第2章 技術、人口、成長
テーマと独立章
技術改善の起こり方と、それが生活水準の持続的成長をどう支えるか
- 経済モデルを使うと、産業革命や、それがなぜイギリスで起きたかが説明できる。
- 賃金、機械の費用、その他の価格はすべて人々が経済的な決断を下すときに関係してくる。
- 資本主義経済では、イノベーション(技術革新)はイノベーターに一時的な報酬をもたらし、それがインセンティブとなって費用を削減する技術改善が起こる。
- そのイノベーションが経済全体に普及すると、そうした報酬は競争によって破壊される。
- 人口、労働生産性、生活水準が相互作用して、経済停滞の悪循環を創り出しかねない。
- 資本主義に関連した永続的な技術革命で、一部の国は生活水準の持続的改善へ移行できた。
1845年に、アイルランドで謎の病気が初めて出現した。ジャガイモが地中で腐ってしまい、それがわかったときにはその苗はすでに感染していて手遅れだ。この「ジャガイモ凋萎病」と呼ばれるようになったものは、その後1940年代の終わりまで、アイルランドの食料供給を激減させた。飢餓が広がった。アイルランド飢饉が終わるまでには、最初の総計として850万人が死亡した。これは比率で言えば、第二次大戦でドイツが被った死者数に匹敵する。
アイルランド飢饉は世界的な救援活動を引き起こした。カリブ海の元奴隷たち、ニューヨークのシンシン刑務所の受刑者たち、ベンガルの金持ちや貧困者、チョクトウ・アメリカ先住民たちも献金したし、オスマン帝国のスルタン・アブドルメシドやローマ法王ピウス九世など有名人も献金した。当時もいまと同じく、一般人は苦しむ他人への共感を感じ、それに応じて行動した。
でも多くの経済学者はずっと冷酷だった。中でも有名なナッソー・シニアは、イギリス政府による飢饉救援に反対し続け、かれのオックスフォード大学同僚は「アイルランドの1848年飢饉の死者数は百万人に満たないだろうし、それでは少なすぎてほとんど役に立たない」とかれが述べるのを聞いて震え上がった。
シニアの見方は道徳的に嫌悪を催すものではあるけれど、それはアイルランドの男女が死ぬのを見たいという大量虐殺の欲望の反映じゃなかった。むしろそれは、19世紀初期の最も影響力ある経済ドクトリンの一つが反映したものだ。それがマルサス主義だ。これはイギリスの聖職者トマス・ロバート・マルサスによる『人口論』(An Essay on the Principle of Population, 初版1798年)で展開された理論体系だ。1
マルサスは、一人あたり所得の持続的な増加は不可能だと主張した。
その理屈は、技術が改善して労働生産性が上がっても、人々は少しでも生活がよくなったら子供を増やす、というものだ。この人口成長は、生活水準が生存ギリギリに下がるまで続き、そこで人口成長は止まる。マルサスによる貧困の悪循環は、避けがたいものとして認められた。
ヴィクトリア朝の植民地支配者たちは、飢饉が過剰繁殖に対する自然による対応なのだと考えていたらしい。マイク・デイヴィスによれば、かれらの態度は、避けられたはずの空前の大量死をもたらしたという。デイヴィスはこれを「文化ジェノサイド」と呼んでいる。2
この理論はマルサスが暮らしていた世界の説明にはなっていた。そこでは所得が年ごとに、あるは世紀ごとにすら変動はしても、上昇トレンドにはならない。これは図1.1aで見たように、マルサスが論説を発表する少なくとも700年前から、多くの国に当てはまった。
その22年前に登場した『国富論』の著者アダム・スミスとはちがい、マルサスは経済進歩について楽観的なビジョンは提供しなかった――少なくとも一般の農民や労働者に関する限り。人々が技術改良に成功しても、長期的には大半の人は、働いてギリギリ食べていけるものしか稼げず、それ以上は無理だ、という。
- 産業革命
- 18世紀イギリスで始まった、技術進歩と組織変化の波で、これにより農業や工芸に基づく経済が、商業と工業の経済へと一変した。
でもマルサスの存命中に、その周辺では一大事が起きつつあった。その変化によりイギリスは、かれが述べたような人口成長と所得停滞の悪循環から逃れることになる。イギリスをマルサスの罠から解き放ち、その後100年で多くの国に同じことをなしとげたのは、産業革命と呼ばれるものだ――過激な発明の驚異的な開花により、同じ産出が少ない労働で生産できるようになったのだ。
繊維産業で最も有名な発明は紡績(従来は紡ぎ婦 [spinster] と呼ばれる女性が行っており、この言葉は後にオールドミスを指す言葉になった)や織物(従来は男性が行う)についてのものだ。1733年にジョン・ケイは飛び杼を発明し、これは織り手が一時間で生産できる量を大幅に増やした。すると織物に使われる毛糸の需要が激増し、紡ぎ婦たちは当時の紡ぎ車技術で十分な量を作れなくなった。この問題への対応としてジェイムズ・ハーグレイブスのジェニー紡績機が1764年に導入された。
- 汎用技術
- 多くの産業部門に適用できて、さらなるイノベーションをもたらすような技術進歩。情報通信技術 (ICT) や電力がしばしばその例として挙げられる。
他の分野での技術改善も同じくらい劇的だった。その典型がジェイムズ・ワットの蒸気機関で、これはアダム・スミスが『国富論』を発表したのと同時期に導入された。こうした機関は長時間かけてだんだん改良され、やがて経済全体で使われるようになった。最初の蒸気機関は排水ポンプを動かすのに使われたけれど、そこにとどまらず繊維、製造業、鉄道、蒸気船にも使われた。これは汎用イノベーション または 汎用技術と呼ばれるものの例だ。近年だとこれに相当するいちばん明白なものはコンピュータだ。
産業革命で中心的な役割を果たしたのは石炭で、イギリスにはこれが大量にあった。産業革命以前には、経済で使われるエネルギーのほとんどは、最終的には食用植物により生産されていた。植物は日光を動物と人々の食べ物に変えたし、樹木は燃やしたり木炭にしたりする木材を提供した。石炭への転換で、人類は実質的には蓄積された日光の大量の備蓄を活用できるようになった。その費用は、化石燃料を燃やすことによる環境的影響で、これは第1章でも見たし、20章でも検討する。
こうした発明などの産業革命のイノベーションは、マルサスの悪循環を破った。技術進歩と再生不能資源の使用増加で、人が一定時間に生産できる量(生産性)を上げ、人口が増えていても所得上昇が可能になった。そして技術が十分な速度で改善を続ける限り、所得増大に伴う人口増よりも急速に生産性が上がる。すると生活水準も上がる。そのかなり後になると、人々はたくさん子供が持てるだけの稼ぎを得ても、小世帯を好むようになる。これがイギリスで起きたことで、後に世界各地でも起こった。
Robert C. Allen. 2001. 'The Great Divergence in European Wages and Prices from the Middle Ages to the First World War'. Explorations in Economic History 38 (4): pp. 411–447; Stephen Broadberry, Bruce Campbell, Alexander Klein, Mark Overton and Bas van Leeuwen. 2015. British Economic Growth, 1270–1870, Cambridge University Press.
図 2.1 は、1264年から2001年までのロンドンでの技能職人の平均実質賃金 (物価変動について調整した、毎年の金銭賃金) の指数 を示し、あわせて同時期のイギリスの人口も示したものだ。生活水準がマルサスの理屈通りに捕らわれていた長い時期があり、続いて1830年以後に劇的な向上が見られる。その当時、生活水準と人口の両方が増えていたことがわかる。
実質賃金指数
「指数」というのは、何かの量が、他のある時点(参照点)でのその量(これを通常は100として正規化する)に比べてどのくらいかを示すものだ。
「実質」というのは、その賃金(たとえばある時代には時給が六シリングだったとか)が、時代ごとの物価変化を考慮するよう調整されているということだ。結果として、その労働者の稼いだお金の実質購買力が示される。
この場合の参照年は1850年だけれど、他のどの年を基準に選んでも、このグラフは同じ形になる。その位置はいまより高かったり低かったりはするけれど、そべてお馴染みのホッケースティック型になる。
問題 2.1 正解を選ぼう
図 2.1 は1264年から2001年までの技能労働者の平均実質賃金指数を示す。このグラフから何が言えるだろうか?
- このグラフが示しているのは実質賃金の指数だ。指数は1408年にだいたい100だけれど、でもこれは賃金の実際の額とはちがう。
- グラフに示した賃金は実質賃金だから、物価変動を考慮して調整されている。
- 1850年からの激増に比べると、1264年から1850年までのグラフはかなり一定に見えるけれど、平均実質賃金は実は1264年から1600年にかけて、倍増してからまた半減している(縦軸の目盛を見よう)
- 1850年に実質賃金指数はおよそ100だった。2001ねにはそれが六倍ほど増え、700を超えている。
なぜジェニー紡績機、蒸気機関といった一連の発明が、この時期のイギリスで生まれて広がったんだろう? これは経済史上で最も重要な問題の一つで、歴史家たちはずっと議論を続けている。
この章では、こうした技術改善の登場と、なぜそれがイギリスだけに、18世紀という時期に起きたかについての説明の一つを検討する。また図2.1のホッケースティックの平らな部分がなぜ脱出困難だったのかを検討する。これはイギリスだけでなく、その後二百年にわたる世界中でもそうだ。これをやるにはモデルを構築する。モデルは、単純化した表現で、重要なものだけに注目することで何が起きていたかの理解を助けてくれる。モデルを使うと、ホッケースティックの曲がった部分と、長く平らな柄の部分のどちらも理解しやすくなる。
2.1 経済学者、歴史学者、産業革命
どうして産業革命が最初に起こったのが18世紀で、しかもヨーロッパの沖合の島で起きたんだろうか?
