慎重にテーブルの端に置いた。中の煙草の葉を温存できたら、仕事の後で吸い終えよう。隣のテーブルにいる人物は思考警察のスパイである可能性がかなり高く、自分が愛情省の監獄に3日以内に入れられる可能性はかなり高いが、タバコの吸いさしは無駄にしてはならない。サイムは自分の紙切れを折りたたんでポケットにしまった。パーソンズはまた話し始めた。

「旦那、話したかもしれねーがな、うちの物乞い二人がマーケットばばあのスカートに火を放ったんだよ」と彼はパイプの吸い口を回しつつ笑って見せた。「BBのポスターでソーセージを包んでたのを見かけたからってな。後ろから忍び寄って、マッチ箱で火をつけてやった。かなりのヤケドを負ったはずだぜ。まったくろくでもない。だが芥子まがいに鋭い! スパイでいまや連中がやるのはそういう一級の訓練なんだ——オレの頃よりもいいくらい。お上がガキどもによこした最新の装備は何だと思う? 鍵穴越しに聞き耳立てるための盗聴耳当てだよ! 娘がこないだ一つ持って帰ってきたんだ——うちらの居間のドアで試してみて、鍵穴に耳をあてるより2倍もよく聞こえるとさ。もちろんただのオモチャだぜ、言っとくけど・それでも、ちゃんとした考え方は身につくだろ、え?」

 その瞬間にテレスクリーンが突き刺すようなホイッスルを鳴らした。仕事に戻る合図だった。三人とも即座に立ち上がり、エレベーター周辺の争いに加わり、そして残った煙草の葉がウィンストンのタバコからこぼれ落ちた。

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第6章

 

 ウィンストンは日記にこう書いていた:

 三年前のことだった。暗い夜のこと、大きな鉄道駅の近くにある狭い脇道だ。彼女は壁にある戸口近く、ほとんど光のない街灯の下に立っていた。若い顔を分厚く塗っている。私が惹かれたのは実はその塗りなのだった。その仮面のような白さと、明るい赤い唇。党の女性は絶対に顔を塗らない。道にはだれもおらず、テレスクリーンもなかった。彼女は二ドルと言った。私は——

 そのときには先を続けるのはつらすぎた。彼は目を閉じて指を押し当て、絶えず繰り返されるその光景を絞り出そうとした。一連の卑猥な言葉を絶叫したい圧倒的なほどの誘惑にかられた。あるいは壁に頭を叩きつけ、テーブルを蹴り倒し、インキの壺を窓から投げ出したい——自分を苦しめる記憶を黒塗りしてくれるものなら、どんな暴力的で騒々しいことでもやりたくなった。

 最大の敵は、自分自身の神経系なのだ、と彼は考えた。自分の中の緊張が、いつ何か目に見える症状としてあらわれてもおかしくない。数週間前に道端ですれちがった男のことを思い浮かべた。ごく普通に見える男性で、党員で、三十五歳から四十歳ほど、背は高めでやせていてブリーフケースを持っていた。数メートル離れたところで、その男の顔の左半分がいきなり、何かけいれんで歪みはじめた。ちょうどすれちがったときにも、同じことが起きた。ちょっとしたひくつき、震え、カメラのシャッター音並みに一瞬。だが明らかに習慣的だ。そのときに自分が思ったことも思い出した。あの哀れな野郎はおしまいだ、と思ったのだ。そして恐ろしいことに、その行動はおそらくは無意識のものだったのだ。中でも最も致命的な危険は寝言だった。彼の知る限り、それを防ぐ方法はないのだ。

 彼は息を吸い込むと書き続けた。

 その女と戸口をぬけて裏庭を通り、地下の台所に行った。そこの壁際にベッドがあり、テーブルにひどく灯りを落としたランプがあった。彼女は——

 歯を食いしばった。唾を吐き捨てたくなった。地下室の台所の女のことと同時に、彼は妻キャサリンのことを考えた。ウィンストンは結婚していた——少なくともかつては結婚していた。たぶんいまでも、妻が死んでいないとわかっている以上、結婚しているのだろう。再びあの地下の台所の、ぬるい息詰まる匂いが漂ってくるようだった。その匂いはムシや汚い服や、悪質な安手の香水でさらにひどくなっていたが、それでも魅惑的だった。というのも党の女性はだれも決して香水など使わず、また使うところを想像すらできないからだ。香水を使うのはプロレだけだった。彼の内心では、その香りは交接とどうしようもなく混じり合っているのだった。

 その女性についていったのは、二年かそこらで初めてのぶりかえしだった。売春婦との関係はもちろん禁止されていたが、それはたまに勇気を出して破るルールの一つなのだ。危険ではあるが、生死に関わるものではない。売春婦といっしょのところを捕まれば、強制労働キャンプで五年くらいか。他に違反がなければそれ以上にはならない。そして現行犯で捕まるのさえ避ければ、実に簡単だった。貧困地区は、すぐに自分を売りに出す女だらけだった。中にはジンのボトル一本で買える女もいた。プロレはジンを飲んではいけないことになっていたのだ。暗黙のうちに、党は売春を奨励する傾向さえあった。完全に抑圧できない本能のはけ口となるからだ。単なる背徳など大した問題ではない。それがこっそり行われ、歓びがなく、埋もれて軽蔑されている階級の女しか関与していなければそれでいい。許されざる犯罪は、党員同士の乱交だった。だが——これは大粛清で糾弾された犯罪者たちがいつも必ず自白する罪の一つなのだが——そんなことが実際に起きているのを想像するのはむずかしかった。

 党の狙いは、単に男女が党の統制の効かない忠誠関係を形成するのを防ぐというだけではない。その本当の口に出さない目的は、性行為からあらゆる歓びを取りのぞくことだった。結婚の内外問わず、敵は愛ではなくエロティシズムだ。党員同士の結婚はすべて、そのために任命された委員会の承認が必要で——この原理は決して明示されなかったが——そのカップルが、肉体的に惹かれあっているという印象を与えたら、常に許可は下りなかった。結婚の唯一認知された目的は党に奉仕する子どもを得るためだ。性交はいささか嫌悪すべきちょっとした手術、浣腸を受けるようなものと見られた。これまた、はっきり述べられることはなかったが、間接的にあらゆる党員に子供時代からずっと刷り込まれるのだ。青年反セックス同盟などといった組織まであった。これは両性の完全な禁欲を訴える団体だ。あらゆる子どもは人工授精 (ニュースピークでは人精と呼ばれる) で得られ、公的機関で育てられるのだ。これが完全に真面目に主張されているわけではないのはウィンストンも知っていたが、それでもなぜかこれは党の全般的イデオロギーにうまくはまっているのだ。党は性的本能を殺すか、殺せないならそれを歪めて汚いものにしようとしていた。なぜそうなのかはわからなかったが、それが自然なことに思えた。そして女性に関する限り、党の努力はおおむね成功していた。

 再びキャサリンのことを考えた。別れてからもう九年、十年——十一年近くになるはずだ。彼女のことをほとんど考えないのが不思議だった。ときには何日も続けて、自分が結婚していたことさえ忘れてしまえるのだ。いっしょにいたのはたった十五ヶ月ほどだ。党は離婚を認めず、子どもがない場合には離別を奨励するのだった。

 キャサリンは背が高く金髪の女子で、きわめて背筋がのびた、見事な動きをしていた。目鼻だちのはっきりした、わし鼻の顔をしていた。気高いと呼べそうな顔なのだが、それもその背後には能う限り何一つないのだというのを発見するまでのことだ。結婚生活のきわめて早期に彼は、キャサリンこそ自分が出会った中で、例外なく最も愚かで粗野で空疎な心の持ち主だと確信した——とはいえそれは、ほとんどの人よりも彼女を親密に知っていたというだけのことかもしれないが。彼女の頭の中にはスローガンでない思考など一つたりともなく、党から渡されたら彼女が鵜呑みにできないほどまぬけな主張は、まったく何一つとして存在しないのだった。「人間サントラ」と彼はキャサリンに内心であだ名をつけていた。だが一つのことさえなければ、彼女との暮らしも耐えられただろう。その一つとは——セックスだ。

 触れたとたん、彼女は身を縮めて硬直するようだった。彼女を抱きしめるのは、ちょうつがいでつなげた木製の人形を抱くようなものだった。そして奇妙だったのは、彼女がこちらを抱きしめているときですら、彼女が同時に全力で自分を押しやっているような感じがしたということだ。彼女のこわばった筋肉がそんな印象を与えたのだ。目を閉じてそこに横たわり、抵抗するでもなく協力するでもなく、身を任せるだけ。きわめて屈辱的で、しばらくすると陰惨になった。だがそれですら、二人がセックスせずにいようと合意できたら、いっしょに暮らすのも我慢できただろう。だが奇妙なことに、それを拒否したのはキャサリンのほうだった。できることなら二人は子どもを作らねばならない、と彼女は言った。このためこのパフォーマンスは相変わらず続き、週に一回、それが不可能でない限りは定期的に行われた。かつて彼女は、朝にそれをわざわざ告げて、何か晩にやらねばならないことで、忘れてはならないことなのだとでも言うようだった。彼女はそれについて二種類の呼び名を使った。一つは「赤ん坊づくり」で、もう一つは「私たちの党への義務」 (そう、彼女は本当にこの表現を使った) だった。間もなく彼は、この指定日がやってくると、本当にはっきりとうんざりする気分を感じるようになった。だが運のいいことに子どもはついぞできず、最終的に彼女は試みを諦めることに合意して、その後間もなく二人は別離した。

