Robert Todd Carroll
SkepDic 日本語版
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疑似歴史学
pseudohistory
疑似歴史学とは以下のような主張がなされる歴史である;
- 神話や伝説、物語など文学上の記述を文字通り事実とするもの
- 古代の歴史家の言うことを鵜呑みにして無批判に受けとり、古代人の主張を額面どおり受けとる一方で、意見に反する経験的論理的証拠を無視するもの
- 事実の発見、つまり過去に本当に起きたことの探求ではなく、現在ある何か政治的・宗教的な問題を支持するのを目的としておこなわれる伝道行為
- 真実と呼べるのは絶対的に正しいことだけだが、絶対的に正しいことなど存在しない、したがって真実は存在しない、などと、極端に懐疑的な考え方に膠着して、歴史に真実が存在することを否定するもの
- 歴史は伝説の創造にほかならず、正確性や経験的蓋然性、論理的一貫性、妥当性、完結性、公平性、誠実性などの、伝統的な学問的基準で比較することはできない、道徳や政治の立場で比較すべきだと主張するもの
- 古代の文献を選択的に用いて、問題に適したものだけを好き勝手に引用し、適さないものは無視するか否定するもの
- 何らかの可能性があるというだけのことがらでも、意見にかなうものであれば、あたかも信ずるに足る十分な事実とみなしているもの
- 人種差別や無神論、自民族中心主義、あるいは政治や宗教的議論に反対するといった理由で意見を抑圧するような陰謀がある、とよく主張するもの
こうした疑似歴史学には、たとえばアフリカ中心主義や創造論、ホロコースト修正主義(リヴィジョニズム)、それにイマニュエル・ヴェリコフスキーの激変説が含まれる。
疑似歴史学は、その根拠とする古代文献とは区別すべきである。古代人によって口承されたり書き継がれた物語や伝説、神話、歴史は、しばしば疑史とよばれる。この中には疑似歴史学もあれば、間違いもあるだろうし、まったく歴史でもなんでもないものもあるだろう。
疑似歴史学は歴史フィクションや空想の物語とも区別すべきである。テレンス・フラナガンの The Year of the French や The Tenants of Time や The End of the Hunt は疑似歴史学ではなく、歴史時代を題材としたフィクションである。歴史フィクションは歴史に正確なことが多いが、歴史ではないのだ。歴史フィクションの作品をあたかも歴史文献のように引用するなら、それは疑似歴史家と同じことをしているといえるだろう。疑似歴史家の例として、アッベ・ジャン・テラソン(1670-175?)について知っておくといいかもしれない。彼らは歴史フィクション作家で、意図的に誤った古代史を造りあげた。というのは、テラソンは著書 セトス、古代エジプト未発表論文集にもとづく伝記の歴史 (Sethos, a History or Biography, based on Unpublished Memoirs of Ancient Egypt) をそのような方法で書いているからだ。このような、古代文献を発見したと主張して自説を表明するために出版するテクニックは、たとえば 聖なる予言 のように現在でも使われている。こうしたやり口のバリエーションには、ユーランシャの書のように、古代人とチャネリングして本を書いた、といったものもある。うそくさい論文集やチャネリング本を引用したら、それは疑似科学である。
映画はある種の人達にはひどく効くようだ;というのは、こうした人々にとって映画は歴史的に正確でなければならず、その義務があると主張しているからだ。オリバー・ストーンの映画 JFK はフィクション、幻想、伝説、疑似科学、それとも何だろう?この映画はストーリーを盛り上げるた めに、架空の人物と出来事を生み出し、ストーンの個人的見解も入っている。ドキュメンタリーであると明示的に主張しない限り、映画はどれだけ正確でリアリティがあってもフィクションか幻想である。映画製作者は歴史家である必要はないし、それは小説家でも同様である。JFKや Michael Collins などの映画を歴史ドキュメントのように引用したら、疑似歴史家になる。映画製作者が歴史家や市民にたいして責任を負うのではなく、むしろ映画の観客の側に、もっと批判的思考をしてもらいたいものだ。``実話に基づいた''というだけでは、ノンフィクションの条件は満たしていない。同様に、Xファイルやその手のテレビ番組も、リアルで``実話に基づいた''と書いてあっても、やはりノンフィクションではない。こうした空想的な番組を超自然現象や超常現象の証拠として引用すれば、それは疑似歴史家のやっている疑似研究の範疇に入るのである。
参考文献
- "Giving the Devil His Due: Holocaust Revisionism as a Test Case for Free Speech and the Skeptical Ethic" by Frank Miele
- The Haystack Overview of Velikovsky's Mythoscientific Methods
- Skeptic,Volume 2, Number 4 (1994): Pseudohistory Has articles on holocaust revisionism, afrocentrism, creationism and Noahsarkology.
- Excerpt from Culture of Complaint--The Fraying of America (Oxford University Press) by Robert Hughes.
- Electronic Newsletter of the Georgia Skeptics Vol. 5, No.5 Sept/Oct 1992 Reprints the musings of L. Sprague de Camp on some prominent pseudohi storical notions. If you haven't read de Camp's Ancient Engineers, you are missing out one of the best reads ever.
- The History of Pseudohistory by Rocky One could not find a better specimen of the principles of relativism, historicism, subjectivism, and extreme skepticism at work.If you want to get inside the mind of a pseudohistorian, Rocky's is accessible to anyone who can read English.
Gould, Stephen Jay, "Evolution as Fact and Theory," in Hen's Teeth and Horse's Toes (New York: W.W. Norton & Company,1983).
Lefkowitz, Mary, Not Out of Africa - How Afrocentrism Became an Excuse to Teach Myth as History (New York: Basic Books, 1996). Reviewed in The Skeptic's Refuge
Shermer, Michael. Hope Springs Eternal: Reflections on Science and Pseudoscience, History and Pseudohistory (forthcoming from the editor of Skeptic magazine)
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