第1章 資本主義革命
資本主義は人々の生活を革命的に変えた。経済学は資本主義やその他の経済システムを理解しようとする。
- 1700年代以来、多くの国の経済生活では、平均生活水準の上昇が永続的な特徴となった。
- これは、資本主義という新しい経済システムの台頭のおかげだ。そこでは私有財産、市場、企業が大きな役割を果たす。
- この経済を組織する新しいやり方の下で、技術進歩と生産物や作業の特化が一日の作業で生産できるものの量を増やした。
- このプロセスは資本主義革命と呼ばれる。これは自然環境への脅威を高め、空前の世界的な経済格差ももたらした。
- 経済学は、人々がその生活資材を作り出すにあたり、他の人々や自然環境とどんなふうに相互作用するかを研究する。
14世紀にモロッコの学者イブン・バトゥータはインドのベンガルについて「広大な国であり、そこでは米がきわめて豊富である。いやまさに、私は世界で食糧供給がこれほど豊富な地域は見たことがない」と描写している。
イブン・バトゥータ (1304–1368) はモロッコの旅行者兼商人だった。かれの旅は30年にわたるもので、北アフリカと西アフリカ、東欧、中東、南アジアと中央アジア、そして中国にまで足を伸ばしている。
そういうイブン・バトゥータは、世界の相当部分を実際に見ていた。中国、西アフリカ、中東、ヨーロッパに旅をしていたんだから。その三世紀後、17世紀のフランスのダイヤモンド商人ジャン・バプティスト・タヴェニエールもベンガルについての記述の中で、同じ気持ちを述べている:
一番小さな村ですら、米、小麦粉、バター、牛乳、豆などの野菜、砂糖や、固形や飲料を問わず甘味類が豊富に調達できる。1
イブン・バトゥータが旅した頃のインドは、世界の他の部分よりも豊かというわけではなかった。でもそんなに貧しくもなかった。当時の観察者なら、人々は平均で見れば、日本やインドに比べてイタリア、中国、イングランドでのほうが豊かだとわかったはずだ。でもその旅人は、どこへ言っても金持ちと貧乏人とのすさまじい差に気がついたはずだ。その差のほうが、地域ごとの差よりもずっと激しかった。金持ちと貧乏人はしばしば身分もちがった。場所によっては封建領主と農奴、あるいは王侯貴族とその臣民、奴隷所有者と奴隷、商人とその商品を運ぶ船乗りたちとなる。当時は——今もそうだけれど——人生の先行きは、両親が経済のはしごでどの位置にいたか、そして男か女かで決まった。14世紀と今日とのちがいは、当時は世界のどの地域で生まれるかは、今ほど豊かさに大きくは影響しなかったということだ。
時は変わって現在。インドの人々は、食糧、医療、住居、生活必需品へのアクセスで見れば、七世紀前よりははるかによい生活を送っている。でも世界の基準から見れば、その大半は貧困だ。
図 1.1aでその一端がわかる。各国の生活水準を比べるときには、一人あたりGDP という指標を使う。人々は、財やサービスを生産して売ることで所得を得る。GDP (国内総生産) は一定期間 (たとえば一年間) に生産されたあらゆるモノの総価値なので、一人あたりGDPは平均年間所得に対応する。GDP はまた、国内総所得とも呼ばれる。図 1.1aでは、それぞれの折れ線グラフの高さは、横軸の時代における平均所得の推計値だ。
Jutta Bolt and Jan Juiten van Zanden. 2013. 'The First Update of the Maddison Project Re-Estimating Growth Before 1820'. Maddison-Project Working Paper WP-4 (January). Stephen Broadberry. 2013. Accounting for the great divergence. 1 November. Conference Board, The. 2015. Total Economy Database.
この見方だと、イギリスの人々は平均でインドの人々の六倍よい生活を送っている。日本人はイギリス人と同じくらい豊かで、14世紀も両者は同じくらいだったけれど、いまやアメリカ人は日本人よりもっと豊かで、ノルウェー人はそのさらに上を行く。
図 1.1a のグラフが描けるのは アンガス・マディソンの研究のおかげだ。マディソンは、人々が過去千年以上にわたりどう暮らしてきたかについて、まともな比較を行うのに必要な乏しいデータを、生涯をかけて探しつづけてきた (かれの研究は マディソン・プロジェクトに引き継がれている)。この講義の中で、世界各地と、そこに住む人々についてのこうしたデータこそが、あらゆる経済学の出発点だということがわかるはずだ。次のビデオでは、経済学者ジェームズ・ヘックマンとトマ・ピケティが、データ収集こそ経済格差やそれを削減する政策に関する自分たちの研究の基盤となったことを説明している。
1.1 所得格差
千年前の世界は、経済的に言えばフラットだった。世界の地域間でも所得の差はあったけれど、図 1.1a からもわかる通り、その後に比べれば大したことはない。
今日では、少なくとも所得に関する限り、世界がフラットだと考える人はいない。
図 1.2 は、国ごとの所得分布と、各国内の所得分布を示している。一人あたりGDPの低い順から高い順に左から、一番貧しい国 (リベリア) から一番豊かな国 (シンガポール) まで並んでいる。各国の棒グラフの幅は、その国の人口を示す。
それぞれの国について、棒グラフは十本ずつあり、それぞれが所得の十分位ごとに対応している。それぞれの棒グラフの高さは、その国の人口10%分の2005年米ドルで計測した平均所得で、図の手前は最貧層10%、一番奥は最富裕層10%に対応している。ちなみに、最富裕層10%というのは、「所得を稼いでいる人の中で最も豊かな10%」という意味ではないことに注意。子供も含めた世帯の全人数で、世帯所得を均等に稼いでいると想定されている。
図の右奥側にある摩天楼 (いちばん高い棒グラフ集団) は、最富裕国の最も豊かな10%の所得を示している。最も高い摩天楼は、シンガポールの最も豊かな10%の人々だ。2014年に、この集団は一人あたり所得が67,000ドル以上だった。一人あたりGDP第二位のノルウェーは、突出した摩天楼がない (シンガポールの摩天楼と三番目に豊かなアメリカの摩天楼との間に隠れている)。ノルウェーの所得は他の富裕国に比べて、ずっと均等に分布しているからだ。
図 1.2 の分析で、所得分布が1980年以来どう変わったかがわかる。
2014年の分布を見ると二つのことが明らかだ。まずあらゆる国で、お金持ちは貧困者よりずっと多くを所有している。ある国の経済格差の手軽な指標が、 90/10 比率と呼ばれるものだ。ここではこれを、最富裕10%の平均所得を最貧10%の所得で割ったものと定義する。もっと一般的な定義では、90番百分位の所得を10番百分位の所得で割ったものだ。ノルウェーのような比較的平等な国ですら 90/10 比率は 5.4 だ。アメリカでは16、アフリカ南部のボツワナではそれが145だ。極貧国内での格差はグラフでは見づらいけれど、まちがいなく格差はある。90/10比率は、ナイジェリアでは22で、インドでは20だ。
図 1.2 で即座にわかるもう一つのことは、各国ごとの所得の差がすさまじいということだ。ノルウェーの平均所得は、ナイジェリアの平均所得の19倍だ。そしてノルウェーの最貧10%は、ナイジェリアの最富裕10%の二倍近くを受け取っている。
イブン・バトゥータの本に出てくる旅行者は、14世紀に世界各地を旅した。その人が見た図 1.2はどんなものだったかを想像してみよう。もちろん、どこへ行ってもその地の最貧層と最富裕層では差があるのは気がついただろう。それに比べたら、世界の国同士の所得差は大したことはないと報告したはずだ。
今日では、世界各国で所得に大きなちがいがある。図 1.1a を見ると、なぜそうなったのかの糸口が得られる。1900年以前に経済的に急成長した国々—イギリス、日本、イタリア—はいまや豊かだ。こうした国々は、図1.2の摩天楼部分にいる。ごく最近になって成長を始めた国や、いまだに発展を始めていない国は、平らな部分にいる。
練習問題 1.1 14世紀の経済格差
イブン・バトゥータの時代(14世紀初期から半ば)には、図 1.2 のような摩天楼グラフはどんな感じだっただろうか?
練習問題 1.2 所得データをいじってみよう
インタラクティブ版のグラフを見て、図 1.2の作成に使った表計算データをダウンロードできる。興味のある国を5カ国選ぼう。
- それぞれの国について、1980年、1990年、2014年の90/10比率を計算しよう。
- 国同士のちがいと、時間を追ってそれぞれの国で生じた変化を記述しよう。
- それらについてどう説明できるか思いつくだろうか?
1.2 所得と生活水準の計測
- 国内総生産 (gross domestic product, GDP)
- 一定期間における、その経済の産出の市場価値を計ったもの。
図 1.1aで使った生活水準の推定指標 (一人あたりGDP) は、ある国で生産される財やサービスすべてを測ったもの (国内総生産 (gross domestic product)、略して GDP) を、その国の人口で割ったものだ。
GDP は、一定期間、たとえば一年のその経済の産出を測る。経済学者ダイアン・コイルに言わせると、それは「釘から歯ブラシ、トラクター、靴、散髪、経営コンサル、街路掃除、ヨガの授業、お皿、包帯、本、その他経済の何百万ものサービスや製品を足しあわせる」。2
ダイアン・コイルが GDP計測の利点と限界を説明するのを聞こう。
こうした何百万ものサービスや製品を足しあわせるためには、ヨガの講義が歯ブラシと比べてどのくらいの価値があるのかという尺度を見つける必要がある。経済学者たちはまず、何を含めるべきかだけでなく、そうしたもののそれぞれにどう価値づけをするかも決めなくてはならない。実際にやるときには、そのいちばん簡単な方法は、それぞれの値段を使うことだ。それをやると、GDPの値は、その国の全員の総所得と等しくなる。
それを人口で割ると、一人あたりGDPになる—その国の人々の平均所得だ。でも、これは生活水準や厚生を測る方法として正しいんだろうか?
可処分所得
- 可処分所得
- 税金を払って政府からの移転を受け取った後に残る所得。
一人あたりGDPは平均所得を示すけれど、これは普通の人の可処分所得 とはちがう。
可処分所得は、ある一定期間(たとえば一年)の間に受け取った賃金や給料、利潤、賃料、利息、政府からの移転支払い(たとえば失業手当や障害者手当)、他人からの移転支払い(たとえば贈り物)の総額から、その人が他に人に行った移転すべて(政府への納税も含む)を差し引いたものだ。可処分所得は、生活水準の指標としてよいものと思われている。その人が借金をせずに――つまり負債に陥らず、持ち物を売ったりもせずに――買える衣食住やその他の財やサービスの最大金額になるからだ。
可処分所得は、人々の厚生のよい指標だろうか?
所得は厚生に大きく影響する。人々が必要としたり享受したりする財やサービスを買えるようにしてくれるからだ。でも人々の厚生は、買えるものとは無関係な側面も多いので、それだけでは不十分だ。3
たとえば、可処分所得には以下は含まれない:
- 友情やきれいな空気といった、社会環境や物理環境の質
- 友人や家族と過ごしたりリラックスしたりするための自由時間
- 政府が提供してくれる場合には買わなくて済むような、ヘルスケアや教育といった財やサービス
- 食事や子供の世話といった世帯の中で生産される財やサービス(女性が主に供給する)
平均可処分所得と平均厚生
人々の集団(たとえば国民や民族集団)の一部として見たとき、平均可処分所得はその集団がどれだけよい暮らしをしているかを示す指標として有効だろうか?ある集団で、全員が月に5,000ドルの可処分所得を持っていると考えよう。そして物価は何も変わらないのに、その集団の全員の所得が増えたと考えよう。この場合は、平均的な厚生または典型的な厚生は高くなったと言える。
でも、ちがう比較を考えよう。二つ目の集団では、人々の半分は月額可処分所得が10,000ドルだ。残り半分の人々は、毎月使えるお金がたった500ドルしかない。この集団の平均所得 ($5,250) は、さっきの集団より高い (こちらは所得が上がる前は 5,000ドルだった)。でもこちらの集団の厚生は、最初の集団より高いと言えるだろうか? 第2の集団だと、所得が追加で増えてもお金持ちの半分はどうでもいいと思うだろう。でもの頃半分は、自分たちの貧困が深刻な欠乏だと考えるはずだ。
厚生にとって絶対所得は重要だけれど、人々は所得分布の中での自分の相対的な位置も気にすることが研究で明らかになっている。集団の中の他の人より稼ぎが少ないと知ると、人々は自分の厚生が低いと感じる。
所得分布は厚生に影響するし、同じ平均所得でも、その集団でのお金持ちと貧乏人との所得分布がまったくちがう場合もあるので、平均所得はある集団が他の集団に比べてどれだけよい暮らしぶりかを十分に反映できないこともある。
政府の財やサービスの価値をどう見るか
GDP は、学校や国防、法執行(警察)など政府が生産する財やサービスも含む。こうしたものの厚生に影響するけれど、可処分所得には含まれない。この意味で、一人あたりGDPのほうが、可処分所得よりは生活水準の指標として優れている。
でも政府のサービスは、散髪やヨガの講義といったサービスに輪をかけて価値評価がむずかしい。人々が買う財やサービスなら、価値の大ざっぱな目安として価格 (値段) を使う (もし散髪の価値がその値段より低いと思ったら、その人は髪を伸ばしっぱなしにするはずだ)。でも政府が生産する財やサービスは普通は売られていないし、その価値の唯一の目安は、その生産にどれだけの費用がかかるかということだけだ。
厚生と人々が考えるものと、一人あたりGDPが測るものとのギャップを考えると、人々の暮らしぶりを計測するときに一人あたりGDPをあまり杓子定規に使うのは考えものだ。4
でもこの指標の時代を通じて見た変化や国ごとの変化が図 1.1a (および図 1.1b や後出の 図1.8、1.9) ほど大きいと、一人あたりGDPが財やサービスの入手の差について何かを物語っているのはまちがいない。
この節の最後につけたコラムでは、GDPの計算方法をもっと細かく見よう。それが時代ごとあるいは国ごとに比較できるようにどう計算されているかがわかるはずだ (多くの章にはこうしたコラムがある。必ずしも利用しなくてもいいけれど、それを見ればここで使う統計の多くの計算方法がわかるし理解も深まるはずだ)。こうした手法を使えば、「日本の人たちは二百年前より平均でずっとお金持ちだし、今日のインドの人よりもかなり豊かだ」といった主張をするとき、一人あたりGDPを使うことで曖昧さなしに伝えられる。
練習 1.3 何を計測すればいいの?
