ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936) 第 II 巻:定義と考え方
(山形浩生 訳
原文:https://bit.ly/otXDbh
)
あらゆる生産は、最終的には消費者を満足させるのが目的です。でも、生産者が(消費者を念頭におきつつ)費用を負担する時点と、最終消費者がその産物を買う時点との間では、時間がたっています――それもときにかなりの時間です。一方、事業者(ここでは生産者と投資家の両方を含みます)は、そのかなり長いかもしれない時間がたった末に産物を(直接間接問わず)供給できるようになった時点で、消費者がいくら支払う用意があるか、最高の予想(期待)をたてる必要があります1。そして時間のかかるプロセスで何かを作るなら、こうした予想(期待)をもとに動くしかありません。
事業上の決定を左右するこうした予想(期待)は、二種類に分かれ、それぞれの種類の予想を専門にやる個人や企業があります。第一の種類は、あるメーカーが生産プロセスを開始しようと決めた時点で、「完成」産物に対して期待できる価格に関する予想です。産物が「完成」しているというのは(メーカーの視点からの話ですが)、それが使える状態または別の相手に売れる状態になっているということです。二種類目は、事業者が「完成」製品を設備として購入して(あるいは製造して)いまの資本設備に追加したときに、将来の収益としてどれだけ稼げるかを予想します。前者は短期期待、後者は長期期待だと言えます。
だから個別企業が日々の2生産を決めるときの行動は、短期期待で決まります――その期待は、いろいろな生産量での費用についてのものだったり、その生産物の売り上げ収益に関するものだったりします。でも資本設備の追加や、流通業者への卸売りですら、こうした短期期待は他の企業などの長期(または中期)期待に大きく左右されます。企業が提供する雇用量は、こうした各種の期待に左右されることになります。生産や製品販売の実績は、その後の期待に変更を迫るものでない限り、雇用には影響しません。逆に、企業の現在の資本設備や中間財と仕掛品の在庫は、以前の期待に基づいて導入されたものですが、その以前の期待は、翌日の生産を決めるときには関係ありません。ですからそうした決断のたびごとに、決断は設備や在庫を参照はしますが、でもそれを左右するのは、見込み費用や見込み売り上げ収益の現在の期待なのです。
さて一般に、期待の変化(短期長期問わず)はかなりの時間をかけないと、雇用に対する影響を及ぼし切りません。期待変化に伴う雇用の変化は、期待変化が起きたその日と翌日ではちがいますし、二日目と三日目でもちがいます。これは期待そのものがそれ以上変わらなくても成り立ちます。短期期待のばあい、これは期待が悪い方に変化した場合でも、期待が改定されたいまにして思えば手を出さないほうがよかったと思える生産プロセスについて、作業をすべて中止するほどはその変化が急激でも大幅でもないことが多いからです。一方、期待がよいほうに変化した場合でも、その期待がもっと前に変化していた場合の雇用水準に到達するまでには、準備期間がある程度は必要となります。長期期待の場合、交換されない設備は、摩耗するまでは雇用を生み出し続けます。長期期待の変化がよい方向に動けば、雇用は最初は高い水準にあって、その後設備を新しい状況にあわせるだけの時間がたつと、雇用は下がることになるでしょう。
もしある期待の状態が十分な時間だけ続いて、雇用に対する影響が完全に出尽くし、この新しい期待状態がなければ起きなかったはずの雇用はもはやまったく起こらなくなっていたら、こうして実現された安定雇用水準は、その期待状態に対応した長期雇用だといえます3。期待はしょっちゅう変わるので、実際の雇用水準は、既存の期待状態に対応した長期雇用に到達する暇は決してないかもしれません。でも、あらゆる期待状態には、それにきっちり対応する長期雇用水準がある、ということになります。