この章ではこれから、18世紀イギリスで始まった、唐突で劇的な生活水準向上について、モデルを一つ示す。経済史家ロバート・アレンの議論に基づいたこのモデルは、当時のイギリス経済が持っていた二つの特徴に中心的な役割を与えている。この議論では、相対的に高い労働コストと、地元のエネルギー源の低価格とがあわさって、産業革命の構造変化をもたらしたという。3
産業革命と呼ばれているものは、単にマルサスの環を逃れるだけのことではない。それは相互に関連しあった、知的、技術的、社会的、経済的、道徳的な変化の複雑なからみあいだ。こうした要素の相対的な重要性について、歴史学者や経済学者たちの意見は分かれる。かれらはこの革命が始まったときからずっと、イギリスの優位性、あるいはもっと一般化してヨーロッパの優位性の説明と格闘してきた。アレンの説明が唯一のものなんかでは決してない。
- ジョエル・モキール(Joel Mokyr) は技術史の多くの研究で知られる。かれは、技術変化の真の源泉はヨーロッパの科学革命と、その前世紀の啓蒙主義にあると主張する。モキールにとって、この時期はエリートの科学知識をエンジニアや技能職人への実践的な助言や道具へと移転し変換する新しい手法の開発をもたらした。そのエンジニアや技能職人たちが、当時の機械を造った。かれの主張では、賃金やエネルギー価格は発明の方向を左右はしても、技術革新の原動力というよりはハンドル役でしかないという。4
- 歴史学者のデヴィッド・ランデスは、各国の国民全体としての政治文化的特徴を強調する (モキールはこれに対し、職人と起業家に注目する)。ヨーロッパ諸国が中国に先んじたのは、中国では国が強すぎてイノベーションを阻害したからであり、当時の中国文化が変化より安定性を重視したからだという。5
- 経済史研究者グレゴリー・クラークも、イギリスが離陸したのは文化のせいだという。でもクラークにとって、成功の鍵は、勤勉さや貯蓄といった文化特性で、それが先の世代へも伝えられたという。クラークの議論は、社会学者マックス・ウェーバーを含む長い伝統に連なるものだ。ウェーバーは、産業革命が始まったヨーロッパ北部地域のプロテスタント諸国が「資本主義の精神」と関連した美徳のふるさとなのだと考えた。6
- 歴史学者ケネス・ポメランツは、1800年以後のヨーロッパの成長が卓越していたのは、文化的、制度的な差のおかげよりはむしろ、むしろイギリスに石炭がたくさんあったおかげだと論じる。ポメランツはまた、イギリスが新世界植民地での農産物(特に砂糖とその副産物)にアクセスできたことが、拡大する工業労働者階級を喰わせるのに貢献し、マルサスの罠脱出に一役買ったと論じる。7
おそらく学者たちが産業革命の原因について完全に意見が一致することはないだろう。困ったことに、この変化は歴史上一回しか起きておらず、社会科学者も説明をつけにくい。またヨーロッパの離陸はおそらく、科学、人口、政治、地理、軍事の各種要因の組み合わせで生じたものだ。学者によっては、それがヨーロッパとその他世界との相互作用にも影響されており、ヨーロッパ内での変化だけが原因ではないと論じる人もいる。
ポメランツのような歴史学者は、ある時と場所の特異性に注目したがる。かれらはは、産業革命は有利な条件のユニークな組み合わせのおかげでおこったと結論しがちだ(それがどの条件かは、意見がわかれるだろうが)。
アレンのような経済学者は、時間と空間がちがっても成功と失敗を説明できるような一般的な仕組みを探そうとしがちだ。
経済学者が歴史学者から学べることは実に多いけれど、歴史学者の議論はしばしば、モデルを使って検証できるほどの厳密さはない(モデルによる検証アプローチは本章で行う)。逆に歴史家たちは、経済学者たちのモデルと単純すぎると思い、重要な歴史的事実を無視しているという。この創造的な緊張関係こそが、経済史を実におもしろい分野にしいている。
これらの学者がお互いの業績をどう思っているか知りたければ「グレゴリー・クラーク ジョエル・モキール 書評 (Gregory Clark review Joel Mokyr)」 とか 「ロバート・アレン グレゴリー・クラーク 書評(Robert Allen review Gregory Clark)」とか検索してみよう。
最近では、経済史家たちは超長期にわたる経済成長の定量化で進歩をとげた。かれらの研究のおかげで、何が起きたかを明確にしやすくなり、なぜそれが起きたかについても考えやすくなった。そうした研究の一部は、長期における各国の実質賃金を比べたりしている。これは、労働者たちの消費する財の価格と賃金の両方 を集める必要がある。さらに野心的なプロジェクト群は一人あたりGDPを中世までさかのぼって計算している。
ここではイギリスの離陸に貢献した経済条件だけに注目するけれど、マルサスの罠を脱出した経済はすべて、ちがった脱出路をたどっている。初期の追随国の国としての軌跡は、世界経済でイギリスが果たすようになった支配的な役割にある程度は影響されている。たとえばドイツは、繊維ではイギリスに太刀打ちできなかったけれど、政府と大手銀行が大きく活躍をして、鉄鋼などの重工業を構築した。日本は、一部のアジア繊維市場ではイギリスさえ出し抜いた。これは初期の離陸国からの物理的な距離(当時は何週間もかけなければたどりつけなかった)からの孤立の恩恵を受けていたからだ。
日本は、技術と制度をどちらも選択的に真似て、資本主義経済システムを導入しつつ、伝統的な日本の制度の多く、たとえば天皇統治などは温存した。これは第二次大戦での敗戦まで続くことになる。
インドと中国はさらに大きくちがっている。中国が資本主義革命を体験したのは、共産党が中央計画経済(()その党自身が実施してきた資本主義のアンチテーゼ)からの離脱を導いたときだった。これに対してインドは、資本主義革命に先立って普通選挙を含む民主主義を採用した、歴史上初の大規模経済となった。
第1章で見た通り、産業革命はあらゆるところで経済成長をもたらしたわけではない。イギリス発祥で、世界の他の部分に広がるのは遅かったから、各国の所得格差も大きく広がることになった。19世紀と20世紀の世界各地の経済成長を見たデヴィッド・ランデスはかつてこう問うた:「なぜ私たちはこんなに豊かでかれらはあんなに貧しいのだろうか?」8
ここで「私たち」というのは、ヨーロッパと北米の豊かな社会のことだ。「かれら」というのは、アフリカ、アジア、南米のもっと貧しい社会のことだ。ランデスは、この質問に対しては基本的に二つの答があると、ちょっといたずらっぽく述べている:
一説では、私たちがこんなに豊かでかれらがあんなに貧しいのは、私たちがとても優秀で、かれらが実にダメだから、ということになる。つまり私たちは勤勉で、知識豊かで、教育もあり、統治も優れ、効率的で生産的なのに、かれらはその反対だ、というわけだ。もう一つの説は、私たちがこんなに豊かでかれらがあんなに貧しいのは、私たちがとてもダメでかれらが実に善良だから、というものだ。私たちは貪欲で、無慈悲で、収奪的で攻撃的なのに、かれらは弱く、無垢で、美徳にあふれ、収奪され、寄る辺ないから、というわけだ。
産業革命がヨーロッパで起きたのはプロテスタント宗教改革や、ルネサンスや、科学革命や、優れた私有財産権の発達や、優れた政府政策のせいだと思うなら、その人は前者に属する。もしそれが植民地主義や奴隷制や、絶え間ない戦争の要求のせいで起きたと思うなら、その人は後者だ。
いまのがすべて、経済以外の力だというのは気がついただろうか。一部の学者は、これらが重要な経済的意味を持っていたと述べる。そしておそらく、ラアンデスの二つの答のどっちが正しいかという問題は、イデオロギー的な色彩を強く帯びかねないのもわかるはずだ。でもランデスが指摘するように「片方の説がもう片方を必ずしも排除するかどうかは(中略)はっきりしない」
2.2 経済モデル: 見るものを減らすことで理解を高める
経済で何が起こるかは,何百万人もの人々の行動次第で、その決断が他の人々の行動にどう影響するかにも左右される。その人々の行動や相互作用をすべて細かく記述して理解するのは不可能だ。一歩下がって全体像を見るようにしなければいけない。このためにはモデルを使う。
有効なモデルを造るには、経済の中で答えたいと思っている問題に関係する本質的な特徴(これはモデルに含めるべき)と、無視できるどうでもいい細かい話とを区別する必要がある。
- フロー
- 一定時間内ではかられた量、たとえば年間所得や時給など。
モデルにはいろいろある――そして第1章ですでに、図1.5、1.8、1.12という三つを見た。たとえば 図 1.12 は、経済的な相互作用が財 (たとえば洗濯機を買うなど)、サービス (散髪を買ったりバスの乗車を買ったりするなど)、人(一日雇い主のために働くなど)のフローを示している。
図 1.12 は、経済の中、経済同士、経済とバイオスフィアの間で起きるフローを示す図式モデルだ。このモデルは「現実的」ではない――経済もバイオスフィアも、まるでこんな形はしていない――それでもこうしたものの関係は示している。モデルが多くの細部を落としているというのは事実だけれど――そしてこの意味で非現実的ではあるけれど――それはモデルのよい特徴であって、バグではない。
マルサスによる、技術進歩が生活水準を上げることはできないという説明もまたモデルに基づいている。所得と人口の関係についての簡単な記述だ。
経済の仕組みを明らかにして検討するために、物理的なモデルを使った経済学者もいる。アーヴィング・フィッシャーは、1891年のイェール大学博士論文で、経済でのフローを示す水流式の装置 (図 2.2) を設計した。これは、相互につながったレバーや浮かぶ貯水槽で構成され、財の価格が供給されるそれぞれの財の価格や、消費者の所得、かれらが財をどの程度評価しているかで決まることが示されている。すべての貯水槽の水面が、まわりのタンクの水面と同じ高さになったら、この仕掛け全体が動きを止める。止まったとき、それぞれの貯水槽の中にある区画の一が、それぞれの財の価格に対応する。その後25年にわたり、フィッシャーはこの仕掛けを使って生徒たちに市場の仕組みを教えるのだった。
William C. Brainard and Herbert E. Scarf. 2005. 'How to Compute Equilibrium Prices in 1891'. American Journal of Economics and Sociology 64 (1): pp. 57–83
経済学でのモデルの使い方
フィッシャーによる経済研究を見ると、あらゆるモデルの使われ方がわかる:
- まず価格決定に関係すると思った経済の中の要素をとらえたモデルを構築した。
- 次にそのモデルを使い、そうした要素同士の相互作用が、変わらない価格の集合をもたらせることを示した。
- 最後にモデルで実験をして、経済条件の変化がどんな影響をもたらすかを突き止めた: たとえば、もしある財の供給が増えたら価格はどうなるだろうか?その他すべての財の価格はどうなる?