1968年3月18日に、アメリカ大統領選で演説していたロバート・ケネディ上院議員はアメリカ社会における「単なる物質的なモノの蓄積」を疑問視する有名な演説をした。そしてなぜアメリカが生活水準を計測するときに、大気汚染やタバコの広告、牢屋などは含まれるのに、保健、教育、国への献身などは含まれないのかと尋ねた。結論としてケネディは「つまりこれはあらゆるものを測るのに、生活を有意義なものにしているものはまったく含まれないのだ」と主張した。
かれの演説全文を読むか、またはその録音を聞こう。
- 演説の全文を見ると、GDP計測に含まれるものとしてかれが挙げている財は何だろうか?
- そうしたものをGDPに含めるべきだと思うだろうか、そしてその理由は?
- 演説の全文を見ると、GDPに含まれていないとケネディが挙げている財はどれだろうか?
- そうしたものをGDPに含めるべきだろうか、そしてその理由は?
質問 1.1 正解を選ぼう
イギリスの一人あたりGDPは何を表しているだろうか?
- 「一人あたり (Per capita)」というのは、首都(capital city)のことじゃないよ!
- 可処分所得は、ある人の所得(たとえば賃金、利息、手当)から移転(たとえば税金)を惹いたものだ。GDP は可処分所得には含まれない政府が作る財やサービス、たとえば学校、国防、法執行(警察)も含まれる。
- これは一人あたりGNP (国民総生産) と呼ばれる。GNPは、外国で生産された産出でもイギリス住民に帰属するものは含めるし、イギリスの産出でも外国住民に帰属するものは差し引く。
- これが1.2節で定義した正しい一人あたりGDPの定義だ。
コラム 時代ごとあるいは国ごとに所得を比べるには
国際連合は、世界中の統計機関からのGDP推計を集めて公開している。こうした推計を使えば、経済史家たちの推計とあわせて、図 1.1aのようなグラフが作れて、ちがう国やちがう時代の生活水準を比べたり、お金持ちと貧乏人とのギャップが広がってきたか狭まってきたかを検討できるようにしてくれる。「平均で見ると、イタリアの人々は中国の人々より豊かだけれど、そのギャップは狭まってきた」といった主張を行う前に、統計家や経済学者たちは次の3つの問題を解決しなくてはならない:
- 計測したいもの――財やサービスの量の変化やちがい――と、比較には関係ないもの、特に財やサービスの価格変動を区別しなくてはならない。
- ある国の産出を2つの時点で比べるとき、その二時点での物価水準のちがいを考慮しなくてはならない。
- 同じ時点で二カ国の産出を比べるときには、両国の物価水準のちがいを考慮しなくてはならない。
最後の二つの文は、ほとんど同じだったことに注意しよう。ちがう時点での産出の変化を計測しようとすると、同じ時点で二カ国の産出の差を比べる場合と同じ課題が出てくる。問題は、産出の変化をきちんととらえつつ、何かの値段がこちらの国では変わったのにあちらでは変わらなかったというだけで、産出がその国で変わったと思い込んでしまわないようにすることだ。
出発点: 名目 GDP
ある期間(一年とか)での経済全体の産出の市場価値を推計する場合、統計家たちはその財やサービスが市場で売られている値段を使う。実に多種多様な大量の財やサービスの量に、その価格をかけることで、お金あるいは名目の値に変換できる。すべてを共通の名目(または金銭) の数字にしたら、足しあわせられる。名目GDPは次のように書ける:
一般化すると、次のように書く:
ここで pi は財 i の価格で、qiはその数量、 ∑ は計測するあらゆる財やサービスについて、価格と数量の積を総和したものを示す。
価格の時間変動を考慮する: 実質 GDP
経済が拡大しているか縮小しているかを測るには、購入された財やサービスの量を見る尺度が必要だ。これが実質GDPと呼ばれるものだ。違う年の経済を比べて、あらゆる量が同じだけれど物価だけが、たとえば2%上がったら、名目GDPは 2% 増えるけれど、実質GDP は変わらない。経済は成長していない。
コンピュータの台数と、靴の足数、レストランの食事の皿数、飛行機の便数、フォークリフトの台数などをそのまま足しあわせるわけにはいかないので、実質GDPを直接計測はできない。だから実質GDPを推計するには、まず上で定義した名目GDPから始めねばならない。
名目GDPを出す等式の右辺には、最終販売のそれぞれのアイテムの価格に、その数量をかけたものがある。
実質GDPがどうなっているかを見るには、まず基準年を選ぶ。たとえば2010年を選ぼう。それから2010年価格を使った実質GDPは、2010年の名目GDPに等しいと定義する。その翌年2011年の名目GDPは、2011年に見られる物価を使って計算する。次に、2011年の実質GDPがどうなったかを見るには、2011年の数量に2010年の価格をかける。基準年の価格を使ってGDPが増えていれば、実質GDPが上がったと考えられる。
- 実質価格
- Constant prices, 一定価格、不変価格とも訳される。物価上昇(インフレ)や物価低下(デフレ)の分を補正した価格。これを使うと通貨の一単位は時点がちがっても同じ購買力を持つ。購買力平価 (PPP) も参照。
もしこの手法により、2010年価格で計算した2011年のGDPが2010年のGDPと同じだったら、産出の構成は変わったかもしれないけれど (フライト数は減ったけれどコンピュータの販売台数は増えたとか)、財やサービスの全田尾としての量は変わっていないと考えられる。結論として、実質GDP (これは実質価格でのGDPとも呼ばれる)は変わっていないことになる。実質で見た経済成長率はゼロだ。
国ごとの物価のちがいを考慮するには: 国際価格と購買力
国同士を比べるには、価格の集合を選んで、それをどちらの国にも適用する必要がある。
まずはじめに、たった一つの製品しか生産しない単純な経済を考えよう。その製品がレギュラーカプチーノだとしよう。この標準的な製品なら、世界各地ですぐに値段がわかるからだ。そして、発展水準が大きくちがう二つの国を選ぼう。スウェーデンとインドネシアだ。
執筆時点で、現行の為替レートを使って価格を米ドルに換算すると、レギュラーカプチーノはストックホルムでは $3.90 で、ジャカルタでは $2.63 だ。
最新の統計が欲しければa Numbeo というウェブサイトが生活費の比較をしている。
でも共通の通貨で二つのカプチーノを示すだけでは不十分だ。いまの数字を出すのに使った、現在の国際為替レートは、ジャカルタでルピアを使って買えるものや、ストックホルムでクローナを使って買えるものを示す指標としてはあまりよいものではないからだ。
- 購買力平価 (PPP)
- ちがう通貨を持つ様々な国で人々が帰る財の量を比較できるようにした統計的な補正値。実質価格も参照。
だから各国の生活水準を比べるときには、共通の価格の集合を使った一人あたりGDP推計を使う。これは購買力平価 (PPP)による価格と呼ばれる。この名前からわかる通り、実質購買力が平ら(つまり等しく)なるようにするというのが考え方だ。
ふつう、価格は豊かな国のほうが高い場合が多い――いまの例でもそうだった。理由の一つは、賃金が高いので、その分だけ物価も上がるということだ。カプチーノやレストランの食事、散髪、ほとんどの食べ物、輸送、賃料などほとんどの財やサービスは、インドネシアよりスウェーデンでのほうが高い。だから共通の価格集合を適用すると、PPPで測ったスウェーデンとインドネシアの一人あたりGDPの差は、現行の為替レートで見た一人あたりGDPの差よりも小さい。
現行の為替レートだと、インドネシアの一人あたりGDPは、スウェーデンのたった6%でしかない。国際価格を使うPPPだと、インドネシアの一人あたりGDPはスウェーデンの21%だ。
この比較でわかるのは、インドネシアルピアの購買力をスウェーデンのクローナと比べると、両通貨の為替レートで見るよりも三倍以上も高いということだ。
GDP(および経済全体を測る他の指標)については、13章でもっと詳しく検討しよう。
1.3 歴史のホッケースティック: 所得の伸び
アイスホッケーのスティックを見たことがない (あるいは そもそもアイスホッケーを知らない) なら、こういう形をしているからこれらのグラフは「ホッケースティック曲線」と呼ばれる。
図 1.1aのデータを見る別の方法は、一人あたりGDPが縦軸を上がるにつれて倍増するような目盛りを使うことだ (一人あたり250ドルから500ドルになり、続いてそれが1,000ドルになり、といった具合)。これは対数目盛と呼ばれ、これを示したのが 図 1.1bだ。対数目盛は成長率の比較に使われる。
所得や、その他人口など各種の成長率というとき、それは変化の比率を指している:
もし2000年の一人あたりGDPが21,046ドル(これは図 1.1aのイギリスのデータだ)で、2001年には21,567ドルなら、成長率は次のように計算する:
実数での水準を比べるか、それとも成長率を比べるかは、どんな問題を考えているかで変わる。図 1.1a は、国別や時点ごとの一人あたりGDPを比べやすくしている。図 1.1b 対数目盛を使っていて、各国や時点ごとの成長率が比べられる。対数目盛を使うとき、一定比率で成長するデータ系列は、横一直線に見える。これは、割合 (成長の比率) が一定だからだ。対数目盛でもっと傾きが大きくなると、成長率が上がったということだ。
これを見るには、100%の成長率を考えよう。つまり水準が倍増するということだ。対数目盛の図 1.1bだと、一人あたりGDPが100年間で、500ドルから1,000ドルに増えた場合、それは2,000ドルから4,000ドルになったときや、16,000ドルから32,000ドルになったのと同じ傾きなのもわかるもし倍増ではなく四倍になったら (たとえば100年間で500ドルが2,000ドルになったら)線の傾きは二倍になり、二倍の成長率を反映して直線の傾きも二倍になる。
一部の経済では、人々の生活水準の大幅な改善は、植民地支配やヨーロッパ諸国の介入からの独立が果たされるまで実現しなかった。:
- インド: 貧困分析を専門とする経済学者アンガス・ディートンによると、300年におよぶイギリスのインド支配が1947年に終わると: 「インド人の子供時代の喪失は……歴史上の他のどんな大規模集団にも負けないほどひどいものだったかもしれない」。イギリス支配の末期、インドで生まれた子供の期待寿命は27年だった。その50年後、インドで生誕時の期待寿命は65年に上がった。
- 中国: かつてはイギリスより豊かだった中国は、20世紀半ばには一人あたりGDPがイギリスの十五分の一になっていた。
- 南米: スペインの植民地支配も、19世紀初期にほとんどの南米諸国が独立した後の時期も、図1.1a や 1.1bの国々が経験したような、ホッケースティック状の生活水準急上昇に類するものはまったく見られなかった。
図 1.1a と 1.1bから二つのことがわかる:
- 実に長い時期にわたり、生活水準が持続的な形で多少なりとも上昇したことはなかった。
- 持続的な成長が起きたときも、それが起きた時期は国ごとにちがったので、世界中で生活水準にすさまじいちがいが生じた。
統計学者ハンス・ロスリングによる楽しいビデオは、一部の国が他の国よりずっとはやく豊かで健康になった様子を示している。
なぜこれが起きたかを理解するのは、経済学の創始者アダム・スミス以来ずっと経済学者たちが尋ねてきた、最も重要な質問の一つだ。それが証拠に、アダム・スミスの最も重要な本は『国の豊かさの性質とその原因についての検討』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations、通称『国富論』)と題されているくらいだ。5
えらい経済学者 アダム・スミス
アダム・スミス (1723–1790) は、現代経済学の創始者とされることが多い。スコットランドで寡婦となった母親に育てられたスミスは、グラスゴー大学と後にオックスフォード大学で哲学研究を行った。オックスフォード大学についてかれは『教授たちの(中略)大半は(中略)教えようというふりすら完全に放棄している」と述べている。
