Robert Todd Carroll SkepDic 日本語版 |
天使 angels天使とは肉体を持たない不老不死の精霊 (spirits)で、その知識と力は限られている。神は天使を、神を崇拝するように創った。しかし、神のもとにある天使すべてが天使のように振舞うわけではない。天使の中には魔王サタンに率いられて神への服従生活に反旗を翻し、天国を追放されたものもいる。これら地獄に住む堕天使は悪魔として知られている。 天使すべてが平等に創られているわけではない。天界のヒエラルキーには、上から下へ順に、セラフィム(熾天使)、ケルビム(智天使)、スロネス(座天使);ドミナシオン(主天使)、ヴァーチュー(力天使)、パウエル(能天使);プリンキパリティ(権天使)、アルカエンジェル(天使長)、エンジェル(天使)の9つの位階がある。エンジェルはやや異なった機能を持つ。あるものは主を崇拝するだけで何もしない。べつのあるものは地上の生き物へメッセージを伝えるために遣わされる。地球人を護るために遣わされるものもいる。悪魔との戦いに送られるものもいて、これらは悪魔の誘惑に対する教導者とみなされる。 天使は精霊であり、物理的実体を持たないにもかかわらず、天使のビリーバーは天使の姿形を描いたり、その振舞いを述べたりしてもおかまいなしである。信奉者の弁では、天使は見えないが実体化することもできる。天使はふつう翼をつけた成人か子供として描かれる。翼はあきらかに天空に住む神 の使いとしての職務に関係している。人体測定学的な特徴は不明である。描写は信仰を強調している。しかし、肉体を持たない生物を描写することはできない。人間に劣るような特徴を備えた生物を描写したところで、そんな下等なものが設計されるはずはないし、天界の生物としての価値はないだろう。しかし、肉体を持たない生物がどのように考えたり感じたりするかは非常に難問である。精霊を、肉体を持たない生物として語るのは、“丸い四角”について語るのに近いように思われる。思考や感情が肉体とはべつに生じると想像するのは、丸いボールの形状だけがボールの実体から離れて存在するのを想像するのに近い。 天使は眼に見えないが、実体化する能力を持っているので、“目撃”証言があることは理解できる。文字通り、なんでも天使でありうるし、どんな経験も天使の経験になりうるのだ。天使の存在を反証することはできない。この論の欠点は、天使を証明することもまたできない、という点だ。天使でありうるものは、すべてまた別のものでもありうるのだ。天使によって生じうる経験も、すべて別の原因によって起こったとも言いうる。天使信仰や、天使の目撃証言や、天使の経験は、すべて信仰心の問題なのだ。 しかし、もし天使が想像上の存在でしかないなら、天使は有用な存在だろう。かれら(かのじょら)は子供たちの行動を監視し、そして護るのだから。親たちは子供をしつける時、天使がいつも見張っているのよ、と教える。天使はある種のお守り役なのだが、その子供は、パパもやママの目の届かないところでも、良いこと悪いこと、やることなすことすべてを、いつも天使に見張られていると実感するかもしれない。守護天使はなかなか使い勝手の良い、有益なコンセプトで、多くの伝説の元にもなっている。本や映画やテレビの娯楽作品には、守護天使のコンセプトを用いたものがたくさんある。このうちいくつかは、オカルト的な能力を持つ超人ヒーローに転化している。 天使を愛するのは、伝統的な宗教主義者だけではない。ニューエイジ伝説を作っている連中も、天使を使って産業を興している。日々の生活の導きから死者との交感、霊的ヒーリングにいたるまでを、天使とを結びつけた本は山のようにある。天使の人形やその他関連製品を売る商売は、繁盛している。ある高貴な魂は、偉そうにこんなことを書いている:“天使に優しく導かれて、私どもは自らを癒す創造的な魂を大切に育てます。” 関連する項目:エンジェルセラピー(angel therapy)、アストラル・プロジェクション(astral projection)、魂(souls)。 参考文献
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Copyright 1998 Robert Todd Carroll |
Last Updated 10/08/98 日本語化 09/13/99 |