「ちびくろサンボ」についての本リスト
〔絶版以前〕

(Last update:1999/11/05)

『ちびくろさんぼ』 | 絶版以後 | 関連する本 | 「サンボ」の本 | おうち

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絵本論 瀬田貞二子どもの本評論集

瀬田貞二
福音館書店
4,500円
1985/11 A5 p.567  
ISBN 4834004112  

古典絵本の教えるもの「ちびくろサンボ」
(『子どものとも』月報 1966.5 から再録)


絵本の新世界

今江祥智 
大和書房 
2,505円
1984/09 A5 p.351  
ISBN 4479750061  

「ちびくろさんぼ」なんてしィらないよ
(初出『月刊絵本』1974.12 「特集 ちびくろサンボ」すばる書房 より
『絵本の時間 絵本の部屋』1975 p.118 すばる書房 を経て再録)

かつてわたしは、盛名高いこの絵本に原書で接したとき、その絵の醜悪さにうんざりしてしまいました。むろん、岩波版のにせよ、瀬川康男さんの描かれた偕成社版のにせよ、原書に描かれたサンボ親子のいやな面影はありません。

主人公のインド人の子どもサンボとその両親をあのように醜悪に(それはとても稚拙といったものとは思えません)描いた作者の目が気にかかったからでした。ヘレン・バンナーマンさんは大英帝国の軍医であるだんなさんに同行して、インドに滞在し、そこから国の子どもたちへ書いた手紙からこの作品は生まれました。そこには当然、白人種の黒人種に対する優越感が働いており、それがサンボたちを、「原地人」を見おろす視点であんなにも無神経な絵にかかせてしまったのでしょう。

素人のオクさんが描いたものだから稚拙というべきでしょう、という意見もききますが、わたしにはそうは思えませんでした。そのとき同時に見た“The Story of Little White Squibba”なる絵本には白人の少女が描かれているのですが、こちらの方はとうてい同じ人の手になるものとは思えないほど可愛く描いてあったからです。描く気があれば描ける人なのであります。


絵本の魅力 ビュイックからセンダックまで

吉田新一 
日本エディタ−スク−ル出版部 
2,000円 
1984/03 A5 p.232  
ISBN 4888880816  

この本にはぜったい紹介したいポイントがあるのだ。吉田氏のほかの著作を調べるのにもいーっぱい時間を費やした(徒労だったけどね)分も、もとをとらなくちゃ。ピーターラビットのおはなしとの比較なんだけど、このまま黙殺されてなるものか、って感じ。


児童図書館と私(上)どくしょのよろこびを

小河内芳子 
日外アソシエ−ツ、発売所=紀伊国屋書店 
1,900円
1981/07 A5 p.246  
ISBN 4816900756  

パイオニアとして戦前から児童図書館活動を続けてきた著者の代表作を収録。
児童の読書の意義や、児童奉仕の本質を語る。 
児童図書館の歴史と現状
子どもと本を結ぶ  
主題性思想性について
(『季刊子どもの本棚』5号 1972 日本子どもの本研究会 からの再録)


幼年文学の世界

渡辺茂男 
エディタ−叢書  
日本エディタ−スク−ル出版部 
1,800円 
1980/07 B6 p.254  
ISBN 4888880468  

第四章  『ちびくろ・さんぼ』をめぐって
古典としての『ちびくろ・さんぼ』
人種差別と『ちびくろ・さんぼ』
『ちびくろ・さんぼ』に何を学ぶか
(『子どもの館』No.4 - 6 1973.9-11 福音館書店 からの再録)

著者の滞米期間中の体験をもとに、アメリカでの「ちびくろさんぼ」評価をかなりのページをさいて報告。(1冊の四分の一ほど)


図書館の自由と検閲 あなたはどう考えるか

 
"Problems in intellectual freedom and ce   "
アーサー・ジェームズ・アンダ−ソン 小木曽真訳
日本図書館協会 
3,200円
1980/06 A5 p.268  
(1984年版は232p.に減っている? 要確認)
(原書は1974)
事例27の分析。「黒人の側からみたちびくろサンボ」


絵本の研究

  
阪本一郎 
日本文化科学社 
 (2,000円)
1977/02/20
A5 p.224  

評価の恒常性 (p.27)