アーヴィング・フィッシャーの博士論文は、経済を巨大な水槽としてあらわしたけれど、でもかれは偏屈な発明家なんかではなかった。それどころか、この機械はポール・サミュエルソン(これまた20世紀最高の経済学者の一人)によって「経済学の博士論文として史上最高のもの」とすら呼ばれている。フィッシャーはそこから、二十世紀で最も評価の高い経済学者の一人になり、かれの研究は第10章で扱う借入と融資の現代理論の基盤となった。
- 均衡
- 自律的に維持されるようなモデルの結果。この場合、関心対象になっているものは、モデルの状況記述を変えるような外部の力が導入されない限り変わらない。
フィッシャーの機械は経済学で重要な概念を示している。均衡というのは、自律的に維持される状況だ。つまり関心対象になっているものは、モデルの状況記述を変えるような外部の力が導入されない限り変わらない。フィッシャーの水流装置は、水面が等しくなることで均衡をあらわした。これが一定の物価を示す
- 自給自足水準
- 人口が増えも減りもしない生活水準(消費または所得で測る)。
後の章で、価格を説明するときに均衡の概念を使うけれど、これをマルサスモデルにも適用しよう。自給自足水準の所得は均衡だ。フッシャーの機械での様々な水槽に見られる水面の高さのちがいと同じく、自給自足水準から外れるような動きは、自律的に修正されるからだ。人口が増えるにつれて自動的に自給自足水準に戻るということだ。
均衡というのはつまり、モデルの中の一つ以上のものが一定ということなのに注意しよう。何一つ変わらないという意味じゃない。たとえば、GDPは増え続けるけれどその率が一定という均衡もあり得る。
みなさんが自分で水流モデルを組み立てることはたぶんないだろう。でも紙の上や画面上で、多くの既存モデルを使うことにはなるし、ときには経済について独自のモデルを作ったりもするはずだ。
モデルを作るときのプロセスは、次のステップをたどる:
- 人々が行動をとる際の条件について、単純化した記述を構築する。
- それから、人々のとる行動を決めるのが何かについて、単純な形で記述する。
- 人々の行動のそれぞれが、お互いにどう影響するかを見きわめる。
- こうした行動の結果をみきわめる。これは均衡(何かが一定)となることが多い。
- さあ囲碁に、条件が変わったときに各種変数がどうなるかを観察して、洞察を得ようとする。
経済モデル
よいモデルには四つの属性がある:
- 明確であること: 何か重要なことを理解しやすくしてくれる。
- 正確に予測できる: モデルのy遅くは実際の証拠と整合している。
- コミュニケーションを改善: みんなが何について合意しているか (そしてしていないか) を明確にしてくれる。
- 有用であること: 経済の働きを改善する方法を見つけるのに使える。
経済モデルはしばしば言葉や絵だけでなく、数式やグラフを使う。
数学は経済の言葉の一部で、モデルについての主張を正確に伝えるのに役立つ。でも経済学の知識の相当部分は、数学だけでは表現できない。標準化された用語定義を使った、明確な記述が必要だ。
モデルを記述するのに、言葉だけでなく数学も使おう。通常はグラフという形でそれをやる。必要なら、グラフの背後の数式も見られる。余白に「ライプニッツ(数学補遺)」への参照があるから、それを探そう。
モデルは、人々の行動についての何か想定や仮説から出発し、経済について何が観察されるかについての予測を与えてくれることが多い。経済についてのデータを集め、それをモデルの予測と比べることで、モデルを作ったときの想定――何を含め、何を入れないか――が正当だったかを見きわめるのに役立つ。
政府、中央銀行、企業、労働組合、その他政策を立案したり予測したりする人はだれでも何らかの単純化したモデルを使う。
ダメなモデルはひどい政策をもたらしかねない。これは後で見る通り。モデルに自信を持つためには、それが証拠と整合しているか見る必要がある。
マルサスの自給自足生活水準の悪循環と、永続的技術革命を描いた経済モデルはこの試験に合格しているのを確かめよう――ただし、そのモデルでも多くの質問には答えられないままだ。
練習 2.1 モデルの設計
好きな国(または都市) について、鉄道網や公共交通網の地図を探そう。
経済モデルと同じく、地図も現実の単純化した表象だ。関連する情報は含まれているけれど、関係ない細部は抽象化して抜いてある。
- 選んだ地図について、デザイナーは現実の中からどの特徴を含めようか決めるときに、どんな考え方をしたと思うだろうか?
- 地図と経済モデルはどんなところがちがっているだろう?
2.3 基本概念: 価格、費用、イノベーションレント
- ceteris paribus
- 「他の条件が同じなら」。経済学者はしばしば、関心対象の問題にとってあまり重要でないと考えるものを脇に置いておくことで分析を単純化する。この用語の文字通りの意味は「他の条件が同じなら」ということだ。経済モデルでは、分析で「他のものは一定に保つ」ということだ。
- インセンティブ
- 経済的な報酬や罰で、行動の様々な選択肢の費用や便益に影響する。
- 相対価格
- 他のものと比較した、ある財やサービスの価格(通常は比率で表現)。
- 経済レント
- ある個人が、次善の選択肢(または保留選択肢)で受け取ったはずのものにくらべて多く受け取っている分の支払いなどの便益「留保選択肢」も参照。
この称では、新技術が選ばれる状況を説明する経済モデルを構築する。過去の時代の選択と、現代経済での選択の両方を扱おう。経済モデルの4つの重要な考え方を使う。:
- Ceteris paribus(他の条件が同じなら) など、関心ある変数だけに集中させてくれる各種の単純化。見るものを減らすことで理解を高める。
- インセンティブは重要だ。これは別の行動ではなくその行動をとるときの、費用と便益に影響するからだ。
- 相対価格は代替案の比較に役立つ。
- 経済レント は、人々が選択を行うときの根拠になる。
経済学の実践勉強プロセスの一部は、新しい用語を学ぶことだ。以下の用語は、これからの章でも頻出するので、それを厳密に自信をもって使えるようにするのが重要だ。
Ceteris paribusと単純化
科学の探究の常として、経済学者はしばしば、注目している問題にはあまり重要でなさそうなものを脇に置いておく。そのときに使うフレーズが「他の条件が同じなら」、ラテン語でceteris paribusだ。たとえばこの教材でこの先、人々が何を買おうとするかの分析をするとき、価格のちがいに注目する――そして行動に影響を与える他の要因、たとえばブランド・ロイヤリティや、他の人にどう思われるかといったことは無視する。「決定を左右しそうな他のすべては同じで、価格だけが変わったら、何が起こるかな」と考えるわけだ。このceteris paribus想定は、うまく使えば、重要な事実を歪めることなく見通しをはっきりさせる。
資本主義経済システムが技術改良を促進するやり方を研究するときには、賃金の変化が企業の技術選定をどう左右するかを見る。考えられるいちばん簡単なモデルでは、賃金以外の条件をすべて「一定に保つ」。つまり次の前提を置く:
- すべての投入の価格は、どの企業でも同じ。
- すべての企業は他の企業が使っている技術を知っている。
- 企業所有者たちのリスクに対する態度はすべて同じ。
練習 2.2 ceteris paribusを使ってみよう
傘の市場のモデルを作りたいとしよう。そこでは、ある店で売れる傘の予想本数が、ceteris paribusならその傘の色と価格に左右される。
- 売上げ本数を予測するのに使われる変数は色と価格だ。他の一定に保たれる変数は何だろう?
このモデルでは、以下のどの質問に答えられるだろうか?それぞれについて、その質問に答えられるようにするにはモデルをどう改良すべきかも述べよう。
- 傘の年間販売本数が、他の町より首都でのほうが多いのはなぜ?
- 首都の傘販売店の中でも、店によって年間販売本数がちがうのはなぜだろう?
- 過去六ヶ月で首都での傘の年間販売本数が増えたのはなぜだろう?
インセンティブは重要
フッシャーの水流経済機械の水は、いくつかの財の「需要」や「供給」の量を変えると動き、価格は均衡状態からずれてしまった。なぜだろう?