 ウィンストンはかすかにため息をついた。そしてペンを再び手にして書いた。

 彼女はベッドに身を投げ出し、即座に、何一つ前戯なしに、想像できる限り最も粗野でひどいやり方で、私は彼女のスカートを引き上げた。そして——

 暗いランプの明かりの中に立っている自分の姿が甦ってきた。鼻孔にはムシや安い香水が漂い、内心では敗北と嫌悪感がたちこめ、その瞬間ですらそれはキャサリンの白い肉体の思い出と入り混じっていた。その肉体は、党の催眠力により永遠に凍りついていたのだ。なぜ常にこうでなければならないんだ? なぜ何年も間を置いて、こんな薄汚い取っ組み合いをするのではなく、自分だけの女性を持てないんだろうか? だが本当の情事などほとんど考えられないできごとだった。党の女性はみんな似たり寄ったりだ。禁欲は、党への忠誠と同じくらい彼女たちに根深く植えつけられている。ゲームや冷水、学校やスパイ団や青年同盟などで叩き込まれるゴミクズ、講義、パレード、歌、スローガン、軍楽などで叩きこまれるものにより、自然な感情が彼女たちからは追放されてしまったのだ。理性は、例外もいるはずだと告げていたが、心はそれを信じようとはしなかった。みんな不妊なのだ、党がそうあるべきだと意図した通りに。そして彼が求めたのは、愛されること以上に、生涯たった一度でもいいからその美徳の壁を打ち倒すことだった。性行為をうまくやったら、それは反逆だ。欲望は思考犯罪だ。キャサリンを目覚めさせることさえ、もしそれを実現できていたとしても、誘惑と同じなのだ。彼女は妻だったというのに。

 だが残りの話を書き留めねばならなかった。彼はこう書いた。

 ランプを明るくした。光の中で見た彼女は——

 暗闇の後では、パラフィンランプのかすかな灯りも非常に明るく思えた。初めてその女をまともに見た。彼女のほうに一歩踏み出したが、情欲と恐怖に満ちて立ち止まった。ここにくることで犯したリスクは痛いほどわかっていた。出たところでパトロールが自分を捕まえることも十分にあり得た。それを言うなら、やつらがこの瞬間にもすぐ外で待ち構えているかもしれない。ここにやってきた目的を果たさずにここを離れたとしても——!

 どうしても書き留めておかねばならない、告白しなければならない。そのランプの灯りの中で突然わかったのは、その女が歳寄りだということだった。顔に塗りたくった絵の具はあまりに分厚くて、段ボールの仮面のようにひび割れそうだった。髪は白髪交じりだった。だが本当にゾッとする細部は、彼女の口が少し開いて、そこには洞窟のような黒さ以外何も見えなかったことだ。歯が一本もなかったのだ。

 彼は急いで書き殴った。

 灯りの中で見た彼女はかなりの老婆で、少なくとも五十歳にはなっていた。それでも私はまるで気にせずやった。

 再び指をまぶたに押し当てた。ついにそれを書き止めたが、何も変わらなかった。この療法は失敗だった。汚い言葉を絶叫したい衝動はいつになく強かった。

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第7章

 

「希望があるなら、それはプロレにある」とウィンストンは書いた。

 希望があるなら、プロレにあるとしか考えられなかった。というのも、その大量の黙殺された大衆、オセアニア人口の85パーセントにしか、党を破壊する力は生み出せないからだ。党は内部から打倒はできない。党の敵があっても、集まったりお互いを見つけたりすることさえできない。伝説の友愛団が存在したにしても (確かに存在する可能性はあった)、その団員たちが二、三人以上の大人数で集まれるとは考えられなかった。反乱というのは、ある目つき、声の抑揚、最大でもたまにささやかれる言葉でしかない。だがプロレたちは、どうにかして自分たちの強さに気がつけたなら、はかりごとをする必要などない。単に立ち上がり、ハエを振り落とす馬のように自分たちを揺り起こすだけでいい。彼らさえその気になれば、明日の朝にでも党を粉々に粉砕できる。どう考えても、遅かれ早かれ彼らはそうしようと思いつくはずでは? だがそれなのに——!

 かつて、混雑した通りを歩いていたとき、何百人もの叫び声——女性の叫び声——が少し先の脇道から噴出したのを思い出した。それは怒りと絶望の侮れない絶叫であり、深い大音響の「おおおおおお」という声で、それが鐘の音の残響のように響き続けたのだ。彼の心は躍った。始まったんだ! 暴動だ! プロレたちがついに身をふりほどいた! その場所にたどりつくと、見えたのは二、三百人の女性の暴徒たちが青空市場の屋台に密集しているところだった。その顔は、沈み掛けた船の死にゆく乗員たちであるかのように悲劇的だった。だがこの瞬間に、全般的な絶望は大量の個別の口論へと解体していった。どうやら屋台の一つがブリキのシチュー鍋を売っていたようだ。ひどい安手の代物だったが、どんなものでも調理器具は常に入手困難なのだ。いまや供給がいきなり底をついた。うまく手に入れた女性たちは、他のみんなに小突かれ押しやられつつ、自分のシチュー鍋を手にそこを離れようとして、その他何十人もの女性は屋台のまわりにむらがって、屋台主をえこひいいきだと糾弾し、どこかに予備のシチュー鍋を隠しているはずだと糾弾しているのだった。新たに叫び声が響いた。ふくれあがった女性二人、うち一人は髪を振り乱して、一つのフライパンを取り合い、相手の手からそれを引きむしろうとしていたのだ。しばらく二人は引っ張り合いを演じていたがそこで取っ手がはずれてしまった。ウィンストンはうんざりして彼女たちを眺めた。だがほんの一瞬だけ、たった数百人ののどからの叫びで、ほとんど恐ろしいとすら言える力が鳴り響いたではないか! なぜこいつらは、本当に意味があることについて、決してこのように叫べないのだろうか?

 彼は書いた。

 目覚めるまで彼らは決して反逆せず、反逆した後にならなければ彼らは目を覚ませない。

 これは、党の教科書のどれかをほぼ引き写したようなものかもしれない、と彼は思案した。党はもちろん、プロレを隷属から解放したと主張していた。革命前には、彼らは資本家にとんでもなく抑圧されており、飢えて殴られており、女性は炭坑で強制労働させられ (実は女性はいまでも炭坑で働いていた)、子どもは六歳で工場に売られていたのだ。だが同時に、ダブルシンクの原理に忠実に、党はプロレがもともと劣った存在であり、常にわずかな単純な規則の適用によって、動物のように従属させられねばならいのだと教えていた。現実には、プロレたちについてはほとんどわかっていなかった。大して知る必要はなかったのだ。連中が働いて繁殖し続ける限り、他の活動など重要ではなかった。放っておけば、アルゼンチンの草原に放たれた牛のように、彼らに自然と思える生活様式に、一種の先祖伝来のパターンに逆戻りしたことだろう。生まれ、泥の中で育ち、十二歳で働きはじめ、ごく短期間だけ美しさが花開いて性欲が生まれ、二十歳で結婚して、三十歳で中年になり、ほとんどは六十歳で死ぬ。厳しい肉体労働、家庭と子どもの世話、ご近所とのつまらない口論、映画、サッカー、ビール、そして何より博打が彼らの心の地平を満たしている。やつらを統制しておくのはむずかしくはない。思考警察のエージェント数人が常に彼らの間う動き回り、ウソの噂を流して、危険になりそうと思われた数少ない個人に目をつけては排除すればいいい。だが、彼らに党のイデオロギーを植えつけようという試みは一切行われなかった。プロレが強い政治感情を持つのは望ましくなかった。連中に求められるものは、原始的な愛国心だけだ。労働時間を増やしたり配給を減らしたりする必要が出たら、それに訴えかければいいのだ。そして彼らが不満を抱いても (ときにはそういうこともあった) その不満は行き場がなかった。全般的な思想がないので、チマチマした具体的な不満にそれを集中させるしかないのだ。大きな邪悪はすべて、やつらには気づかれなかった。プロレの大半は家にテレスクリーンさえ持っていなかった。市民警察ですら、彼らにはほとんど介入しなかった。ロンドンでは大量の犯罪が起きていて、泥棒、盗賊、売春婦、ヤクの売人、ありとあらゆる恐喝者がいて、世界の中の別世界を構成していた。だがそれがすべてプロレたち自身の中で起きていたから、まったく重要性はなかった。道徳面でのあらゆる問題で、彼らは先祖伝来の規範に従うのを許されていた。党の性的な清教徒主義は彼らには適用されなかった。乱交は処罰を受けず、離婚も許された。それを言うなら、プロレたちが少しでも必要性や願望を示したら、宗教的な信仰すら許されただろう。連中は疑惑にすら値しない。党のスローガンに言うように「プロレと動物は自由である」

 ウィンストンは手を下に伸ばして、静脈瘤を慎重にひっかいた。またかゆくなってきたのだ。思いが必ず戻ってくるのは、革命前の人生が本当はどんなものだったか、決して知ることができないということなのだった。彼はピアソン夫人から借りた、子供向け歴史教科書を引き出しから取り出し、その一節を日記に書き写し始めた。

 古い時代 (とその本には書かれていた)、栄光の革命より前には、ロンドンは今日のわたしたちが知っている美しい都市ではありませんでした。それは暗く、汚い、ひどい場所で、ほとんどだれも十分に食べるものがなく、何百人、何千人もの貧しい人たちが、足にはくブーツもなく、眠るために頭の上に屋根さえなかったのです。きみたちと変わらない歳の子どもたちが、ざんこくなご主人さまのため、一日十二時間も働かねばなりませんでした。そのご主人たちは、はたらきがおそいとムチで叩き、干からびたパンくずと水しか与えなかったのです。でもこのひどい貧しさの中に、ごくわずかに大きく壮大で美しい家があって、そこには金持ちがすんでいて、最大三十人もの召使いたちがそのめんどうをみていました。この金持ちたちは、しほんかとよばれていました。こいつらはデブでみにくい連中で、じゃあくな顔をしていました。この向かいのページの絵にあるような顔です。長い黒い上着を着ているのがわかりますね。これはフロックコートと呼ばれていました。そして奇妙なピカピカした、ストーブのえんとつみたいな形の帽子をかぶっています。これはトップハットとよばれていました。これがしほんかたちの制服で、ほかのだれもそれを着てはいけなかったのです。しほんかたちは世界のすべてを所有していました。家も、工場も、お金もぜんぶです。だれかが言うことをきかないとろうやに入れてしまうか、あるいは仕事をとりあげてうえじにさせてしまえたのです。ふつうの人がしほんかに話をしたければ、身をちじこまらせて、おじぎをして、帽子をぬいで「サー」と呼びかけねばなりませんでした。しほんかたちみんなの親玉は王様と呼ばれ、そして——