かれはヨーロッパ全域を旅し、フランスのトゥールーズを訪れたが「何もやることがない」と述べ、そこで「暇つぶしに本を書き」始めた。これが経済学で最も有名な本になるものだった。
1776年に刊行された『国の豊かさの性質とその原因についての検討』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations、通称『国富論』) で、スミスはこう尋ねた。社会は大量の経済アクター――生産者、輸送者、販売者、消費者――が、しばしばお互いに見知らぬ同士で、しかも世界中に広く散在しているのに、どうやってその独立した活動を協調させられるだろうか? かれは過激な主張を行った。こうしたアクターたちすべての協調が自発的に生じ、それを作り出したり維持したりしようという人物や制度機関の意識的な努力は必要ない、というのだ。これはそれまでの政治的経済的組織の考え方を覆すものだった。これまでは、支配者が被支配者たちに秩序を与える、というのが通常の発想だったのだから。
もっと過激だったのは、この協調が個人の自己利益追求の結果として生じる、という発想だった。「夕食が期待できるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛のおかげではなくて、かれらが自分の利益に留意するからだ」とスミスは書いている。
『国富論』の他の部分で、スミスは経済学の歴史における、最も持続的なたとえを導入した。「見えざる手」というものだ。スミスによれば事業者は「自分の利益だけを意図し、そしてこれによりかれは、他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて、まったく当人の意図しないような目的を促進するよう仕向けられる。また、それがまったく意図しないものだということが、社会にとって必ずしも悪いことにはならない。自分自身の利益を追求することで、事業者はしばしば、本当に促進しようと意図した場合よりももっと効果的に、社会にとっての利益を促進することも多いのだ」
アダム・スミスの洞察は、繁栄の大きな源が分業または専門特化だというものだ。そしてこれがひいては、「市場の範囲」によって制約される。スミスはこの発想を描きだすのに、ピン工場に関する有名な下りを持ち出した。ピンの生産に必要は18のちがった工程のそれぞれに完全に特化した十人は、一日五万本のピンを作れる。でも「かれら全員が個別に独立して働いたら[中略]、だれ一人として一日 20 本以上は作れないだろうし、一本も作れない人もいるだろう。」
でもこんなすさまじい数のピンの買い手を見つけるには、生産地からずっと遠くで売らねばならない。だから専門特化は、航行可能な運河建設や外国貿易の拡大に促進される。そして結果として生じる繁栄がさらに「市場の範囲」を広げ、経済拡大の好循環が生じる。
スミスは別に、人が利己性だけで動くと考えていたわけではない。『国富論』の17年前に、かれは『道徳感情論』 (The Theory of Moral Sentiments) という倫理的行動に関する本を刊行している6。
また市場システムには欠陥があることも見抜いていた。特に売り手が結託してお互いに競争しないようになると市場は機能しない。「同業者たちは、お祝いや娯楽以外で顔を合わせようものなら、その会話は結局は世間に害を為す陰謀や、価格を引き上げようという何やら画策になるのだ」とスミスは書いている。
かれは特に、政府が保護する独占事業者を糾弾している。たとえばイギリス東インド会社は、インドとイギリスの貿易を支配するだけでなく、インドでのイギリス植民地の大半を運営していたのだった。
スミスは、同時代人たちと同様に、政府が外敵から国民を守り、警察や法廷システムを通じて正義を確保すべきだと同意していた。また政府が教育投資や、橋、道路、運河などの公共事業に投資を行うべきだと主張した。
スミスはしばしば、繁栄は自由市場の下で自己利益を追求することで生じるのだという発想と結びつけられている。でもこうした問題に関するスミスの考察は、一般に思われているよりははるかに緻密なものだ。
練習 1.4 対数目盛の利点
図 1.1aの縦軸は普通の目盛になっていて、図 1.1b は対数目盛になっている。
- イギリスについて、成長率が増えていた時期を指摘しよう。また成長率がだいたい一定だった時期を指摘しよう。どっちのグラフを使うのがいいだろうか、そしてその理由は?
- イギリスの一人あたりGDPがインドより急速に縮小(成長率がマイナス)していた時期を指摘しよう。どっちのグラフを使うのがいいだろうか、そしてその理由は?
問題 1.2 正解を選ぼう
ギリシャの一人あたりGDPは、2012年には $22,494 で2013年には $21,966 だった。この数字を使うと、2012年から2013年の一人あたりGDP成長率は(小数点以下第2位まで見ると)次のどれだろう:
- 一人あたりGDPは528ドル減った。成長率を見つけるには、それを2012年の一人あたりGDP $22,494 で割ろう(2013年の一人あたりGDP $21,966ではない)。
- ギリシャの一人あたりGDPは、2012年から2013年にかけて減ったので、成長率はマイナスになる。
- 一人あたりGDPの変化は $21,966 − $22,494 = −$528 だ。一人あたりGDPの成長率は、この変化分が2012年の水準のどのくらいの非理かで示される: −$528/$22,494 = −2.35%.
- 一人あたりGDPの減少分 $528 は、$22,494の 2.35% であって 0.235%じゃない。
問題 1.3 正解を選ぼう
ある国の一人あたりGDPは100年ごとに倍になるとする。縦軸に一人あたりGDPを、横軸に年を取って、縦軸を線形目盛にしたグラフと対数目盛にしたグラフを作ったら、グラフの曲線の形はどうなるだろうか?
線形目盛のグラフ | 対数目盛のグラフ |
注: 線形目盛りのグラフは、1と2の高さの差が、2と3の高さの差と同じになるような「普通」のグラフだ。
- 対数目盛のグラフで右肩上がりの直線は、一人あたりGDPの成長率が一定だということだ。線形目盛のグラフで右肩上がりの凹型曲線は一人あたりGDPが時間とともにますます大きな量だけ増えていくことを示していて、これはプラスの成長率一定の場合に当てはまる。
- 線形目盛のグラフで右肩上がりの直線は、一人あたりGDPが毎年同じ額だけ増えるということだ。対数目盛で水平の直線ということは、一人あたりGDPが何年たってもずっと一定ということだ。
- 線形目盛のグラフで右肩上がりの直線は、一人あたりGDPが毎年同じ額だけ増えるということだ。右肩上がりの凸曲線は、成長率が毎年下がるということだ。この問題では成長率は一定となっている。
- 対数目盛のグラフで右肩上がりの凹型曲線は、成長率が毎年上がるということだ。この問題では成長率は一定となっている。
1.4 永続的な技術革命
SF番組『スター・トレック』は2264年が舞台で、人類は友好的な異星人たちとともに、インテリジェントなコンピュータや超高速推進、食べ物や薬品をその場で作り出すレプリケータなどを使って銀河を旅している。そのエピソードがばかばかしいと思う人も、啓発的だと思う人も、技術進歩によって、未来は道徳的にも社会的にも物質的にも一変するという考えかたはわかるはずだ。
1250年の農民の孫たちを待ち受けていたのは『スター・トレック』の未来なんかではなかった。その後五百年にわたり、通常の労働者の生活水準は、目に見える変化はまったくなかった。17世紀にはSFが登場し始めたけれど (1627年のフランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』がその嚆矢の一つだ)、各世代が新技術によって形成される生活の変化を期待できるのは、やっと18世紀になってからだった。
驚異的な科学技術の進歩は、18世紀半ばのイギリスでのホッケースティック屈曲とほぼ同じ時期に起こった。
- 産業革命
- 18世紀イギリスで始まった、技術進歩と組織変化の波で、これにより農業や工芸に基づく経済が、商業と工業の経済へと一変した。
重要な新技術が繊維産業、エネルギー、運輸部門に導入された。その累積的な性質により、それは産業革命と呼ばれるようになった。1800年の時点でも、何世代にもわたり伝えられてきた技能を使う、工芸技術がほとんどの生産プロセスではまだ使われていた。新しい時代は、新しいアイデア、新発見、新手法、新しい機械をもたらし、古い考え方や古い道具は時代遅れとなった。そうした新しい手法は、もっと新しい手法により時代遅れにされた。
- 技術
- 材料などの投入(人の労働や機械を含む)の集合を使い、産出を生産するプロセス。
日常的な用法だと「技術/テクノロジー」というのは、科学知識を使って開発された、機械や設備や装置を指す。経済学でいう技術は材料などの投入(人の労働や機械を含む)の集合を使い、産出を生産するプロセスを指す。たとえば、ケーキを作る技術は、産出(ケーキ)を作るのに必要な投入の組み合わせ(小麦粉などの材料や、かきまぜるなどの労働活動)を特定するレシピにより記述できるケーキを作る別の技術は大規模な機械や材料や労働投入(機械のオペレーター)を使う。
- 技術進歩
- 一定量の産出を生産するのに必要なリソース(労働、機械、土地、エネルギー)を減らすような技術の変化。
産業革命まで、経済の技術(たとえばレシピ通りに作るための技能など)はゆっくりとしか更新されず、世代から世代へと伝えられた。技術進歩が生産を革命的に変えると、靴を一足作るための所要時間は、たった数十年で半減した。同じことが糸紡ぎや布織りや、工場でのケーキ生産についても言える。これが永続的な技術革命の発端となった。ほとんどの産物を作るための必要時間は、世代ごとにどんどん減っていったからだ。
照明の技術変化
空前の変化の勢いについて実感を得るため、明かりの作り方を考えよう。人類史の大半で、照明の技術進歩は遅々たるものだった。遠いご先祖たちは通常、夜の焚き火よりも明るいものは持ち合わせていないのが通例だった。明かりづくりのレシピ(そんなものがあればだけれど)にはこう書かれていたはずだ: 薪をたくさん集め、火が維持されているどこかから火口を借りてきて、火をおこしてそれを維持しろ。
照明の初の大きな技術ブレークスルーがやってきたのは四万年前、獣脂や植物油を燃やすランプの使用だった。照明の技術進歩を測るには、明るさの単位ルーメンが、一時間の労働でどれだけ生み出せるかを見よう。1ルーメンは、だいたい月光1平方メートル分の明るさだ。1ルーメン時間 (lm-hr) は、この明るさが一時間続いたということだ。たとえば焚き火で明かりを作り出すと、一時間の労働をかけて 17 lm-hrができるけれど、獣脂ランプは同じ労働時間で 20 lm-hr 作れる。バビロニアの時代 (1750 BC) には、ゴマ油を使った改良ランプができたので、一時間の労働で 24 lm-hrが作れた。技術進歩は遅々としていた。こんなわずかな改善ですら七千年がかりだった。
その三千年後の1800年代初頭に、最も効率的な照明方式(牛脂ロウソク)は過去の獣脂ランプに比べ、一時間の労働で9倍の明かりを提供した。その後、照明はますます改善され、ガス街灯、灯油ランプ、白熱電球、蛍光灯などの照明形態ができた。1992年に登場した蛍光灯は、200年前の照明と比べて使用労働時間で見ると四万五千倍ほど効率が高い。今日では明かりを作るための労働生産性は、焚き火を囲む先祖の頃に比べ、五十万倍も高くなっている。
図 1.3 は、図 1.1bで導入した対数目盛を使って、照明効率の驚くべきホッケースティック成長を示したものだ。
William Nordhaus. 1998. 'Do Real Output and Real Wage Measures Capture Reality? The History of Lighting Suggests Not'. Cowles Foundation For Research in Economics Paper 1078.
