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Robert Todd Carroll

SkepDic 日本語版
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証言という``証拠''
testimonial evidence

超越論や超常現象、疑似科学を信じるというときによく示される``証拠'' のひとつに、証言やビビッドな逸話がある。しかし、自分が熱心に支持する主張の妥当性を確立するには、こうした証言や逸話の価値はほとんどゼロに等しい。天使やエイリアンや幽霊、ビッグフット、あるいは死んでいく病人の身体の周りに見えた紫色のオーラや奇跡のダウザー、空中浮揚するグル、心霊手術師などに遭遇したことを、たとえ誠実かつビビッドに話しても、こうしたことがらを信奉するのが合理的だと確立するための経験的価値はもちえないのだ。それはなぜか?そう、理由の一つは、上で挙げたような話には本質的に信頼性が欠けていて、しかも先入観が入っているということだ。こうした証言は、最新ダイエット法で満足したとテレビに出て言うお客たちの体験談と同様に、価値がない。実際には、天使を見たと主張している証言などよりは、偏見混じりなことが明らかな広告主たちの証言の方が優れている:広告主たちの主張なら、検証する方法を考えることができるからだ。天使の目撃証言を検証する方法など、考えつくことはできない。

超常現象や超自然現象にまつわる``個人体験''の証言に、科学的価値はない。ほかの誰かが同じ条件下で同じことを体験できなければ、その体験を検証する方法はないのだ。主張を検証する方法がなければ、その体験が妄想か正しく知覚したものかを判断する方法がない。もしほかの人が同じことを体験できれば、その証言を検証して主張が信じるに足るのかどうか判断することも可能だ。たとえば、読者の一人はプラシーボ効果の一例を送ってくれた:

子供の頃、私は飛行機に乗るといつも吐いてしまいました。そう、あるスチュワーデスに、フライト前にアルカセルツァーを飲んだらいい、と教えてもらうまで。効いたんです、これが!残念なことにこの薬はひどい味がするもんですから、グラス半分だけ飲むことにしました。これでも効いたんです。しばらくすると、アルカセルツァーをグラスに入れるだけで、(飲まなくても)十分効くようになりました...
[Delano DuGarm]

この読者は賢明にも、アルカセルツァーの効果を検証することは可能だということは理解していた。だが、アルカセルツァーの不思議な作用についての証言には、ダウジングの不思議を語るダウザーの証言と同様に、価値などないだろう。一方、夜中に天国に行って天使とダンスした、などといった証言は、けっして検証することができないもの一例である。こうした証言は検証することができないので、科学的に無価値である。

ダウザーたちの証言が科学的に無価値なのは、ダウジングのようなことがらでは選択的思考と自己欺瞞についても対照を用意して排除しなければならないからだ。ほとんどの ダウザーは、自分たちが自己欺瞞に陥っているという可能性を排除するには対照実験が必要だということさえ認識していない。彼らは自分たちのダウザーとしての経験で満足している。一度ダウザーを対照実験にかければ、彼らが選り好みで証拠集めをしているわけではない、つまり成功例だけを集めて失敗例を都合良く無視したり少なめに見積もったりしているわけではない、といっぺんに証明できるのだが。対照研究を用いれば、目で見える地質学的な手がかりなど他の要因がダウジングの成功に有意な影響を与えているのかどうかも判断できるだろうが。したがって、ダウザーの証言は定義上、しかも証言そのものが、科学的に無意味なのである。

証言が無意味なら、なぜこれほどたくさんの証言が出てきて、しかもこれほど確信を持って主張されるのだろうか?これにはいくつか理由があると思う。証言はビビッドで詳細なものが多いので、聞く者はこれを信じてしまいやすい。証言は正直で信頼できそうな、情熱的な人たちによってつくられる場合が多いし、こうした人たちが私たちを欺く理由はなさそうである。証言は、心理学博士や物理学博士といった、見かけ上権威のある人たちによってつくられる場合も多い。おしまいに、証言は人々が信じたいからこそ、信じられやすいのである。しかしながら、検証不可能な主張にまつわる証言は文字どおり無価値である。そしてまた、検証可能な証言もまた、実際に検証されるまでは無価値である。

証言は生活のいろいろな局面でもよく使われるもので、ここには医師が患者を治療する医学も含まれる、ということを最後に付け加えておく。こうした証言について考慮するのは賢明なことであって、べつに愚かなことではない。医師は患者の証言を使って治療方法についての結論を導き出す。たとえば、医師は新薬に対する反応について、患者から談話というかたちで証言を得て、こうした情報を使って投薬処方を改善したり治療方法を変えたりする。これはまったく合理的なことだ。しかし、医師がこうした証言を聞くときに選択的であったり、自分の先入観に合う主張だけを聞くなどということはありえない。もしそうしてしまうと、患者を傷つける危険が生じるからだ。まともな人なら、新しいやせ薬や、ランドマークフォーラムとかサイエントロジーなどの驚くべき証言を聞くときにも、偏った意見を選択的に聞いたりはしないだろう。

関連する項目:その場しのぎの仮説(ad hoc hypotheses)オッカムの剃刀(Occam's razor)コールド・リーディング(cold reading)組織的強化(communal reinforcement)対照研究(control study)プラシーボ効果(the placebo effect)因果の誤り(the post hoc fallacy)選択的思考(selective thinking)自己欺瞞(self-deception)主観的な評価(subjective validation)ないものねだり(wishful thinking)



参考文献

How to Think Straight About Psychology, 3rd ed., Keith E. Stanovich (New York: Harper Collins, 1992).

Copyright 1998
Robert Todd Carroll

日本語化 01/24/00

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