 だがかれは、カタログの残りも知っていた。ローン製の法衣を着た枢機卿、アーミン毛皮製ローブの裁判官、首と手のさらし台、足をはさむさらし台、踏み車の刑、キャットオーナインの刑、知事閣下の晩餐会、法皇のつま先に口づけする風習の話も出てくる。また初夜権と呼ばれるものもあったが、おそらくこれは子供向けの教科書では言及されていないだろう。これは、あらゆる資本家は自分の工場で働くどんな女性とも寝る権利があるという法律なのだ。

 このうちどのくらいがウソか、どうすればわかるだろうか? 平均的な人間は、現在のほうが革命前よりもいい暮らしをしているというのは、確かに本当だという可能性はある。それを否定する唯一の証拠は、自分自身の骨身から出てくる物言わぬ抗議、自分が暮らしている状態は耐えがたいもので、どこか別の時代にはもっとちがっていたはずだという本能的な感覚なのだった。現代生活について、本当に特徴的なことは、その残酷さと不安定さではなく、単にそれがあまりに殺伐としていて、貧相で、歓びがないことなのだ、ということに思い当たった。人生は、あたりを見回せば、テレスクリーンから流れ出るウソとは似ても似つかないばかりか、党が達成しようとしている理想とすらまるでちがっているのだ。その人生の広大な領域は、党員にとってすら中立的で非政治的であり、陰惨な仕事をなんとか切り抜け、地下鉄での場所をめぐって争い、すりきれた靴下をつくろい、サッカリン錠剤をねだり、紙巻きタバコの吸い殻を取っておくといった代物なのだった。党が設定した理想は何か巨大でおそろしく、輝くものだった——鋼鉄とコンクリートの世界、巨大機械と恐ろしい兵器の世界——戦士と狂信者の国で、それが完全に一体となって前へと行進し、みんな同じ思考を考え、同じスローガンを叫び、永遠に働き、戦い、勝利し、糾弾している——三億人がみんな同じ顔だ。だが現実は、崩壊する薄汚い都市に、食べ物の不十分な人々が穴の空いた靴でうろうろして、いつもキャベツとひどい便所の匂いがする、継ぎを当てた19世紀の家屋で暮らしているというものだ。かれはロンドンの幻影を見たように思った。広大でボロボロで、百万ものゴミ箱の都市だ。それとまざりあっているのがパーソンズ夫人の姿で、皺だらけの顔と荒れた髪をして、詰まった排水管を寄る辺ない様子でいじくりまわしている。

 手を下に伸ばしてまた足首を搔いた。昼も夜もテレスクリーンは、今日の人々は食事も衣服ももっとあり、家も改善し、娯楽もよくなっていると証明する統計で人々の耳を潰していた——寿命も延び、労働時間も短くなり、五十年前の人々よりも大きく、健康で、強く、幸福で、知能も高く、教育水準も上がっているという。その一言たりとも、裏付けることも否定することもできない。たとえば党は、今日では成人プロレの40パーセントは読み書きできると主張する。革命前は、その数字はたった15パーセントだったと言われる。党によれば、乳児死亡率は千人あたりたった160人だが革命前はそれが300人だったそうだ——そんな調子で続く。未知数が二つある一つの方程式のようなものだ。歴史書のあらゆる単語、疑問の余地なく受け入れられているものですら、完全なおとぎ話だという可能性も十分ある。彼の知る限り、初夜権などという法律は一度も存在せず、資本家などという生き物も、トップハットなどという衣装もまったく無かったかもしれないのだ。

 すべては霞の中へとかき消えていった。過去は消され、その消したことも忘れられ、ウソが真実となる。人生で、たった一度だけ、彼は——そのできごとの後だ。それが重要なことなのだ——確固たるまちがえようのない、偽装行為の証拠を所有したことがある。それを、三十秒も指の間に持っていただろうか。1973年のことだったにちがいない——いずれにせよ、キャサリンと別離した頃のことだった。だが本当に関連した日付は、その七年か八年前なのだった。

 その物語が本当に始まったのは60年代半ば、大粛清の時期で、革命の元々の指導者たちが一気にまとめて一掃されたときだった。1970年になると、ビッグ・ブラザーその人以外は一人たりとも残っていなかった。残りは全員が裏切り者や反革命家だとして暴かれていた。ゴールドスタインは逃亡し、だれも知らないところに隠れていた。そして残りのうち、数人はあっさり消えうせ、大多数は壮観な公開裁判の後で処刑された。その裁判で、彼らは自分の犯罪を自白したのだ。最後の生き残りたちの中には、ジョーンズ、アーロンソン、ラザフォードという三人の男がいた。この三人が逮捕されたのは1965年だったはずだ。ありがちなことだが、三人とも一年かそれ以上姿を消したので、だれもかれらの生死すら知らなかったが、そこでいきなり、いつもながらのやり方で己の犯罪を告白するために引き出されてきたのだ。敵との内通を自白した (当時も敵はユーラシアだった)。公金の着服、数々の信頼された党員の殺害、革命が起こるずっと前から始まっていた、ビッグ・ブラザーの指導に対する陰謀、そして何十万人もの死を招いた妨害工作。こうしたことを告白してから、彼らは恩赦を受け、党に復帰して、閑職とはいえ立派そうな名前の役職を与えられた。三人とも『タイムズ』に長い卑屈な論説を書き、自分たちの裏切りの理由を分析してみせて、つぐないをすると約束した。

 かれらが釈放されて間もなく、ウィンストンは実際にその三人が栗の木酒場にいるのを見かけていた。横目でかれらを眺めていたときの、怯えきった魅惑は忘れられない。自分よりはるかに年配の男たち、古い世界の遺物で、党の英雄的な日々から残された、最後の偉大な人物たちとすら言えた。地下闘争と内戦の栄光がまだかすかに彼らにまとわりついていた。すでにその時点で事実や日付はぼやけつつはあったが、自分がビッグ・ブラザーの名前を知るより何年も先に、かれらの名前を知っていたという気がした。だがかれらは違法者、敵、不可触の存在であり、一、二年で絶対確実に殲滅される運命にあった。一度思考警察の手に落ちた者は、一人として最終的にそこから逃れることはできない。墓場に送り返されるのを待つ死骸なのだ。

 三人の間近のテーブルにはだれもいなかった。こうした人物の近くにいるのを見られることさえ賢明ではなかった。かれらはこの酒場の名物である、丁子で味付けしたジンのグラスを前にだまってすわっていた。三人のうち、その外観がもっともウィンストンに感銘を与えたのはラザフォードだった。ラザフォードはかつては有名な戯画作家であり、その強烈な漫画は、革命の前や革命の間に、世論をかきたてるのに役立った。いまでも、かなり間をおいて、彼の漫画は『タイムズ』に登場していた。それは単に、以前の様式の模倣でしかなく、奇妙なまでに生気がなく、説得力のないものではあった。いつもそれは、昔のテーマを焼き直していた——スラム貧困住宅、飢えた子ども、市街戦、トップハットの資本家たち——バリケードの上ですら資本家たちは相変わらず、過去に戻ろうという絶え間ない絶望的な試みとしてトップハットにしがみついているようだった。ラザフォードは怪物めいた人物で、べとつく灰色のたてがみを持ち、顔はたるんでシワが刻まれ、唇はぶあつく黒人的だった。すさまじく強い人物だったこともあるのだろう。いまやその巨体はたるみ、だらしなく、ふくれあがり、あらゆる方向に垂れ下がっていた。こちらの目の前で崩壊しつつあるようで、山が崩れるところのようだった。

 人気のない、15時という時間だった。この酒場にそんな時間になぜいたのか、もう思い出せなかった。ほとんど無人だった。テレスクリーンからはキンキンした音楽が流れていた。三人はその隅っこでほとんど身動きせずにすわり、決して口を開かなかった。注文もなく、給仕が新しいジンのグラスを持ってきた。かれらの隣のテーブルにはチェス盤があり、駒が並べられていたが、だれもゲームをしようとはしなかった。そして、ひょっとして全部で三十秒ほどだったかもしれないが、テレスクリーンに何か起きた。流れる曲が変わり、音楽の調子も変わった。そこに入り込んだ何かがあった——だが表現しづらいものだ。奇妙な、割れるような、やかましい、耳触りな音符だ。心の中でウィンストンはそれを黄色い音符と呼んでいた。するとテレスクリーンからの声がこう歌っていた。

大きな栗の木の下で
あなたとわたし
おたがい売り渡す
みんな転がる栗の木で

 三人は身じろぎすらしなかった。だがウィンストンが再びラザフォードの荒れ果てた顔をちらりと見ると、その目に涙があふれているのがわかった。そして初めて、内心である種の身震いが起こり、自分が何に対して身震いしたかもまだわからないうちに、アーロンソンとラザフォードが二人とも鼻を折られていることに気がついたのだった。

 その後間もなく、三人とも再逮捕された。どうやらかれらは、釈放されたその瞬間から、新しい陰謀を企てたらしい。二回目の裁判で彼らは、かつての犯罪すべてを改めて自白し、さらに大量に新しいものもつけくわえた。かれらは処刑され、その運命は党史に記録され、後世への警告とされた。その五年ほど後の1973年に、ウィンストンは自分のデスクに気送管からちょうど飛び込んできたばかりの文書の束を開いているところだったが、そこで他の文書にまぎれこまされて、そのまま忘れられたらしい紙切れに出くわした。丸まったその紙をのばしたとたん、その重要性がわかった。それは十年ほど前の『タイムズ』から破り取られた半ページだった——ページの上半分だったので、日付が入っていたのだ——そしてそこには、ニューヨークでの何か党会議での代表団写真が載っていたのだ。その集団の中心に大きく映っていたのはジョーンズ、アーロンソン、ラザフォードだった。まちがえようがなかったし、どのみちその名前は写真したのキャプションに書かれていた。

 重要なのは、どちらの裁判でも三人とも、その日に彼らがユーラシアにいたと自白していたことだった。彼らはカナダの秘密飛行場から、シベリアのどこかにある会合場所に飛び、ユーラシア参謀たちと野合して、重要な軍事機密を売り渡したのだ。その日付がウィンストンの記憶にこびりついていたのは、それがたまたま真夏の日だったからだ。だがこの物語はすべて、無数の他の場所にも記録されているはずだ。考えられる結論は一つしかない。自白がウソなのだ。