世界を一変させるような技術変化はまだ続いている。ハンス・ロスリングによれば私たちは、何百万人もの女性の厚生を一変させた洗濯機を生み出したことで「工業化よありがとう」と言うべきだそうな。
照明の労働生産性の例からもわかる通り、イノベーションのプロセスは産業革命で終わったりはしなかった。蒸気機関、電力、輸送(運河、鉄道、自動車)、そしてごく最近では情報処理とコミュニケーションの革命といった新技術を多くの産業に適用することでイノベーションは続いた。こうした広く適用できる技術イノベーションは、生活水準の上昇に特に強い勢いを与えた。そした技術は、経済の相当部分の働き方を変えるからだ。
必要なものの生産にかかる労働時間を減らすことで、技術変化は生活水準の大幅な上昇を可能にした。経済史家のデヴィッド・ランデスは、産業革命が「相互に関連し合った技術変化の連続」であり、そうした変化が起こった社会を一変させたと書いた。7
接続された世界
2012年7月、 韓国のヒット曲『江南スタイル』がリリースされた。2012年末までに、これはオーストラリア、ロシア、カナダ、フランス、スペイン、イギリスなど33カ国で大ヒットとなった。『江南スタイル』はYouTubeでも2014年半ばまでに20億回の再生を達成し、最も視聴されたビデオになった。永続的な技術革命が接続された世界を創り出したわけだ。
だれもがその一部になっている。この経済学入門教材を構成する材料は、イギリス、印度、米国、ロシア、コロンビア、南アフリカ、チリ、トルコ、フランスなど多くの国のコンピュータで——しばしば同時に——共同作業をする経済学者、デザイナー、プログラマ、編集者のチームにより作られた。これをオンラインで読んでいるなら、一部の情報送信は光速に近い速度で行われている。世界中で取引される商品のほとんどは、いまでも海洋貨物船の速度である時速33キロで動くけれど、国際金融取引は、あなたがこの文章を読むよりも短時間で行われる。
情報が伝搬する速度は、永続的な技術革命の新規性の証拠をさらに提供してくれる。ある歴史的な出来事が起こった日付と、その出来事が他の場所で初めて記録された日付(日記や手記や新聞への登場)とを比べると、ニュースの伝達速度がわかる。エイブラハム・リンカーンが1860年にアメリカ大統領に選出されたとき、そのニュースはワシントンから電信線の西の端だったフォート・カーニーまで電信で伝えられた。そこからニュースはポニーエクスプレスという馬に乗った伝令たちのリレーで伝えられ、それがネバダ州のフォートチャーチルまでの2,030キロをカバーした。そこからはまたカリフォルニアまで電信で伝えられた。このプロセスは7日と17時間かかった。ポニーエクスプレスの部分では、ニュースの伝搬速度は時速11キロだ。このルートで14グラムの手紙を運ぶと5ドルかかった。これは五日分の賃金に匹敵する金額だった。
似たような計算により、古代ローマとエジプトとの間では、ニュースはおよそ時速1.6キロで伝わったのがわかる。そして1,500年後にベネチアと他の地中海都市との間での情報伝達は、むしろ少し遅くなっていた。でもその数世紀後、図 1.4 でわかる通り、速度は加速しはじめる。1857年にインド兵士たちがイギリス支配に反逆したというニュースがロンドンに届くには「たった」46日しかかからなかった。そしてロンドンの『タイムズ』紙の読者がリンカーン暗殺について知ったのは、事件のたった13日後だった。リンカーンの死後一年で、大西洋横断ケーブルによりニューヨークとロンドン間のニュース伝達は、わずか数分にまで短縮された。
Gregory Clark. 2007. A Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World. Princeton, NJ: Princeton University PressのTables 15.2 と 15.3. 邦訳グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』日経BP社、2009.
1.5 経済と環境
人間は昔から、生活して生活必需品を作るのに必要な資源を環境に頼ってきた: 物理環境とバイオスフィア(地球上の全生命体の集合) は空気、水、食糧といった生命に不可欠なものを提供してくれる。環境はまた、他の財の生産に使う原材料——たとえば材木、金属、石油——を提供してくれる。
図 1.5 は経済についての一つの考え型を示している。経済はもっと大きな社会システムの一部で、それがさらにバイオスフィアの一部になっている。人々は生活物資を作り出すにあたり、お互いだけでなく自然とも相互作用する。
歴史のほとんどを通じて、人類は天然資源が無制限に自由に手に入るものと考えてきた (ただしそれを抽出するための費用は別だ)。でも生産が激増して(図 1.1a と 1.1b参照)、天然資源の利用も自然環境の劣化も加速した。空気、水、土、転向といった生態系の要素はすでに、これまでのどんな時期よりも人間によって激変させられている。
最も衝撃的な影響が気候変動だ。図 1.6a と 1.6b は、化石燃料——石炭、石油、天然ガス——の利用が自然環境に大きく影響したという証拠を示している。何世紀にもわたって比較的変わらなかったのに、20世紀に二酸化炭素 (CO2) の排出を空気中に行ったおかげで、大気中のCO2 は目に見えて大幅に増え (図 1.6a) 、北半球の平均気温が明らかに高くなった (図 1.6b)。図 1.6a はまた、化石燃料消費からの CO2 排出が1800年以来劇的に増えていることを示している。
練習 1.5 数度温かくなったり寒くなったりするとどのくらいの影響があるの?
1300年から1850年にかけて、極度に寒い時期がいくつかあったことが 図 1.6bでわかる。このヨーロッパでの通称「小氷河期」を調べて、以下の質問に応えよう。
- こうした極度に寒い時期がこれらの国々の経済に与えた影響を述べなさい。
- ある国や地域の中で、一部の人は気候変動による被害が特に大きく、一部の人々は被害が少なかった。その例をいくつか挙げよう。
- 20世紀半ば以来の温度上昇や今後予測されているものに比べて、こうした寒い時期はどれほど「極度」だっただろうか?
図 1.6bは、地球の平均気温が十年ごとに変動することを示している。こうした変動の原因はいろいろあって、1815年のインドネシアのタンボラ火山噴火もその一例だ。タンボラ火山は実に多くの火山灰をはき出したので、地球の気温はこうした大気中の微粒子の冷却効果により引き下げられ、1816年は「夏のない年」として知られるようになった。
1010–1975年: David M. Etheridge, L. Paul Steele, Roger J. Francey, and Ray L. Langenfelds. 2012. 'Historical Record from the Law Dome DE08, DE08-2, and DSS Ice Cores'. Division of Atmospheric Research, CSIRO, Aspendale, Victoria, Australia. 1976–2010年: Mauna Loa 天文台からのデータ. T. A. Boden, G. Marland, and Robert J. Andres. 2010. 'Global, Regional and National Fossil-Fuel CO2 Emissions'. Carbon Dioxide Information Analysis Center (CDIAC) Datasets.
1900年以来、平均気温はますます高まる温室ガス濃度のおかげで上がった。こうした温室ガスは主に、化石燃料の年商に伴う CO2 排出から生じている。
Michael E. Mann, Zhihua Zhang, Malcolm K. Hughes, Raymond S. Bradley, Sonya K. Miller, Scott Rutherford, and Fenbiao Ni. 2008. 'Proxy-based reconstructions of hemispheric and global surface temperature variations over the past two millennia'. Proceedings of the National Academy of Sciences 105 (36): pp. 13252–13257.
気候変動が人為的なもので本当に起きていることは、もはや科学コミュニティでは大きな論争にはなっていない。地球温暖化の影響として考えられるものは実に広範だ。南極や北極の氷冠の溶解、海面上昇による大量の沿岸地域の沈下、気候と降雨パターンの変化による世界の食糧育成地域破壊の可能性。こうした変化の長期的な物理的経済的影響と、その結果として政府が採れる適切な政策は、20章(環境の経済学)で詳しく扱う。
気候変動に関する研究とデータの権威ある情報源は気候変動に関する政府間パネル(IPCC)だ。
気候変動は世界的な変化だ。でも化石燃料を燃やす環境的な影響の多くは局地的で、都市住民は発電所や自動車などからの高水準の有害排出の結果として、呼吸器系などの病気に苦しむ。地方社会もまた森林破壊(これも気候変動の原因の一つだ)やきれいな水や魚のストック枯渇などに影響を受ける。
世界気候変動から局所的な資源枯渇まで、こうした影響は経済拡大(総産出の増大で示される)と経済が組織される方法(どんなものが価値あるとされてほぞんされるか、など)の両方の結果だ。図 1.5に示される経済と環境の関係は双方向だ。私たちは天然資源を生産に使い、それが今度は人々の暮らす環境と、それが将来の生産を支える能力に影響する。
でも永続的な技術革命——化石燃料依存をもたらしたもの——はこんにちの環境問題の解決策の一部になるかもしれない。
図 1.3に示した、光を作るための労働生産性を思い出そう。歴史を通じて見られたすさまじい増加、特に19世紀半ば以来の進歩が起こったのは、一定量の熱で生み出される光(たとえば焚き火、ロウソク、電球によるもの)が劇的に増えたせいだ。
照明では、永続的な技術革命が、少ない熱で多くの光をもたらしてくれた。これにより熱を生み出すための天然資源——薪や化石燃料——は節約された。今日の技術の進歩は、風力、太陽光などの再生可能エネルギーへの依存度を高めてくれるかもしれない。
問題 1.4 正解を選ぼう
以下の変数のうち、通称「ホッケースティック」のような変化——つまり、歴史のほどんどにわたりほぼまったく成長せじ、いきなり急激にプラスの成長率に変動を見せたものはどれだろう?
- 一人あたりGDPは工業化以前の経済ではゆっくりとしか成長しないか、まったく成長しなかったけれど、工業化からはますます成長が加速している。
- 労働生産性は工業化以前の経済ではゆっくりとしか成長しないか、まったく成長しなかったけれど、工業化からはますます成長が加速している。
- 経済格差は一方向のトレンドは見せていない。初期の狩猟採集部族はまちがいなくほぼ完全に平等だったけれど、現代の経済はきわめて平等からきわめて不平等まで様々だ。
- 図 1.6aを見よう。大気中の CO2 増大は産業革命で導入された技術が広まり化石燃料が燃やされた結果として19世紀半ばから始まった。
1.6 資本主義を定義する: 私有財産、市場、企業
図 1.1a, 1.1b, 1.3, 1.4 and 1.6のデータを振り返ると、ホッケースティックの変曲点のような突然の上昇が以下のものについて繰り返されているのがわかる:
- 一人あたりGDP
- 労働生産性 (一時間の労働あたりの光)
- 世界各地の接続性 (ニュース伝搬速度)
- 経済が地球環境に与える影響 (炭素排出と気候変動)
伝染病や戦争でもない限り生活条件がほとんど変わらない世界から、世代ごとに明確に生活条件が改善し、しかも改善することが事前にわかるような世界への変化はどう説明できるだろうか?
答の重要な一部は、資本主義革命と私たちが呼ぶものとなる。いまや資本主義と呼ばれる経済組織かの手法が18世紀に生まれ、それがやがて世界中に広がったのだ。「資本主義」という用語――定義はすぐに行う――は一世紀前にはほとんど流通していなかったけれど、図 1.7でわかるように、その後その使用は爆発的に増えた。図は『ニューヨーク・タイムズ』の全記事(ただしスポーツ面を除く)の中で、「資本主義」という言葉を含むものの割合だ。
- 資本主義
- 私有財産、市場、企業が重要な役割を果たす経済システム。
- 経済システム
- 経済全体での財やサービスの生産と流通をまとめあげる制度群。
- 制度
- 社会で人々が相互に作用しあうやり方を律する、法律や社会慣習。
資本主義 は、ある特定の制度の組み合わせを特徴とする 経済システムだ。経済システムというのは、経済全体での財やサービスの生産と流通をまとめあげる制度群のことだ。そして制度というのは、ここでは家族や民間事業や政府で、人々が相互に作用しあうやり方をそれぞれちがった形で律する、法律や社会慣習の各種集合を指す。
私有財産
私有財産というのはつまり:
- 持ち主がその所有物を好きなように享受できる
- その気なら他人をその利用から排除できる
- 別の人に、それを贈ったり売ったりすることで処分できて……
- ……その相手が次の持ち主となる
過去の経済の一部では、鍵となる経済制度は私有財産 (人はモノを所有できる)、市場 (財を売買できる)、家族だった。財は通常、所有者と従業員のいる企業ではなく、いっしょに働く家族により生産された。
他の社会では、政府こそが生産を律する制度で、その財をだれにどう分配するかを決めるのも政府だった。これは中央計画経済システムと呼ばれる。これはたとえばソヴィエト連邦や東ドイツなど、1990年代初頭に共産党支配が終わるまで多くの東欧諸国に存在していた。
政府や家族はあらゆる経済の活動で不可欠な一部ではあるけれど、今日のほとんどの経済は資本主義だ。ほとんどの人は資本主義経済で暮らしているので、資本主義がうまく機能するための制度の重要性は見落としがちになってしまう。あまりにお馴染みなので、それに改めて気がつくことすらほとんどない。私有財産、市場、企業が組み合わさって資本主義経済システムを構築する様子を見る前に、まずはそれらを定義しよう。
人類史を通じて、私有財産の範囲は様々だ。はるか昔のご先祖様である狩猟採集民などの社会では、個人の装飾や衣服以外はほとんど何も個人が所有していなかった。別の社会では、作物や動物は私有財産だけれど、土地はちがった。土地を使う権利は、集団のメンバー同士の合意や首長により与えられ、それを受けた家族は土地を売ることはできなかった。
他の経済システムでは、一部の人間――奴隷――も私有財産だった。
- 資本財
- 財やサービスの生産に使われる設備、建物、原材料などの投入。場合によってはそこで使われる特許などの知的財産も含まれる。
資本主義経済では、私有財産の重要な一種が、財やサービスの生産に使われる設備、建物、原材料などの投入だ。これは資本財と呼ばれる。
私有財産は、個人が所有してもいいし、家族、事業体など政府以外のどんな組織が所有してもいい。人々が価値あると考えるものの一部は私有財産ではない。たとえばみんなが呼吸する空気や、みんなが使うほとんどの知識は、所有もできず売買もできない。
問題 1.5 正解を選ぼう
次のうち私有財産はどれだろう?
