うん、よい質問だ。プロジェクト杉田玄白というのは、いろんな文章を勝手に翻訳して公開しちゃうプロジェクトなのだ。プロジェクトグーテンベルグや、青空文庫の翻訳版だと思って欲しい。日本は翻訳文化だといわれるけれど、それならいろんな翻訳が手軽に入手できるようにすることで、もっともっと文化的な発展ができるようになるだろうし、もっとくわしい能書きは、以下にあるぞ。
これまたいい質問だ。こんなのとか
こんなのとかこんなのもあるぞ。すごいだろう。
はいはい、それもとてもよい質問。
もともとは、すべてのファイルがほとんどなんでもありの GPL にしようと思っていたけれど、翻訳という性格から、訳者がこの条件 OK でも、原文に制限があったりする場合がある。というわけで、このプロジェクトに出てきたブツは、いくつかのレベルにわかれていて、それぞれやっていいことの範囲がちがう。だから使うときは、それを守って使ってほしい。いずれも詳細は、それぞれの分類のトップページにある使用条件と、そのテキストの版権表示部分にある記述を参照のこと。
正式参加テキスト: これは、版権表示さえちゃんと残せば、商業出版も含めて何をしてもいい代物。
協賛テキスト: これは、なんらかの制限がついたテキスト。たとえば非営利目的でのみ使用可、とか複製再配布は基本的にダメ、とか。なにをしていいかは、個々のテキストについた能書きを読んでほしい。
ついでにテキスト: 翻訳は存在しているけれど、著作権上の問題で公開できないもの。研究用にテキストデータのほしい研究者、どうしても読みたいという人、あるいは正式に出版したい人などはこう連絡。
関連リンク: その他、このプロジェクトとは直接関係ないながら、ネット上で公開されているいろんな翻訳。たれこみ随時歓迎。
進行中作品: 訳をはじめた人が、その旨を申告していばるページ。ただし、アナウンスしたまま一向にすすまないとかえってひんしゅくをかうので要注意! 内容はすべて自己申告制。
いずれも一応、著作権上の問題はないはず。みんな、原著者も訳者も納得した範囲で条件がついて公開されている。ただし、万が一著作権法上の問題があって、各種権利保持者からクレームがついたり、あるいはなんらかの損害を被ったりした場合も、プロジェクトは責任は負わない。使うのは自己責任でやってほしい。
はいはい、大歓迎。これは翻訳するプロジェクトなので、翻訳すればよいのです。資格も何もいりません。翻訳ができたら、ファイルの置き場を連絡してくれるか、あるいはファイルを送りつけてくだされば、こちらでなんとかしましょう。
本一冊完成してなくったってかまわない。翻訳というのは、創作なんかとはちがって、あとからがらっと構成が変わっちゃったりすることはない。したがって、「とりあえず第1章だけ訳しました」とかいうのだって、かまわないわけだ。だから仕掛品でもいいので、どんどん参加していただきたいですぅ。
ただし、一つだけ。将来的にはどうなるかわからないけれど、いまはまだ点数が少ないので、入ってきた翻訳は一応、ぼくがざっとは見る。訳のできのイマイチ以下なものについては、リストに登録するときに、「イマイチだ」とコメントを添えることもある。その点は覚悟してほしい。そうでないと、質的な水準を保てなくてダメになるので。自分から「できに自信がないから、みんなでなおしてくれ」と宣言しておく手もあるし、それがもとでみんなで協力して改訳した作品もすでにある。そうやって協力してよくしていく、というのもこのプロジェクトの意義であってほしい、と思っておるのだ。
この意味で、もしなにか翻訳上のこだわりとか思いとか、独自の方針があるなら、それも公開/送付していただけると、あまりピントはずれなコメントがつくのは避けられる可能性が高い。
うるせーな、知るかよ、このバカ女男。おめーみたいなヤツには参加していただかなくて結構。メリットがあるかどうかなんざ、テメーで計算しろってんだ。
直接的なメリットなんざ何一つないのだ。どういうメリットがないかは言っておいてやろうか。まず、渡辺佐智恵並の逸材でもない限り(いや、多くの場合そうであっても)出版社をあっせんしたりはしない。翻訳家デビューのお手伝いなんかもしない。添削も、よほど気が向かなければしない。
ただ、実際やってますというのがきちんと世間さまに提示できれば、なんかそれなりに道が開けたりする場合もあるらしいよ。ここは、そういうきっかけになる可能性は持っている。あくまで可能性だけれど。
ベースはテキストファイルかhtmlファイルで、pdfやpsも可。