 もちろん、これ自体は新発見でもなんでもない。その時点ですらウィンストンは、粛清で抹消された人々が、本当に糾弾されている犯罪を犯したとは想像していなかった。だがこれは確固たる証拠だった。廃棄された過去の断片であり、まちがった地層にあらわれて地質学理論を破壊する化石の骨のようなものだ。これをどうにか世界に発表し、その意義が知らされたら、党を粉砕するに十分なものだった。

 彼はすぐに作業に取りかかった。その写真が何かを見て、その意味を理解したとたん、彼はそれを別の紙で覆った。幸運なことにそれを開いたとき、テレスクリーンの視点からは逆向きになっていたのだった。

 彼はひざに筆記パッドをのせて、椅子を後ろにおしやって、できるだけテレスクリーンから離れた。顔を無表情に保つのはむずかしくはないし、呼吸ですら努力次第ではコントロールできる。だが鼓動はコントロールできないっし、テレスクリーンはかなり繊細なので鼓動を拾える。彼は、自分では十分ほどと思った時間がたつにまかせ、その間ずっと、何かの偶然——たとえば机上にいきなり突風が吹いてくるなど——で自分が裏切られるのではという恐怖に苦しめられた。そして、二度とそれを表に出すことなく、彼はその写真を他の反古紙といっしょに記憶穴に落とし込んだ。さらに一分くらいもすれば、おそらくそれは灰燼に帰したことだろう。

 それが十年——いや十一年前のことだった。今日ならおそらく、彼はその写真をとっておいたことだろう。それを自分の指で持ったという事実が、いまだに何か自分にとってちがいをもたらすように思えるというのは不思議なことだった。その写真自体は、それが記録したできごとと共に、ただの記憶になっているというのに。過去に対する党の掌握力があまり強くないのは、もはや存在していない証拠のかけらが、かつては存在していたから、なのだろうか?

 だが今日、それがどうにかして灰から復活させられるとしても、その写真は証拠にすらならないかもしれない。すでにかれがその発見をした時点では、オセアニアはもはやユーラシアと戦争をしておらず、三人の死んだ男たちが自国を裏切った相手は、イースタシアのエージェントに対してであったはずだ。それ以来、他の変化もあった——二つか、三つか、いくつかは思い出せなかった。彼らの自白は何度も書き直されて、元の事実や日付など、ごく小さな意義さえもはやなくなっているだろう。過去は変わっただけでなく、絶えず変えられ続けている。かれが最も悪夢の感覚により苦しめられたのは、なぜそんな詐欺行為が行われたのか、自分自身も一度たりともはっきり理解したことがなかったという点だった。過去を捏造する目先の利益は明らかだたが、その最終的な動機は謎めいていた。彼は再びペンを手にしてこう書いた。

やりかたはわかる。理由がわからないのだ。

 彼は、それまで何度も思案したように、自分自身がイカレているのではないかと思案した。キチガイというのは、単に立った一人の少数派なのかもしれない。ある時代には、地球が太陽のまわりを巡ると信じるのは狂気だった。今日では、過去が変えられないと信じるのが狂気なのかも。そんな信念を抱いているのは自分一人かもしれず、もし一人なら、つまり自分はキチガイだ。だが自分がキチガイだという考えはそんなに気にならなかった。恐ろしいのは、自分が同時にまちがっているかもしれないということだった。

 彼は歴史の児童書を手に取り、その口絵となっているビッグ・ブラザーの肖像を眺めた。その催眠術のような目がウィンストン自身の目をのぞきこんだ。まるで何か巨大な力が自分にのしかかっているようだった——頭蓋骨の内部に貫通し、自分の脳に対して攻撃をしかけ、自分の信念を恐怖により否定させ、自分自身の感覚という証拠を否定するようほとんど説得してしまうのだ。最終的には、党は二足す二が五だと発表し、こちらはそれを信じるしかなくなる。遅かれはやかれ、連中がその主張をするのは避けられなかった。党の立場の論理がそれを要求するのだ。単に体験の有効性にとどまらず、外部の現実の存在そのものが、暗黙の内にかれらの哲学では否定される。邪説にとっての邪説は常識だ。そして恐ろしいのは、やつらがそれ以外の考え方をしたらこちらを殺すということではなく、やつらのほうが正しいかもしれないということなのだ。というのも、なぜ二足す二が四だとわかるのだろうか? あるいはなぜ重力が作用するとわかるのか? 過去が変えられないということも? 過去と外部世界が心の中にしかなく、心自体は統制可能ならどうなってしまうのか?

 だがちがう! かれの勇気がいきなり、自力で硬直するかのようだった。心の中に、何ら明らかな連想で呼び起こされたわけでもないのに、オブライエンの顔が浮かび上がった。かれは以前にも増して、オブライエンが自分の味方だと確信した。かれはオブライエンのために日記を書いていたのだ——オブライエンに宛てて。それはだれも読まないはずの絶え間ない手紙だが、それは特定人物に宛てられたものであり、その論調はその事実からきていたのだ。

 党は、自分の目と耳の証拠を拒絶せよという。それが連中の最後の最も本質的な命令だ。自分に対して並び立つすさまじい力を考えると、かれの心は沈んだ。どんな党の知識人だろうと、論争すれば自分をやすやすと論破するだろうし、細かい議論は自分には理解できず、まして答えることもできないだろう。だが正しいのはこちらなのだ! まちがっているのは向こうで、自分が正しいのだ。自明なこと、バカげたこと、真実であることは擁護されねばならない。自明のことは真実であり、それにしがみつくのだ! 確固たる世界は存在し、その法則は変わらない。石は固く、水は濡れていて、支持のない物体は地球の中心に向かって落ちる。自分がオブライエンに語っているのだという気持と、自分が重要な公理を述べているという感覚をもって、かれはこう書いた。

 自由とは、二足す二が四になると言う自由である。それが認められれば、その他すべてが続く。

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第8章

 

 どこか通路の奥底から、コーヒーをローストする匂い——本物のコーヒーで、勝利コーヒーではない——が街路にが漂い出てきた。ウィンストンは思わず立ち止まった。二秒ほどだろうか、かれは半ば忘れかけた子供時代の世界に戻っていた。そのときドアが叩きつけられ、その香りはまるで音だったかのように、唐突に打ち切られたように感じられた。

 彼は舗装の上を数キロ歩いたところで、静脈瘤がズキズキしていた。コミュニティセンターでの晩を欠席したのはこの三週間で二回目だった。軽率な行動だった。センターでの出席回数が慎重にチェックされているのはまちがいなかったからだ。原則として党員には余暇などなく、ベッドで寝るとき以外は決して一人きりではない。働くか、食事か、寝ていないときには、何らかに共同娯楽に参加しているものとされた。孤独を好む様子を示唆するものはすべて、一人で散歩にでかけることさえ、常に少し危険なのだった。ニュースピークにはそれを指す言葉があった。自生 (OWNLIFE) と呼ばれ、個人主義と畸人ぶりを意味するものだ。だがこの晩、省を出たとき、四月の空気のかぐわしさに惹かれたのだ。空はその年にそれまで見たものよりも温かい青で、いきなりセンターでの長く騒々しい晩、退屈で疲れるゲーム、講義、ジンを潤滑剤にした痛々しい仲間騒ぎが耐えがたく思えたのだ。思わずかれはバス停から向きを変え、ロンドンの迷路に迷い込み、まずは南、それから東、そしてまた北にさまよい、知らない通りで迷子になりつつ、自分がどの方向に向かっているかもほとんど気にしなかった。

 かれは日記にこう書いていた。「希望があるなら、それはプロレにある」。このことばが絶えず甦ってきた。神秘的な真実と露骨なばかばかしさを湛えた発言だ。かれはどこか、かつてセントパンクレアス駅だったものの北と東にある、広大な茶色のスラムにいた。歩いている石畳の通りには二階建ての小さな家が並び、そのボロボロの戸口はすぐに歩道に出るようになっていて、なぜか不思議とネズミの巣穴を思わせるのだった。舗石のあちこちには汚水の水たまりがあった。暗い戸口の中や外、さらに両側に伸びる狭い裏道には、驚くほど大量の人々が群れていた——魅力の絶頂にある女子たちが、粗野に口紅を塗りたくった口をしている。そしてその女子を追いかける若者たち、さらにその女子が十年たてばどうなるかを示す、デブでヨタヨタ歩く女たち、さらにねじれた足でシャカシャカ歩く老いぼれて腰の曲がった生き物たち、ボロをまとった裸足の子供たちがその水たまりで遊んで、母親からの怒りの叫びを受けて逃げ惑う。その通りの窓の四分の一ほどは、割れて板張りになっていた。ほとんどの人はウィンストンのことなどまるで気に留めなかった。数人が、警戒をこめた好奇心をもって眺めていた。レンガのような赤い上腕をエプロン上で腕組みしている化け物じみた女性二人が、戸口の外でしゃべっていた。ウィンストンは近づきつつ、その会話のかけらを耳にした。

「『そうだよ』って言ってやったんだよ。『そりゃあ結構なこって。だけどあんたぁあたしとおんなし立場になったら、あたしとおんなしことやったはずだよ』ってね。『口ではなんとでも言えるけど、でもあんたはあたしみたいな問題かかえてないんだから』」

 もう一人は言った。「そうだねー。まったくその通り、ほーんとそーゆーもんだよ」

 その騒々しい声が突然止まった。女たちは彼が通り過ぎるのを、敵意をこめた沈黙の中で見守った。だが正確には敵意ではない。ただの警戒のようなもの、一瞬の身構え、何か見慣れぬ動物が通り過ぎるときと同じだ。党の青いオーバーオールは、こんな通りでは見慣れたものであるはずもない。実際、そこで文句なしの業務でもない限り、そんな場所にいるのを見つかるだけでも賢明ではない。パトロール員に出くわしたら呼び止められかねない。「同志、書類を拝見できますか? こんなところで何を? 仕事を終えたのは何時ですか? これはいつもの帰り道ですか?」——そしてそれが延々続く。いつもとちがう道を歩いて帰るのを禁止する規定があるわけではない。だが思考警察が聞きつけたら、注目されるには十分だった。