- 大学所有のコンピュータは多くの学生が使うこともあるけれど、それでも大学の財産だ。それを使うには支払い(学費)が必要だし、生徒でない人の使用は排除できる。
- ソヴィエト時代のロシアでは、土地は国が他の人に移転させることもできたので、私有財産ではない。
- 企業の株は、その会社の将来利潤を受け取る権利を示す。この権利は所有者の好くなように売ったり、あげたり、行使したりできるし、株主以外の人々には得られない所得を表している。
- 知的財産は私有財産(会社、大学、その人自身が所有)ではあるけれど、人の技能一般は他人に譲渡して、他人がその所有者になるわけにはいかない。
市場
市場とは:
- 相互に利得ある形で人々を結びつける方法
- その利得は、財やサービスの交換で生じる
- そしてその交換は売買プロセスを通じて行われる
市場はある人から別の人に財やサービスを移転する手段だ。そうした移転は他のやり方もある。盗んだり、贈ったり、政府の命令で行ったりする方法もあるからだ。市場は以下の三つの点でこうした手法とはちがっている:
- 互恵的:贈り物や窃盗とはちがい、ある人が別の人に財やサービスを移転すれば、それが直接的に逆方向の移転でお返しされる(物々交換のように他の財やサービスがお返しになることもあるし、お金で返すこともあるし、ツケや信用買いのように、後で移転を行うという約束をお返しすることもある)。
- 自発的:売り手側と買い手側のどちらの移転も自発的だ。そこで交換されるものは私有財産だからだ。だからその取引は、どちらの側も利得があると思わなくてはならない。この点で市場は盗みとはちがうし、中央計画経済での財やサービスの移転ともちがっている。
- 競争:ほとんどの市場には競争がある。たとえば高い値段をつける売り手は、買い手が競合する他の売り手から買いたがるのを思い知らされる。
練習 1.6 極貧者の小屋
「極貧者はその小屋の中では、王室のあらゆる力をはねつけることができる。その小屋は脆く、屋根はぐらぐらかもしれぬ。窓は風が吹き込み、嵐にも襲われ、雨も入り込むやもしれぬ――だがイングランドの王は入れぬのだ。その軍勢すべては、このおんぼろ掘っ立て小屋の敷居を決して越えてはならぬのである」――チャタム初代伯爵ウィリアム・ピット、イギリス議会での演説 (1763).
- この演説で私有財産の意味について何がわかるだろうか?
- これはあなたの国の人々の家にも当てはまるだろうか?
練習 1.7 市場とソーシャルネットワーク
Facebookなど、使っているソーシャルネットワークサイトを考えて見よう。そして市場の定義を考えよう。
そのソーシャルネットワークサイトと市場とが、似ている点とちがっている点を挙げてみよう。
問題 1.6 正解を選ぼう
次の中で市場の例はどれだろう?
- 中央集権経済で、政府の命令の結果として生じる財やサービスの移転は市場ではない。
- オークション(競売)に基づく市場もやはり市場だ。ただ値づけの仕組みが、交渉や提示価格ではなく、競りに基づくだけだ。
- 再販市場もやはり市場にはちがいない。そこで扱われている財がすでに一度販売されたものであっても話は同じだ。
- 非合法市場といえども、経済的な意味では市場にはちがいない。
企業
企業は、生産を組織する手法として以下の特徴を持つ:
- 生産に使われる資本財の集合を一人以上の個人が所有する。
- 従業員に賃金や給料を支払う。
- 財やサービスの生産について従業員を指示する(これまた雇ったマネージャを通じて)。
- 作られた財やサービスは所有者の財産だ。
- 所有者は、利潤を得るつもりでその財やサービスを市場で販売する。
でも私有財産と市場だけでは資本主義を定義づけられない。多くの場所で、この二つは資本主義のはるか以前から重要な制度だったからだ。資本主義経済を構成する三つの要素の中で、いちばん最近のものが企業だ。
資本主義経済を構築する企業としては、レストラン、銀行、他人に働いてもらうのにお金を支払う大企業、工業会社、スーパーマーケット、インターネットのサービスプロバイダなどがある。企業以外にも生産組織はあり、これらは資本主義経済では企業ほどの役割は果たさない。たとえば家族事業では、働くほとんどの人は家族の一員だし、非営利組織、従業員所有の協同組合、政府所有組織(たとえば鉄道や電力や水道会社)がある。これらは企業ではない。利潤をあげないものもあるし、所有者が、企業の資産を所有してそこで働くよう他人を雇うような民間の個人ではないからだ。注: 企業は従業員に賃金や給料を払うが、無給の学生インターンを受け入れた場合でもやはり企業だ。
- 労働市場
- 労働市場では、雇用者は個人に対して賃金を提示し、その個人は雇用者の指示の下で働くことに同意する。経済学者たちの表現では、雇用者がこの市場の需要側にいて、従業員は供給側にいる。「労働力」も参照。
多くの経済では企業は資本主義経済の場合のように、財やサービスの生産における主流の組織となるはるか以前から存在し、小さな役割はずっと果たしてきた。企業の役割拡大で、初期の経済システムでは限られた役割しか果たさなかった別種の市場が大きく拡大した。それが労働市場だ。企業所有者(またはその下ではたらくマネージャ)は仕事を探す人々を惹きつけるだけの高い賃金や給料で仕事を提示する。
- 需要側
- 市場の中で、何か財やサービス(たとえばパンを買う)と交換するものとしてお金を提示している参加者の側。「供給側」も参照。
- 供給側
- 市場の中で、参加者がお金をもらうために何かを提示している(たとえばパンを売る)側。「需要側」も参照。
経済用語では、雇用者は労働市場の需要側で(かれらは従業員を「受容」するから)、労働者は供給側であり、雇う側の所有者やマネージャたちの指示の下で働こうと提示している。
企業の驚くべき特徴で、家族や政府とちがっている点は、それが実にすばやく生まれ、拡大し、縮小して潰れるという点だ。成功する企業は、ほんの数人の従業員から、何十万人もの顧客を持ち、何千人もの従業員を雇うグローバル企業へと、ほんの数年で成長できる。企業にこれができるのは、追加の従業員を労働市場で雇い、生産拡大に必要な資本財を買うための資金を集められるからだ。
企業はほんの数年で潰れることもある。これは利潤を出さない企業が、人を雇い続けて生産を続けるのに十分なお金が得られない(そしてお金を借りられない)からだ。そうした企業は縮小し、そこで働く人の一部は失業する。
これを成功した家族農場と対比させてみよう。家族はそのご近所よりも繁栄する。でも家族農場を企業化して、そこで働く人を雇わない限り、拡大余地は限られている。逆にその一家があまり農業に長けていなければ、単にご近所よりも儲からないだけだ。家長は、企業が非生産的な従業員をクビにするのとはちがって、子供をクビにするわけにはいかない。家族が食いつなげる限り、この農場を自動的に廃業させるような、企業の倒産に匹敵する仕組みはない。
政府組織もまた、成功しても拡大できる能力は限られているし、通常はできが悪くても破綻からは保護されている。
資本主義の厳密な定義
日常用語としての「資本主義」は別の使い方をされる。それは人々がこれについて強い感情を抱いているせいもある。経済学の用語では、この言葉を厳密な形で使う。そのほうが話が通じやすいからだ。私たちは資本主義を、三つの制度を組み合わせた経済システムだと定義する。その三つもやはり定義される必要がある。
「資本主義」はある決まった経済システムを指すものではなく、こうした共通の特徴を持つシステム群を指す。資本主義の制度――私有財産、市場、企業――がお互いにどう組み合わさり、家族、政府などの制度とどう関わり合うかは、国ごとに大きくちがう。ちょうど氷と水蒸気がどちらも「水」(化学的には水素原子二つが酸素原子一つと結合しているものと定義される)であるように、中国と米国はどちらも資本主義経済だ。でも両国は、政府が経済活動に与える影響の範囲など多くの点でちがっている。これが示すように、社会科学の定義は、自然科学での定義ほどは厳密になれないことも多い。
人によっては「氷なんて水とはいえない」と言い、その定義が言葉の「本当の意味」ではないと異議を唱えるかもしれない。でも何が「本当」かをめぐる論争(特に資本主義とか民主主義といった複雑な抽象概念について)は、そもそもの定義の意義を忘れている。水や資本主義の定義は、何かその概念の本当の意味を捉えるものではない――むしろ話を通じやすくするための価値のある装置だと考えるべきだ。
社会科学での定義は、自然科学での定義ほどは厳密になれないことも多い。水とちがって、資本主義経済システムを定義するのに、簡単に計測できる物理的特性を同定するわけにはいかないのだ。
練習 1.8 資本主義
もう一度図 1.7を見よう。
- 資本主義という用語の利用が一時的に跳ね上がる理由の説明を思いつくだろうか?
- 1980年代末からその利用が高止まりしている理由は何だろうか?
1.7 経済システムとしての資本主義
図 1.8を見ると、資本主義を定義づける三つの部分は概念として階層化されていることがわかる。左の円は、孤立した家族の経済をあらわす。それぞれの家族は自分たちの資本財と生産した財を所有はするけれど、それを他の人々と交換することはほとんどない。
資本主義システムで、生産は企業内で行われる。市場や私有財産は企業の働きの不可欠な部分だ。理由は二つある:
- 投入と産出は私有財産だ: 企業の建物、設備、特許などの生産投入や、その結果としての産出は、企業所有者のものだ。
- 企業は産出を売るのに市場を使う: 企業所有者の利潤は、顧客がその製品を、製造費用をカバーする以上の価格で喜んで買ってくれる市場に依存している。8
歴史的には左側の円のような経済も存在はしたけれど、市場と私有財産が組み合わさったシステム (真ん中の円) に比べれば、重要性はずっと低い。私有財産は、市場の機能にとって不可欠な必要条件だ。買い手は、自分が所有権を持てないなら財にお金を払いたがらない。真ん中の円では、ほとんどの生産は個人が行うか(靴屋や鍛冶屋などだ)、家族内で行われる(たとえば農場で)。1600年以前には、世界各地の経済の大半はそういうものだった。
- 所有権
- 何かを使い、他人がそれを使うのを排除する権利、および所有しているものを売る権利。
資本主義経済システムの決定的な特徴は、企業内で使われるよう組織されている 資本財の私的所有権だ。他の経済システムは、土地の私有の重要性や、奴隷の存在や、資本財の政府所有や、企業の役割が限られていることなどが特徴となる。資本主義経済はまた、それ以前の経済とは生産で使われる資本財の規模の点でもちがっている。紡ぎ車に変わり、巨大な動力紡績機が登場した。かつては農夫が鍬を使って行っていた仕事を、いまやトラクターが鋤を引っ張って行っている。
資本主義は、中央集権と分散化を組み合わせた経済システムだ。権力を企業の所有者やマネージャたちの手に集中させ、かれらが大量の従業員を生産プロセスに協力させる。でも同時に、企業所有者などの個人の権力は限られる。市場で売買するときに競争に直面するからだ。
だから企業の所有者が従業員と相互作用するときには、その所有者が「ボス」だ。でもその同じ所有者が潜在的な顧客と相互作用するときには、単に他社との競争の中で売上げを立てようとしている人間の一人でしかなくなる。経済システムとしての資本主義の成功を説明するのは、こうした企業同士の競争と、企業内での権力集中と協力という異様な組み合わせだ。
資本主義はなぜ生活水準向上をもたらすの?
二つの大きな変化が資本主義の台頭と共に生じ、その両方が個別労働者の生産性を高めた:
技術
すでに見た通り、支配的な生産組織形態として企業への移行が起こると同時期に、永続的な技術革命が起こった。だからといって、企業が必ずしも技術変化を引き起こしたということではない。でもお互いに市場で競争する企業は、新しい生産性の高い技術を採用して開発する強いインセンティブがあり、また小規模な家族事業の手の届かないような資本財に投資する理由もあった。
専門特化
多数の労働者を雇う企業の成長——そして交換プロセスで世界中を結びつける市場の拡大——は、人々が作業をする業務や製品について歴史的に空前の専門特化を可能にした。次の節では、この専門特化が労働生産性と生活水準を上げた様子を検討する。
練習 1.9 これは企業だろうか?
私たちの定義を使って、以下の存在が企業かどうかを説明しよう。それが企業を定義づける特徴を満たしているか検討してほしい。知らないなら、これらの存在をオンラインで検索してもいい。
- ジョン・ルイス・パートナーシップ (UK)
- ベトナムの家族農場
- あなたのかかりつけの医者の医院
- ウォルマート (US)
- 18世紀の海賊船 (第5章の「ロイヤルローバー号」の説明を読もう)
- グーグル (US)
- マンチェスター・ユナイテッド plc (UK)
- ウィキペディア
1.8 専門特化による利得
資本主義と専門特化
作業場所にあるものを見回してみよう。それを作った人がだれか知っているだろうか?衣服はどうだろう?あるいは、いますわっているところから見えるものの一つでも、作った人がわかるだろうか?