ただし、できればファイルは自分のところにおいておいてほしいと思う。こちらにはURLだけお伝えいただきたい。こちらも個人が自分でやっているだけで、ハードディスクの余裕がそんなにないのです。geocitiesとか、無料でディスクスペースを提供してくれるところがあるから、そこにファイルをおいといてくださいな。htmlだと、こういうサイトは広告を入れられるけれど、psやpdfならそれもないし、また最近ではhtmlの広告もかなり小さく上品になってきたし、あまり気にはならないはず。
いちばん簡単には、自分でAmazon.com や Barns and Nobleで買うことでしょう。あるいは、プロジェクト・グーテンベルグに収録されている場合もある。さらに、ネット上で探すといろいろリソースはあるぞ。マルクス・エンゲルス(の英訳)がまるごとおいてあるサイトなんかもあるぞ。あと、図書館を利用するのも手です。特に大学にいる人は、いろんな本が意外といろんなところに埋もれているもんだ。
一応、著作権が切れて勝手に訳して公開していい文というのは、著者の死後 60.5 年たってればだいたいまちがいない。詳しくはこんなところを見ておくれ。
さらに古いのばかりでなくても、たとえばアメリカの政府文書は著作権とかがない。(アメリカ大統領は肖像権もプライバシーもない)。またフリーソフト関連の人の文は、往々にしてフリーだ。それ以外でも、ブルース・スターリングの『ハッカーを追え!』だっけ、あれは著作権フリーだ。じつはそこそこあるので、さがしてみてほしい。いろんな電子テキストのあるサイトのリンクをそのうちこしらえようぞ。
ああ、あれね。制限一切なし。
青空文庫でもときどき論争がわきおこるので、いずれここでも出る話だと思う。
てなわけだ。じゃあお楽しみくださいよ。それと参加も夜露死苦!
ほぉ、上等じゃねぇか。「ある人」というのは、ひつじ書房をやってて、投げ銭運動をやっている松本功氏だと思う。かれは、2000年8月27日づけの日記の中で、津野海太郎「オンライン書店の冒険」について感想を書いていて、その中でこうのたまっておる:
プロジェクト杉田玄白が、「現代的な意義のある作品が少ない」という青空文庫への批判を補うために作られたというのは間違い。新しいテキストが入っていないのに、どうしてそのようなことが言えるのだろう。『ローソクの科学』は私は好きな作品だが、これが現代的な意義をもつとは言いにくいだろう。
さて、これは不当な言いぐさだし、事実に反している。まず、「ロウソクの科学」に現代的な意義がないか? ぼくはあると思う。ファラデーはサッチャー政権の教育政策のアイドルだったし(「数学できなくても科学はできる! 現代の数学偏重科学教育はよくない!」という議論で)、いまだってこれと似たような講義を子どもたちに対して行うことはできるはずなんだ。その他の文書だってそうだ。不思議の国のアリスには、現代的な価値はないのか? ぼくはあると思う。だって、なぜ電子テキストプロジェクトの多くはまっさきにアリスを入れたがるか……という話は、「鏡の国のアリス」あとがきでした。
さらに、新しいテキストが入っていない? いや、エリック・レイモンドやストールマンやソーカルや、その他山ほどあるんですけど。むしろ、そのほうが多いのだ。ちょっと数字を見ていただこうか。ここで「新しいの」というのは、著作権がまだ切れていないもの、という意味でも、最近 10 年くらいの文という意味でも、どっちにとってもらってもかまわない (10年以内と考えても、数は3つくらいしか変わらない):
参加形態 | 古いの | 新しいの | 合計 | 新しい率 |
---|---|---|---|---|
正式参加 | 30 | 40 | 70 | 57% |
協賛参加 | 4 | 9 | 13 | 69% |
合計 | 34 | 49 | 83 | 59% |
わかったかな? 新しいテキストが入っていないどころか、点数的には、新しいやつのほうが多いんだぞ。どうだまいったか(いや正直言って、いま集計してみて、自分でも驚いた。すごいな。新しいのはせいぜい 2 割くらいかと思ってた)。もちろん、上記のやつは点数ベースなので、長さで見たら、たぶん古いヤツの割合は増えるだろう。アリスやデカルトみたいな大物がいるから。6:4で古いやつが多いことになるんじゃないかな。いや待てよ、新しい方だって、ストールマン講演もインタビューも、レイモンドの諸作もEFFのDES解読マシンも、えらく長いぞ。だから実際のところは計算してみないとわからない。でも、いずれにしても新しいテキストがない、なんて話は真に受けないよーに。まして意義については……判断はお任せするけれど、一度収録作品リストを見直してほしいな。