 いきなりその通り全体が沸き立った。あらゆる方向から警告の叫びが聞こえた。みんなウサギのように戸口に飛び込んでいる。ウィンストンのすぐ先で、若い女性が戸口から飛びだして、水たまりで遊んでいる幼児を抱え上げ、エプロンでくるんで、また戸口に飛び込んだ。そのすべてが流れるような一動作だ。その同じ瞬間に、アコーディオンのような黒スーツを着た男が脇の横丁から出てきて、興奮したように空を指さしながらウィンストンに駆け寄った。

「スチーマーだ! 旦那、気をつけて! 頭上から一発くるぞ! 急いで腹ばいに!」とそいつは叫んだ。

「スチーマー」というのは、プロレがどういうわけかロケット爆弾につけたあだ名だった。ウィンストンは即座に腹ばいになった。プロレがこの手の傾向をするときには、ほぼまちがいなく正しいのだ。ロケットがくるときには、数秒前に告げる何やら本能を持っているようなのだった。ロケットは音速よりも速いはずなのに。ウィンストンは頭上でしっかり腕を組んだ。轟音があがり、舗石が波打つようだった。軽い物体が背中に降り注いだ。立ち上がると、最寄りの窓からのガラスのカケラだらけなのがわかった。

 かれは歩き続けた。爆弾はその通りの200メートル先で家の集まりを破壊したのだった。黒煙のかたまりが空に垂れ下がり、その下にはしっくいのほこりが立ち上って、すでにその廃墟のまわりに群集がたかっていた。すぐ先の舗石の上に小さなしっくいの山がでいていて。その真ん中にまばゆい明るい筋が見えた。近寄ると、それが手首でちぎれた人間の手なのがわかった。その血まみれの切り口以外は、その手は完全に白くなっていて、まるで石膏の模型のようだった。

 その代物をドブに蹴り込み、それから群集を避けるため、右に曲がって横丁に入った。三、四分で爆弾の影響を受けた場所をぬけ、すると街路のむさ苦しい群集生活は、何事もなかったかのように続いていた。二十時近く、プロレが通う飲み屋(「パブ」とかれらは呼んでいた) は客でいっぱいだった。薄汚いスイングドアは、絶えず開いたり閉じたりしていて、その中から小便、おがくず、酸っぱいビールの匂いが漂ってきた。突き出した家屋の正面が作る片隅で、男三人がきわめて密接して立っており、その真ん中の男が畳んだ新聞を持ち、他の二人はそれを男の肩越しに読んでいた。彼らの表情を見分けられるほど近づく以前から、ウィンストンは彼らの身体のあらゆる動きで、三人が没頭しているのがわかった。明らかに三人が読んでいるのは、何か真面目なニュースなのだった。数歩離れたところまでやってきたとき、いきなりその三人が別れて、二人が激しい口論を始めた。一瞬、彼らはほとんど殴り合いを始めそうな勢いだった。

「クソめが、オレの言ってることがわかんねえのかよ? 七で終わる数字はもう十四ヶ月も当たってねえんだって言ってるだろが!」

「当たったよ、その間にも」

「当たってねえったら! ウチん戻れば二年分のやつを全部、紙切れに書いといてある。時計仕掛けみたいにちゃーんと書いとくんだ。それで言うんだが、七で終わる数字は一度も——」

「いや、七はホントに当たってるって! もうその数字全部を思い出せそうなほどだよ。最後は四、ゼロ、七だ。二月だった——二月の二週目」

「二月が聞いて呆れるぜ! オレ全部まちがいなく書いてあるんだ。それで言うんだが七で終わる——」

「まったくいい加減にしろって!」と三人目。

 三人は宝くじの話をしていたのだ。ウィンストンは三十メートル離れてから振り返った。相変わらず口論は、活き活きとした情熱をこめた顔で続いていた。宝くじは、毎週すさまじい賞金を支払うので、プロレたちが真面目に注目する唯一の公的イベントなのだった。おそらく、宝くじが死なずにいる大きな、いや唯一の理由であるプロレは、何百万人もいそうだった。それがかれらの歓び、愚行、暇つぶし、知的刺激なのだ。宝くじの話となれば、ほとんど読み書きできない人々ですら、複雑な計算ができるしとんでもない記憶力を発揮するようだった。必勝法や予測、幸運のお守りを売るだけで生計を立てている人々が山ほどいた。ウィンストンは宝くじ運営にはまったく関係なかった。豊富省が管理しているのだ。だがその当選金がおおむね架空だというのは知っていた (実際、党の人間はみんな知っていた)。本当に支払われるのは少額だけで、大金が当選する人物は実在しないのだ。オセアニアのある部分と他の部分との間にまともな相互通信が存在しないので、これを手配するのは簡単なことだった。

 だが希望があるとすれば、それはプロレにあるのだ。それにはしがみつくしかない。言葉にすると、まともに聞こえる。それが信仰と化すのは、その歩道であたりを行き交う人間を見たときだ。曲がって入った通りは下り坂となった。この近隣には前にきたことがあるような気がして、あまり遠からぬところに大通りがあるように思った。どこか先のほうで、叫び声が響いた。その道は急に曲がり、それが階段に続いて、そこを下ると沈み込んだロジがあり、屋台が何戸か並んで、しなびて見える野菜を売っていた。この瞬間に、ウィンストンは自分がどこにいるのかわかった。この路地は大通りに続いているのだ。そして次の角を曲がったところ、五分もかからないところに、いまや日記で使っている白紙の本を買った古物屋があるのだ。そしてさほど遠からぬ小さな文具屋で、彼はペン入れとインキびんを買ったのだった。

 階段のてっぺんで、しばし立ち止まった。路地の反対側には、貧相な小さなパブがあり、その窓は曇りガラスに見えるが、実際には単にほこりで覆われているだけなのだった。きわめて高齢の男性が、背は曲がっているが元気で、白い口ひげをエビのように前方に突き出させつつ、スイングドアを押し開けて入っていった。立って見守るうちに、少なくとも八十歳にはなっているこの老人は、革命が起きたときにはすでに中年だったはずだとウィンストンは思い当たった。彼などの数少ない数名こそは、いまや消滅した資本主義の世界との間に存在する最後のつながりなのだった。党そのものの中でも、革命以前に思想を形成された人物はあまり残っていなかった。50年代と60年代の大粛清で、高齢世代はおおむね一掃され、生き残ったわずかな人々もとっくの昔に脅されて、完全な知的降伏を示していた。今世紀初期の状況について正直な説明をしてくれる人物が生き残っているとすれば、プロレだけだ。いきなり、日記に書き写した歴史書の一節が心に甦り、ウィンストンはイカレた衝動に囚われた。パブに入り、あの老人の知己をなんとか得て質問するのだ。こう尋ねよう。「少年の頃の暮らしを話して下さい。その頃はどんな様子でしたか? いまより物事はよかったでしょうか、それともひどかったのでしょうか?」

 自分に怯える暇を与えないよう急いで、かれは階段を下りて狭い通りを横切った。もちろんキチガイ沙汰だった。いつもながら、プロレと話をしたり、かれらのパブに通ったりしてはいけないというはっきりしたルールはなかったが、あまりに珍しい行動なので、絶対に目についた。パトロールが現れたら、急にめまいがしたのだと言い訳してもいいが、たぶん信じてはもらえないだろう。ドアを押し開けると、醜悪なチーズめいた酸っぱいビールの匂いが顔に吹き付けてきた。かれが入ると、声の喧噪の音量が半分ほどに下がった。背後でみんなが自分の青いオーバーオールを見ているのが感じられた。部屋の向こう端で続いていたダーツの試合が、三十秒ほども途切れただろうか。後を追ってきた老人はバーに立ち、何やらバーマンと口論している。そのバーマンは背が高くでっぷりしたかぎ鼻の若者で、すさまじく太い腕をしている。他に数名がグラスを手に立っていて、その光景を眺めていた。

 老人は、肩をまっすぐにいからせた。「おう、十分ていねいに頼んだじゃろが。このクソろくでもねえ飲み屋に、パイントのマグが一つもないとは言わせんぜ」

「で、そのパイントとやらってのは、いったいぜんたい何なんですかい?」とバーの男は、カウンターに指先を置いて身を乗り出した。

「こんにゃろを見やがれってんだ! バーマンを名乗るくせにパイントが何かもご存じねえ! だからよ、パイントってのはクォートの半分で、ガロンは四クォートになるんだろが。お次はABCでも教えろってか?」

「聞いたことないですなあ」とバーマンは手短に言った。「リットルか半リットル——うちはそれしか出さない。目の前の棚にグラスがあるでしょう」

 老人は言い張った。「おいら、パイントがいいんだ。パイントを出してくれるなんざ簡単なおことだろうが。おいらの若い頃には、ろくでもねえリットルなんざぁなかったぜ」

「あんたが若い頃といえば、みんな木の上に住んでたでしょうよ」とバーマンは言って、他の客たちをちらりと見た。大笑いが起きて、ウィンストンが入ってきたことで生じた気まずさは消えたようだった。老人の蒼白だった顔がいまや紅潮した。かれは向きを変え、何かつぶやいて立ち去りつつ、ウィンストンにぶつかった。ウィンストンはその腕をつかんだ。

「一杯おごらせてください」とかれは言った。

「これはご立派な紳士で」と相手は、再び肩をまっすぐいからせた。ウィンストンの青いオーバーオールには気がつかなかったようだ。「パイント!」とかれは声高にバーマンに言い放った。「ワロップ一パイント」

 バーマンは、半リットルの濃い茶色のビールを、カウンター下のバケツですすいだだけの分厚いグラス二つに注いだ。プロレのパブで買えるドリンクはビールだけだ。プロレはジンを飲んではいけないことになっていた。とはいえ、実際には手に入れるのは容易ではあった。ダーツの試合はまた全開となり、バーにかたまった男たちは宝くじの話を始めた。ウィンストンの存在は一瞬忘れられた。窓の下に木製のテーブルがあり、そこでなら老人と、盗み聞きされる心配なしに話ができた。恐ろしく危険なことだったが、とにかくこの部屋にはテレスクリーンはない。ここに入った瞬間にウィンストンが確かめたことだった。