さて、いまが1776年だと想像してみよう。アダム・スミスが『国富論』を書いた年だ。同じ質問を世界のどんなところでしても、答はまったくちがったものだっただろう。
当時、多くの家族は自分で使う様々なものを自分で生産していた。穀物、肉、布、道具ですら自作だ。アダム・スミスの時代に目にしたものの多くは、家族の一員か村のだれかの作ったものだったはずだ。中には自分で作ったものもあっただろう。他のものも近くで作られて村の市場で買ったものだろう。
- 規模の経済
- 規模の経済は、ある生産への投入をすべて倍にしたとき、産出が倍以上になる場合に起きる。企業の長期的な平均費用の形は、生産の規模の経済と、規模がその投入に対して支払う費用をどう変えるかで決まってくる。「規模の収穫逓増」とも呼ばれる。「規模の不経済」も参照。
アダム・スミスの時代にも起こりつつあり、その後大きく加速したのが、財やサービスの生産の専門特化だ。スミスが説明したように、人がそれぞれ限られた幅の活動に専念すると、全体でモノを生産する能力が改善する。これが起こる理由は三つある:
- やってみて学習: ものを作るうちに技能が身につく。
- 能力のちがい: 技能的な理由や、土壌の質などの自然環境のせいで、人によって何かを作る能力が他の人より優れていたりする。
- 規模の経済: 同じ財を大量に作るほうが、少しだけ作るよりも費用効率が高いことが多い。これについては第7章で詳しく検討する。
限られた作業や製品だけを扱う利点はこうしたものだ。人々は普通、日常生活で使ったり消費したりするものをすべて自分で作ったりはしない。むしろ専門特化して、ある人はこっちの財をつくり、他の人は別の財を造り、溶接工として働く人もいれば、先生や農夫として働く人もいる。
でも、必要な他の財を手に入れる手段がなければ、だれも専門特化はしない。
このため、専門特化――あるいは分業――は社会にとって問題を投げかける。どうやって財やサービスを生産者から最終利用者に分配すればいいんだろうか? 歴史の過程で、これは様々なちがった方法で実現された。政府が直接に割り当てを行うこともあった。これは第二次世界大戦中に、アメリカをはじめ多くの経済で行われていた。あるいは贈与や自発的な共有もある。これは今日の家族内で行われているし、狩猟採集民時代のご先祖には、血縁関係のないコミュニティの成員たちさえ実践していた。資本主義は市場と企業双方の重要性を拡大することで、専門特化の機会を促進した。
専門特化は政府の中や家族の中でも存在する。だれがどの家の用事をやるかは、しばしば年齢と性別で決まっているからだ。ここでは企業と市場での分業を検討しよう。
企業内の分業
アダム・スミスは『国富論』を、以下の文で始めている:
労働の生産力や、それをどの方向にせよ導く上手さ、柔軟さ、判断力などのかなりの面 で、いちばん大きな向上をもたらしたのは、分業の効果のようだ。
スミスはそれに続いて、作業員の作業特化により、スミスとしては驚異的に思えたほどの生産性――一日あたり作るピンの本数――を実現するピン工場を描く。企業は何千人、何十万人もの個人を雇い、そのほとんどは企業所有者やマネージャの指示にしたがって、専門特化した作業に従事している。
この企業の描き方は、てっぺんから底辺までの企業のピラミッド構造を強調している。でも企業の別の見方として、それぞれ独自の技能や能力を持つ多数の人々が、製品という共通の結果に貢献するための手段と考えてもいい。つまり企業は専門特化した生産者の協力を促進し、それが生産性を高める。
企業の中でだれが何をやるか、その理由については、第6章でまた検討しよう。
市場、専門特化、比較優位
『国富論』第3章は「分業は市場の規模によって制約される」と題されている。そこでスミスはこう説明する:
市場がとても小さければ、だれも一つの職業に専念しようという気にはならない。自分自身の消費できる範囲を超えた、自分の労働の産物を、他人の労働の産物で必要なものの余剰部分と交換できないからだ。
「市場」という言葉を聞いたとき、他のどんな言葉を連想しただろうか?「競争」を思い浮かべたんじゃないだろうか。そしてこの二つの言葉を結びつけるのは正しい。
でも「協力」という言葉を連想した人もいるかもしれない。なぜだろう? それは市場が、自分の個人的な目標を追求しているそれぞれの人々をいっしょに働くように仕向け、財やサービスを生産させるからだ。その結果は、完璧にはほど遠いとはいえ、他のやり方よりはましな場合が多い。
市場は驚異的な結果を達成する: 世界的な規模で、意図しない協力を作り出すのだ。あなたの机の上にある電話を作った人々は、あなたのことなんか知りもしないし気にかけてもいない。それをあなたではなくその人々が作ったのは、かれらのほうが電話づくりが上手かったからだし、あなたがそれを手に入れたのは、あなたがその人々に支払いをして、かれが必要な財を変えるようにしたからだ。その財を造ったのも、かれらがまったく知らない人々だ。
簡単な例を考えると、各種の財の生産能力がちがう人々が、市場のおかげで専門特化できることがわかる。そしてそこから意外なことがわかる: 他の人がもっと安く生産できるものであっても、別の生産者がそれに専門特化することで生産者たちは得をするのだ。
二人(グレタとカルロス)しかいない世界を考えよう。どちらも生きるためには二つの財、リンゴと小麦を必要としている。グレタが使える時間 (たとえば年に2000時間) をリンゴ生産にかけたら、1,250 個作れる。小麦だけに専念したら、年50トンを作れる。カルロスの土地はどっちの作物についてもグレタの土地ほど肥沃ではない: あらゆる時間(グレタと同じ)をリンゴ育成にかけたら年間1,000個、小麦に専念したら年20トンを作れる。図 1.9a にこれをまとめた。
時間の 100% を一つの財の生産にあてたときの生産量 | |
---|---|
グレタ | リンゴ 1,250 個 または小麦 50 トン |
カルロス | リンゴ 1,000 個 または小麦 20 トン |
- 絶対優位
- ある人物や国は、この財の生産のために使う投入が他の人や国より少なければ絶対優位を持つ。「比較優位」も参照。
カルロスの土地はどちらの作物生産についても劣っているけれど、グレタと比べた劣り具合は、小麦よりはリンゴのほうがまだ少ない。グレタは小麦ならカルロスの二倍半も作れるけれど、リンゴならたった25%多いだけだ。
経済学者は、だれが何を生産するのに長けているかという話を、二つの形で区別する。絶対優位と比較優位だ。
グレタはどちらの作物についても 絶対優位 を持つ。カルロスは絶対劣位を持つ。どちらの作物についても、グレタのほうがたくさん作れる。
- 比較優位
- ある人物や国が特定の財の生産に比較優位を持つというのは、その財を追加で1単位生産するのに必要な費用を別の財を生産する費用に比べたとき、それが別の人や国が同じ二つの財を生産するときの費用よりも低い場合となる。「絶対優位」も参照。
グレタは小麦に比較優位を持つ。カルロスはリンゴに比較優位を持つ。グレタのほうが優れていても、カルロスの劣位が最も少ないのはリンゴだ。グレタは小麦生産に比較優位を持つ。
最初、カルロスとグレタはお互いに交易できない。どちらも自給自足して、自分が生産する量だけを消費するしかないので、生きるために二人とも両方生産する。グレタはリンゴ生産に時間の40%をかけ、残りを小麦生産に使う。図 1.9bの一列目を見ると、リンゴ500個を生産消費して、小麦30トンを生産消費しているのがわかる。カルロスの消費もそこでわかる。30%の時間でリンゴを作り、70%の時間で小麦を作っている。
さてリンゴと小麦を売買できる市場があって、リンゴ40個が小麦1トンの価格で買えるとしよう。グレタが小麦だけの生産に特化したら、小麦50トンを生産し、リンゴ生産はゼロになる。そしてカルロスはリンゴに特化すれば、自給自足の常態にくらべてどちらの作物も総生産量は増える(二列目)。そして両者がお互いの作物の一部を市場で売り、相手が生産した財の一部を買えばいい。
たとえば、グレタが小麦を15トン売って(三列目)、リンゴ600個を買ったとする。すると以前よりもリンゴも小麦もたくさん消費できる(四列目)。そして表を見ると、リンゴ600個を売って小麦15トンを買ったカルロスのほうも、専門特化と交易がない場合に比べて、どっちの財もたくさん消費できることがわかる。
自給自足 | 完全に専門特化して交易 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
生産 | 取引 | 消費 | |||||
1 | 2 | 3 | 4 | ||||
グレタ | リンゴ | 500 | 0 | 600 | |||
小麦 | 30 | 50 | = | 15 | + | 35 | |
カルロス | リンゴ | 300 | 1,000 | = | 600 | + | 400 |
小麦 | 14 | 0 | 15 | ||||
合計 | リンゴ | 800 | 1,000 | 600 | 1,000 | ||
小麦 | 44 | 50 | 15 | 50 |
この例を構築するとき、市場価格は小麦一トンがリンゴ40個と交換できる水準だと想定している。市場の仕組みについては第7章から12章でまた検討するけれど、練習 1.10 を見ると、この想定が決定的なものでなかったのがわかる。グレタとカルロスが交易することで二人とも得をするような価格は他にもある。
交易の機会――つまりリンゴ市場と小麦市場の存在――はグレタとカルロスの両者にとって利益をもたらした。これが可能だったのは、単一の財の生産に特化することで、どちらの財についても生産量が増えたからだ。リンゴは800個だったのが1000個になり、小麦は44トンから50トンに増えた。上で述べた意外な結果というのは、グレタは自分でリンゴを作ったほうが(労働時間で見れば)安上がりなのに、それでもカルロスからリンゴ600個を買うことになったということだ。そのほうが、お互いに時間の使い方として優れているのだ。グレタは両方の財の生産に絶対優位を持っていたけれど、でもカルロスのほうがリンゴ生産に比較優位を持つからだ。
市場は、人々が比較優位を持つ財の生産に特化できるようにしてくれるので、労働生産性を高めるのに貢献する――だから歴史のホッケースティックの説明にも役立つ。比較優位のある財とはつまり、その人が――相対的に言って――出来の悪さがもっとも小さいもの、ということだ!
練習 1.10 リンゴと小麦
仮に市場価格が、小麦1トンでリンゴ35個が買える水準だったとしよう。
- グレタが小麦16トンを売ったら、彼女とカルロスは二人とも得をするだろうか?
- 小麦1トンでリンゴ20個しか買えない場合はどうなるだろう?
1.9 資本主義、因果関係、歴史のホッケースティック
資本主義と関連した制度が、専門特化と新技術導入の機会を通じて、人々の生活をよくする可能性を持つことを見てきた。また、永続的な技術革命が資本主義の台頭と同じ時期に起きたことも見た。でもここから、資本主義がホッケースティックの上向きの屈曲を作り出したと結論していいだろうか?
複雑なもの(資本主義)が何か別のもの(生活水準向上、技術改善、ネットワーク化された世界、環境面での課題)の「原因」だとだれかが主張したら、眉にツバをつけるようにしよう。
科学では、XがYの原因だという主張を支持する場合には、原因 (X) と結果 (Y) の関係を理解したうえで、XとYを計測するための実験を行って証拠を集める。
- 因果関係
- 原因から結果に向かう方向性であり、前者の変数が後者の変数の変化を引き起こすことを示すもの。相関は、二つのものがいっしょに変化したという主張でしかないが、因果関係はそのつながりを説明するメカニズムがあることを含意しており、したがって相関性よりももっと制約の強い概念となる。「相関性」も参照。
経済学では因果関係を主張したい――なぜ何かが起こるかを理解したいし、経済がもっとうまく機能するために何かを変える方法を考案したりしたいからだ。つまりは、政策XがおそらくYという変化を引き起こすだろうという因果関係の主張をするということだ。たとえば経済学者は「もし中央銀行が金利を引き下げたら、家や車を買う人は増える」といった主張をしようとする。
でも経済は何百万もの人々の相互作用で構成される。そのすべてを計測し理解するわけにはいかないし、実験を行って証拠を集めるのもなかなかむずかしい (でも第4章では経済学のある部分で、一般的な実験を使う例を示そう)。では経済学者はどんなふうに科学を実践するだろうか? この例を見れば、世の中で観察できることが因果関係の探索に役立つことがわかる。
経済学者は事実から学ぶ 制度は所得増大を左右するだろうか?