まず、期待変化にともなって長期的な立場が移行するプロセスを考えましょう。期待はその後、混乱したり中断したりしてそれ以上の変化を見せることはないものとします。まず、新たな長期雇用が以前のものより高くなるような変化が生じたとしましょう。すると原則として、当初大きく影響を受けるのは、投入の比率だけです。つまり、新しい生産プロセスにおける初期段階の作業量が増えるだけで、その期待変化前に開始されていた消費財の生産と、後段プロセスにおける雇用はほとんど前と変わりません。仕掛品の在庫がある場合、この結論は変わってくるかもしれません。それでも、当初の雇用増はわずかなものだというのは変わりません。でも日がたつにつれて、雇用はだんだん増えます。さらに、ある段階ではそれが新たな長期雇用を上回る規模にまで増えるような状況も、十分に考えられます。新しい期待状態を満たす資本設備を構築するプロセスは、もっと雇用を必要とするかもしれません。そしてある時点では、長期的なポジションに到達した場合と比べて、当期の消費も増えるかもしれません。ですから、期待の変化は雇用水準をだんだん高めていって、頂点にいったん達してから、少し下がって新しい長期水準に達することになります。新しい長期水準が昔の水準と同じ場合ですら、同じことが起こるかもしれません。これは、その変化が消費の方向変化に関するもので、既存プロセスや設備がそれによって陳腐化する場合に生じることです。あるいはまた、新しい長期雇用が以前よりも少ない場合、移行期の雇用水準は一時的に、新しい長期水準よりも低いものになるかもしれません。ですから期待が変わっただけで、それが展開する過程では、周期運動と同じような上下動を生み出せます。『貨幣論』で、変化に伴う運転資金や流動資本のストック蓄積や取り崩しとの関連で述べたのは、この種の運動でした。
上に述べたような、新しい長期的立場への継続的な移行プロセスは、細かく見るとややこしいこともあります。でも実際の出来事の推移はもっと複雑かもしれません。期待の状態は絶えず変わりかねないので、以前の変化が十分に作用し尽くすよりずっと以前に、新しい期待がそこに重なってきます。ですから経済の機械はいつの時点でも、無数の重なり合う活動に占拠されているのです。そうした活動が存在するのは、過去の期待の状態がいろいろ変わったからです。
これでこの議論が目下の狙いにどう関わるか見えてきます。以上から、各時点での雇用水準は、ある意味で単にその時点の期待状態だけでなく、過去の一定期間に存在した、各種の期待状態にも依存していることがわかるのです。とはいえ、今日の資本設備には、まだ十分に展開しきっていない過去の期待が内包されており、事業者が今日の決断を下すときに参照するのは今日の資本設備なので、事業者の決断に過去の期待が影響するのは、そうした内包を通じてだけなのです。ですから、上述の話にもかかわらず、今日の雇用は今日の期待と今日の資本設備とをあわせたものに左右されるのだ、という記述は正しいのです。
現在の長期期待の明示的な参照は、なかなか避けられません。でも、短期期待への明示的な参照はやめたほうがしばしば安全です。というのも、実際の場では、短期期待の改定プロセスは、じょじょに連続的に起こるからで、しかも主に実績に基づいて改訂されるものだからです。ですから、期待された結果と実際の結果とは影響を及ぼす中で重なり合い、衝突します。なぜかというと、産出と雇用は生産者の短期期待で決まり、過去の結果で決まるのではありませんが、直近の結果は通常、そうした期待を決めるのに圧倒的な役割を果たすからです。生産プロセスを開始するたびに、期待を一から築き直すのはあまりに手間ですし、それ以上に時間の無駄です。状況の相当部分は、通常は日が変わっても本質的には変わりません。ですから生産者にしてみれば、変化を予想すべき確実な理由がない限り、直近に実現した結果が続くという想定で期待を形成するのが一番筋が通っています。ですから実務的には、直近の産出で実現された売り上げ収益と、当期の投入から期待される売り上げ収益とが雇用に与える影響には大きな重複があります。そして生産者の予測は、予想される変化への期待から変わるよりは、実際の結果を見てだんだん変えられる場合のほうが多いのです4。
それでも、耐久財の場合には、生産者の短期期待が投資家の現在の長期期待に基づいていることはお忘れなく。そして、長期期待の性質として、実現した結果に基づいてしょっちゅう見直したりはできないのです。さらに12章で長期期待をもっと詳しく見るときに検討しますが、長期期待は突然変わったりします。ですから現在の長期期待という要素は、実績によって近似的にさえ排除したり、置き換えたりはできないのです。
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