(p.27)評価の恒常性:彼女の本を書く動機は、純真なものであった。……彼女が自分で描いた絵はあまり上手ではなかったので、のちに他の画家が絵を描いたのが出版された。けれども、はじめに自分で描いたサンボの絵はあまりに醜悪だったので、人種的偏見があると決めつけられるようになり、現在では古典の地位を失ったのである。

ジョージアウ(Georgiou,C.)の『子どもとかれらの文学』"Children and their Literature"(1969)の中でも、絵本の著者の名簿から抹殺されている。アーバスノット(Arbuthnot,M.H.)の『子どもと本』"Children and Books"(1964)の中では古典扱いにされていたのに。(前者の研究書は、後者に対する献辞を掲げている。)……こんなふうに、時代とイデオロギーの推移は、1冊の絵本の評価を変えるのである。

『シナの5人きょうだい』(ビショップ、C.H.文、ビーゼ、K.絵、福印鑑、原著1938) が問題にされずに、『ちびくろサンボ』だけが槍玉に上がるとは不公平ではないか。 ……やはり評価する者の問題意識とも関係するように思う。したがって絵本の評価には、恒常性は期待できないのである。ある時点においての評価は、別の時点においての評価とは関係がないのである。つねに、現在の時点における評価だけが物を言うのである。

その意味で、引っかかりのある所は、物語も絵も現代ふうに改作することが許されるものだと思う。しかし、改作することによって、主題まで変えなければ生きないもの、また教育的に見て意味がなくなるものは、児童文化財遺産として図書館の蔵書の中に保存しておくよりほかはない。


子どもの国の太鼓たたき

上野瞭 
すばる書房 
1,400円
1976/08
A5 p.253  

バンナーマンおばさんの本
(『月刊絵本』1974.12 「特集 ちびくろサンボ」すばる書房 より再録)


絵本の世界

小西正保
すばる書房
1971
「ちびくろ・さんぼ」小論

3歳から6歳までの絵本と童話

鳥越信・森久保仙太郎
誠文堂新光社
1967 

「ちびくろ・さんぼ」真贋論争ほか

第1章の「『ちびくろ・さんぼ』事件」は、鳥越さんの歯に衣きせぬものいいが最高。むかしは絵本とか幼児教育に対する思いが熱かったんだなあとこの時期の本を読むたびに感じる。 60年代初頭、筆者の参加する小さな読書会で複数の「ちびくろサンボ」のおもしろさの違いに気づいたという「事件」が発端だった。当時入手できた7冊の「ちびくろサンボ」を10人の母親たちが18項目の基準に沿って採点し、最高点をとった岩波版と、最低点のフレーベル館版(人形を使った写真絵本)を、全ページ比較紹介しながら、後者を「もっともわるいにせもの」として容赦なくこきおろす。それをまず65年5月1日の「図書新聞」に「子供の為の良書の条件――再話・翻案・抄訳の問題点」として報告したところ、フレーベル館版の筆者である飯沢匡氏からすぐ反論が出て、同紙での「真贋論争」へと発展してゆく。

飯沢氏の反論は、
1.自分の絵本は幼児への「再話」なのだから、完訳と比較したら異質なのはあたりまえ。
2.岩波版の訳も、たとえば父母の名前のじゃんぼ、まんぼ、というのは、白人種の黒人種にたいする優越感からきたことばで、よくない。自分はそんなことばを使うのはがまんできないからさっさととりはずした。
3.岩波版は挿絵も悪い。あきらかにアフリカ系黒人種に描いているが、アフリカにはトラはいない。自分はだからトラのいるインドの風俗にした、
など。

1965年の時点ですでにこのような人種差別に言及した論争が絵本作家たちのあいだでくりひろげられ、それ以前にもアメリカで全米黒人振興協会が抗議していることなどは「児童文学者のあいだでは有名なこと」だったのだ。88年末に絶版を決めた理由を、岩波の社長は「黒人差別をなくす会」の指摘によって、サンボが差別語であること、調べたらジャンボ・マンボも侮蔑的な言葉であることを初めて知ったと言ってたけど(『「ちびくろサンボ』絶版を考える』)、その抗弁にごまかしはないのかしらね。