- 重力が水に作用して、いつもいちばん低いところに向かわせる。
- 水路で水はいちばん低いところを見つけ出せるけれど、その流れの方向は制約される。
すべての経済モデルには重力に相当するものと、どんな動きが可能かという記述がある。重力に相当するものは、何らかの行動をとることで、人々はいちばんよい状態を得ようとするという想定だ(何がよい状態かという何らかの基準に基づいて)。
フィッシャーの機械で水の自由な動きが何に対応するかといえば、人々はあーしろこーしろと指図されるのではなく、各種の行動を自由に選べるということだ。ここで人々の選択に経済インセンティブがきいてくる。でも、何でもやりたいことができるわけでもない。あらゆる水路が開かれているわけではないのだ。
多くの経済モデルと同じく、永続的な技術革命を説明するのに使うモデルは、人々や企業が経済インセンティブに反応するという考え方に基づいている。第4章で見るように、人々は物質的な利得だけでなく、愛、憎しみ、義務感、承認欲求でも動く。でも物質的な快適性は重要な動機だし、経済インセンティブはこの動機に働きかける。
企業の所有者や経営者が、労働者を何人雇おうとするか決めるとき、あるいは買い物客が何をどれだけ買おうか決めるとき、その決定を左右する要因として価格は大きい。角の店よりディスカウントスーパーでの価格のほうがずっと低くて、しかもあまり遠くなければ、店よりスーパーで買おうという主張が強くなる。
相対価格
多くの経済モデルの3つ目の特徴は、絶対水準よりも比率のほうに興味がある場合が多いということだ。経済学派、代替案や選択肢に注目する。どこで買い物するか決めるときには、重要なのは角の店での値段だけでなく、その価格がスーパーの価格や、スーパーまで足を運ぶ費用に比べてどうか、ということだ。このすべてが5%あがっても、意思決定は変わらないはずだ。
相対価格は、ある選択肢の価格が他の選択肢に比べてどのくらいか、というだけのことだ。相対価格はしばしば、二つの価格の比率で示される。これは買い物客(あるいは通常は消費者と呼ぶもの)が何を買おうとするかだけでなく、なぜ企業が各種の選択をするのかを説明するときにも大きな役割を果たすことをこれから示す。産業革命を勉強するときには、エネルギー価格(たとえば蒸気機関を動かす石炭の値段)を賃金率(労働者の時間一時間の値段)に比べたときの比率が、説明で重要な役割を果たすのを見ることになる。
留保ポジションとレント
音を高音質で再生する新しいやり方を考案したとしよう。その方式は、他のどんな手法よりも安上がりだ。競合他社はそれを真似できない。それはやり方を解明できないからかもしれないし、あるいはその方法に特許がおりている (したがって真似をしたら違法) からかもしれない。そこで他社は、こちらの費用よりずっと高い価格でサービス提供を続ける。
他社と同じ価格でサービス提供をしたり、ほんの少しでも安く提供したりすれば、作る端から売れるので、同じ値段をつけても、競合他社よりずっと高い利潤が得られる。この場合、イノベーションレントが発生していると言う。イノベーションレントは、経済レントの一形態だ――そして経済レントは、経済の至るところで生じている。これは資本主義がこんなにダイナミックなシステムになっている理由の一つだ。
イノベーションレントの発想を使って、産業革命に貢献した要因のいくつかを説明してみよう。でも 経済レント はとても広範な概念なので、経済の他の多くの特徴をいろいろ説明できる。
何か行動(行動Aとしよう)をとったとき、それが次善の行動に比べて大きな便益を自分にもたらす場合、それは経済レントを受け取ったと言う。
この用語は、日常的な「レント(賃料)」という用語と混乱しやすい。たとえば、一時的に車やアパート、土地を借りるときのレンタル料や地代などだ。この混乱を避けるために、経済レントの話をするときには、「経済」ということばを強調する。経済レントというのは、こちらとして得たい便益であって、こちらが支払うお金ではないことをお忘れなく。
- 留保オプション
- ある取引において、あらゆるオプション(選択肢)の中で、次善の選択肢。フォールバックオプションとも言う。「留保価格」も参照。
次善の純便益を持つ代替アクション(アクションB)は、しばしば「次善の選択肢」、「留保ポジション」、あるいはここで使う用語: 「留保オプション」と呼ばれる。これは、Aを選ばなかった場合に備えて「留保」されているわけだ。あるいはAを享受していたのに、だれかにその状態から排除されてしまったら、留保オプションがその控えの計画というわけだ。だからこれは「フォールバックオプション」とも言われる。
経済レントは、単純な意思決定ルールを与えてくれる:
- もしアクションAが経済レントを与えてくれるなら(そしてそれで他のだれも苦しまないなら): やれ!
- すでにアクションAをやっていて、それが経済レントを稼いでくれるなら: そのまま続けろ!
この意思決定ルールは、なぜ企業がある技術から別のものへと切り替えてイノベーションを起こすかという説明の根底にある。次節では、技術の比較からはじめよう。
問題 2.2 正解を選ぼう
次の中で経済レントはどれ?
- これは日常用語でのレント(賃料)だ。経済レントは、こちらとして手に入れたいものであって、他の人に支払うお金じゃない。
- 経済レントは、次善の選択肢にくらべてどれだけたくさん稼げるか、という話だ。この場合だと、その土地をだれか別の人に同じ料金で又貸しするのに比べたときの追加の稼ぎとも言える。(訳注: この説明はたぶん原文のコピペまちがい。レンタカー料金も英語の日常用語でのレント(賃借料)であって、経済レントではない、といったようなものが正しい説明)
- この形の経済レントは、イノベーションレントと呼ばれる。ここでは利潤は、新技術採用のおかげで次善の選択肢で得られる以上の利潤が得られている。
- これは、頑張って働いた見返りとして稼げる通常の利潤だ。経済レントは、次善の選択肢(たとえば他の仕事で頑張って働く)以上にどれだけ稼ぐか、ということだ。
2.4 ダイナミックな経済をモデル化: 技術と費用
こういうモデル化のアイデアを、技術進歩の説明に適用しよう。この節では次を考える:
- 技術って何だろう?
- 企業は各種技術の費用をどう評価するんだろう?
技術って何だろう?
エンジニアに、布を100メートル生産するために使える技術について報告してくれと頼んだとしよう。そこでの技術の投入(それぞれが標準の一日八時間働く労働者数)とエネルギー(石炭のトン数)を示してくれというのだ。その答えhz、図2.3 の表とグラフに示した。表の5つの点は、五つのちがう技術をあらわす。たとえば技術Eは、布100メートル作るのに、労働者10人と石炭1トンを使う。
図 2.3の5つのステップをたどって、5つの技術を理解してみよう。
ここでE技術は比較的労働集約的で、A技術は比較的エネルギー集約的だとしている。もし経済が技術Eを使っていて、それが技術AやBの使用にシフトしたら、省労働技術を採用したといえるだろう。この二つの技術だと、100メートルの布を作るのに必要な労働は、技術Eよりも少ないからだ。産業革命で起きたのはそういうことだ。
- 支配される
- プラスの価値を持つ何かが、プラスの価値を持つどんなものでも少なくないもので実現されるときに、その結果は支配されていると表現する。つまり、その結果に対して、みんなが得をするような別のやり方があれば支配されている。
企業はどの技術を選ぶだろうか? 第一歩として、明らかに劣った技術を外していこう。図 2.4 のA技術から初めて、他の技術でAと同じかそれ以上に労働や石炭を使うものがあるかを見てみる。C技術はA技術に劣っている。布100メートルを造るのに、使う労働者も(1人ではなく3人)石炭の量も(6トンではなく7トン)多い。C技術はA技術に支配されている という: すべての投入について費用を支払う必要があるなら、技術Aがあるときに技術Cを使おうとする企業はない。図2.4のステップは、どの技術が支配的で、どの技術が支配されているかを見るやり方を示している。
投入についてのエンジニアリング的な情報だけを使うことで、選択肢が狭まった。C技術とD技術は絶対に選ばれない。でも企業としては、 A、 B、Eのどれを選ぼうか? これを見るには、その企業が何をしたいのかについて、想定が必要になる。この企業は、できるだけ大きな利潤をあげたがっているとしよう。つまり、布を最低限の費用で生産したいということだ。
技術についての意思決定をするには、相対価格に関する経済的な情報も必要だ。つまり、労働者を雇う価格が、石炭1トンを買う価格に比べてどのくらいなのか、ということだ。直感的には、もし労働が石炭に比べてとても安かったら、労働集約的なE技術が選ばれるだろう。エネルギー集約的なA技術は、石炭が相対的に安い状況では望ましいものになる。経済モデルを使えば、これより厳密な話ができる。
企業は各種の技術を使ったときの生産費用をどんなふうに評価するだろう?
企業が各種の投入の組み合わせを計算するときには、それが使う労働者の数に賃金をかけて、石炭のトン数に石炭の価格をかける。賃金は wage なので w であらわし、労働者の数は労働 (Labor) にちなんで L、石炭の価格 (price) は pで、石炭のトン数は R で示すと:
- 等費用曲線
- ある総費用を与えるあらゆる組み合わせを示す点を結んだもの。
賃金が £10 で、石炭の価格が1トンあたり £20 だったとする。図 2.5の表では、労働者2人を雇い、石炭2トンを使う費用を計算した。これは £80になる。これはグラフでは点Pの組み合わせに相当する。もしこの企業がもっと労働者を雇い――たとえば6人とか――石炭の投入を1トンに減らせば (点 P2)、これまた総費用は £80だ。図2.5のステップをたどって、投入のあらゆる組み合わせについて総費用を比べるための 等費用曲線 を計算する方法を理解しよう。
等費用曲線は、同じ費用となる労働者と石炭の組み合わせをすべて結んでいる。これを使えば、いま残っている(つまり支配低位でない)A, B,Eという3つの技術の費用を比べられる。
図 2.6 の表は、賃金が£10 で石炭価格が £20のときに布100メートルを生産する費用を示す。明らかに、B技術を使うと企業は最低の費用で布を生産できる。
この図では、等費用曲線を、B技術を示す点を通る形で描いた。これですぐにわかるのは、この投入価格だと (賃金は労働の「価格」だというのを思い出そう)、他の二つの技術のほうが高くつくということだ。
図 2.6 を見ると、w = 10 で p = 20 のときは、Bが費用最小の技術だというのがわかる。他の使える技術は、この投入価格だと採用されない。ここで重要なのは、相対価格であって絶対価格ではないことに注意しよう。両方の価格が倍になっても、図はほとんど変わらない。Bを通る等費用曲線は、費用は£160になっても、同じ傾きを持つ。
これで、どんな賃金 w とどんな石炭価格 p についても、等費用曲線を方程式で表せる。これをやるために、生産費用を c で表そう。まず生産費用の式から始める:
つまり:
これはcのどんな値についても等費用曲線を描くやり方の一つだ。
等費用曲線を描くには、これを次のような形にすると便利だ:
ここで aは定数で、縦軸との切片だ。b は線の傾きになる。このモデルでは、石炭のトン数 R が縦軸で、労働者数 L が横軸にあるので、線の傾きは石炭価格との相対で見た賃金 −(w/p) だとわかる。等費用曲線は右肩下がりになっているので、等式 −(w/p) の傾きを表す係数はマイナスだ。
という等式は次のように移項しよう:
そしてさらに、次のように変形しよう(両辺をpで割ろう):
すると w = 10 で p = 20 なら、 c = 80 の等費用曲線は、縦軸との切片が 80/20 = 4 で、直線の傾きはマイナスで −(w/p) = −1/2 となる。この傾きは労働の相対価格だ。
練習問題 2.3 等費用曲線
賃金は £10 で、石炭の価格はたった £5だとしよう。
- 労働の相対価格はいくつだろう?
- 文中のやり方を使って、 c = £60 の等費用曲線の式を書き、それを y = a + bx という標準形に変形しよう。
- £30 と £90 の等費用曲線も標準形で書いて、その3本の線を同じグラフ上に引いて見よう。この投入価格での等費用曲線は、 w = 10 で p = 20 の場合と比べてどうなっているだろう?