- 自然実験
- 研究者が参加者たちを治験群と対照群に分けられないような場合に、自然に生じた統計的な対照比較を活用する実証研究。普通の実験にかわり、法、政策、天候などのできごとにより、人口群がまるで実験に参加したかのように分析できるようになる。こうした研究の有効性は、被験者たちが自然発生的な治験群と対照群に振り分けられるやりかたが、十分に無作為だと言えるかどうかで決まってくる。
資本主義は、産業革命とホッケースティックが上向きに転じる頃と同時期かその直前に生じたことがわかる。これは、資本趣致の制度が継続的な生産性上昇の時代の原因の一つだという仮説とは整合するだろう。でも「啓蒙主義」と呼ばれる自由思想の文化環境の台頭もまた、ホッケースティックが上向きに転じる時期に先立つか、同時期に起きた。すると原因と言えるのは制度なのか、文化なのか、その両方なのか、それともなにかちがう原因群なのか? 第2章で示すように、「産業革命を引き起こしたなのは何か?」と尋ねられたとき、経済学者たちと歴史学者たちは意見がわかれる。
あらゆる分野の学者たちは、事実を使うことで意見が分かれるものの幅を狭めようとする。「制度は経済を左右するのか?」といった複雑な経済問題については、事実が結論をもたらすのに十分な情報を与えてくれるかもしれない。
これをやる手法の一つは自然実験と呼ばれる。これは何か興味を持っているもの――たとえば制度の変化――について差があり、それが他に考えられる原因の差とは関連していない場合のことだ。
第二次大戦後にドイツが二つのちがう経済システムに分かれたのは――東独は中央計画、西独は資本主義――自然実験となった。この時期には、イギリス首相ウィンストン・チャーチルが政治的な「鉄のカーテン」と呼んだものが、ドイツを二分していた。それまで同じ言語、文化、資本主義経済を共有していた二つの人口群が隔てられてしまったのだ。9
ある人口群まるごとに対して実験を行うことができたとしても、過去は変えられない。だから自然実験に頼ることになる。以下のインタビューで生物学者ジャレド・ダイアモンドと統治研究者ジェイムズ・ロビンソンが説明する通り。
第二次大戦前の1936年には、後に西ドイツと東ドイツになるものの生活水準は同じだった。これは自然実験手法を使うのに適した状況だ。戦争前に、ザクセン地方とテューリンゲン地方の企業は自動車、航空機、化学、光学機器、精密機械で世界最先端だった。
東ドイツでの中央計画経済の導入に伴い、私有財産、市場、企業は実質的に消えた。何をどれだけ、どの工場やオフィスや鉱山や農場で造るか、といった決定は、民間の個人ではなく、政府官僚によって決められた。こうした経済組織を管理する官僚たちは、資本主義の原理にしたがう必要はなく、顧客が製造費用を上回る価格で買うような財やサービスを生産する必要もなかった。
西ドイツは資本主義経済のままだった。
1958年の東ドイツ共産党による予測では、1961年までに物質的な厚生は西ドイツの水準を上回るようになるはずだった。この予測がはずれたせいもあって、1961年には西ドイツと東ドイツを隔てるベルリンの壁が建設された。1989年にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツが中央計画経済を放棄する頃には、東ドイツの一人あたりGDPは資本主義の西ドイツの半分に満たなかった。図 1.10を見ると、東西ドイツと他に二つの国がどんな道筋をたどったかがわかる。図は対数目盛を使っている。
Conference Board, The. 2015. Total Economy Database. Angus Maddison. 2001. 'The World Economy: A Millennial Perspective'. Development Centre Studies. Paris: OECD.
図 1.10を見ると、西ドイツは1950年に東ドイツよりも有利な立場から出発していたことがわかる。でも第二次大戦前の1936年には、東西どちらのドイツも、ほぼ同じ生活水準だった。どちらの地域も見事に工業化していた。東ドイツが1950年に相対的に弱かったのは、人口一人あたりの資本設備や技能の量的な差によるものではなく、東ドイツの産業は西ドイツよりも、国の分裂により大きく攪乱されたからだ。10
1950年にもっと低い一人あたりGDPを持っていた資本主義経済とはちがい、東ドイツの計画経済は、西ドイツを含む世界の先進経済に追いつけなかった。1989年になると、日本経済(こちらも戦争被害に苦しんだ)は、これまた独自の私有財産、市場、企業の組み合わせと、政府による強い調整機能により、西ドイツに追いついたし、スペインもその差をある程度縮めた。
ドイツの自然実験からは、資本主義が常に急速な経済成長をもたらし、中央計画経済が必ず相対的な停滞を引き起こすと結論づけることはできない。この実験から引き出せるものはもっと限られている。20世紀の後半には、経済制度のちがいはドイツ国民の生計に影響があったということしか言えない。
1.10 資本主義いろいろ: 制度、政府、経済
資本主義国がすべて、 図 1.1aのイギリスや、後の日本など追いついた国が示すような経済的サクセスストーリーとなっているわけではない。図 1.11 は20世紀で世界各地の国をいくつか選んでその趨勢を追っている。たとえばアフリカでは、ボツワナによる持続的成長実現は、ナイジェリアでの相対的失敗と鋭い対比を見せている。どちらも天然資源が豊か (ボツワナはダイヤモンド、ナイジェリアは石油) だけれど、制度の質の差――たとえば汚職の度合いや政府資金のまずい使い方――で両者の対称的な道筋が説明できそうだ。
図 1.11で傑出しているのは韓国だ。1950年の一人あたりGDPはナイジェリアと同じくらいだった。2013年には、それが同じ指標で10倍も豊かになっている。
- 開発主義国家
- 発展指向型国家とも言う。公共投資、特定産業への補助金、教育などの公共政策を通じ、経済発展プロセスに主導的な役割を果たす政府。
韓国の経済的離陸は、18世紀や19世紀にイギリスに存在した制度や政策とはまったくちがうものの下で起こった。最も重要なちがいは、韓国の政府は(少数の超巨大企業と共に)開発プロセスで主導的な役割を果たしたということだ。一部の産業だけを明示的に後押しし、企業が外国市場で競争するように要求して、労働者に高質な教育を提供したのだ。開発主義国家という用語が、韓国の経済的離陸における政府の主導的な役割を指すのに使われ、これがいまや経済で同じような役割を果たす政府すべてを指すものになっている。日本と中国も、こうした開発主義国家の例だ。11
Jutta Bolt, and Jan Juiten van Zanden. 2013. 'The First Update of the Maddison Project Re-Estimating Growth Before 1820'. Maddison-Project Working Paper WP-4 (January).
図 1.11を見ると、ソ連の第一次五カ年計画が発表された1928年には、ソ連の一人あたりGDPはアルゼンチンの十分の一の水準で、ブラジルと同じくらいであり、韓国よりははるかに高かったこともわかる。ソ連の中央計画経済は、50年近くにわたり安定成長はしたものの、その成長は大したものではなかった。ソ連の一人あたりGDPは、1990年の共産党支配が終わる時点ではブラジルを大幅に上回っていたし、一時的にはアルゼンチンを上回りさえした。
ヨーロッパ外の歴史的なGDP推計を疑問視する研究者もいる。こうした国の経済構造があまりにちがっているから、というのがその理由だ。
東西ドイツの対比は、中央計画経済が経済システムとして放棄された理由の一つが、20世紀の第四四半世紀で、一部の資本主義経済の達成した生活水準改善を実現できなかったからだということを示す。でも旧ソ連諸国でその後中央計画にかわって登場した様々な資本主義も、やはりそれほどうまく行かなかった。これは1990年以後の旧ソ連での一人あたりGDPが目に見えて下がっていることからわかる。
資本主義が活発になる条件は?
図 1.11 の一部経済の停滞ぶりは、資本主義制度が存在するだけでは、活発な経済を創り出すには不十分だということを実証している――活発な経済とはつまり、生活水準の持続的な改善をもたらす経済ということだ。資本主義経済システムのダイナミズムには、二つの条件群が貢献している。一つは経済的なもの、もう一つは政治的なもので、政府とその働きに関係している。
経済的条件
資本主義があまり活発でない場合、その理由は以下のようなものかもしれない:12 13
- 私有財産が確立していない: 法や契約の執行が弱かったり、犯罪組織や政府による収奪があったりする。
- 市場に競争が働かない: 資本主義経済を活発にするようなアメと鞭を資本主義がもたらさない。
- 企業の所有者や経営者は、政府とのコネや家族の特権のおかげで生き延びている: 高品質な財やサービスを競争力のある価格で提供するのがうまかったから所有者や経営者になったのではない。他の二つの失敗は、この原因を起こり安くする。
資本主義の三つの主要制度破綻が組み合わさると、個人や集団は所得分配を自分に有利な方向に向けるため、ロビイングや犯罪活動などに時間を使うほうが儲けが大きいということになる。経済価値の直接的な創造で得られる利得は減ってしまう。14
資本主義は、人類史上で初めてエリート層への参加が経済パフォーマンスの高さに依存しがちな経済システムとなった。企業所有者が失敗すれば、もうエリート仲間には入れない。だれもわざわざその人を蹴り出す必要はない。あっさり倒産するだけだ。市場の規律が持つ重要な特徴――利潤の出る形で財やサービスを作るか、さもなければ破綻するか――は、それがうまく機能するときには自動的に作用するということだ。権力者の友人を持っていても、事業が続けられるとは限らないのだ。同じことが、企業や企業の中の個人にも言える。負ければ、失う。市場競争は、成績の低い者を摘み取るメカニズムを提供している。
これが他の経済システムとまるでちがっていることに注目。自分の封土の管理が下手な封建領主は、惨めな領主になるだけだった。でも財を人々の買ってくれる価格(しかも生産費用をカバーするだけの価格)で生産できない企業の所有者は破産する――そして破産した所有者はもはや所有者ではなくなる。
もちろん、資本主義企業の所有者や経営者でも、もともと大金持ちだったり政治的コネが強かったりすれば、企業が失敗しても生き延びられるし、その企業も倒産しないし、それがかなり続いて何世代にもわたったりすることもある。負けても、生き残ることはある。でもその保証はない。競争に出し抜かれないためには絶えず革新を続けねばならない。
政治条件
政府もまた重要だ。一部の経済――たとえば韓国――で、政府は資本主義革命での主導的な役割を果たした。そしてほぼあらゆる現代資本主義経済で、政府は経済の大きな部分を占め、一部ではGDPの半分以上が政府だ。でも資本主義黎明期のイギリスなど政府の役割がもっと限られているところですら、政府は経済の仕組みに影響する法律や規制を作り、それを執行し、変える。市場、私有財産、企業はすべて法や政策に規制されている。
イノベーターたちが新製品や新しい生産プロセスを導入するリスクを取るためには、結果として生じる利潤の所有権が奪われないよう、きちんと機能する法制度で守る必要がある。政府はまた、所有権をめぐる紛争を調停し、市場が機能するのに必要な財産権を強制する。
- 独占企業
- 類似の代替品がない製品の唯一の販売者である企業。また売り手が一人しかいない市場を指すこともある。「独占力」「自然独占」も参照。
- 大きすぎてつぶせない
- 大手銀行の特性と言われる。経済にとって中心的な重要性を持っているので、金融的な困難に陥ったら政府がまちがいなく助けてくれるのだ。このため銀行はその活動の費用をすべて負担することがなく、結果として大きすぎるリスクを取りがちとなる。「モラルハザード」も参照。
アダム・スミスが警告したように、東インド会社のような独占企業を造り容認することで、政府は競争の力を潰してしまいかねない。大企業が競合他社をすべて排除して独占を確立できたり、企業の手段が談合して価格をつり上げたりすれば、イノベーションのインセンティブや、破綻の可能性がもたらす規律が鈍ってしまう。一部銀行などの企業が大きすぎてつぶせないとされ、本当なら破綻したはずのときに政府に救済されるようなら、現代経済でも同じことが言える。
政府は資本主義経済システムの制度を支えるだけでなく、物理インフラ、教育、国防といった不可欠な財やサービスを提供する。これからの章では、競争維持、環境保護のための課税や補助金、所得分配への影響、富の創造、雇用やインフレの水準において、政府が政策を実施するのがなぜ経済的に筋が通っているのかを見る。
要するに、資本主義は以下が組み合わされば活発な経済システムになれる:
- コスト削減イノベーションの民間インセンティブ: これは市場競争と安全な私有財産から導かれる。
- 財を低コストで生産できる能力を証明した者が率いる企業.