 グラスを前に腰を据えつつ、老人はグチった。「あんにゃろ、パイント入れてくれたっていいのによ。半リットルじゃ足りねえんだ。満足いかん。丸一リットルだと多すぎだ。膀胱がうずいちまう。まして値段がな」

「お若い頃以来、いろいろ大きな変化をごらんになってきたでしょうね」とウィンストンは用心深く言った。

 老人の淡い青い目が、ダーツ盤からバーに動き、バーから男子用トイレのドアへと移った。まるでその変化が起こると思ったのが、このバーの部屋だとでも言うようだった。

 やっとかれは口を開いた。「ビールはマシだったな。それに安かった! おいらが若い頃は、うすいビール——ワロップって呼んだもんだ——は一パイント四ペンスだ。戦争前だがな、もちろん」

「どの戦争ですか?」とウィンストン

「どれも戦争だろ」と老人は漠然と言った。グラスを掲げ、また肩をのばした。「んじゃ、あんたに最高の健康を祈って!」

 そのやせたのどで、鋭くとがったのど仏が、驚くほど急速に上下動をして、ビールは消えた。ウィンストンはバーにでかけ、半リットルをさらに二杯持ってきた。老人は、丸一リットル飲むことに対する彼の偏見を忘れたらしかった。

「あなたは私よりずっと高齢ですね。私が生まれる前に成人していたはずです。昔の日々、革命前がどんなだったか思い出せるでしょう。私の年齢のみんなは、そういう時代のことを実は何も知らないんです。本で読んだだけで、本に書かれていることが本当とは限らない。それについてご意見をうかがいたい。歴史の本では、革命前の生活はいまとはまったくちがうと言うんです。最悪の抑圧、不正、想像を絶するほどの貧困があったと。ここロンドンでは、大半の人々は生まれてから死ぬまで、一度も十分に食べたことがなかったと。半分は足に履くブーツもなかった。一日十二時間労働で、九歳で学校を出て、一部屋に住人が寝ていたと言います。そして同時にごくわずかな人々、ほんの数千人ほどがいました——資本家たち、と呼ばれている人です——金持ちで権力を持っていたんです。所有できる者ほとんどすべてを所有していたんです。巨大で豪華な家に召し使い三十人を使って暮らし、自動車や馬四頭立ての馬車を乗り回し、シャンパンを飲んで、トップハットをかぶり——」

 老人はいきなり活気づいた。

「トップアットだと! それが出てくるなんて不思議なもんだ。ちょうどそいつが、ほんの昨日、頭に浮かんだばっかりでよ。なぜかはわからん。ただ考えてたんよ、もう何年もトップアットなんざ見てないってな。あっさり消えちまった、んなもんは。おいらが最後にかぶったのは、義理の妹の葬式だったなあ、そしてそれは——日付まではわからんが、もう五十年も前だったか。もちろん、んのときだけ借りたんだがな、わかるだろ」

 ウィンストンは辛抱強く言った。「トップハット自体はどうでもよいのです。重要なのは、そういう資本家——それと少数の弁護士や聖職者とか、資本家にたかっていた連中——はこの世の支配者だったってことです。すべては彼らの便益のために存在していた。あなた——一般人、労働者——はそいつらの奴隷だった。こちらに何でも好き勝手なことができた。家畜のようにカナダに出荷することもできた。やりたければこちらの娘たちとも寝られた。キャットオーナインテイルズとかいうもので鞭打たれるよう命じることもできた。横を通るときには帽子を脱がねばならない。あらゆる資本家は従僕どもの群れを従えて——」

 老人は再び活気づいた。

「従僕! いやあ、その言葉をきくのは、えらく久しぶりだな。従僕ときたか! ンとに懐かしいぜ、いやホント。思い出すなあ。ロバ年も前だったか——ときどき、日曜午後にアイドパークにときどき出かけて、野郎どもが演説するのを聞いたもんだ。救世軍とかローマカトリック教会、ユダヤ人、インド人——いろんな連中がいたなあ。 んでもって、一人いた野郎が——名前は出てこねえが、すげえ力のこもった話屋だったなあ。半端な罵倒ぶりじゃなかったぜ。「従僕ども! ブルジョワジーの従僕ども! 支配階級の走狗ども!」 寄生虫——そんな言い方もしたな。それとアイエナ——まちがいなくアイエナ呼ばわりはしてた。もちろんそいつが言ってたのは労働党のことだがな、わかるだろ」

 ウィンストンは、話がかみ合っていないという印象を得た。

「私が本当に知りたかったのはこういうことなんです。昔と比べていまのほうが自由だとお感じになりますか? もっと人間として扱われていますか? 昔の時代には、金持ちたち、てっぺんの連中——」

「キソク院」と老人は懐かしそうに述べた。

「貴族院、とおっしゃりたいなら。お尋ねしたいのは、そうした連中は金持ちであなたが貧乏だと言うだけで、劣った存在として扱えたのでしょうか? たとえば、そいつらを『サー』と呼んで、通り過ぎるときには帽子をぬがねばならなかったというのは事実ですか?」

 老人は深く考え込むようだった。答える前に、ビールの四分の一ほどを飲み干した。

「そうだな、帽子をそいつらに向けて触れてやると喜んだよな。敬意を示すことになる、みたいな。おいらは別にそういう感じはしなかったんだが、それでもよくやったもんよ。やんなきゃいけなかった、と言おうか」

「そしてそいつらが——歴史の本で読んだ話を引用しているだけなんですが——そいつらやその召使いどもは、あなたを歩道からつきとばしてドブに落とすというのがよくあったんですか?」

 老人は言った。「いつだたか、んな連中の一人がおいらを押しやがったな。まるで昨日のことみてえに思い出すぜ。競艇の夜だ——競艇の夜にはみんな、えらく荒っぽくなりやがんだよ——んでシャフツベリー通りで若い野郎にぶつかっちまってよ。大した紳士だったぜ、そいつ——ドレスシャツ、トップアット、黒いオーバーコート。そいつぁ何やら歩道をジグザグに歩いてやがって、こっちぁうっかりぶつかっちまったわけよ。そいつ言いやがる。『どこ見て歩いてるんだ』とな。おいらは言ってやったぜ。『てめえがクソ歩道を買ったつもりでもいやがんのか?』 そいつは言いやがる。『なめた口きくと、そのクソ首ひねり落としてやる』。んで『てめえ、飲んだくれてやがんな。すぐにでもサツに突き出しちゃる』ってな。そしたら、信じられっかよ、そいつおいらの胸ぐらつかんでよ、どつきやがって、こっちは投げ出されちまってバスに轢かれる寸前よ。まあおいらも若かったしよ、ここは一発くらわせちゃろうとしたら、そんとき——」

 ウィンストンは絶望感に襲われた。この老人の記憶は、細かい話のゴミためでしかない。一日中質問しても、まともな情報は得られまい。やはり党史は、ある程度は正しいのかもしれない。いや完全に正しいことさえあり得る。かれは最後に一回だけ試してみた。

「きちんと説明できていなかったかもしれませんね。言いたいのはこういうことです。あなたはずいぶん長く生きてこられた。人生の半分は革命前に過ごされている。たとえば1925年には、もう成人してましたよね。ご記憶からするとどうでしょう、1925年の生活はいまよりよかったのか悪かったのか? 選べるものなら、いま生きるのと当時生きるのとどっちがいいですか?」

 老人は思索にふけるようにダーツ盤を眺めた。ビールを以前よりもゆっくりと飲み干した。口をひらいたときには、寛容で哲学的な雰囲気が漂った。まるでビールで優しくなったかのようだった。

「おいらに何と言って欲しいかはわかっとる。文句なしに若くなりたいと言って欲しいんだろう。ほとんどの人は、尋ねりゃそう言うだろさ、若くなりたいってな。若い頃は、健康で強いもんな。人生でおいらくらいの時期になれば、ずっと身体のどこかがおかしくなる。足がなにやらおかしくなってて、膀胱もひっでえもんだ。夜には六回も七回も起き出すはめになる。んだが逆に、老いぼれだとかなりいいところもある。昔みたいな心配はねえ。女がらみの騒ぎもねえし、こいつはいいことだ。言っちゃあアレだが、もう三十年近くも女は抱いてねえなあ。それ以上に、抱きてえとも思わねえ」

 ウィンストンは窓枠に背中をもたせかけた。これ以上続けても仕方ない。もっとビールを買おうとしたところで、老人はいきなり立ち上がり、あわてて部屋の横にある臭い小便器に駆け寄った。追加の半リットルがすでに作用していたのだ。ウィンストンはかれの空のグラスを見つめて、一、二分ほどすわったままで、自分の足が再び外の通りへと己を運び出したときも、ほとんどうわの空だった。最大でもあと二十年で、巨大で単純な質問、「生活は革命前のようがいまよりよかったのか?」は、どうあがいても回答不能となる。だが実質的には、今ですら回答不能だった。というのも数少ない散在する古代世界からの生き残りは、ある時代と別の時代を比べる能力がないからだ。何百万もの役立たずなことは覚えている。同僚との口論、なくした自転車ポンプ探し、とっくに死んだ妹の表情、七十年前の風の強い朝に舞い上がったほこり。だが重要な事実はすべて彼らの視野の外だった。こいつらはアリと同じで、小さな物体は見えても大きいものは見えないのだ。そして記憶があてにならず、文書記録が偽造されたら——そうなれば、党が人間生活の状態を改善したという主張は受け入れるしかなくなる。というのもそれを検証できるような基準は存在せず、二度と存在しようもないからだ。

 この瞬間に、思索の流れが唐突に中断した。立ち止まって目を挙げた。狭い通りにいて、暗い小さな店が数軒、住宅の中に散在している。すぐ頭上には、色あせた金属の球体がぶら下がっていて、かつては金メッキでもされていたかのように見える。見覚えがある場所だった。もちろん! あの日記を買った古物屋の前に立っていたのだ。

 刺すような恐怖に貫かれた。そもそもあの本を買うこと自体が拙速な行為だったし、この場所には二度と近づくまいと誓っていたのだ。だが思索がさまようのを許したとたん、足が勝手に自分をこの場に連れ戻したのだ。日記を始めたのは、まさにこうした自殺的な衝動から自衛したいと思ってのことだったのに。同時に、二十一時近いというのに店がまだ開いているのに気がついた。歩道をうろついているよりも中に入るほうが、多少は怪しまれないという気がして、彼は戸口をくぐった。質問されたら、カミソリの刃を買いたいと思っていたといえばもっともらしい。