鳥越氏の飯沢氏への再反論は、
1.もともと幼児のためにかかれたはなしをまた「幼児への再話」としてかくのはどういうわけか、
2.トラと地域性の問題についてはまことに素朴な科学主義で、このようなナンセンス・ストーリーの場合にはほとんど問題にならない。第一それをいうなら、トラがとけてバターになることはどうして容認できるのだろうか。
3.問題は、この作品が日本の子どもたちにたいして黒人蔑視の感情を植えつける危険性があるかないかである。私たちは、いちおう、ないと判断しているが、もし、その危険性があるとしたらそれはじゃんぼやまんぼということばをけずるといったような、小手先の技術だけで解決できる問題ではないのではないか。

鳥越氏のスタンスははっきりしている。「再話」それ自体がまちがいであること。 原作に欠点があるからという理由で再話や改作をすることをみとめない。

どんな作品にも、さがせば欠点があるでしょう。しかし、欠点があるかないかを決めるのは読者であって、訳者ではありません。訳者のかってな判断で、読者に原作とちがったものを提供するのはまちがいです。もし訳者が、そんなに欠点のおおい作品と考えるのだったら、そんな作品を訳すことじたいがまちがいです。とくに飯沢さんなどは、りっぱな作家なのですから、……いい作品をじぶんでかけばいいのです。

そうだそのとおり。ここんとこを自分にごまかして、 『奴隷とは』の著者レスターくんも『サムとトラ』という偉大にして珍妙な贋作をものしているし、 森まりもっちも『チビクロさん』っていう陳腐な作品で漁夫の利を得てる。原作に「差別書」の 烙印を押したうえで、なにやら理屈をつけて、商売にするっていうのはずるいよね、どうみても。 それはともかく、鳥越さん、 岩波版を「ほんもの」とし、フレベール館版を「にせもの」とするのは、ちょっと強引じゃないでしょうか。気持ちはよおくわかりますが。 岩波版だって改作なんだし、99年以前に出ていたすべての日本語版は改作・抄訳・翻案なのだから。 飯沢さんも岩波の石井桃子さんも光吉さんもみーんないっしょにその風潮にしたがっただけだもん。 五十歩百歩とまでいわないけど、二十歩百歩ぐらいのちがいだと思う。 だからこそ、この時代に、「改作反対!」の強い主張をなされていたこと自体は すばらしいっ! と思うです。

監修者や編集者に、有名人をゴテゴテとならべたてた本は、ほとんど信用できないこと。 『ちびくろ・さんぼ』事件のとき、飯沢匡、羽仁節子といった、有名人の名まえにだまされたおかあさんたちは、とりわけハラがたったようでした。……これらのひとびとの名まえを信用して買う読者がひとりでもいるかぎり、これらのひとびとは、もっとじぶんのすることに責任をもってもらわねばなりません。……いつの日か、私たちは、このひとたちを、具体的なデータにもとづいて、子どもたちのしあわせの名のもとに、告発したいと考えています。

ねえ、「ひとりでもいるかぎり」っていうのは、誇張のためのレトリックにすぎないのかなあ。 「ひとりでも傷つく人がいるかぎり」とか、この業界で流行ってるよね。 それとも、「おひとつどうぞ」みたいに、日本語の「ひとつ」「ひとり」は数字の1とは別もので、ばくぜんとした量を表わしているとみなしたほうがいいのかしらん。 でもやっぱり私はこのレトリックはきらいだなあ。 なんか、脅しみたいで。そうだ、脅しなんだ。「ひとりでも」といえば、相手がそんなの無理だよおってびびってしまうのを期待してるんだ。そんな無理なことを要求するほうがまちがってるのにね。それはまあ置いておいて、この鳥越さんの「告発」はその後、なにかに発表されたのかな、ぜひ知りたいです。