2.5 ダイナミックな経済をモデル化する: イノベーションと利潤
賃金が£10 で石炭の価格が £20なら、費用最少の技術が B だというのを見た。
この二つの投入の相対価格が少しでも変われば、等費用曲線の傾きも変わる。図2.7の三つの技術の位置を見ると、もし等費用曲線がかなり急になれば (つまり賃金が石炭費用に比べて高くなれば) Bはもはや費用最少の技術ではなくなるはずだとわかる: すると企業はAに切り替える。18世紀のイギリスで起きたのはそういうことだ
相対価格の変化でこれがどのように引き起こされるか見てみよう。仮に、石炭の価格が £5 に下がり、賃金は£10のままだとしよう。
図 2.7 の新しい価格を使った表を見ると、A技術を使えば企業は布100メートルを最少の費用で生産できる。石炭が安くなったので、どの生産手法も安くはなったけれど、エネルギー集約的な技術がいまや一番安上がりだ。
どこかの点(たとえばA)を通る等費用曲線を描くときには、A での費用を計算し (£40)、それから同じ費用を持つ他の点を探そう。それを見つけるいちばん簡単な方法は、いちばん端の F や G の点を探すことだ。たとえば石炭をまったく使わない場合、労働者 4人を雇えば £40になる。これが点 F だ。
図2.7 を見ると、新しい相対価格の場合に A 技術が £40 等費用曲線に乗っていて、他に使える二つの技術はそれより上だ。A技術が使えるなら、この二つは選ばれない。
費用削減イノベーションはどうやって企業の利潤を増やす?
次のステップは、石炭に対する労働の相対価格が上がったときに、費用最少技術(A) をいちはやく採用した企業の利得を計算することだ。他のすべての競合他社と同じく、この企業も最初はB技術を使って費用最小化を図っていた。これは図2.8で、Bを通る点線の等費用線 (端点はHとJ) で示されている。
相対価格が変わると、B技術を通る新しい等費用曲線は傾きがきつくなり、新しい生産費用は £50になる。A技術に切り替えれば(こちらはエネルギー集約的で労働の集約度は低い)、100メートルの布を生産するのに £40ですむ。図2.8のステップをたどって、新しい相対価格で等費用曲線がどう変わるかを見よう。
企業の利潤は、産出を売った売上から費用を引いたものに等しい。
新旧どちらの技術を使おうと、労働と石炭には同じ価格を支払わねばならないし、布100メートルの販売で受け取る価格も同じだ。だから利潤の変化は、新技術の採用による費用の低下に等しいので、布100メートルあたり利潤は £10 増える:
この場合、BからAに切り替える企業の経済レントは、布100メートルあたり £10 で、これは新技術が可能にした費用削減分だ。意思決定ルール (経済レントがプラスなら、それをやれ!) は、企業にイノベーションをうながすわけだ。。
- 起業家
- 新技術や新しい組織形態などの機会を生み出したり早めに採用したりする人物。
ここでの例だと、A技術は存在はしても、最初に採用した企業が労働の相対価格上昇で生じたインセンティブに反応するまでは使われていなかった。最初に採用した企業は 起業家と呼ばれる。ある人物や企業が起業家だというのは、新技術を積極的に試したり、新事業を開始したりする意思を指す。
経済学者ジョセフ・シュムペーター (下を参照) は、起業家による技術改善の採用を資本主義のダイナミズムの説明に関する重要なポイントにした。だからイノベーションのレントはしばしば、シュムペーター的レントと呼ばれる。
イノベーションのレントはいつまでも続くものじゃない。他の企業は、起業家が経済レントを実現しているのに気がついて、やがて新技術を採用する。するとみんな費用を引き下げて、利潤も増える。
- 創造的破壊
- 旧技術や適応できない企業が新しいものに競合できないため、押しやられてしまうプロセスを、ジョセフ・シュムペーターはこう呼んだ。彼の見方だと、儲からない企業の破綻は、労働や資本財を解放して新しい組み合わせで使えるようにするので、創造的なんだ。
ここでの場合、費用の低い企業は、布100メートルあたりの利潤が高いので栄える。彼らは布の生産量を増やす。新技術を採用する企業が増えれば、市場への布の供給が増えて、価格も下がり始める。このプロセスが続けば、みんなが新技術を使うようになり、その段階で価格はだれもイノベーションのレントを稼げないところまで下がる。古いB技術にこだわった企業は布の新しい低価格では費用をまかなえないので、破産する。ジョセフ・シュムペーターはこれを創造的破壊と呼んだ。
問題 2.3 正解を選ぼう
図 2.3 は、布100メートルの生産に使えるいろいろな技術を示した。
グラフを見ると何が言えるだろうか?
- D技術はCより労働者をたくさん使い、石炭の使用は少ないので、Cより労働集約的だ。
- B技術はD技術より使う労働者も石炭のトン数も少ないから、Dを支配する。
- A技術は、石炭価格が賃金水準よりずっと高くなればB、D、Eより高くつく。
- C技術は、Aより労働者も石炭もたくさん使うので、Aに支配されている。だからAより安い技術になることは絶対にない。
問題 2.4 正解を選ぼう
図 2.8の等費用曲線3本を見よう。
この情報に基づけば、どんな結論が出せるだろうか?
- この価格だと、N と B は同じ等費用曲線上にある。この二つの投入の組み合わせは同じ費用になる。
- 価格比率は、等費用線の傾きに等しい。等費用線MNとFGは同じ傾きなので、それが同じ価格比率を示すこともわかる。MNはFGより上にあるので、総費用はMNのほうが高い。
- 等費用線FGは、傾き-2 (石炭2トンを労働者1人で代替すれば総生産費用は同じままだ)だ。等費用線HJは傾き -0.5 (石炭1トンを労働者2人で代替すれば費用は同じまま)だ。つまりHJ上では労働は相対的に安い、あるいは等費用線HJは低い賃金/石炭価格だということだ。
- 等費用線は、総生産費用が同じになるあらゆる労働者と石炭トン数の組み合わせを示す。等費用線HJ上なら、点B(労働者4人と石炭2トン) でこの技術が布100メートルを生産できる。この線上に他の技術が乗っていても、それが布100メートルを生産できるとは限らない。
えらい経済学者 ジョセフ・シュムペーター (Joseph Schumpeter)
- 進化経済学
- 技術イノベーション、新しい社会規範の普及、新制度の発展など、経済変化のプロセスを研究するアプローチ。
ジョセフ・シュムペーター (Joseph Schumpeter, 1883–1950) は、現代経済学で最も重要な概念の一つを考案した。それが創造的破壊だ。
シュムペーターは、資本主義経済システムにおける中心的なアクターとして、起業家という概念を経済学に持ち込んだ。起業家は新製品、新生産手法を導入し、新しい市場を開拓する変化のエージェントだ。模倣者がそれに続くことで、イノベーションが経済に普及する。新しい起業家とイノベーションが次の上昇を引き起こす。
シュムペーターにとって、創造的破壊は資本主義の本質的な事実だった。旧技術や適応できない企業が新しいものに競合できないため、押しやられてしまう。生産費用をカバーできる価格での商品販売では市場で競争できないからだ。儲からない企業の破綻は、労働や資本財を解放し、新しい組み合わせで使えるようにする。
この分散プロセスは、生産性の継続的改善を生み出し。これが成長につながるので、シュムペーターはそれがよいことだと論じた。9古い企業の破壊も新企業の創造も時間がかかる。このプロセスの遅さにより、経済の急上昇や停滞が起こる。進化経済学と呼ばれる一派 (これについての論説は Journal of Evolutionary Economics で読める) は明らかにその起源をシュムペーターの研究にまで遡れるし、また起業家精神やイノベーションを扱う現代の経済モデルのほとんども、シュムペーターが源流だ。シュムペーターの思想や意見を当人の言葉で読むには10 11を見て欲しい。また彼の業績に関して経済思想史研究者ロバート・スキデルスキーの書いたオンライン論説も読める12。
シュムペーターはオーストリア=ハンガリー生まれだけれど、1932年にナチ党が選挙で勝ち、1933年の第三帝国発足に向かおうとしたときにアメリカに移住した。第一次世界大戦や1930年代の大恐慌も体験し、遺作となった論説は「社会主義への行進」というもので、経済における政府の役割増加と、その結果として生じる「人々の経済活動が民間から公共圏へと移行する」ことに懸念を表明するものだった。オーストリアでの若き教授として、彼は大学の司書と決闘をして、生徒たちが書籍にアクセスできるようにした。また、若い頃には野心が三つあったと主張した。世界最高の経済学者になること、世界最高の愛人となること、世界最高の乗馬士になることだ。そして、この三つすべてに成功できなかったのは、騎士道が衰退したからでしかないと付け加えた。
2.6 イギリスの産業革命と新技術のインセンティブ
産業革命以前には、布織り、糸紡ぎ、家族のための衣服作りはほとんどの女性にとって、時間のかかる作業だった。独身女性が英語で「spinster (紡ぎ婦)」と呼ばれるのは、糸紡ぎが彼女たちの主要な仕事だったからだ。
歴史研究者イヴ・フィッシャー (Eve Fisher) の計算によると、当時シャツを作るためには500時間の糸紡ぎを必要で、合計で579時間の労働が必要だった—今のアメリカの最低賃金だと 4,197.25かかる。
ジェニー紡績機などの発明は何をしたんだろうか? 最初のジェニー紡績機にはスピンドルが8つあった。だから大人たった1人が動かす機械一台は、紡ぎ車8台を動かす紡ぎ婦8人を置きかえられる。19世紀末になると、ごく少数の人が操作する1台のミュール紡績機は1000人以上の紡ぎ婦の替わりになった。こうした機械は人間のエネルギーには頼らず、最初は水車、後には石炭動力の蒸気機関で動いた。図 2.9 は、産業革命で起こったこうした変化をまとめたものだ。
古い技術 | 新しい技術 |
---|---|
労働者たくさん | 労働者わずか |
機械わずか (紡ぎ車) | 資本財たくさん (ミュール紡績機、工場建築、 水車や蒸気機関) |
人間のエネルギーだけ | エネルギー(石炭)が必要 |
労働集約 | 労働節約 |
資本節約 | 資本集約 |
エネルギー節約 | エネルギー集約 |
産業革命での紡績技術の変化。
前節でのモデルは、なぜわざわざそんな技術を発明したがるのか、そしてなぜ人がそれを使いたがるのかについて、仮説 (あり得る説明) を提供してくれる。このモデルでは、布の生産者はたった二つの投入——エネルギーと労働——を使う技術の中から選択を行う。これは単純化してあるけれど、技術の選択において相対価格が重要だということを示してくれる。エネルギーの費用に比べて労働の費用が上がったら、エネルギー集約技術への切り替えで得られるイノベーションのレントがあるからだ。
これはただの仮説でしかない。本当にこれが起こったことなのだろうか? 相対価格が国ごとにどうちがったかを見て、それが次第にどう変わったかを見ると、ジェニー紡績機のような技術がなぜ他ならぬイギリスで発明され、しかも昔ではないく18世紀に発明されたのか、理解するのに役立つ。
Page 140 of Robert C. Allen. 2008. The British Industrial Revolution in Global Perspective. Cambridge: Cambridge University Press.