- こうした条件を支える公共政策: 公共政策も民間企業が提供しない不可欠な財やサービスを提供する。
- 社会、生物物理環境、資源ベースの安定: 図1.5と 1.12が示す通り。
- 資本主義革命
- 急激な技術改善と、新しい経済システム台頭との組み合わせ。
これらの条件があわさって、私たちが資本主義革命と呼ぶものをつくりあげる。これはまずイギリスで生まれ、それから他の経済にも飛び火して、人々が生活に必要なものを生産するにあたり、他の人々や自然と相互作用する方法を一変させた。
政治システム
- 政治システム
- 政治システムは、政府がどう選ばれ、その政府が人口のすべてかほとんどに影響する決定を行い、それを実施する方法を決める。
- 民主主義
- 理想的には、あらゆる市民に等しい政治権力を与える政治システム。個人の人権、たとえば言論の自由、集会の自由、出版の自由、およびほぼあらゆる成人が投票できる公平な選挙、政府が選挙で負けたら退陣する、といった特徴を持つ。
資本主義がこんなに多種多様な理由の一つは、歴史を通じ、現代でも、資本主義経済が多くの政治システムと共存しているということだ。民主主義や独裁制といった政治システムは、政府がどう選ばれ、その政府が人口のすべてかほとんどに影響する決定を行い、それを実施する方法を決める。
資本主義は、イギリスやオランダなど、今日の高所得国のほとんどでは民主主義よりずっと前に台頭した。19世紀末まで、ほとんどの成人に選挙権があった国は一つもない(最初の普通選挙国はニュージーランドだ)。ごく最近でも、資本主義は非民主的な支配形態と共存していた。たとえば1973-1990年のチリ、1964-1985年のブラジル、1945年までの日本などだ。現代の中国は、資本主義経済システムの一種を持っているけれど、統治システムは私たちの定義では民主主義ではない。でも今日のほとんどの国では、民主主義と資本主義が共存し、お互いの働きに影響を与え合っている。
資本主義と同じく、民主主義もいろんな形をとる。国の首長が直接有権者に選出されるところもあれば、選挙で選ばれた集団、たとえば国会が首長を選ぶ。一部の民主主義では、個人が献金を通じて選挙や公共政策を左右するやりかたには厳しい制限がある。でも、選挙キャンペーンへの献金やロビイング、果ては賄賂など違法な献金を通じて民間のお金が大きな影響力を持っているところもある。
民主主義国の中ですら、こうしたちがいがある。これにより、なぜ資本主義経済で政府の重要性がこんなにちがうのかもある程度は説明できる。たとえば日本と韓国では、政府は経済の方向性を決めるのに重要な役割を果たす。でも政府(地方政府と国の両方)が集める税金の総額は、北欧の一部富裕国よりは低い。北欧諸国では税がGDPの半分近くにものぼる。第19章で見るように、スウェーデンとデンマークでは、可処分所得の格差 (最も一般的な指標に基づくもの) は、税引き前と移転前の所得格差のたった半分だ。日本と韓国でも、政府の税と移転は可処分所得の格差を減らすけれど、その度合いはもっと少ない。
問題 1.7 正解を選ぼう
もう一度図 1.10を見よう。これは東西ドイツ、日本、スペインの一人あたりGDP推移を、1950年から1990年について示したグラフだ。以下のうち正しいのはどれ?
- 出発点なら日本は東ドイツよりもっと低かったのに、1990年には西ドイツに追いついている。
- 成功する経済システムはいろいろある。日本経済は、私有財産、市場、企業の組み合わせが独自のものだったし、それを調整する政府の役割も強かった。これは西ドイツのシステムとはちがっている。
- 経済の一人あたりGDP成長率は、この図のように対数目盛のグラフに落としたときの曲線の傾きでわかる。スペインの曲線の傾きが1950年から1990年にかけては東西ドイツ双方よりも急なので、成長率も高かったことがわかる。
- 経済学では、たった一つの証拠で理論を「証明」はできない。ここで導けるのは、20世紀の後半には、経済制度のちがいはドイツ国民の生計に影響があったということだけだ。
問題 1.8 正解を選ぼう
もう一度図 1.11を見よう。グラフから導ける結論は次のどれだろう?
- 旧ソ連は実はブラジルより経済成長率はずっと高く、一人あたりGDPは1990年の共産党支配終焉直前には、一時的にアルゼンチンさえ上回った。
- ナイジェリアとボツワナはどちらも天然資源が豊富だ。でもナイジェリアは、汚職の蔓延と違法事業の横行で成長の足を引っ張られているのに、ボツワナはしばしばアフリカで最も汚職が少ないとされ、平均GDP成長率も世界トップ暮らすだ。
- 韓国は政府と少数の超巨大企業が開発プロセスで主導的な役割を果たした、開発主義国家だ。でもだからといって、その仕組みがあらゆる国にとって最適ということにはならない。
- どちらの国も一人あたりGDPは1990年以降下がった。これは新生資本主義経済の中で、競争力のある形で運営されていなかったためだ。非資本主義経済から資本主義システムへの急激な移行はしばしば「ショック療法」と呼ばれる。
1.11 経済学と経済
- 経済学
- 人々が生活資材を生み出すため。にお互いや自然環境とどう相互作用するか、そしてそれがどのように変化したかに関する研究。
経済学は人々が生活資材を生み出すためにお互いや自然環境とどう相互作用するか、そしてそれがどのように変化したかを考える学問だ。だから次のようなことを扱う:
- 人々がどうやって生活を構成するものを入手するか: 食べ物、衣料、住居、自由時間などだ。
- 人々がお互いとどのように相互作用するか: 売り手と買い手として、従業員や雇用者として、市民と役人として、親、子供、その他家族の成員として。
- 人々が自然環境とどう相互作用するか: 呼吸から、地中の原材料採掘まで。
- こうしたものが次第にどう変わるか。
図 1.5では、経済が社会の一部であり、その社会はバイオスフィアの一部だと示した。図 1.12では、経済の中の企業や家族の立ち位置を示し、経済の中と、経済とバイオスフィア間で起こるフローを示した。企業は労働を建物や設備と組み合わせ、財やサービスを造って、それが世帯や他の企業に使用される。
財やサービスの生産は世帯の中でも起こるけれど、企業とはちがい、世帯は産出を市場で売ったりはしない。
財やサービスの生産だけでなく、世帯はまた人々を生み出す――次世代の労働力だ。親、お世話係などが建物(たとえば家)や設備(たとえば家の電子レンジ)と組み合わさって、将来の企業で働く労働力を再生産して育て、そして将来の世帯で働き再生産する人々を造る。
このすべては、企業や世帯が自然の周辺環境や資源(化石燃料や再生可能エネルギーから、呼吸する空気まで各種)を活用する、生物学的、物理的なシステムの一部として起こる。その過程で、世帯や企業は資源を使うだけでなく、自然への投入を生み出すことで自然を変える。現在、こうした投入で最も重要なものの一つは温室ガスで、これが1.5節で見た気候変動問題に貢献している。
練習 1.11 選べるものなら、いつどこで生まれたい?
図 1.1a、1.10、1.11にあがったどの国の、いつの時代にでも選んで生まれられるとしよう。でもどこでも、自分が人口の最貧10%に入ることもわかっている。
- どの国に生まれたい?
- さて、最初は最貧10%に入るけれど、でも頑張ればそこからトップ10%に移動できる確率が半々だったとする。その場合なら、どの国に生まれたいだろうか?
- では、生まれる国と時代だけを選べるとしよう。生まれるのが都市か地方か、男になるか女になるか、金持ち一家か貧困世帯かはわからない。その場合なら、どの国のどの時代に生まれたい?
- (3) のシナリオで、いちばん生まれたくないのはどの国と時代?
この章で学んだことを使って、なぜそれを選んだか説明しよう。
1.12 まとめ
歴史の大半を通じて、生活水準は世界中で似たり寄ったりだったし、何世紀たってもほとんど変化しなかった。1700年以来、それが一部の国で急上昇した。この上昇は急速な技術進歩と、資本主義という新しい経済システムの台頭と時を同じくして起こった。そこでは私有財産、市場、企業が大きな役割を果たす。資本主義経済は、技術イノベーション、そして専門特化からの利得のためのインセンティブや機会を提供した。
国ごとに、制度や政策の有効性はちがう。あらゆる資本主義経済が持続的な成長を遂げてきたわけではない。今日、国ごとに巨大な所得格差があるし、国の中でも最貧層と最富裕層には大きな格差がある。そして生産の増大は天然資源枯渇や、気候変動などの環境被害を伴うものだった。
第1章で導入された概念
先に進む前に以下の定義をおさらいしておこう:
1.13 参考資料
- Acemoglu, Daron, and James A. Robinson. 2012. Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity and Poverty, 1st ed. New York, NY: Crown Publishers. 邦訳アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』(上下巻、早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2016)
- Augustine, Dolores. 2013. 'Innovation and Ideology: Werner Hartmann and the Failure of the East German Electronics Industry'. In The East German Economy, 1945–2010: Falling behind or Catching Up? by German Historical Institute, eds. Hartmut Berghoff and Uta Andrea Balbier. Cambridge: Cambridge University Press.
- Berghoff, Hartmut, and Uta Andrea Balbier. 2013. 'From Centrally Planned Economy to Capitalist Avant-Garde? The Creation, Collapse, and Transformation of a Socialist Economy'. In The East German Economy, 1945–2010 Falling behind or Catching Up? by German Historical Institute, eds. Hartmut Berghoff and Uta Andrea Balbier. Cambridge: Cambridge University Press.
- Coyle, Diane. 2014. GDP: A Brief but Affectionate History. Princeton, NJ: Princeton University Press.邦訳コイル『GDP――小さくて大きな数字の歴史』(みすず書房、2015)
- Diamond, Jared, and James Robinson. 2014. Natural Experiments of History. Cambridge, MA: Belknap Press of Harvard University Press.
- Eurostat. 2015. 'Quality of Life Indicators—Measuring Quality of Life'. 更新日 5 November 2015.
- Kornai, János. 2013. Dynamism, Rivalry, and the Surplus Economy: Two Essays on the Nature of Capitalism. Oxford: Oxford University Press.
- Landes, David S. 2003. The Unbound Prometheus: Technological Change and Industrial Development in Western Europe from 1750 to the Present. Cambridge, UK: Cambridge University Press.
- Robison, Jennifer. 2011. 'Happiness Is Love – and $75,000'. Gallup Business Journal. Updated 17 November 2011.
- Seabright, Paul. 2010. The Company of Strangers: A Natural History of Economic Life (Revised Edition). Princeton, NJ: Princeton University Press.邦訳シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?――ヒトの進化からみた経済学』(みすず書房、2014)
- Smith, Adam. 1759. The Theory of Moral Sentiments. London: Printed for A. Millar, and A. Kincaid and J. Bell.邦訳スミス『道徳感情論』(日経BP社、日経BPクラシックス、2014)
- Smith, Adam. (1776) 2003. An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations. New York, NY: Random House Publishing Group.邦訳スミス『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』(上下巻、日本経済新聞社出版局、2007)、フリー版(部分)
- Sutcliffe, Robert B. 2001. 100 Ways of Seeing an Unequal World. London: Zed Books.
- World Bank, The. 1993. The East Asian miracle: Economic growth and public policy. New York, NY: Oxford University Press.邦訳世界銀行『東アジアの奇跡:経済成長と政府の役割』(東洋経済新報社、1994)
-
Jean Baptiste Tavernier, Travels in India (1676). ↩
-
Diane Coyle. 2014. GDP: A Brief but Affectionate History. Princeton, NJ: Princeton University Press. ↩
-
Jennifer Robison. 2011. 'Happiness Is Love – and $75,000'. Gallup Business Journal. 更新日 17 November 2011. ↩
-
'Quality of Life Indicators—Measuring Quality of Life'. Eurostat. 更新日 5 November 2015. ↩
-
Adam Smith. (1776) 2003. An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations. New York, NY: Random House Publishing Group. 邦訳スミス『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』(上下巻、日本経済新聞社出版局、2007) ↩
-
Smith, Adam. 1759. The Theory of Moral Sentiments. London: Printed for A. Millar, and A. Kincaid and J. Bell. 邦訳スミス『道徳感情論』(日経BP社、日経BPクラシックス、2014) ↩
-
David S. Landes. 2003. The Unbound Prometheus: Technological Change and Industrial Development in Western Europe from 1750 to the Present. Cambridge: Cambridge University Press. ↩
-
Paul Seabright. 2010. The Company of Strangers: A Natural History of Economic Life (Revised Edition). Princeton, NJ: Princeton University Press. 邦訳シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?――ヒトの進化からみた経済学』(みすず書房、2014) ↩
-
ウィンストン・チャーチルの「鉄のカーテン」演説についての詳細. ↩
-
Hartmut Berghoff and Uta Andrea Balbier. 2013. 'From Centrally Planned Economy to Capitalist Avant-Garde? The Creation, Collapse, and Transformation of a Socialist Economy'. In The East German Economy, 1945–2010: Falling behind or Catching Up? Cambridge: Cambridge University Press. ↩
-
World Bank, The. 1993. The East Asian miracle: Economic growth and public policy. New York, NY: Oxford University Press. 邦訳世界銀行『東アジアの奇跡:経済成長と政府の役割』(東洋経済新報社、1994)↩
-
János Kornai. 2013. Dynamism, Rivalry, and the Surplus Economy: Two Essays on the Nature of Capitalism. Oxford: Oxford University Press. ↩
-
Dolores Augustine. 2013. 'Innovation and Ideology: Werner Hartmann and the Failure of the East German Electronics Industry'. In The East German Economy, 1945–2010: Falling behind or Catching Up? Cambridge: Cambridge University Press. ↩
-
Daron Acemoglu and James A. Robinson. 2012. Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty. New York, NY: Crown Publishing Group. 邦訳アセモグル&ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』(上下巻、早川書房、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2016) ↩