 店主はちょうど、ぶらさがった灯油ランプに火をつけたところだった。それは汚れた感じながら親しみ深い匂いを放った。店主は六十歳くらいの人物だろうか、弱々しく背中が曲がり、長い博愛的な鼻を持ち、穏やか目が分厚いメガネで歪んでいる。髪はほぼ真っ白だが、眉毛はぼさぼさでまだ黒かった。そのメガネ、優しく念の入った動き、古い黒ビロードの上着を着ているという事実が、彼に漠然とした知性の雰囲気を与えていて、まるで彼が何か文筆家か、あるいは音楽家だったかのような印象をもたらした。その声は柔らかく、まるでかき消えるようで、その訛りはプロレの大半ほど歪んだものではなかった。

 店主は即座に言った。「歩道にいらっしゃるときからわかりましたよ。あの若い女性の記念アルバムをお買い上げ下さった紳士でいらっしゃいますね。あれは美しい紙でしたよ、あれは。クリーム罫線紙、と昔は呼ばれておりました。あのような紙は——そうですな、50年は作られておりません」。かれはメガネの上からウィンストンをのぞいた。「何か特にお役にたてることでもございますか? それとも単にご覧になりたいだけでしたか?」

 ウィンストンはあいまいに答えた。「通りすがりで、ちょっとのぞいただけです。何かこれといって欲しい物もない」

「かまいませんよ。ご満足いただけたとは思えませんから」とかれは柔らかい手のひらで、詫びるような身ぶりをした。「ご覧のとおりですよ。空っぽの店と言ってもいい。ここだけの話ですが、骨董取引はもうおしまいです。もはや需要もないし、在庫もありません。家具、陶器、ガラスはみんな、大なり小なり破壊されました。そしてもちろん金属はほとんど溶かされてしまった。真ちゅうのロウソク立ては何年もお目にかかっていない」

 店の小さな内部は、実は不安なほどモノだらけだったが、いささかでも価値があるものはほとんど何もなかった。床はきわめて限られていた。壁際はすべて、無数のほこりっぽい額縁が積み上がっていたからだ。ウィンドウにはナットやボルト、すりきれたノミ、刃の折れたペンナイフ、まともに動くようなそぶりさえしていない、古びた時計などの各種ガラクタが並んでいた。隅にある小さなテーブルの上だけに、小物が大量にあった——漆塗りの嗅ぎ煙草入れ、めのうのブローチなど——そこには何か面白いものがありそうに見えた。そのテーブルのほうにふらふらと向かう途中で、目がランプの灯りの中で柔らかく光る、丸い滑らかなものにとまり、かれはそれを手に取った。

 重たいガラスのかたまりで、片側は丸く、反対側は平らで、ほとんど半球状だった。ガラスの色彩と手触りの両方に、何か得意な柔らかさ、まるで雨水のような感じがあった。その真ん中に、曲がった表面により拡大されて、奇妙な、ピンク色の、複雑な形をした物体があり、バラかイソギンチャクを思わせた。

「これは何ですか?」魅了されてウィンストンは尋ねた。

 老人は答えた。「サンゴでございます、それはね。おそらくインド洋からきたのでしょう。かつてはそれを、何かガラスの中に埋め込んだのです。それは作られて百年に満たないはずはありません。もっと古いかもしれない、その様子ですと」

「美しいものですね」とウィンストン。

「美しいものです」と相手も味わうように言った。「ですが、そんなことを言う人は最近はあまりおりませんな」とかれは咳き込んだ。「さて、まさかそれをお買いになりたいというなら、四ドルの値段となります。そんなものなら八ポンドの値がついた頃を覚えておりますよ。八ポンドといえば——まあ計算はできませんが、かなりの金額でございました。しかし最近では本物のアンティークのことなんて、だれが気にしましょうか——残ったわずかなものについてでも?」ウィンストンは即座に四ドルを渡して、その欲しくてたまらないものをポケットにすべりこませた。それに惹かれたのは、美しさよりもむしろ、現在とはまったくちがう時代に属しているように思わせる雰囲気なのだった。ソフトで雨水のようなガラスは、これまで見たどんなガラスともちがっていた。それが二重に魅力的なのは、一見するとまったく役立たずだからだ。とはいえ、かつてはそれが文鎮として使われただろうと推測はできた。ポケットのなかできわめて重かったが、ありがたいことに、そんなにふくれては見えない。党員が所有するにしては奇妙なものであり、疑念を抱かせるものですらあった。古いものはすべて、それを言うなら美しいものはすべて、いつも漠然と怪しまれた。老人は四ドルを受け取って、目に見えて機嫌がよくなった。ウィンストンは、三ドルか、ヘタをすると二ドルでも相手が受け取っただろうと気がついた。

「よろしければ、二階の別の部屋もご覧になりますか。大したものはございません。ごくわずかです。二階に行かれるなら、灯りを用意いたします」

 かれは別のランプを灯し、曲がった背中で、急でボロボロの階段をゆっくり先導して、小さな通路を通り、街路には面しておらず、石畳の中庭と、煙突の森林を見渡す部屋に案内した。家具の配置は、まるでこの部屋がまだ人が暮らすためのものだとでも言うようだとウィンストンは気がついた。床にはじゅうたんがあり、壁には絵が一つ二つ、暖炉に寄せて深いだらしない安楽椅子があった。古風な十二時間の盤面を持つガラス時計が、マントルピースの上でカチカチと時を刻んでいる。窓の下、部屋の四分の一近くを占めているのは巨大なベッドで、まだマットレスがのっている。

 老人は半ば詫びるように言った。「妻が他界するまでここでいっしょに暮らしておりました。少しずつ家具を売りさばいておるところです。さてこれは美しいマホガニーのベッドでございます。あるいは、南京虫を追い出せればそうなります。しかし申し上げれば、いささかかさばるものではございますな」

 かれはランプを高く掲げて部屋全体を照らそうとするようだった。そしてその温かく薄暗い光の中で、その場所は不思議なほど魅力的だった。あえて危険を犯すつもりさえあれば、この部屋を週に数ドルで借りるのは容易だろうという考えがウィンストンの脳裏をよぎった。それはとんでもない、あり得ない考えで、思いついたと同時に放棄すべきものだった。だがこの部屋はかれの中にある種のノスタルジーを目覚めさせた。一種の先祖伝来の記憶だ。こんな部屋にすわるのがどんなものか、燃える炎の前の安楽椅子にすわり、足をフェンダーに向けて暖炉の台にやかんをかけるのがどんな感じか、ずばり知っているように思えた。完全に一人で、完全に安全で、だれにも見張られず、どんな声にも追い立てられず、やかんの歌と時計が時を刻む親切な音しかしないのだ。

「テレスクリーンがない」かれは思わずつぶやいた。

「ああ、あの代物は一度も持ったことがありません。高価すぎます。それに一度も必要だと思ったこともございませんで、なぜかしらね。さてその隅にあるのは素敵な折りたたみ式テーブルでございますが、畳む部分を使いたければ新しいちょうつがいを入れねばなりません」

 もう一つの角には小さな本棚があり、ウィンストンはすでにそちらに近づいていた。そこに入っているのはゴミだけだった。書籍の狩り立てと破壊は、他の場所と同じくプロレ地区でも徹底して行われたのだ。オセアニアのどんな場所にも、1960年以前に印刷された本があるとはきわめて考えにくかった。老人はまだランプを持ったまま、暖炉の反対側、ベッドの向かいにぶら下がったローズウッドの額に入った絵の前に立っていた。「さて、もし古いプリントに少しでもご関心がおありでしたら——」と彼は穏やかに話し始めた。

 ウィンストンは部屋を横切って絵を検分した。四角い窓を持ち、正面に小さな戦闘がある、楕円形の建物を描いたスチール版画だった。その建物のまわりには手すりがあり、その裏がわには彫像らしきものがあった。ウィンストンはしばらくそれを見つめた。何か漠然と見覚えがあるような気がしたが、その彫像は記憶がなかった。

「額縁が壁に固定されておりますが、はずして差し上げてもよろしゅうございますよ、よろしければ」と老人。

 ウィンストンはようやく口を開いた。「この建物は知っています。いまは廃墟です。正義宮殿の外の、通りの真ん中にある」

「その通りです。法廷の外。爆撃されたのは——ああ、もう何年も前のことです。かつては教会で、セントクレメント・デインズ、という名前でした」。かれは申し訳なさそうに微笑し、まるで自分が何かバカげたことを言うのを意識しているとでも言うようだった。そしてこう付け加えた。「オレンジにレモン、とセントクレメントの鐘!」

「なんですか、それは?」とウィンストン。

「ああ——『オレンジにレモン、とセントクレメントの鐘』。私が少年だった頃にあった詩ですよ。続きは忘れてしまいましたが、最後は覚えています。『これがロウソク、ベッドに導く灯り、これが鎌で頭を切り落とす』。一種のダンスでした。腕を伸ばしてその下を通るのですが『これが鎌で頭を切り落とす』というところで腕をおろして、こちらを捕まえるのです。教会の名前ばかりでしたな。ロンドンの教会はみんな入っておりましたよ——主要なものは、ということですが」

 ウィンストンは漠然と、その教会が何世紀のものだろうかと思案した。ロンドンの建物の年代を見極めるのは常にむずかしかった。巨大で壮大なものはすべて、外観がそこそこ新しければ、自動的に革命後に建てられたものとされ、明らかにもっと古いものは、中世と呼ばれるなにやら薄暗い時代のものとされる。資本主義の数世紀は、価値あるものはまったく生み出さなかったとされた。本からと同様、建築からも歴史はまるで学べなかった。彫像、記念碑、碑石、通りの名前——過去に光をあてそうなものはすべて、系統的に変えられていた。

「教会だったとは知らなかった」

 老人は語った。「実は、かなり残ってはいるのですよ。だが他の用途に使われておるのです。さて、あの詩はどう続きましたっけ? そうそう!思い出した!