この本で唯一ざんねんな個所があって。

この作品が、大英帝国の植民地主義を背景にうまれたことは事実でした。

こういう言い方、むかしからあったのねー(同じこと言ってる人いっぱいいるけどさ。 今江氏とか灰谷健次郎氏とががその代表格))。 「背景」ってすごく広くて便利なことばだけど、 「背景にうまれた」が結局なにを言わんとしてるのかが肝心な点で、 「事実」かどうかは、そこをあいまいにしたら無意味なのよね。 そうしないと、「玲奈は経済大国日本の資本主義を背景にうまれた」「玲奈はパパとママの愛情を背景にうまれた」とが 「事実」という名のもとに等価になっちゃうもの。 で、鳥越さんはなにを言わんとしてるかというと、 ヘレンの夫は「インド派遣軍の軍医」であり、「故国にのこした子ども」にあててかいた手紙に、「インド人の子ども」のおはなしを書いた、と説明するわけ。 (これが事実誤認であることは、『ちびくろさんぼ』の序文訂正したほか、作品の背景←ほら、背景ってことばはほんとに便利なのだ(笑)に書いた)

その背景に、支配されるインド人にたいする、支配するイギリス人の意識がはたらいていたこともたしかだったと思います。 そこには、対等な人間関係というより、一歩たかいところから原地人ママをみおろしている白人の優越感がはたらいていたにちがいありません。

とまた「背景」が登場して、はじめに「事実」だと前置きしておいたところにつながるわけね。 ふーん。まあ、そう読みたければ読めるかもね、っていう程度だよね、こういうのって。 それを「大英帝国うんぬんの背景」だとかもちだしてくるロジックって、ほんとにあてになるのかしらね。ちゃんと考えてもみないで、思想の流行をおっかけてるだけじゃないかな。 ほかの部分は小気味良い展開なだけに、ここだけなにも考えてないって感じなのが惜しまれるのである。

ひとりの男の子がトラに奪われた洋服をとりもどして家族みんなでパンケーキを食べた、という物語が――それが黒い子であり、白人の女性が書いたというだけで――優越感がはたらいてたにちがいないと、ほんとうに断定できる? それこそ、1世紀前の“人権意識に目ざめていない”人間を「一歩たかいところからみおろしている」「現代人の優越感がはたらいて」はいない?  ともかく、そういうところに敏感に思慮をはたらかせることが、優越意識を満足させるためでなく、人種差別の解消のほうに役立っているのならいいんだけどね。(99/11/05)


子どもと文学

石井桃子、いぬいとみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松居直、渡辺茂男 共著
福音館書店
1967/05/01(初版 1960 中央公論社)  新書 p.226

I 日本の児童文学をかえりみて
 小川未明、浜田広介、坪田譲治、宮沢賢治、千葉省三、新美南吉
II 子どもの文学とは?
 ちびくろ・さんぼ
 いちばん幼いときに
 お話の年齢
 昔話の形式
 子どもの文学で重要な点は何か?
 ファンタジー
 子どもたちは何を読んでいる? 

これは、いまから六十年ほど前、スコットランド生まれのヘレン・バンナーマンという夫人が、小型の絵本としてつくったお話です。この『ちびくろ・さんぼ』が最初に出版されて数年たったとき、イギリスでもアメチカでも、「さんぼ」は子どもたちの人気者になっていました。それから六十年たっても、「さんぼ」の人気は少しもおとろえるどころか、大人の文学の世界でシェークスピアの人物が不滅のものであるように、これらの国の子どものお話の世界では、三びきのクマや、シンデレラや、親ゆびこぞうと並ぶほどの名士になっています。(p.165)

ちびくろ・さんぼが、幼い子どもたちにとって非常にすぐれた作品であるということは、六十年の歴史が証明しているばかりでなく、現在の日本の子どもたちにとっても、たいへんおもしろいものであることは、子どもをとりあつかっている多くの人たちから、聞かされたことですが、ここに興味ある、一つの科学的な実験の例をあげておきましょう。市川市国立国府台病院精神科の村瀬、山本両技官は、幼い子どもたちが、どのようなタイプのストーリーにもっとも興味をひかれるかを知るために、何冊かの本を使って、子どもたちの反応をテストしました。実験には、『ちびくろ・さんぼ』『おかあさんだいすき』『ふしぎなたいこ』『まりーちゃんとひつじ』『おそばのくきは、なぜあかい』の五冊が使われました。(五冊とも岩波書店刊)

これらの本を、四歳から七歳までの男女五二四名に、五〇名くらいを一グループとして読んでやり、その反応を調査しました。…… 子どもたちの、気に入った順序で、順位をみると、(1) ちびくろ・さんぽ (2) ふしぎなたいこ (3) まりーちゃんとひつじ (4) おかあさんだいすき (5) おそばのくきは、なぜあかい という結果がみられました。