図 2.10は、1700年代初頭に様々な都市で、労働価格がエネルギー価格と比べてどうだったかを示す——細かく言うと、建設労働者の賃金を、100万BTUの価格で割ったものだ (BTUは「英熱量」の略で、1000ジュールをちょっと上回るエネルギー量の単位だ)。イギリスやオランダでは、フランス(パリとストラスブール) よりも、エネルギー価格に比べて労働がずっと高かった。中国では、イギリスに比べると労働はとんでもなく安い。
イギリスで、エネルギーに比べて賃金が高かったのは、まずイギリスの賃金が他の場所よりも高かったこと、そして石炭が豊富なイギリスでは、図2.10の他の国よりも石炭が安かったからだ。
Robert C. Allen. 2008. The British Industrial Revolution in Global Perspective. Cambridge: Cambridge University Press, p.138 邦訳ロバート・C・アレン『世界史のなかの産業革命』(真嶋他訳、名古屋大学出版会, 2008).
図 2.11は、イギリスとフランスで16世紀末から19世紀初頭にかけて、資本財に比べた労働の費用がどう変化したかを示している。建設労働者の賃金を、資本財を使う費用で割ったものが表示されている。資本財を使う費用は、金属、材木、レンガ、借り入れの費用を元に計算され、資本財が損耗する速度、つまり減価償却する速度も考慮している。
見ての通り、資本財に比べた賃金は、17世紀半ばまではイギリスでもフランスでも似たようなものだったけれど、その後イギリスだけでは、労働者のほうがどんどん資本財より高価になっていった。言い換える都、労働者を機械で置きかえるインセンティブは、この期間にはイギリスでは高まっていったけれど、フランスではそんなインセンティブは高まらなかったということだ。フランスでは、イノベーションにより労働を節約するインセンティブは、産業革命がイギリスを一変させていた18世紀よりも、その200年前の16世紀のほうが高かったくらいだ。
前節のモデルを見ると、選ばれる技術は投入物の相対価格で決まることがわかる。モデルの予測と歴史的データを組み合わせると、産業革命のタイミングと場所について一つの説明が出てくる:
- エネルギーや資本財に比べた賃金が、イギリスでは18世紀になって初めて上昇した。
- エネルギーや資本財に比べた賃金は、18世紀のイギリスでは他の場所よりも高かった。
もちろん、イギリスがとても発明の才に富んだ国だったというのも役にたった。発明者の設計した機械を作れるような、技能の高い労働者、エンジニア、機械製造者がたくさんいたのだ。
練習問題 2.4 イギリスであってフランスではなかった理由
経済史研究者ロバート・アレンが、産業革命の起こった場所とタイミングについて説明しているビデオを見て欲しい。
- 経済的レントの考え方を使ってアレンの主張をまとめよう。そこではどんな「他の条件が同じなら (ceteris paribus) の想定をしているだろうか?
- 18世紀イギリスでのエネルギー集約的な技術台頭を説明できる重要な要因としては、他に何があるだろうか?
労働、エネルギー、資本の相対価格は、どうして産業革命の労働節約技術がイギリスで最初に採用され、なぜ当時はそうした技術がヨーロッパ大陸よりも急速に (そしてアジアと比べたらなおさら急速に) 発展したかを説明してくれる。
フランスやドイツ、そして最終的には中国やインドなどの国ですら、こうした新技術をやがて採用するに到ったという事実はどう説明すればいいだろうか? 答の一つはさらなる技術進歩で、既存の技術を支配するような新技術が開発されたことだ。技術進歩とはつまり、布100メートルの生産に使う投入がどんどん小さくなるということだ。モデルを使ってこれを示せる。 図 2.13では、技術進歩によりもっと優れたエネルギー集約的な技術が発明される。これを A′ と呼ぼう。図2.13の分析を見れば、A′-技術がひとたび出回れば、それがAを使っている国でもBを使っている国でも選ばれることがわかる。
新技術が世界に広まるのを後押しした第二の要因は、賃金上昇とエネルギー費用の低下だ (これは例えば、輸送費用の低下で、各国が外国から安いエネルギーを輸入できるようになったせいで起こった)。おかげで貧困国でも等費用線の傾きが急になり、これまた労働節約技術への切り替えインセンティブをもたらした。13
いずれにしても、新技術は広がり、技術と生活水準の分岐はやがて、その収斂に変わった——少なくとも資本主義革命が離陸した国々においては14。
それでも一部の国では、いまだに産業革命期のイギリスで置きかえられた古い技術が使われているのを見かける。モデルによれば、そうした状況では労働の相対価格はとても低いはずで、このため等費用線がとても寝ているのだろうと予測される。図2.13では、等費用線がHEよりも寝ていて、Bを通るけれどA'よりは下を通るようなら、A' 技術があってもB技術が好まれる。
問題 2.5 正解を選ぼう
もう一度、1600年代と1700年代の等費用線を示す 図 2.12を見てみよう。
以下のどれが成り立つだろうか?
- 等費用線の傾きは、価格比率 −(賃金/石炭価格) のマイナスだ。等費用線が寝ているというのは、石炭価格に比べて賃金が安いということだ。
- エネルギー費用に比べて賃金水準が挙がれば、等費用曲線は急になる。
- 大事なのは相対価格であって、絶対水準じゃない。だから賃金が下がっても、下がり方がエネルギー費用と比べて小さければ、価格比率はやはり上がるので、A技術のほうがやはりよい選択になる。
- この二つの線の間の比較を見れば、生産の費用はBよりAのほうが低いのがわかる。だからA技術を採用する企業は代替技術を採用した場合よりも利潤が高くなる。これはイノベーションのレントだ。
練習問題 2.5 どうして産業革命はアジアで起こらなかったのだろうか?
この問題についてのデヴィッド・ランデスの答えと、大分岐研究についてのこのまとめを読んで、なぜ産業革命がアジアではなくヨーロッパで起きたか、そして大陸ヨーロッパではなくイギリスで起きたかにいついて議論しよう。
- きみはどの議論にいちばん説得力を感じるだろうか、そしてその理由は?
- いちばん説得力がないと思えるのはどの議論だろうか、そしてその理由は?
2.7 マルサス経済学: 労働の平均生産はだんだん減る
歴史的な証拠を見ると、相対価格とイノベーションのレントを使うモデルが、永続的な技術革命のタイミングと地理的な拡大に関する簡単な説明を提供してくれる15。
これはホッケースティックが上向きに急上昇する部分の説明となる。スティックの、長く平らな柄の部分の説明はまた別の話なので、ちがうモデルが必要となる。
マルサスは、第一章図1.1aの、1人当たりGDPを示すホッケースティックの平らな部分に相当する経済発展パターンを予測するような、経済のモデルを考案した。彼のモデルは、経済学で広く使われる概念を導入した。その最も重要な概念の一つは、生産要素の平均生産が逓減する (だんだん減る) という考え方だ。
平均労働生産の逓減
これがどういう意味かを理解するには、穀物というたった一つの財しか生産しない農業経済を想像してほしい。この穀物生産はとても簡単だとしよう——土地を耕す農場労働しかいらないとする。つまり、穀物生産には鍬とか、コンバイン収穫機とか、穀物輸送コンベアやサイロなど、各種の建築物や設備がいるという事実は無視して欲しいということだ。.
- 生産要素
- 労働、機械設備 (通常は資本と呼ばれる)、土地など、生産プロセスへの各種投入。
労働と土地 (そしてここでは無視している他の投入) は生産要素と呼ばれる。つまり生産プロセスへの投入だ。上の技術変化モデルでは、生産要素はエネルギーと労働だ。
- 平均生産
- 総生産を、特定の投入で割ったもの。たとえば労働者1人あたり(労働者数で割る)、労働者1時間あたり(総産出を、注ぎこんだ総労働時間数で割る)などだ。
もっと単純化するような ceteris paribus 想定を使おう。土地の量は固定で、すべてが同じ品質だとする。この土地を農場800個に分割し、それぞれ農夫1人が耕作すると考える。それぞれの農夫は、年間同じだけの総時間数働く。あわせると、この農夫800人は、穀物50万 kg を生産する。ある農夫の平均生産は:
生産関数
これは生産される総産出と、それを生産するのに使われる投入量の関係を示す関数だ。
人口が増加して、同じ限られた農地にいる農夫の数が増えたらどうなるかを理解するには、農業について経済学者が生産関数 と呼ぶものが必要になる。これはある一定量の土地で働く農夫が何人いても、その一人が生産する産出を示す。この場合は、その他の投入すべて、たとえば土地は一定だとしているので、労働の量で産出がどう変わるかという点だけを考慮している。
これまでの節で、すでに布100メートルの生産に必要な労働とエネルギーの量を示す。とても簡単な生産関数を見てきた。たとえば 図 2.3では、B技術の生産関数を見ると、労働者4人と石炭2トンを生産に使えば、産出は布100メートルになると述べている。A技術の生産関数は、同じように「もし〜なら」というシナリオを与えてくれる。労働者1人と石炭6トンを生産に投入してこの技術を使えば、布100メートルが生産される。穀物の生産関数もこれと同じような「もし〜なら」の主張で、農夫が X 人いたら、穀物をY だけ収穫すると述べている。
図 2.14a は、労働投入のいくつかの値と、それに対応する穀物生産を並べている。三列目では、平均労働生産を計算した。 図 2.14bでは、この関係が表に示されているものの中間に位置するすべての農民と穀物生産にも当てはまると想定して、この関数を描いてみた。
Leibniz: マルサス経済学: 平均労働生産の逓減
これを生産関数と呼ぶのは、関数というのが、二つの量 (ここでは投入と産出) の関係を示すものだからだ。数学的に表現すると:
「Y は Xの関数である」という言い方をする。ここでのX は農業に使われる労働の量だ。 Yはこの投入の結果として生じる穀物の産出だ。関数 f(X) は X と Y の関係を示すもので、図の曲線であらわされる。
労働投入 (労働者数) | 穀物産出 (kg) | 平均労働生産 (kg/労働者) |
---|---|---|
200 | 200,000 | 1,000 |
400 | 330,000 | 825 |
600 | 420,000 | 700 |
800 | 500,000 | 625 |
1,000 | 570,000 | 570 |
1,200 | 630,000 | 525 |
1,400 | 684,000 | 490 |
1,600 | 732,000 | 458 |
1,800 | 774,000 | 430 |
2,000 | 810,000 | 405 |
2,200 | 840,000 | 382 |
2,400 | 864,000 | 360 |
2,600 | 882,000 | 340 |
2,800 | 894,000 | 319 |
3,000 | 900,000 | 300 |
農夫の生産関数の記録値: 平均労働生産の逓減.