 『オレンジにレモン、とセントクレメントの鐘、お代は三ファージング、とセントマーチンズの鐘——』

 そうでした、さてこれが精一杯思い出せるところです。ファージング、というのは小さな銅の硬貨で、一セントと似ておりました」

「セントマーチンズというのはどこでした?」とウィンストン。

「セントマーチンズですか? まだ建っておりますよ。勝利広場の、写真ギャラリーの横に。三角じみたポーチと、正面に列柱がある建物で、大きな正面階段がございますな」

 ウィンストンはその場所をよく知っていた。各種のプロパガンダ展示に使われる博物館だった——ロケット爆弾や浮遊要塞の縮尺模型、敵の残虐行為を描いたロウ細工のタブローなどを飾るのだ。

「セント・マーチンズ・イン・ザ・フィールドというのが昔の呼び名でした」と老人は補った。「とはいえ、そのあたりのどこにもフィールドなどあったとは記憶しておりませんが」

 ウィンストンはその絵は買わなかった。ガラス製文鎮よりなおさら不適切な所有物になっただろうし、額縁から取り出さないと、家に持ち帰るのは不可能だ。だがさらに数分にわたりそこにとどまり、老人と話をした。その名前はウィークスではないという——店頭の碑銘からはそうとしか思えないが、チャリントンという名前なのだ。チャリントンさんはどうyたら、六十三歳のやもめで、この店で30年にわたり暮らしてきた。その間、ウィンドウの上の名前を変えるつもりではいたが、それを実際にやるまでには到っていなかったのだった。二人がしゃべっている間ずっと、途中まで思い出された詩が、ウィンストンの脳裏を駆け巡っていた。オレンジにレモン、とセントクレメントの鐘、お代は三ファージング、とセントマーチンズの鐘! 奇妙ながら、それを頭の中で繰り返すと、本当に鐘の音が聞こえるような幻想が生まれた。どこかにまだ偽装され忘れられたまま存在する失われたロンドンの鐘。一つ、また一つと幻のような鐘楼が、次々に鳴り響くのが聞こえるような気がした。だが思い出せる限り、自分は現実の生活で教会の鐘が鳴るのを聞いたことなど一度もないのだ。

 チャリントンさんから離れて、一人で階下に下り、自分がドアを出る前に通りを偵察しているところを老人に見られないようにした。すでに、しばらく間隔をおいてから——一ヶ月くらいだろうか——この店にまたくる危険を犯すと決めていた。センターでの一晩をサボるより大して危険ではないかもしれない。深刻な愚行は、そもそもあの日記を買った後でこの場所に戻ってくることなのだった。この店主が信頼できるかもわからないというのに。だが——!

 そうとも、とかれは再び考えた。また来よう。さらに美しいごみくずのかけらをもっと買うのだ。セントクレメント=デインズの版画を買い、額縁から取り出して、オーバーオールの上着の下に隠して持ち帰ろう。あの詩の残りをチャリントンさんの記憶から引き出してやろう。あの二階の部屋を借りるというキチガイじみた計画すら、再び一瞬頭を横切った。五秒ほどくらいか、その興奮状態のために軽率になって、かれは窓からざっと外を確かめることさえせずに、歩道に足を踏み出した。そして即興の曲にあわせてハミングさえ始めていた。

 オレンジにレモン、とセントクレメントの鐘、お代は三ファージング、とセントマーチンズの鐘——

 いきなり、心が凍り付き内臓が水になったような気がした。青いオーバーオールの人物が歩道をこちらに向かっており、十メートルも離れていない。架空部の女子だ。黒い髪の女子。暗くなっていたが、彼女を見分けるのは容易だった。向こうはこちらの顔をまっすぐ見つめ、それからこちらを見もしなかったかのように、さっさと歩き続けた。

 数秒にわたり、ウィンストンは麻痺状態でまるで動けなかった。それから右に曲がり足早に立ち去ったが、そのときは自分の向かう方向がまちがっているとは気がつかなかった。いずれにしても、一つ疑問は片付いた。もはやあの女子が自分をスパイしているのは、疑問の余地がなかった。ここまで尾行してきたにちがいない。単なる偶然だけで、たまたま同じ晩に、同じへんぴな裏通りを歩いていたなどはあり得ない。ここは党員たちが暮らすあらゆる区画から、何キロも離れているのだ。偶然にしてはあまりにできすぎだ。本当に彼女が思考警察のエージェントなのか、生真面目さに動かされた素人スパイなのかは、ほとんど問題ではない。彼女が見張っているというだけで十分だ。おそらくあのパブに入るところも見られただろう。

 歩くのは一苦労だった。ポケットのガラスの固まりが、一歩毎に腿にぶちあたり、それを取り出して投げ捨てようかと半ば思ったほどだ。最悪なのは腹の痛みだった。数分にわたり、すぐに便所にたどりつかなければ死ぬとさえ思った。だがこんな区域には公衆便所などない。だがそこで痙攣がおさまり、後には鈍い痛みだけが残った。

 その通りは袋小路だった。ウィンストンは立ち止まり、数秒たちつくして漠然と、どうしようか思案し、そしてきびすを返して来た道を戻った。向きを変えたとき、あの女子が自分の横を過ぎたのはたった三分前だから、追いかければたぶん追いつけるはずだと気がついた。どこか静かな場所にくるまで後をつけて、舗石で彼女の頭蓋骨を叩き潰せる。ポケットの中のガラスの固まりは、重いから十分その役を果たせるはずだ。だがかれは即座にその考えを捨てた。肉体的な努力を少しでもするなど考えただけで耐えがたかったからだ。走れないし、そんな一撃もくらわせられない。それに彼女は若く頑丈だから、身を守るだろう。またコミュニティセンターにいまから急いでかけつけ、そこが閉まるまでとどまって、この晩について部分的なアリバイを確立しようかとも考えた。だがこれまた不可能だ。死にそうな倦怠感に襲われた。もうさっさと家に帰って腰をおろし、静かにしたいだけだった。

 アパートに戻ったときには二十二時をまわっていた。照明の主電源は二十三-三十にスイッチが切られる。かれは台所にいって、勝利ジンを紅茶カップ一杯近く飲み干した。そしてアルコーブのテーブルにでかけ、すわって日記を引き出しから取り出した。だがすぐには開かなかった。テレスクリーンからは騒々しい女性の声が、愛国的な歌をがなりたてていた。かれは本の大理石模様の表紙をすわったまま見つめ、意識から立ち上る声を封じようとしては失敗していた。

 連中がつかまえにくるのは夜、いつも夜なのだった。適切なことは、つかまる前に自殺することだ。まちがいなく、そうする人々もいた。多くの消滅は実は自殺なのだ。だが火器や、素早く確実な毒が完全に入手不能な世界にあって、自殺するには絶望的な勇気が必要だった。彼はある種の驚きをもって、苦痛と恐怖の生物学的な役立たずぶりについて考えた。まさに特別な努力が必要とされるときに限って、常に惰性へと凍り付いてしまう、人間の身体の裏切りを思った。素早く行動さえしていれば、あの黒髪の女子を黙らせられたのに。だがまさに自分の危険が極端だったがために、自分は行動の力を失ってしまった。危機のときには、人は決して外部の敵と戦っているのではない、とかれは思い当たった。常に自分の肉体と戦っているのだ。この瞬間ですら、ジンにもかかわらず、腹の鈍い痛みのおかげで続けてものを考えるのは不可能だった。そしてそれは、一見すると英雄的だったり悲劇だったりするあらゆる状況で同じなのだ。戦場だろうと拷問室だろうと、沈む船上だろうと、自分が戦おうとしている問題は常に忘れ去られる。というのも肉体はふくれあがって宇宙を満たし、恐怖で麻痺したり痛みで絶叫したりしていないときですら、人生は一瞬ごとの、飢えや寒気や睡眠不足、腹痛や歯痛との戦いなのだ。

 かれは日記を開いた。何か書き留めておくのが重要だ。テレスクリーンの女性は新しい歌を始めていた。その声は、ギザギザのガラスのかけらのように、脳に突き刺さるようだった。オブライエンのことを考えようとした。この日記を贈る相手、宛てる相手だ。だがかわりに、思考警察に連行された後で自分に何が起こるかを考え始めた。即座に殺されてもかまわない。殺されるのは想定通りだ。だが死ぬ前に (だれもそんな話はしないのに、みんなそれを知っていた)自白のルーチンを経由しなければならない。床に這いつくばって、お慈悲を求めて絶叫し、骨の折れる音、砕かれる歯、血みどろの髪の毛のかたまり。

 なぜそんなものを耐えさせられるのだろうか。終わりはいつも同じなのに? なぜ人生から数日、数週間を切り出す必要があるのか? だれも見つからずにはすまないのだし、だれも自白を逃れることは一度もなかった。思考犯罪に陥ったら、ある日付までに死ぬのは確実だった。ならばなぜあの恐怖が、何を変えるわけでもないのに、未来の時間に埋め込まれていなければならないのか?

 さっきより少し、オブライエンの姿を呼び起こすのに成功した。「暗闇のない場所で会おう」とオブライエンは語った。その意味はわかった、あるいはわかったと思った。暗闇のない場所とは想像された未来であり、決して見ることはないが、事前の知識によって神秘的に共有できる場所なのだ。だがテレスクリーンからの声が耳をいたぶり続けていたので、その考えの流れを続けられなかった。口にタバコをくわえた。タバコの半分がすぐに舌の上に転がり落ちた。苦い粉で、再び吐き出すのはむずかしい代物だ。ビッグ・ブラザーの顔が心に浮かび上がり、オブライエンの顔に置き換わった。数日前にやったのと同じように、彼はポケットから硬貨をすべり出して眺めた。その顔がこちらを見上げていた。重く、平静で、護るような顔。だがその暗い口ひげの下にはどんな微笑が隠されているのだろうか? 不吉な葬鐘のように、あの言葉がよみがえってきた。

戦争は平和
自由は隷属
無知は力

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原著著作権は消失済。翻訳著作権 (c) Hiroo Yamagata, Creative Commons 表示 - 継承 4.0 国際, CC BY-SA 4.0で公開。

一九八四年 第1部 by ジョージ・オーウェル, 山形浩生 is licensed under CC BY 4.0Creative Commons iconCC-BY icon