 なぜこのような順位が見られたかを、話の内容から考えてみると、上位にある作品ほど、登場人物の心理、倫理性、教訓性など、抽象的な要素は弱く、具体性、行動性、リズム、スリル、素材の親近性、明るさ、ユーモアなどの要素が強いことがわかります。…… 子どもたちの文学として、幼い子どもたちがいちばんはいりやすい形式はどんなものであるかということについて、この実験は、一つの重要なポイントを提示しているように思います。(p.167)

ここで紹介されている「ちびくろ・さんぼ」は、オリジナルとマクミラン版または岩波版とがごっちゃになっている(ホットケーキの枚数はマクミラン版の196枚になっているが、物語のはじまりの部分の「一ページごとに、一つの絵と、数行の文章だけです」といった説明は原作のほうに従っている)。この章をうけもったのは渡辺茂男氏とはいえ、共著者たちの約5年間にわたる話しあいの結果をまとめたものなのだから、石井桃子氏も了解しているはずなのだが。

『子どもの図書館』でコメントしたように、石井氏はオリジナルを絶賛していながら、「岩波の子どもの本」の編者でもあって、 シリーズ第1巻の「ちびくろ・さんぼ」はマクミラン版を採用しているのだ(『現代絵本研究』1977年10月号と『月刊絵本』1973年5・6月号で光吉夏弥氏が岩波版の編集方針や経緯を報告している)。それで、渡辺氏の文章の矛盾点を石井氏が見過ごした(1987年の第13刷でも196枚のままである。岩波版のほうは1978年の改訂版で原作のとおり169枚に訂正しているのに)のも不思議だが、岩波版にマクミラン版にはない原作の良い点をもりこむために切り張りし結局矛盾してしまったことからみても、これらの作品を故意に混同したままにしておきたかったのかもしれない。

書評


子どもの図書館

石井桃子 
岩波新書  青版559  
505円
1965/05/20 
新書  p.233  
ISBN 4004121353  

「ちびくろ・さんぼ」の教訓

石井氏がここで絶賛している「ちびくろ・さんぼ」は、あくまで原作であり、ヘレンの絵に自分の訳をつけて全ページにわたってていねいな解説を つけている。同じ出版社の、当時もっともポピュラーであった岩波版についてはまったく無視していることに注目! 原作のストーリー運びを賞賛するその評価軸からは、岩波版が評価に値しないのはとうぜんだということがわかる。けれども、その岩波「子どもの本シリーズ」には、光吉夏弥氏とともに石井氏も最初からかかわって、本の選別や編集に参加しているのだ! シリーズ最初の刊を「ちびくろさんぼ」にするにあたって、なぜオリジナルでなくマクミラン版を元にしたのか? これらの疑問については、原作や改作の作品性を検討するページで考えてみよう。

『「ちびくろ・さんぼ」はどこへいったの?』でパネラーの氏は、 「光吉夏弥訳のこれ(岩波版)は、壷井栄が感心したり、心理学者の宮原誠一や村瀬孝雄が高く評価したりしている。なかでも、いちばん正面きって、この本を推奨したのが、一九六〇年四月に中央公論社から出た、石井桃子さんたちの『子どもと文学』だと思います」と述べている。あわせて註で、「石井は、一九六五年五月刊行の『子どもの図書館』(岩波新書)でも、『ちびくろ・さんぼ』を非常に高く評価している」と補足している。 これではまるで、石井氏が岩波版を「非常に高く評価」したように読めてしまう。それに、宮川氏が引用した『子どもと文学』の「ちびくろ・さんぼ」の章の文章を書いたのも石井氏ではなく渡辺氏なのに「石井桃子さんたち」とあるだけ。 絶版にからむ本の評価って肝心なところで、児童文学の批評の専門家(著作)にしてはかなりずさんなとらえかたよね。註のほうは、講演の原稿にあとから本人がつけくわえたそうだけど、ちゃんと読んだのかしら(読んでないほうが救いがあるともいえる)。


文学

村瀬孝雄
1960/01  
34p.
岩波書店

「ちびくろさんぼ」の魅力と子ども −心理学的考察−

宮原誠一
1954.12
『ちびくろ・さんぼ』のおもしろさ


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