練習 2.6 農夫の生産関数
第一章では、経済が生物圏の一部だと説明した。農業について生物学的に考えよう。
農民一人がどのくらいのカロリーを燃焼するか調べ、穀物1Kgにはどれだけのカロリーが含まれるかも調べよう。
図 2.14bの生産関数を使うと、農業はカロリーの余剰を生み出すだろうか? つまり労働投入で使われるよりも多くのカロリーを産出するだろうか?
ここでの穀物生産関数は仮想的なものだけれど、産出がどのように農夫の数に左右されるかについて、納得できる想定となる二つの特徴を持つ:
労働と土地が組み合わさると生産的だ。これは別に驚くことじゃない。農夫が増えれば、生産される穀物も増える。少なくともある水準までは (ここでは3,000人までは)。
- 平均労働生産の逓減
- ある生産プロセスに使われる労働が増えると、平均労働生産は下がるのが普通だ。
一定の土地で働く農夫が増えると、平均労働生産は下がる。この 平均労働生産の逓減はマルサスのモデルの二つの基盤のうち片方となる。
平均労働生産は、穀物の産出を労働投入の量であったものだったのを思い出そう。図 2.14b,の生産関数や図 2.14aの表 (どちらも同じ情報を示している) を見ると、土地を耕作する農夫800人の年間投入で、農夫1人あたり穀物625 kg の生産をもたらす。でも労働を農夫1600人に増やすと、農夫1人あたりの平均生産は458 kg になる。労働の平均生産は、生産に使われる労働が増えるにつれて下がる。マルサスはこれを見て心配した。
なぜ心配したかを理解するには、一世代後にそれぞれの農夫にはたくさん子供が生まれ、それぞれの農場を耕作する農夫は1人ではなく、2人になったと想像してほしい。農業への総労働投入は800人だったのが、いまや1600人だ。すると農夫1人当たりの収穫は、625kgからたった458 kgに下がってしまう。
現実世界では、人口が増えれば、農業に使える土地も増えると主張する人もいるだろう。でもマルサスは、前の世代の農夫たちが最高の土地を選んだはずだから、追加の新しい農地は以前より悪いところになると指摘した。これまた、労働の平均生産を減らす。
つまり平均労働生産の逓減の原因は次のようなものがある:
- 固定された量の土地で使われる労働の増加
- 耕作に使われる (劣った) 土地の増加
農業に使われる労働が増えれば、平均の労働生産は下がるので、その所得もやはり下がってしまう。
問題 2.6 正解を選ぼう
もう一度 図 2.14b を見てほしい。現在使える技術で、平均的な育成条件の下、農夫たちの穀物の生産関数を描いたものだ。
これについて言えるのはどれだろう?
- 農夫がゼロなら産出もゼロだ。だからすべての曲線は原点を通るはずなので、平行のまま上がったり下がったりはできない。
- そんな発見は、農夫の数がどうあれ、穀物生産のキロ数は増える(ゼロは除く)。これはグラフでは生産関数曲線の反時計回りの回転として表される。
- 右肩下がるの曲線は、農夫の数が増えると産出が減るということだ。これは追加の労働者が、既存労働者の生産性に対して足を引っ張るような影響がある場合にしかあり得ない。こうした状況は、通常は考慮に入れない。
- 上限があるということは、追加の農夫は追加の穀物キロ数をまったく生み出さないということだ。これはグラフでは、上限を超えたッ生産関数は真っ平らに寝るということだ。
2.8 マルサス経済学: 生活水準が上がると人口も増える
On its own, the diminishing average product of labour does not explain the long, flat portion of the hockey stick. It just means that living standards depend on the size of the population. It doesn't say anything about why, over long periods, living standards and population didn't change much. For this we need the other part of Malthus's model: his argument that increased living standards create a population increase.
Malthus was not the first person to have this idea. Years before Malthus developed his theories, Richard Cantillon, an Irish economist, had stated that, 'Men multiply like mice in a barn if they have unlimited means of subsistence.'
Malthusian theory essentially regarded people as being not that different from other animals:
Elevated as man is above all other animals by his intellectual facilities, it is not to be supposed that the physical laws to which he is subjected should be essentially different from those which are observed to prevail in other parts of the animated nature.16
So the two key ideas in Malthus' model are:
- the law of diminishing average product of labour
- population expands if living standards increase
Imagine a herd of antelopes on a vast and otherwise empty plain. Imagine also that there are no predators to complicate their lives (or our analysis). When the antelopes are better fed, they live longer and have more offspring. When the herd is small, the antelopes can eat all they want, and the herd gets larger.
Eventually the herd will get so large relative to the size of the plain that the antelopes can no longer eat all they want. As the amount of land per animal declines, their living standards will start to fall. This reduction in living standards will continue as long as the herd continues to increase in size.
Since each animal has less food to eat, the antelopes will have fewer offspring and die younger so population growth will slow down. Eventually, living standards will fall to the point where the herd is no longer increasing in size. The antelopes have filled up the plain. At this point, each animal will be eating an amount of food that we will define as the subsistence level. When the animals' living standards have been forced down to subsistence level as a result of population growth, the herd is no longer getting bigger.
If antelopes eat less than the subsistence level, the herd starts to get smaller. And when consumption exceeds the subsistence level, the herd grows.
Much of the same logic would apply, Malthus reasoned, to a human population living in a country with a fixed supply of agricultural land. While people are well-fed they would multiply like Cantillon's mice in a barn; but eventually they would fill the country, and further population growth would push down the incomes of most people as a result of diminishing average product of labour. Falling living standards would slow population growth as death rates increased and birth rates fell; ultimately incomes would settle at the subsistence level.
Malthus's model results in an equilibrium in which there is an income level just sufficient to allow a subsistence level of consumption. The variables that stay constant in this equilibrium are:
- the size of the population
- the income level of the people
If conditions change, then population and incomes may change too, but eventually the economy will return to an equilibrium with income at subsistence level.
Exercise 2.7 Are people really like other animals?
Malthus wrote: '[I]t is not to be supposed that the physical laws to which [mankind] is subjected should be essentially different from those which are observed to prevail in other parts of the animated nature.'
Do you agree? Explain your reasoning.
Malthusian economics: The effect of technological improvement
We know that over the centuries before the Industrial Revolution, improvements in technology occurred in many regions of the world, including Britain, and yet living standards remained constant. Can Malthus' model explain this?
図 2.15 illustrates how the combination of diminishing average product of labour and the effect of higher incomes on population growth mean that in the very long run, technological improvements will not result in higher income for farmers. In the figure, things on the left are causes of things to the right.
Beginning from equilibrium, with income at subsistence level, a new technology such as an improved seed raises income per person on the existing fixed quantity of land. Higher living standards lead to an increase in population. As more people are added to the land, diminishing average product of labour means average income per person falls. Eventually incomes return to subsistence level, with a higher population.
Why is the population higher at the new equilibrium? Output per farmer is now higher for each number of farmers. Population does not fall back to the original level, because income would be above subsistence. A better technology can provide subsistence income for a larger population.
The Einstein at the end of this section shows how to represent Malthus' model graphically, and how to use it to investigate the effect of a new technology.
The Malthusian model predicts that improvements in technology will not raise living standards if:
- the average product of labour diminishes as more labour is applied to a fixed amount of land
- population grows in response to increases in real wages
Then in the long run, an increase in productivity will result in a larger population but not higher wages. This depressing conclusion was once regarded as so universal and inescapable that it was called Malthus' Law.
Einstein Modelling Malthus
Malthus's argument is summarized in Figure 2.16, using two diagrams.
The downward-sloping line in the left-hand figure shows that the higher the population, the lower the level of wages, due to the diminishing average product of labour. The upward-sloping line on the right shows the relationship between wages and population growth. When wages are high, population grows, because higher living standards lead to more births and fewer deaths.
The two diagrams together explain the Malthusian population trap. Population will be constant when the wage is at subsistence level, it will rise when the wage is above subsistence level, and it will fall when the wage is below subsistence level.
図 2.17 shows how the Malthusian model predicts that even if productivity increases, living standards in the long run do not.
Exercise 2.8 Living standards in the Malthusian world
Imagine that the population growth curve in the right panel of 図 2.16 shifted to the left (with fewer people being born, or more people dying, at any level of wages). Explain what would happen to living standards describing the transition to the new equilibrium.
2.9 The Malthusian trap and long-term economic stagnation
The major long-run impact of better technology in this Malthusian world was therefore more people. The writer H. G. Wells, author of War of the Worlds, wrote in 1905 that humanity 'spent the great gifts of science as rapidly as it got them in a mere insensate multiplication of the common life'.
So we now have a possible explanation of the long, flat portion of the hockey stick. Human beings periodically invented better ways of making things, both in agriculture and in industry, and this periodically raised the incomes of farmers and employees above subsistence. The Malthusian interpretation was that higher real wages led young couples to marry earlier and have more children, and they also led to lower death rates. Population growth eventually forced real wages back to subsistence levels, which might explain why China and India, with relatively sophisticated economies at the time, ended up with large populations but—until recently—very low incomes.
As with our model of innovation rents, relative prices and technological improvements, we need to ask: can we find evidence to support the central prediction of the Malthusian model, that incomes will return to subsistence level?
図 2.18 is consistent with what Malthus predicted. From the end of the thirteenth century to the beginning of the seventeenth century, Britain oscillated between periods of higher wages, leading to larger populations, leading to lower wages, leading to smaller populations, leading to … and so on, a vicious circle.
We get a different view of the vicious circle by taking 図 2.18 and focusing on the period between 1340 and 1600, shown in 図 2.19. As a result of the outbreak of bubonic plague known as the Black Death, from 1349 to 1351 between a quarter and a third of Europe's population died. The lower part of the figure shows the causal linkages that led to the effects we see in the top part.
Robert C. Allen. 2001. 'The Great Divergence in European Wages and Prices from the Middle Ages to the First World War'. Explorations in Economic History 38 (4): pp. 411–447.
The decline of the number of people working on farms during the Black Death raised agricultural productivity according to the principle of diminishing average product of labour. Farmers were better off, whether they owned their land or paid a fixed rent to a landlord. Employers in cities had to offer higher wages too, to attract workers from rural areas.
The causal links in 図 2.19 combine the two features of the Malthusian model with the role of political developments as responses to, and causes of changes in, the economy. When, in 1349 and 1351, King Edward passed laws to try to restrain wage increases, economics (the reduced labour supply) won out over politics: wages continued to rise, and peasants began to exercise their increased power, notably by demanding more freedom and lower taxes in the Peasants' Revolt of 1381.
But when the population recovered in the sixteenth century, labour supply increased, lowering wages. Based on this evidence, the Malthusian explanation is consistent with the history of England at this time.
Exercise 2.9 What would you add?
The cause-and-effect diagram that we created in 図 2.19 made use of many ceteris paribus assumptions.
- How does this model simplify reality?
- What has been left out?
- Try redrawing the figure to include other factors that you think are important.
問題 2.7 Choose the correct answer(s)
Look again at 図 2.1 and 図 2.19 showing graphs of real wages in England between 1300 and 2000.
You are also told the following facts:
During the bubonic plague of 1348 and 1351, between one-quarter and one-third of Europe's population died.
In the seventeenth and eighteenth centuries, the wages of unskilled workers relative to the incomes of land owners were only one-fifth of what they had been in the sixteenth century.
What can we conclude from this information?
- In the Malthusian model, fewer workers means higher average productivity, increasing output per capita. Given that their bargaining power did not remain constant but actually increased, workers claimed a larger share of this output and real wages rose.
- According to the Malthusian model, the increase in population caused by the rise in real wages would have led to a decrease in average productivity, leading to an eventual fall in the real wage back down to subsistence level. This seems to be what is observed in the graph.
- The average product of labour determines the size of the pie (the total output), but what share of this is claimed by the workers is determined by their bargaining power, which diminished over the Malthusian cycles in the graph.
- On the contrary, wage growth happened in spite of the low wages relative to the incomes of the land owners. The key to this process was that wages remained high compared to the prices of energy and capital goods, leading to innovation for less labour-intensive technology.
Exercise 2.10 Defining economic progress
Real wages also rose sharply following the Black Death in other places for which we have evidence, such as Spain, Italy, Egypt, the Balkans, and Constantinople (present-day Istanbul).17
- How does the growth of real wages compare with the growth of real GDP per capita as a measure of economic progress?
- Try out your arguments on others. Do you agree or not? If you disagree, are there any facts that could resolve your disagreement, and what are they? If there are not, why do you disagree?
We have focused on farmers and wage earners, but not everyone in the economy would be caught in a Malthusian trap. As population continues to grow, the demand for food also grows. Therefore the limited amount of land used to produce the food should become more valuable. In a Malthusian world, a rising population should therefore lead to an improvement in the relative economic position of landowners.
This occurred in England: 図 2.19 shows that real wages did not increase in the very long run (they were no higher in 1800 than in 1450). And the income gap between landowners and workers increased. In the seventeenth and eighteenth centuries, the wages of unskilled English workers, relative to the incomes of landowners, were only one-fifth of what they had been in the sixteenth century.
But while wages were low compared to the rents of landlords, a different comparison of relative prices was the key to England's escape from the Malthusian trap: wages remained high compared to the price of coal (図 2.10) and even increased compared to the cost of using capital goods (図 2.11), as we have seen.
2.10 Escaping from Malthusian stagnation
Nassau Senior, the economist who lamented that the numbers perishing in the Irish famine would scarcely be enough to do much good, does not appear compassionate. But he and Malthus were right to think that population growth and a diminishing average product of labour could create a vicious circle of economic stagnation and poverty. However, the hockey-stick graphs of living standards show they were wrong to believe that this could never change.
They did not consider the possibility that improvements in technology could happen at a faster rate than population growth, offsetting the diminishing average product of labour.
The permanent technological revolution, it turns out, means that the Malthusian model is no longer a reasonable description of the world. Average living standards increased rapidly and permanently after the capitalist revolution.
図 2.20 shows the real wage and population data from the 1280s to the 1860s. As we saw in 図 2.18, from the thirteenth to the sixteenth century there was a clear negative relationship between population and real wages: when one went up the other went down, just as Malthusian theory suggests.
Between the end of the sixteenth and the beginning of the eighteenth century, although wages rose there was relatively little population growth. Around 1740, we can see the Malthusian relationship again, labelled '18th century'. Then, around 1800, the economy moved to what appears to be an entirely new regime, with both population and real wages simultaneously increasing. This is labelled 'Escape'.
Escaping the Malthusian trap. Note: Labour productivity and real wages are five-year centred moving averages.
Robert C. Allen. 2001. The Great Divergence in European Wages and Prices from the Middle Ages to the First World War. Explorations in Economic History 38 (4): pp. 411–447.
図 2.21 zooms in on this 'great escape' portion of the wage data.
The story of the permanent technological revolution demonstrates that there are two influences on wages.
- How much is produced: we can think of this as the size of the pie to be divided between workers and the owners of other inputs (land or machines).
- The share going to workers: This depends on their bargaining power, which in turn depends on how wages are determined (individually, or through bargaining with trade unions, for example) and the supply and demand for workers. If many workers are competing for the same job, wages are likely to be low.
After 1830, the pie continued growing, and the workers' share grew along with it.
Britain had escaped from the Malthusian trap. This process would soon be repeated in other countries, as 図s 1.1a and 1.1b showed.
問題 2.8 Choose the correct answer(s)
Look again at 図 2.20, which plots real wages against population in England from the 1280s to the 1860s.
According to Malthus, with diminishing average product of labour in production and population growth in response to increases in real wages, an increase in productivity will result in a larger population but not higher real wages in the long run. Based on the information above, which of the following statements is correct?
- It is true that Malthus assumes population growth in response to real wage increases. However, as population increases the average per capita output falls, resulting in a fall in real wages back to subsistence level. This is not evident in the graph post-1800s.
- There are actually two periods—between the 1280s and the 1590s, and between the 1740s and the 1800s—when a Malthusian trap is evident. There is, however, the period in between when the negative relationship between the real wage and population seems to break down (no population growth despite the wage increase).
- Though the second cycle of the Malthusian trap lasted about 60 years (between the 1740s and the 1800s), the first cycle seems to have lasted around 300 years.
- If technological developments increase the average productivity of labour faster than population growth decreases it, then population growth and real wages can coexist. This is what is shown by the escape trajectory of the English economy after the eighteenth century.
Exercise 2.11 The basic institutions of capitalism
The escape from the Malthusian trap, in which technological progress outstripped the effects of population growth, took place following the emergence of capitalism. Consider the three basic institutions of capitalism in turn:
- Why is private property important for technological progress to occur?
- Explain how markets can provide both carrots and sticks to encourage innovation.
- How can production in firms, rather than families, contribute to the growth of living standards?
2.11 Conclusion
We have introduced an economic model in which firms' choice of production technologies depends on the relative prices of inputs, and the economic rent from adopting a new technology provides an incentive for firms to innovate. Testing this model against historical evidence shows that it could help to explain why the Industrial Revolution occurred in Britain in the eighteenth century.
We showed how the Malthusian model of a vicious circle, in which population growth offset temporary gains in income, could explain stagnation in living standards for centuries before the Industrial Revolution, until the permanent technological revolution allowed an escape due to improvements in technology.
Concepts introduced in Unit 2
Before you move on, review these definitions:
2.12 参考資料
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Thomas R. Malthus. 1798. An Essay on the Principle of Population. Library of Economics and Liberty. London: J. Johnson, in St. Paul's Church-yard. 邦訳マルサス『人口論』(岩波文庫)↩
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Mike Davis. 2000. Late Victorian holocausts: El Niño famines and the making of the Third world. London: Verso Books. ↩
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Joseph A. Schumpeter. 1949. 'Science and Ideology'. The American Economic Review 39 (March): pp. 345–59. ↩
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Joseph A. Schumpeter. 1997. Ten Great Economists. London: Routledge. ↩
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Joseph A. Schumpeter. 1962. Capitalism, Socialism, and Democracy. New York: Harper & Brothers.シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』(東洋経済新報社、2009、日経BP社、2015)↩
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Robert Skidelsky. 2012. 'Robert Skidelsky—portrait: Joseph Schumpeter'. ↩
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Robert C. Allen. 2009. 'The industrial revolution in miniature: The spinning Jenny in Britain, France, and India'. The Journal of Economic History 69 (04) (November): p. 901. ↩
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David S. Landes. 2003. The unbound Prometheus: Technological change and industrial development in western Europe from 1750 to the present. Cambridge, UK: Cambridge University Press. ↩
-
経済史研究者グレゴリー・クラークは、有史以前から18世紀までは全世界がマルサス的だったと論じる。Gregory Clark. 2007. A farewell to alms: A brief economic history of the world. Princeton, NJ: Princeton University Press.邦訳クラーク『10万年の世界経済史』(上下巻、日経BP社、2009)。ジェイムズ・リーとワング・フェンは中国の人口体系がヨーロッパとはちがっていたことを論じ、中国の貧困が人口増大のせいだったという仮説を疑問視する。 James Lee and Wang Feng. 1999. 'Malthusian models and Chinese realities: The Chinese demographic system 1700–2000'. Population and Development Review 25 (1) (March): pp. 33–65. ↩
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Thomas Robert Malthus, 1830. A Summary View on the Principle of Population. London: J. Murray. ↩
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William H. McNeill. 1976. Plagues and peoples. Garden City, NY: Anchor Press.邦訳マクニール『疫病と世界史』(上下巻、中公文庫、2007)↩